鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「浜田知明回顧展」と新緑の熊本城【熊本の話題】

2019-04-29 | 熊本の話題
2019年4月25日(木)

新緑の熊本城が好きです。
出かけました。

城内二の丸広場にある熊本県立美術館では、「浜田知明回顧展 忘れえぬかたち」が開催されています。


(「浜田知明回顧展」チラシ)


(「浜田知明回顧展」チラシ)


(熊本県立美術館)


(熊本県立美術館)

13時頃について、先ずは美術館の喫茶室「桜Cafe」のテラスで新緑を眺めながらお昼。
気持ちいいです。何を食べても美味しく感じられます。


(二の丸広場から喫茶室のテラス)


(メニュー)


(テラスからの眺め)

食事が終わって、美術館1F会場へ。


(熊本県立美術館正面入り口)


(熊本県立美術館正面入り口)


(熊本県立美術館正面入り口)


(熊本県立美術館内から)


(会場へ)


(1Fへの階段から)

熊本県立美術館には、浜田知明さんの作品を展示する常設のコーナーがあります。企画展の出口の場所にあるので、さまざまな企画展を見学した後に寄って観ています。大規模な作品の展示を観るのは、2015年8月「浜田知明のすべて展」以来になります。

浜田知明さんは、昨年7月に100歳の生涯を終えられました。
パンフレットには、「本展では、作品そのものに注視して頂くよう、浜田の言葉を記したパネルはあえて最小限にとどめます。また制作手順ではなく、主題や造形により作品を分類・展示することで、「反戦の画家」というイメージにとらわれない主題の多様性や、その中に通底する造形性をみてゆく構成とします。」と説明があります。

展示の構成は
第一章 原点のかたち
第二章 体験のかたち
第三章 制作のかたち
第四章 世のかたち
第五章 心のかたち
第六章 幻想のかたち
第七章 仕事のかたち
第八章 平面のかたち/立体のかたち
第九章 忘れえぬかたち
終章 そして兵はゆく
となっています。

浜田さんの作品の中で一番好きなのは「情報過多的人間」です。作品以上に作品名が好きなのかもしれませんが。1975年の作品で当時はこのような言葉は無かったと思います。「情報化社会」という言葉が使われ出したのも、これよりも後のことだと思います。

今回もクスッと、見つめました。

同じ作家の展覧会でも観る時観る時の自分の心境で、関心をもつ作品が変わってきます。今回は、「壁にぶちあたった男とそれを嗤う男」という作品の前で立ち止まりました。
「壁にぶちあたった男」も「それを嗤う男」も、自分自身のように私は感じます。


(「壁にぶちあたった男とそれを嗤う男」)

怒りや、笑いや、をいっぱい感じられました。展示の構成では、「第五章心のかたち」が最も印象に残りました。

5月26日(日)まで開催されています。

同時開催の「熊本地震と文化財」は7月7日(日)まで開催されています。
収蔵品で、熊本地震で壊れ、修復された作品などが展示されています。これまで観たことのない作品も多く、興味津々で観ました。


(美術館掲示板)

私は、美術的な事はわかりません。

中学校の写生大会は熊本城であっていました。春と秋にあっていたのか、春か秋にあっていたのかは忘れました。

春の写生大会の時だったと思います。熊本城のクスノキを描いたら、「新緑はそんな色じゃなかろう。」と注意?批評?されたことを、ふと思い出しました。

そんな程度なので、美術で褒められたことも、成績が良かったこともありません。

歳を重ねても新緑を描くことはありませんが、美術館に行くのは好きです。5月の熊本県立美術館に行くのは、特に好きです。

新緑がいいです。


(写真のクスノキを描いたような?)


(描いた場所付近は立ち入り禁止)


(大天守)


(二の丸広場)


(野鳥園)


(藤崎台のクスノキ・国指定天然記念物)


(護国神社前の広場)


(細川刑部邸)


(熊本市博物館)


(細川刑部邸)


(三の丸駐車場の方から熊本県立美術館)


(二の丸御門跡)


(城内いたるところに崩れた石垣が保存されている)


(百閒石垣)


(土嚢の間からも新しい息吹)


(熊本城大天守・小天守)

「あがる」「あがる」に会う【JR九州長崎駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-4】

2019-04-21 | JR九州ウォーキング
2019年4月20日(土)

今日は、新幹線、白いかもめと乗り継ぎ長崎本線長崎駅へ。



(今日のマップ)

今日のマップはいつもより詳しい。悲しいかな、メガネをかけないとよく見えない。遠近両用メガネを持ってこなかったので、マップはポケットに入れてスタート。


(長崎駅)

矢印を頼りに歩く。どこへ行くかも楽しみ。


(矢印)

幾つか曲がったり、信号を渡ったり。いよいよ、坂へ。

矢印には、「直進」と書いてあるけど、「上り」というのも作ってもらいたい、と思いながら上を眺めて気合を入れて坂をあがる。


(坂を上る)

階段も上がる。


(若宮(勤皇)稲荷神社へ)


(若宮(勤皇)稲荷神社へ)

もともと若宮稲荷神社と呼ばれていたが、幕末の頃、勤皇の志士たちが勤皇稲荷と称し参拝した。


(若宮(勤皇)稲荷神社)

柱が方形の鳥居。旧長崎奉行所内の稲荷神社にあったものを当地に移された。


(方形の鳥居)

さらに、上がって行くと標高約152mの風頭山の上にある「風頭公園」に着いた。


(風頭公園からの眺望)

公園には、「坂本龍馬像」が建っている。


(坂本龍馬像)


(坂本龍馬像)


(坂本龍馬像)

どこを、なにを、遠くを見つめる「坂本龍馬像」。私が見つめるのは眼下。今日のウォーキングのメイン「帆船」。


(展望台より帆船)

メイン会場目指して、下る。


(風頭山頂上付近の岩)

この辺りの坂本龍馬に関する施設などへの案内板などは地元の人の手作りが多い。行政よりも先に地元の人たちが盛り上げてきたのだろう。


(手作りの案内板)

手作り感いっぱいの「亀山社中資料展示場」。亀山社中のメンバーの写真、坂本龍馬が関わった幕末の人たちの写真などが展示してある。入館料は無料だが、募金を。


(亀山社中資料展示場)

コースには入っていないが、「亀山社中記念館」へ。何度か来ているので入口の写真だけ。


(下り沿いで)


(亀山社中記念館)

すぐ傍には、日本で最初にブーツを履いたといわれる、「坂本龍馬のブーツ像」。


(坂本龍馬のブーツ像)


(下り沿いで)


(下り沿いで)

寄り道からコースに出て、なお下って平坦な道へ。歩く。「鍵屋」は元禄時代の創業。


(くすり鍵屋)


(変な自動販売機)

さらに歩いて、中島川に架かる「眼鏡橋」へ。川沿いに「風花や錦絵めきて眼鏡橋」下村ひろしの句碑。


(句碑)


(眼鏡橋)


(川沿いの「水害復興と友好の記念碑」)


(川沿いの藤)


(錦鯉も泳いでいる)


(ここにも鯉)

2017年11月に完成した、新たな出島の表門橋。国指定史跡「出島和蘭商館跡」のため、石垣などの遺構保存と両立させるのにさまざまな工夫が施されている。


(出島の表門橋)

メイン会場へと歩く。暑くなってきた。


(道沿いで、駐車場?)


(道沿いで)


(道沿いで)

長崎水辺の森公園の「帆船まつり会場」に着くも、帆はあがっていない。

カメラを持っていると、地元の人たちから聞かれることもある。「いつあがるんですか?」「さぁ。」としか答えられない。

お昼時なので、喉を潤そう。
帆船を眺めながら、ビールと蒸牡蠣。そして、サバサンド。美味しい。


(サバサンド350円)

サバサンドを食べていると、ロシア海技学校、水産学校の練習船「パラダ」の帆があがりだした。
1853年、ロシアの艦隊が、アメリカのペリー駿河来航の後、長崎に来航した。その時の旗艦が「パラダ」という名称だった。


(ロシアの帆船「パラダ」)


(ロシアの帆船「パラダ」)


(ロシアの帆船「パラダ」)

その隣、やはりロシアの極東海洋大学の練習船「ナジェジュダ」の帆もあがりだした。
1804年、ロシアの使節が通商を求めて長崎に来航。その時の旗艦が「ナジェジュダ」という名称だった。


(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)


(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)


(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)

練習生は、帆の調整に駆け上がる。


(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)

日本の航海練習船「日本丸」の帆はあがっていない。船内の見学には、長蛇の列が出来ている。


(日本丸とロシアの帆船)


(日本丸見学に長蛇の列)


(韓国の帆船「コリアナ」)

帆船まつり会場を後にし、ゴールの長崎駅へ。


(帆船まつり)

長崎市は路面電車の街でもある。


(路面電車)

14時10分頃、ゴール受付を済ます。


(長崎駅)

14時46分のかもめで帰路。ビール飲んでいるので寝過ごさないよう、「新鳥栖で乗換だよ。」と自分に言い聞かせ、今日のウォーキングを終える。

「『不弥国』王の墓」に会う【JR九州宇美駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-3】

2019-04-15 | JR九州ウォーキング
2019年4月13日(土)

今日は、博多駅から福北ゆたか線で長者原駅、乗り換えて香椎線の終着駅・宇美駅(福岡県糟屋郡宇美町)へ。


(今日のマップ)

9時半前にスタート。


(宇美駅)

今年は桜の花の寿命が長い。


(宇美川)

「宇美の織の里もりおーる」で工場見学。シルクのハンドタオルを買った。


(もりおーる)


(もりおーるの工場)

線路の上の橋を通ろうとしたら、踏切に列車が近づく音が聞こえる。しばらく待つと宇美駅を出た香椎駅行きの「DENCHA」が通過。


(香椎駅行き「DENCHA」)

少し歩いて、高台にある「宇美公園・コヤスファーム」へ。公園一帯は5世紀頃古墳が幾つかあって神領古墳群を成している。


(宇美公園)


(宇美公園)

降りて行く途中に、ソフトクリームの販売に列が出来ていたので並んだ。ヤギミルクソフトはあっさりしていて美味しい。ほんの少し昔懐かしい味もする。20円引き。


(ヤギミルクソフトの販売車)


(メニュー)

裏から上った公園を表の入口から下りて、後にする。1週間に歩いてみたかったなぁ。


(公園を後に)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

旧国鉄勝田線跡の緑道を歩いていくと、小高い丘が見えてくる。近づくと古墳。


(光正寺古墳)

古墳への上り口はヤエザクラがほぼ満開。


(ヤエザクラ)

光正寺古墳は出土品から3世紀後半の古墳で、糟屋郡内最大の前方後円墳。「不弥国=ふみこく」の王の墓とも考えられている。

「魏志倭人伝」には、邪馬台国への道のりを、「対馬国」→「一支国」→「末盧国」→「伊都国」→「奴国」→「不弥国」と書かれている。奴国は、博多湾から春日市辺りの福岡平野一帯と考えられていて、宇美町はその隣に位置する。

奴国の中心地とされているところには、春日駅からのJR九州ウォーキングで訪れる「春日市奴国の丘歴史資料館」が建っている。最寄りのJR駅は南福岡駅。宇美町から南福岡駅間は路線バスで行き来できる。


(光正寺古墳)


(説明板)


(古墳の上からヤエザクラ)


(整備された旧勝田線跡の緑道・古墳近くで)

古墳を後に。「萬代酒工房」で、娘へちょっと奮発。


(道沿いで)


(萬代酒工房)

萬代酒工房のすぐそばにある「宇美八幡宮」は、神功皇后が応神天皇を出産したといわれる地。敏達天皇の時代(572年~586年)に創建されたと伝えられている。

生まれて30日位の子供を抱いてお参りする人も多い。


(宇美八幡宮)


(宇美八幡宮)

大正11年指定の天然記念物「湯蓋の森」。


(宇美八幡宮「湯蓋の森」)

根元には次のことが書かれている。


(宇美八幡宮「湯蓋の森」)

宇美八幡宮を後にする。


(道沿いで)

12時前ゴール宇美駅へ。受付時に貰ったマップはいつもあまり見ないで歩く。時々、寄り所を見逃す。今日も「歴史資料館」などを見逃した。


(宇美駅)

神功皇后は、新羅より帰還したのち、出産場所を宇美(当時の地名は蚊田)と定められ、香椎から宇美八幡宮の地に移られ出産されたと伝えられている。

12時4分の香椎駅行きに乗車。電化区間では充電し非電化区間では充電した蓄電池の電気で走行する「DENCHA」で帰路。今日はビール無し。


「今日も桜とチューリップ、それに桃」に会う【JR九州直方駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-2】

2019-04-10 | JR九州ウォーキング
2019年4月7日(日)

今日は、折尾駅経由で筑豊本線の直方駅へ。


(今日のマップ)

直方駅といえば元大関「魁皇関」の像。皆が記念にと撮るのでアップできる写真はなかなか撮れない。

駅から真っ直ぐ歩いて、遠賀川に架かる日の出大橋へ。ここから、今日のメイン「チューリップフェア」会場をの方を撮るのも、参加の度に同じ。そう思いながら橋を渡る。


(桜の咲いている「チューリップフェア」会場へと向かう)


(橋を渡り終えたところにある幼稚園)

幼稚園を過ぎて、右へ。田川直方バイパスを黙黙と歩く。暑くなってきた。あられおせんべいの「もち吉本店」へ着いて一休憩。


(もち吉本店)

もち吉で使用している「水」も売られていた。


(もち吉で使用している力水の販売)

もち吉のフラワーパークでもチューリップフェアが開催されている。


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)

もち吉フラワーパークから「のおがたチューリップフェア」会場の遠賀川河川敷へ。桜も満開。

遠賀川水辺館では、ホットコーヒー100円が50円のサービスがある。「アイスコーヒーはありませんか」と聞きたくなる陽気。


(桜も見ごろ)


(桜も見ごろ)

坑夫像「炭掘る戦士」は、1954(昭和29)年に直方駅前に建てられ、1996(平成8)年に直方駅前の整備でこの地に移転した。多くの市民から移転を惜しむ声が寄せられた、と台座に説明がある。


(坑夫像「炭掘る戦士」)


(桜も見ごろ)


(桜も見ごろ)


(チューリップフェア)


(チューリップフェア)


(チューリップフェア)


(チューリップフェア)


(チューリップフェア)


(チューリップフェア)

橋を渡ってチューリップフェア会場を後にする。


(橋を渡る)

旧福岡銀行南支店の「アートスペース谷尾」から、アーケード商店街を歩く。
地方のアーケード商店街はどこも寂しくなってきている。
動力源が石炭から石油へ、そして車社会になって身近な商店街で買い物をする機会が減ってきたことが原因の一つだろう。
商店街の中で「町おこし振興まつり」が行われていたのでコースに入ったのだろうが、シャッターが降りたままのお店が多い中を歩くのはなんとなく寂しい。


(アートスペース谷尾)


(商店街の中で)

「炭掘る戦士」が建っていた直方駅前に出た。今は「魁皇関」の像が建っている。(写真下真ん中あたり)


(直方駅)

駅前を通過して歩く。多賀神社も通過。


(多賀神社)

左左と曲がって、向野堅一記念館(登録有形文化財)と直方谷尾美術館も前を通過。


(向野堅一記念館)


(直方谷尾美術館)

新町北公園の桜は散り始めていた。


(新町北公園)


(桜散る新町北公園)

直方歳時館も坂上まで上ったが見学せずに通過。ギャラリーのぐちも少し覗いただけ。直方市石炭記念館へ。

直方市石炭記念館は、1912(明治45)年、炭鉱の大規模化に伴う災害の増加に対応するため救護練習所模擬坑道が日本で最初に設置された地にある。
炭鉱は災害が起きることを前提としていた。そこには死と直面して働く人々がいた。
遠賀川河川敷で見てきた坑夫像には「炭掘る戦士」の銘がついている。働く人も周囲の人も「戦士」を実感していたであろう。


(直方市石炭記念館の前)


(直方市石炭記念館)


(SLと炭鉱夫の像)

1925(大正14)年、鞍手郡宮田町(当時)貝島大之浦炭鉱がドイツから輸入した、炭鉱専用の蒸気機関車が展示してある。


(蒸気機関車コッペル32)

記念館も何度か見学しているので入らず、裏の方へ。多賀神社裏手の駐車場から神社へ。
多賀神社はマップでは寄り所にはなっていないけど、境内は桃の花が咲き誇っている。


(多賀神社で)


(多賀神社で)


(多賀神社で)


(多賀神社で)

コースに戻って、ゴール直方駅へ。


(直方駅の裏)

ゴール受付した後、駅前に出てようやく「魁皇像」を撮る。


(魁皇像)

このコースは何度か来ていることもあるが、見学は殆どせず、花だけを楽しんで今日のウォーキングを終える。

《番外編》

今日の行程は、行きは博多駅から折尾駅へそして直方駅へ。帰りは直方駅から飯塚駅を経由して博多駅へ。
折尾駅から直方駅へは、この時期としては初めて乗車した。沿線の桜は綺麗だった。


(行きの沿線の桜)


(行きの沿線の桜)


(行きの沿線の桜)


(行きの沿線の桜)


(行きの沿線の桜)

「和布刈神社を覗き見る」に会う【JR九州門司港駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-1】

2019-04-08 | JR九州ウォーキング
2019年4月6日(土)

JR九州ウォーキングに今年初めての参加は、九州最北端の門司港駅。


(今日のマップ)


(0哩標識)

門司港駅は、1914(大正3)年に門司駅として開業し、1942(昭和17)年に門司港駅と改称された。鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定されたのが、1988(昭和63年)年。JR九州は、6年にも及ぶ復元工事を終え、2019(平成31)年3月に大正時代の姿に復元された門司港駅をグランドオープンした。

昨日は北九州で用事があって、そのまま泊って8時半の受付時間前から並んだ。


(復元された門司港駅とウォーキングの受付に並んだ人たち)

ウォーキングは、関門海峡を挟んだ対岸下関の「火の山」へと向かう。


(関門大橋と下関火の山)

門司港レトロ地区からトロッコ列車の線路沿いを歩く。


(旧門司税関)


(31Fに門司港レトロ展望室がある。)


(何の建物かは調べなかった。)


(線路脇に咲いていた)


(線路沿いで)


(線路沿いで)


(線路沿いで)


(桜も綺麗)

ノーフォーク広場に入る。


(桜は見頃)


(広場の象徴)


(駅長さんも「火の山」まで行ってらっしゃいと)

海岸沿いに立つ「和布刈神社」の神事は松本清張の小説『時間の習俗』の舞台にもなっている。


(和布刈神社。これより後ろに下がって写真を撮ろうとすると海に落ちる危険がある。)


(神社のすぐ下、このあたりが神事が行われるところ?)

和布刈神社からすぐのところにある、関門トンネル人道を歩く。


(定番。トンネル内の山口県と福岡県の県境)

トンネルを出ると下関。


(「ここから火の山に上って」と駅長さん)


(桜も見ごろ)

桜並木を眺めながら階段を上って行くと、火の山ロープウェイの下駅に着く。

目は自然と駅横の斜面に吸い込まれ、近づくと、一面にチューリップが咲き誇って桜も満開。インスタ映えする光景が拡がっている。火の山公園トルコチューリップ園『オルハン・スヨルジュ記念園』は、姉妹都市であるトルコ共和国イスタンブール市よりチューリップ球根を寄贈されて開園した。みんな楽しそうに眺めたり、歩きまわったり、写真撮ったり。


(火の山公園トルコチューリップ園)


(火の山公園トルコチューリップ園)


(火の山公園トルコチューリップ園)


(火の山公園トルコチューリップ園)

チューリップ園のすぐ横には日中友好の少女像が建っている。(青島市と友好都市)


(青島市から贈られた少女像)

頂上へとロープウェイで上る。ウォーカーは往復乗車券500円が450円に。

上駅から少し歩いたところには、韓国・済州島に伝わる石のお爺さんと呼ばれる守護神が建っている。下関観光協会と姉妹縁組をしている済州道観光協会から贈られた。


(石のお爺さん)

頂上付近から関門海峡を眺める。写真真ん中ほど橋脚のすぐ左横が和布刈神社。その左手の建物が関門トンネル人道の入口。


(関門海峡の眺望)

「火の山」の名は、その昔、山頂に煙台が設けられていたことに由来している。1890(明治23)年に山頂に砲台が置かれ、下関要塞の一部として重要な軍事拠点となり、民間人の入山が禁じられていた。戦後、開放され一般の人たちが楽しめるようになる。

インスタ映えの光景にはしゃいでいた若い女性たちもここまで来ている人は少ないようだ。


(東京から長崎まで電報が利用できるようになったのは1873(明治6)年)


(軍事的な建物の跡)


(いのししが出るようだ)


(砲台跡)



(砲台跡)


(火の山の標高)


(現在はテレビ塔が建っている)

下りのケーブルカーに乗車するのに並んでいる人が多い。次の便に乗れるか不安だったけど、平常運転は20分間隔のところ、直ぐに臨時便が運行されて助かった。

海岸沿いに見える「みもすそ川公園」が次の目的地。


(ケーブルカー上駅より)

みもすそ川公園に着くと「松本清張文学碑」が建っていた。


(松本清張文学碑)

文学碑の穴から覗くと、小説『時間の習俗』の舞台「和布刈神社」が対岸に見える。


(穴から和布刈神社)

松本清張は幼少の頃、この公園付近に住んでいた。そのころ神事の火も見ていたのだろうか。


(和布刈神社)

幕末、長州藩は欧米列強の船に対して砲撃を行った。いわゆる下関戦争。その時の長州砲のレプリカも公園に展示してある。


(長州砲のレプリカ)

それよりも、ずーっと昔、源平壇ノ浦合戦の舞台でもあった。両軍の総大将、源義経と平知盛像もある。


(源義経と平知盛像)

公園から海岸沿いを唐戸市場へと歩く。


(いつもこの角度の写真撮っていると思いつつも)

途中に、壇ノ浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする赤間神宮がある。今回は道を隔てて眺めるだけ。


(赤間神宮)


(赤間神宮の写真を撮っていたところにあった。何の像か確認していない。)

唐戸市場でお寿司。唐戸市場では毎週末と祝日に「活きいき馬関街(ばかんがい)が開催されている。市場内に寿司や揚げ物のお店が並ぶ。このコースの楽しみの一つ。

今は、どこに行っても東アジアのお客さんが多い。海岸沿いの広場で食べたが、横には二十歳前後と思われる女性二人が食べる姿をスマホで撮ったりして楽しんでいた。


(定番すぎたかな)


(関門海峡を通過する船を眺めつつ食事)

唐戸市場のすぐそばの下関唐戸港から、関門連絡船で門司港へと戻る。


(船上から)


(船上から)


(船上から)

門司港に戻ると子供たちが駅前の噴水ではしゃいでいた。駅舎よりも噴水だよなぁ。


(門司港駅)


(駅の前にある旧門司三井倶楽部の建物)

ウォーキングゴールは「九州鉄道記念館」。昨春、孫娘と来たので今日はパス。


(鉄道記念館)

門司港駅に戻ろうとしたら、トロッコ列車が。


(門司港観光トロッコ列車「潮風号」)

天気も良く、桜も満開、ビールも飲めて満足の半日だった。でも、戦争・平和・東アジア友好なども頭のどこかに・・・。小倉駅、博多駅と乗り換えて帰路に。

桜満開の熊本城を歩く【熊本の話題】

2019-04-02 | 熊本城
2019年4月2日(火)

桜咲く熊本城を散策しました。

清正公さんは桜の花に包まれても表情は変わりません。
国の重要文化財「長塀」(約240メートル)は復旧工事で足場が組まれました。
まだまだ、崩れた石垣がそのままの所もあります。
安全のため、仮の復旧がされた石垣もあります。
危険だったり、工事のためだったりで通行止めのところもあります。
石垣などの置き場になっているところもあります。
今秋には、大天守・小天守の外観が見学できるように工事が進んでいます。

春の風を感じながら歩きました。

写真1枚1枚に説明は付けませんでしたが、ご覧いただければ幸いです。

























































ご覧いただきありがとうございました。

「横井小楠記念館」しばらく休館に-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-7【熊本の話題】

2019-04-01 | 横井小楠
2019年4月1日(月)

横井小楠記念館は、熊本地震で被災し、その後復旧開館していましたが外壁改修工事のため休館になります。
休館期間は2019年4月1日~9月末頃までが予定されています。








横井小楠記念館周囲の桜を見ながら散策しました。

四時軒・横井小楠記念館の裏を流れる秋津川。上流は益城町で、木山神宮があります。(1月2日の投稿を見て下さい)



秋津川沿いにある秋津浄化センター内では災害公営住宅が建設中です。







川沿いを西へと歩くと中無田熊野座神社があります。



秋津3公園は歩いていくと中無田熊野座神社の手前にあり、すぐ横は秋津公民館です。





秋津公民館からバス通りへ歩くと仮設住宅がある秋津中央公園を通ります。



熊本地震からもうすぐ3年です。

2018年11月23日以来の散策をしました。その時のブログはこちらです。
「横井小楠記念館」復旧開館-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-6【熊本の話題】