鉄卓のブログ「きままに」

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「轟水源・貝塚」に会う【JR九州宇土駅 鉄卓のフォト・ウォーク2020-1】

2020-02-03 | JR九州ウォーキング
2020年2月1日(土)

2020年JR九州ウォーキングのスタートは鹿児島本線宇土駅(熊本県宇土市)。
熊本駅から南へ4つ目、熊本市に隣接している。


(今日のマップ)


(今日のマップ)

熊本の開催なのでいつも通りに起きればいいかなと思っていたが、1時間程早く目が覚める。

自宅を出るときの気温は2.8度。
8時40分頃受付を済ませると、マップのナンバーは218。皆さん早い。こんなに寒いのに。


(宇土駅)

久しぶりのウォーキングで軽やかな足取りでスタート。
前を行く人たちの足も楽しそう。


(大坪川・大坪橋)


(道沿いで)


(道沿いで)

NHK大河ドラマの昨年の主役は熊本県出身の金栗四三、今年は明智光秀。
明智光秀は本能寺の変で主君織田信長に謀反するも、豊臣秀吉との戦いに敗れる。
秀吉は、近畿、中国地方を平定し、九州では薩摩の島津勢と戦い、勝利し九州を平定する。
肥後の国の北半分を加藤清正、南半分を小西行長に与え、支配させる。
小西行長は1588(天正16)年に宇土に城を築き、城下町を整備。現在の宇土市の基盤を作った。

そして今、宇土市内には「行長しゃん号」(コミュニティバス)が走っている。


(コミュニティバス「行長しゃん号」バス停)


(船場川の橋)

宇土市の中心・船場町周辺は江戸時代武家屋敷が設けられ、荷物の集積場として賑わった。
船場川に架かる眼鏡橋(船場橋)は修復工事中。


(眼鏡橋)


(居酒屋も)

道なりに進む。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

「宇土城跡」への矢印案内があったので、左手に曲がり、寄ることにする。
マップには記載が無く、立ち寄り所にはなっていない。

宇土城を築いた小西行長は関ヶ原の合戦で敗れ、京都で処刑された。
領地は加藤清正に与えらたが、清正の死後、宇土城は破却された。
さらに、島原の乱後、徹底的に破壊された。小西行長がキリシタン大名であったとも影響しているのだろう。

現在は公園として整備されている。


(城跡への上り口)


(小西行長像)


(公園内で)


(公園ではゲートボールがあっている)


(城跡のところで)


(城跡のところで)

コースへ戻り、進む。


(道沿いから)

大相撲初場所で、最後まで優勝を争った「正代関」は宇土市の出身。
地元では、毎場所、正代関が勝利した日は花火が上がる。通常は2発から8発を上げている。

後援会は、優勝したら二十連発とか三十連発とか上げようと張り切っておられたが、残念だった。


(「正代関」は宇土市の出身)

「西岡神社」は春日大神、八幡大神、住吉大神を祀り三宮さんとして親しまれている。
歩いてきたので体が温もり暑くなってきた。
一枚脱いでリュックへ。先へと進む。


(西岡神社)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

ようやく「轟水源」へ。
1985(昭和60)年、全国各地の湧水や河川の中から100ヵ所が国の「名水100選」として選定された。
「轟水源」はその一つ。300年以上前から、現在まで生活用水として使用されている日本最古の上水道。

この時期なので、飲んだ水は温い。


(轟水源)


(轟水源)

「轟水源」のすぐそばに、「宇土市大太鼓収蔵館」がある。
江戸時代から明治時代にかけて作られた「雨乞い大太鼓」26基保存されている。

収蔵館に近づくと、太鼓の音がしたので、演奏が行われているかと、中に入ったら、自由に太鼓を叩けるようになっている。
ウォーキングの参加者の皆さん楽しそうに叩いている。幾つかの太鼓を叩いて廻る。

雨乞いよりも「雪よふれふれ、子供たちが待っている」。


(宇土市大太鼓収蔵館)


(宇土市大太鼓収蔵館)


(宇土市大太鼓収蔵館)


(宇土市大太鼓収蔵館で)

轟水源まで引き返し、先へと進む。


(道沿いで)

生産者直売所の幟があったので、覗いてみた。左から300円、100円、100円。


(生産者直売所)

歩いていくと、すぐに、石碑が、「轟貝塚」。ん、案内板を覗く。
案内板によると、約6、500年前から約4、000年前の縄文前期から中期にかけての縄文遺跡。

縄文時代を代表するのは、縄文土器。土器の特徴で、約1万年以上続いた縄文時代の年代や地域を細かく区分けされている。
それらの土器には、主に最初に発見された遺跡の名から〇〇土器と名付けられ、その遺跡は標識遺跡といわれ縄文時代の著名な遺跡になる。
轟貝塚もその一つで、発見された土器は「轟式土器」と名付けられている。轟式土器は九州全域から中国地方へと広い範囲で発見されている。

轟水源・轟貝塚の周辺は、弥生時代、古墳時代、古代から中世へとその時代時代の遺跡が発見されており、長い間人々が暮らしてきた地域である。

轟水源の飲料水があったことも、古くから人々が生活する環境が整っていたと地域と思われる。


(轟貝塚)


(轟貝塚)

貝塚から歩いてすぐ、古墳か城跡か、それとも丘、何だろうという所へ。
案内板には、「中世宇土城西口」と書いてある。
小西行長が築城した宇土城は近世宇土城と呼ばれており、ここ中世宇土城は築城が1048年(治承3年)と考えられていて、城主は宇土氏や名和氏など度々代わっている。

近世宇土城、轟貝塚、中世宇土城はマップに記載されていない。???。


(中世宇土城跡)


(中世宇土城跡)

先へ進もう。日差しは春、鯉も気持ち良く泳いでいる。


(鯉も気持ち良く)


(道沿いで)

宇土駅から三角駅へと延びるJR九州「あまくさみすみ線」へ出ると、三角駅行の観光列車「A列車で行こう」が通過した。


(A列車で行こう)

しばらく線路を離れ、再び線路へ。踏切を渡り、道路を横断して、田園の中を歩く。


(歩く)


(歩く)


(歩く)

熊本市の西にそびえ立つ「金峰山」の山並みがくっきりと。この方角から見るのは新鮮。
気温も上がってきた。また、一枚脱いでリュックの中に。


(金峰山)

着いたのは、「粟島神社」。
子どもの時に親に連れて来てもらった、親になって子供たちを連れて来た、「あわしまさん」。


(粟島神社の大鳥居)


(粟島神社)

「あわしまさん」といえばミニ鳥居くぐり。境内には、縦・横30センチの石造りの鳥居が三基ある。
多分、65年程前に連れて来てもらって以来の挑戦。無事にくぐり抜ける。
周囲にはカメラをお願いする人はおらず、私がくぐっている写真は撮れてない。


(粟島神社)

粟島神社にミニ鳥居が最初に奉納されたのは、1814(文化11)年。説明板には「当時、重い病に苦しまれた方が、医療と医薬の祖神として霊験あらたかな粟嶋大明神(少彦名命)の御神徳にすがり、当神社でお祓いを受け熱心に信仰されたところ奇跡的に完治し健康になられました。そこで病気平癒の御礼と感謝の気持ちをこめて、病気に苦しまれる多くの方々の無病息災と幸せを願って奉納されました」と記してある。


(粟島神社に最初に奉納されたミニ鳥居)

お昼は神社境内にある食堂で「だご汁」。昔懐かしいだごと汁で美味い美味い。


(だご汁)


(粟島神社で)

粟島神社から、ゴールまで約4キロ。田園地帯を抜け、JR線路沿いの国道57号線を歩く、歩く。


(道沿いで)


(歩く)


(JR九州あまくさみすみ線の普通列車)


(道沿いで)

左折して国道と別れ、宇土駅へ。途中にある洋菓子店「オルタンシア」ではウォーキング参加者は全商品10%割引きのセールがあっている。


(洋菓子店「オルタンシア」)

ほぼ4時間で宇土駅にゴール。
JR九州ファーム提供のミニトマトつかみどりに挑戦。JR九州もいろんな事業をやっているなあ。


(宇土駅)


(ミニトマトのつかみ取り)

ゴール時の気温は11.2度。一休みすると肌寒さを感じる。リュックから一枚出して着る。

宇土駅から熊本駅へ。熊本駅構内肥後よかもん市場のすし店「牛深丸」でビール。
2020年のスタートを祝い、今日のウォーキングを終える。