鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「JR」で鶴ヶ城へ、それから「会津鉄道」に乗る【福島の旅3日目-②】

2016-04-30 | JWAウォーキング
2016年4月10日(日)

[記憶が徐々に薄れていきますが・・・。]

 2日目のウォーキングを終えて、JR福島駅新幹線ホームへ。
 東北新幹線「やまびこ」と山形新幹線「つばさ」の連結に出会う。


(新幹線の連結)

 福島へ来てから毎日テレビで地域のニュースを見ていたら、福島県各地の桜の開花状況と花見の模様が次々と報道されている。会津若松市の鶴ヶ城(若松城)も福島1日目はまだ満開前だったが、満開近しの報道。
 今日のウォーキングは20Kコースに参加を予定したが、それだと鶴ヶ城には寄れる時間的余裕がなさそうだったので、10Kコースに変更した。
 新幹線で郡山駅までは13分。郡山駅で駅弁を買う。ここからは快速電車で磐梯山を眺めながら会津若松駅へ向かう。


(磐越西線快速)


(快速列車内で駅弁食べる)


(磐梯山)

 会津若松駅からはタクシーで鶴ヶ城へ。「今、満開を迎えました。」と桜が迎えてくれた。そして人、人、人。嬉しそうな顔、顔、顔。
 春を迎える花もいろいろあるけど、桜は少し見上げて観るところがいいのだと思う。気持ちが前向きになれる。その先には青空やお城が似合う。
 熊本城の壁は黒色が多く撮りやすいが、鶴ヶ城は壁が白色なので難しい。
 天守閣の中には入らず周りをぐるりと一周し、城を後にする。


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城で)


(鶴ヶ城お堀)


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城御三階跡)


(御三階跡説明板)


(鶴ヶ城二の丸)

歩いて行ったのは、会津鉄道西若松駅。鶴ヶ城の最寄駅だが20分はかかる。


(西若松駅)

 福島県へ来て、阿武隈鉄道、福島交通飯坂電車、JR東日本の新幹線・在来線の列車に乗り、4つ目の鉄道会社「会津鉄道」で湯野上温泉駅へ向かう。


(会津鉄道)

 長いトンネルを幾つも通り、どんどんと高いところへと進んで行く。


(会津鉄道路線図)

 沿線の桜も満開から、7分咲き、5分咲きへと変わっていく。
 途中駅、芦ノ牧温泉駅では猫の名誉駅長の写真がお出迎えしている。引退した初代名誉駅長「ばす」は、4月22日に亡くなった。


(芦ノ牧温泉駅)


(芦ノ牧温泉駅)


(沿線)


(沿線大川ダム)

 30分程で湯野上温泉駅に着いた。満開の桜の駅から乗って、30分の列車の旅で、開花前の桜の駅に降りた。


(湯野上温泉駅舎内)


(湯野上温泉駅)


(湯野上温泉駅前)


(湯野上温泉駅前)

 今宵の宿は、民宿温泉「赤ひげ」。1日3組の小さな民宿。駅まで迎えに来てもらった。この日の宿泊は他に九州からの1組。お風呂に入り、本を読みながらいると夕食の時間に。
 民宿の大将、おかみさんも交えて、和気あいあいの夕食になった。アユの塩焼きや手作りの料理も美味しかった。馬刺しも出た。最近の熊本の馬刺しは霜降りの高級なものばかりだが、赤身でしつかり味わえて美味しかった。「男山」の冷酒一本。
 ぐっすり就寝。

熊本城長塀(国指定重要文化財)は一部が倒壊【熊本の話題】

2016-04-27 | 熊本城
2016年4月27日(水)

 今日、用事が出来て熊本市の街中へ。
 長さ約242m、国指定重要文化財の熊本城長塀を見に行ったら、一部市役所側が壊れていた。
 御幸橋側は倒れていなかった。
 石垣は無事だった。
 長塀の石垣について熊本市文化財専門相談員宮田紘一さんのお話では、「長塀は白川の旧流路にあり、下は砂地なので弱いと考えていたが、力を分散してよく耐えた。」(4月23日熊本日日新聞朝刊より)という。



(熊本城長塀:市役所側から)


(熊本城長塀:市役所側から)


(熊本城長塀:市役所側から)

 2016年1月1日の写真。
 長塀は昨年8月末の台風で倒れそうになり、内側から支えてあった。
 坪井川沿いは歩行禁止になっていた。


(熊本城長塀の内側)


(熊本城長塀:御幸橋側から)

今日も満開の桜と桃源郷-第18回ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチ2日目11K【福島の旅3日目-①】

2016-04-25 | JWAウォーキング
2016年4月10日(日)

 2日目は予定の21Kコースを変更して、11Kを歩くことにした。体調不良ではなく、ゴール後に予定に入れて無かった所に寄る時間をとることにしようと思う。


(福島駅前)


(地下歩道)

 スタート会場福島第一小学校には早く着いたので、お隣の福島県庁付近を散策した。


(福島第一小学校)


(福島県庁)


(板倉神社:震災後復元された)

 「つばくらめ ちちととびかい阿武隈の きしの桃のはな いまさかりなり」若山牧水は、1916(大正5)年福島に来てこの「阿武隈川のうた」を残した。


(若山牧水歌碑)

 さて、スタート。阿武隈川を渡って3K弱地点、標高142mの弁天山をめざす。上りも急ごう、と思うがやはり立ち止まって写真を撮る。撮っていると「九州とは花が違いますか?」と声かけられた。青森では違っていたけど、福島ではあまり違いは感じなかった。


(天神橋より阿武隈川。右より荒川が合流)


(弁天橋)


(弁天山)


(弁天山)


(弁天山)

 桜が山を覆っている。頂上からは福島の街が一望。


(弁天山)


(弁天山より)


(弁天山)

 下りは階段。花吹雪が舞う。


(弁天山)


(弁天山で花吹雪)

 少しゆっくりしていた感じがしたので、花見山公園へ急ぐ。
 「写真家 故 秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と毎年訪れていた場所で、 ウメ、数種類のサクラ、レンギョウ、ボケ、サンシュユ、モクレン、ハナモモなどの花々がいっせいに咲き競います。 まさに「桃源郷」の言葉がふさわしいスポットです。」(一般社団法人 福島市観光コンベンション協会公式ページより)とあるが、どこからどこまでが「花見山公園」と呼ばれるのかわからない。山一帯にさまざまな花が咲いている。この山全体なんだろう。この光景は、私では手に負えそうにない。人出も多い。この角度でと思ってカメラを構えても次から次へと人が入ってくる。


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)

 何日か通ったらいい写真が撮れるだろう、と負け惜しみを云いつつ、約5Kの帰りの道を急ぐことにした。


(花見山公園の帰り)


(花見山公園の帰り)


(花見山公園の帰り)

 阿武隈川を渡ったところの正面に福島競馬場のメインスタンドが見えた。川沿いを歩いてゴールに向かう。福島3日目、満開だった桜が散りだした。


(渡利大橋より阿武隈川)


(福島競馬場)


(桜も散る)

 地下歩道を通ってゴールへ。福島のメイン道路には歩道が少ない。その代わりに地下歩道が設置してある。エスカレーターがついている地下歩道も多い。


(地下道をくぐる)

 ゴールへ着いた。豚汁が用意してあったので、いただこうとしたら、「券」がいるという。そんなの貰ってないよ。どうもスタート前に券を貰わないといけないらしい。1日目は受付をした時に券を貰った。そしていただいたのはコースの途中。ゴールでいただくのであればゴールした人に券を配ればと思うけどそうは出来ない事情があるのだろう。九州のいくつかのコースで参加した時には券と引き換えにいただくということを経験したことが無い。自由に「おふるまい」をいただいた。2日目に受付をした経験もない。これまで参加した九州のコースとは勝手が違うようだ。


(ゴール福島第一小学校)

 お腹空いたが、次の目的地へ向かうことにし駅へ。福島の桜の旅3日目は続く。

「福島交通飯坂電車」に乗って、飯坂温泉に浸かった。-【福島の旅2日目-②】

2016-04-24 | JWAウォーキング
2016年4月9日(土)

[14日夜9時26分頃、震度7の地震に襲われました。浴槽からあがって浴室で身体を拭いている時でした。それから10日ほど経ちます。震度3以上の余震も少なくなりました。お風呂からあがったら投稿しようと整理していたブログを投稿します。]
 
 ウォーキングの1日目を終え、ホテルで汗を流し、福島駅へ。
 福島に入って二つ目の鉄道「福島交通飯坂電車」の窓口へ。「飯坂温泉ゆったり切符」1000円があったので買う。フリーの乗車券に旅館温泉の入浴券が付いている。お勧めも紹介してもらう。


(「福島交通飯坂電車」と「阿武隈急行」は同じ場所)

 電車は住宅街の中、道路沿いに進む。熊本でいえば菊池温泉まで運行していたころの菊池電車(青ガエルで有名になった熊本電鉄のこと)の雰囲気。飯坂電車は大正13年に運転開始し、飯坂温泉駅まで延びたのは昭和2年とのことで、菊池電車が10年程先輩になる。


(飯坂電車)


(沿線)

 24分で飯坂温泉駅に着いた。駅前では松尾芭蕉の像が迎えてくれる。1689(元禄2)年、芭蕉は飯坂を訪れ、医王寺で「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を残している。途中、医王寺前という電停があったが帰りも寄らなかった。


(飯坂温泉駅前)

 せっかくなので、少し散策しよう。


(広場)

 ぶらりと歩いて行ったのは飯坂町鎮守八幡神社。「創建古く年月は不詳であるが、社伝によれば平安時代後期の天喜4年(1056)、後三年の役で奥州に出陣した源義家がこの地にさしかかったとき空に長くたなびく八条の雲を見て、あたかも源氏の白旗が大空に翻るかの様に、義家は守護神の八幡大神が戦勝の験として示されたものと信じ、必勝祈願のために勧請したと伝えられている。」(八幡神社ホームページより)この時代の関東での戦の歴史には疎い。
 飯坂温泉は、東北地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれていたようで、境内には明治の大火まで、鯖湖湯側にあった「鯖湖碑」がある。「飽かずして別れし人の住む里は さはこの見ゆる山のあなたか」(拾遺和歌集巻第七)。
 足の守護神の小祀もある。


(八幡神社)


(鯖湖碑)


(わらじの奉納も)

 常泉寺境内には飯坂温泉の名湯の一つ「滝の湯」があった。


(常泉寺)

 旧堀切邸は、平成22年5月に開館した江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家を補修、復原、一部新築により整備しているので新しい建物という感じがする。


(旧堀切邸の蔵)
 
 鯖湖湯は平成5年に復元された共同浴場。横には鯖湖神社、お湯かけ薬師如来、大きな樽の形の貯湯塔がある。


(鯖湖湯)


(鯖湖神社)


(お湯かけ薬師如来)


(貯湯塔)


(福島へ来て目立つのは「しだれ桜」)

 駅へ戻り、近くの温泉に入ろうとパンフレットを見たら、お勧めしてもらった湯はどこも午後3時までが入浴時間だった。少しリッチに湯に浸かろうと思ったが、共同浴場入浴券とのセットの切符もあったようでそっちの方が良かったようだ。
 
 十綱橋を渡って直ぐの旅館のお風呂に入る。源泉かけ流しで結構熱めの湯と少し温めの湯の2つの湯壷があった。旅館の主人の話では少し温めの湯も管を通る過程で温くしているとのことだった。
 渡った十綱橋は、「歴史は古く、平安時代末期までさかのぼる。名前の由来は、この橋が藤(とう)綱の吊橋で、十(とう)の綱が張られたことによるといわれてきた。(中略)今日の十綱橋は、大正4(1915)年に建設された現存最古級の鋼橋である。」(土木学会選奨土木遺産ホームぺージより)


(十綱橋)

 橋の下を眺めると摺上川に堰がある。1618年(元和4年)、佐藤新右衛門という人が私財で築いたのが始まりのようである。


(摺上川堰)

 コンビニでビールを買い、駅前広場で飲んで、電車で福島駅へ帰る。


(ようやく・・・)


(飯坂温泉駅)

 駅前広場には、古関裕而のモニュメントがあった。古関裕而は福島市名誉市民第一号で平成21年に生誕100年を迎えるに合わせて設置されている。


(福島駅前広場)

 夜は、ホテル近くの少し高そうな居酒屋へ。福島牛の陶板焼きなどと地酒2杯。
 JR福島駅みどりの窓口で明日の行程の切符を買って、ホテルへ帰る。疲れた。就寝。

「四時軒」と坂本龍馬【熊本の話題】

2016-04-24 | 横井小楠
 「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲だ。」と述べたのは勝海舟。その横井小楠の旧居「四時軒」を坂本龍馬は3度訪問している。
 1864(元治元)年に2度。1865(慶応元) 年に1度。

 1863(文久3)年、長州藩は関門海峡を通過する外国船への攻撃を行った(下関事件)。翌1864年2月、幕府は勝海舟を長崎に派遣する。船で大分に入り、阿蘇を経由して熊本に入った勝海舟は、同行した坂本龍馬を横井小楠の元に遣わす。小楠はその返書として海舟に「海軍問答」を贈り、海軍建設に関する諸提案をした

 横井小楠は、1862(文久2)年、新設の幕府の政事総裁職に就任した松平春嶽(福井藩主)に、顧問として迎られ、幕政改革に多くの提言をおこなった。しかし、その年の12月に士道忘却事件が起こり、熊本藩より士籍を剥奪される処分を受ける。その後は、城下2里の沼山津に移りその住まいが「四時軒」である。

 長崎の帰りの4月、龍馬は再び四時軒を訪問。長崎での見聞を大いに語ったものと思われる。この時小楠のおい左平太らを神戸海軍操練所塾生として引き受けている。

 3回目の訪問は1865(慶応元)年、薩摩からの帰りであった。この年龍馬は長崎で亀山社中を結成し、薩長同盟を推進していたと思われる。この足で龍馬は大宰府にいて長州に護れらていた公家三条実美らと会談している。薩長同盟が成ったのは翌年1866(慶応2)年のことになる。
 この訪問の時、話が人物論に及んだ。小楠が龍馬に、「俺はどうだ」と尋ねると、龍馬は、「先生は二階に座ってきれいな女どもに酌でもさせて、西郷や大久保がする芝居を見物なさるがようござる。大久保どもが行き詰まったら、ちょいと指図してやって下さるとよございましょう」と答えた。

 龍馬は、「四時軒」を最初に訪問する前年1863(文久3)年、勝海舟の遣いで神戸海軍操錬所の資金援助を依頼するために越前福井藩を訪れる。福井に到着後、当時福井に滞在していた横井小楠を訪ね、小楠が三岡八郎(由利公正)を紹介している。そして、3人で酒を酌み交わし、おおいに天下国家を語らった。

 横井小楠は1863(文久2)年、春嶽の顧問として幕政に参加し幕政改革の方針を、「国是七条」として建議した。
 1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
 1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
 1.諸侯の室家を帰せ。
 1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
 1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
 1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
 1.相対交易をやめ官交易となせ。

 坂本龍馬が1867(慶応3)年、長崎より京都への船中で新しい国の体制に就いて後藤象二郎に意見を述べたのが、「船中八策」である。
 1.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと。
 1.上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事。
 1.有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。
 1.外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべき事。
 1.古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事。
 1.海軍よろしく拡張すべき事。
 1.御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。
 1.金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。

 龍馬は、新政府に参加すべき人々として、三条実美、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、後藤象二郎ら討幕の中心にいた人たちと共に、それぞれ藩より処分を受け幽閉生活を送っていた横井小楠、由利公生(三岡八郎)をあげた。1867(慶応3)年、大政奉還後の新政府はに議定、総裁、参与の三職を置き、参与に横井小楠、由利公生も招く。

 由利公生は、資金作りに太政官札を発行することとした。太政官札を通用させるには新政府の信用が必要である。そのためには、新政府の方針を広く世間に示すことだと主張、自ら草案を作り示したのが,1868(慶応4)年の五箇条の御誓文の草案である。
 1.庶民志を遂げ人心をして倦まさらしむるを欲す。
 1.士民心を一つにし盛んに経綸を行ふを要す。
 1.知識を世界に求め広く皇基を振起すへし。
 1.貢士期限を以って賢才に譲るべし。
 1.万機公論に決し私に論ずるなかれ。


 1867(慶応3)年、坂本龍馬は京都の近江屋で暗殺される。
 1869(明治2)年、横井小楠は京都御所近くで暗殺される。

 「四時軒」の横には「横井小楠記念館」が併設され、小楠に関する資料のほか、勝海舟や吉田松陰、西郷隆盛などの、小楠にゆかりのある人々の書も展示されているが、震災後の四時軒の復興、横井小楠記念館開館時期はまだまだ先と思われる。

 横井小楠に関してはこちらも参照してください。



(四時軒と小楠記念館の入口:2013.5.13撮影)


(四時軒:2013.5.13撮影)

震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」【熊本の話題】

2016-04-22 | 横井小楠
2016年4月22日(金)

横井小楠旧居「四時軒」は、熊本地震の震源になった活断層の説明で出てきた「秋津川」沿いにあります。

「四時軒」は写真の状態でした。

周辺の道路や家屋も大変な被害に遭っていました。

震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-2【熊本の話題】

震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-3【熊本の話題】

横井小楠に関してはこちらを見てください。


(表入口から「四時軒」)


(四時軒付近の道路)


(秋津川。山の方が益城町)


(横井小楠記念館)


(駐車場)


(裏、秋津川沿いから「四時軒」)


(同じく「四時軒」)


(同じく「四時軒」)


(同じく「四時軒」)

2014年10月11日の熊本城【熊本の話題】

2016-04-21 | 熊本の話題
2016年4月21日(木)

2014年10月11日JR九州ウォーキング熊本駅コースでウォーキング仲間を案内した時の熊本城の写真です。

熊本城の天守閣は1960(昭35)年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

宇土櫓は熊本城築城の頃からそのままの姿です。

テレビの報道では損壊した建物や石垣は映し出されますが、宇土櫓は映し出されません。

ということは無事だということではと願っています。



(戌亥櫓)


(宇土櫓)


(宇土櫓)


(宇土櫓内部)


(宇土櫓内部)


(宇土櫓内部)


(宇土櫓内部)


(天守閣)


(飯田丸)

2016年3月30日の熊本城【熊本の話題】

2016-04-21 | 熊本の話題
2016年4月21日(木)

熊本城は今度の地震で大きな被害に会っています。

2016年3月30日知人を案内して行ったときの写真です。


(天守閣)


(天守閣)


(飯田丸)


(城内の桜)


(天守閣)


(宇土櫓より)


(宇土櫓より)


(未申櫓)


(未申櫓付近)

満開の桜と山の残雪-第18回ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチ1日目23K【福島の旅2日目-①】

2016-04-13 | JWAウォーキング
2016年4月9日(土)

 目覚めて部屋のカーテンを開けたら山には残雪が。遠くへ来たんだと感じる。体調は万全ではないようだが、20Kコースに参加しよう。写真撮りながら歩いていると良くなるだろう。


(朝ホテルより)


(メイン会場付近)

 メイン会場の福島県庁前福島市立第一小学校を8時30分過ぎにスタート。県庁の裏から阿武隈川へ出て、阿武隈川へ流れる荒川へと進む。荒川河畔を歩いて行くと川岸のいたるところに土筆がいっぱい芽を出している。摘む人がいないのだろうか。九州だと、こんなに目立つところにいつまでも芽を出したまま生えていることは無い。すぐに摘まれてしまう。


(開会式)


(河野広中銅像)


(阿武隈川)


(荒川で「ご苦労様です」)


(荒川沿い)


(いたるところ土筆)

 程なくして、満開の桜並木が目の前に広がり、「桜づつみ公園」に着く。そして山並みには残雪が。満開の桜と残雪。九州では見ることが無い光景にただ呆然と見つめる。「凄い」。


(桜づつみ公園)


(桜づつみ公園)


(桜づつみ公園)

 公園内は約220本の桜並木が続く。風で桜吹雪も舞う。1K程はあったろうか桜並木を通りぬけても残雪の吾妻連峰を眺めながら荒川沿いを歩く。


(桜吹雪)


(桜並木)


(桜と残雪)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)

 途中、和光神社でトイレを借りる。


(和光神社で)


(荒川沿い)

 10K地点の荒川橋を渡り、帰りの途に。


(荒川橋より)


(山並みを背に戻る)

 福島市・民家園に立ち寄る。古い民家が移築保存されているようだ。一帯は「あづま総合運動公園」になっていて、家族連れで花見を楽しんでいる人たちでいっぱいだった。


(福島市・民家園の芝居小屋「広瀬座」)


(福島市・民家園)


(あづま総合運動公園)


(あづま総合運動公園)


(あづま総合運動公園ゲート)

 工業団地や住宅地をあるいてゴールをめざす。時折、強い風が吹いて体が飛ばされそうになる。残り5K地点の「吾妻学習センター」では豚汁をいただく。


(工業団地沿い)


(道沿いで)


(道沿いで)


(吾妻学習センター)

 住宅地の中のさして広くない真っ直ぐな道に出る。こういうところは以前鉄道が走っていたところが多いが、ここはどうなんだろう。抜けて、メインの大通り高湯街道に出る。新幹線と在来線をくぐり、13時45分頃に第一小学校にゴール。


(廃線跡?)


(道沿いで)


(駅前のホテル)


(ゴール第一小学校)

 ホテルへ戻り、次の目的地へ。

「阿武隈急行」は桜が満開だった。【福島の旅1日目】

2016-04-12 | JWAウォーキング
2016年4月8日(金)

 今度の福島の旅は「第18回ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチ」に参加するのが目的だ。
 どうやって福島へ行くか?調べていたらいろんなルートがあった。熊本から飛行機だと①熊本-羽田そして新幹線、②熊本-伊丹乗り継ぎ-福島の2つがある。福岡からでも飛行機の福島直行便は無く③福岡-仙台便はある。仙台から福島へはと調べたら、③-(1)JR東北本線あるいは新幹線で福島へ行くのと、③-(2)JR東北線槻木駅で「阿武隈急行」という鉄道に乗って行くのと2つのルートがあった。ここは乗ったこともないし、これからも乗る機会は無いだろう「阿武隈急行」に乗ろう、と行きは決まった。
 
 さて、当日。高速バスで福岡空港へ向かい、航空機で仙台空港へ。空港からは仙台空港鉄道仙台空港アクセス線に乗り名取駅でJR東北本線に乗換えて槻木駅に着く。槻木駅で「阿武隈急行」に乗り換え。運転手さんに仙台空港ではSUGOCAで改札したらことを話したら、「阿武隈急行」ではICカードは使えない、証明書を発行するのでJR福島駅で精算して下さいとのことだった。


(阿武隈急行)


(路線図)

 「阿武隈急行」は宮城県と福島県を結ぶ鉄道。沿線は、次から次へと満開の桜が目の前に迫ってくる。写真を撮っていたら運転手さんが、さくらの綺麗な公園があると教えてくれた。この時期のフリー切符があるので途中下車しても1,000円で乗れることも教えて貰った。


(行き交う)


(沿線の桜)


(沿線の桜)


(沿線の桜)


(まだ宮城県)


(福島県に入る)


(車内で桜フリー切符を発行してもらった)


 その駅「やながわ希望の森公園駅」で降りる。駅を出て直ぐの所に見事な桜並木が。どんどん進んで行くと、公園の入口。駅のすぐ近くからこの公園入口までSLが運行されているようだ。


(やながわ希望の森公園駅)


(駅前SL乗場)


(公園への道)


(SLの線路)


(公園入り口)


(公園入り口)

 「やながわ希望の森公園」は伊達市梁川町にある。2006年梁川町など6町が合併し伊達市となったようだ。園内の桜はほぼ満開。うきうきしながら写真を撮って廻る。熊本を出た頃は少し風邪気味であったが元気が出てきた。「四季桜」という桜はまだ満開まではなかった。


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(四季桜)


(四季桜)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(放射能の測定)


(やながわ希望の森公園)

 満足したところで駅へ引き帰し、沿線の桜を見ながら、阿武隈急行福島駅へ。槻木-福島間はJRだと60分程だが、「阿武隈急行」では80分程かかる。JRの福島駅へ行き「阿武隈急行」の証明書を出してSUGOCAの精算をしてもらう。証明書を見せたらJRの駅員さんも慣れているようで、わざわざ「阿武隈急行」を利用する人も結構いるようだ。


(沿線の桜)

 駅前のホテルにチェックインし、夕食はホテル近くで探して、安そうな居酒屋へ。カツや丸ごとニンニクなどを食べ、風邪よ吹き飛んでくれと祈って就寝。


(夜の福島駅)