鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「ウォーターメロンメロン」に会う【JR九州木葉駅 鉄卓のフォト・ウォーク2018-1】

2018-01-30 | JR九州ウォーキング
2018年1月27日(土)


(今日のマップ)

 「寒っ!」

 今年のJR九州ウォーキングの始まり鹿児島本線木葉駅(熊本県)はマイナス3度以下。


(木葉駅)


(木葉駅)

 前日の天気予報では、午前中はマイナス気温。寒そうなのでゆっくり出て行こうと思ったが、子供の頃の遠足みたいに朝早く目が覚めてしまった。

 こんなに寒い日に早くからの参加者はいるのかと思って来たけど、マップの番号は「93」。皆さん早い。そして笑顔。馴染みの方たちとは「やっぱし来たね。」みたいな顔でご挨拶。冬休みの間、待ちわびていたんですね。

 8時半前にスタート。駅から直ぐの『高月官軍墓地』へ。官軍墓地の中でも最大のもので、田原坂・吉次峠・横平山の戦闘で戦死した官軍兵士約980名を葬ってある。


(高月官軍墓地)

 玉東町の西南戦争戦跡のウォーキングでは、その地を説明する案内板が置かれている。今日はその廻りに多くの人が集まっていた。その説明の中からクイズが出されている。皆さん熱心に読まれている。係りの人の足元にはストーブ。


(高月官軍墓地の説明)


(高月官軍墓地でのクイズ)


(高月官軍墓地の係りの人の足元にはストーブ)

 設置してあるトイレの水は出ない。寒さで水道管が凍っているようだ。

 早々に次の『有栖川宮督戦の地』へ向かう。征討総督に任ぜられた有栖川宮熾仁親王が田原坂攻略戦の戦地を見て廻られた地で、記念碑が建立されている。木葉城址でもあり、高台からは田原坂等の戦地が眺められる。


(歩く)


(小径で)


(有栖川宮督戦の地記念碑)


(有栖川宮督戦の地から三の岳)

 そこから、『徳成寺』へ。説明板には「官軍兵士の治療場所として利用され、近くを流れる川は、兵士食料の米のとぎ汁の白と、包帯を洗った赤の色に染まった。」というようなことが書かれている。


(徳成寺)


(徳成寺の説明)

 地元の皆さんからぜんざいを頂いた。寒さの中、有難うございました。美味しかった。


(徳成寺でぜんざいのおもてなし)

 冷えた躰も暖まって先へ進む。道は違うけど、方角は引き返し。


(道沿いで)


(歩道には地元の窯で作られている「木の葉猿」)

 玉東町役場の前を通って、『正念寺』。山門には36発の小銃の弾痕が残っている。


(正念寺)


(正念寺山門の弾痕)

 官軍の野戦病院であったが、敵味方分け隔てなく治療が行われ、博愛社活動の始まりの地とされている。

 博愛社は西南戦争時に佐野常民らによって傷病者を救護することを目的に組織され、明治20年に日本赤十字社と改称され今に至っている。


(正念寺の説明)


(正念寺で)


(正念寺で)

 遮るものが無い田んぼの中の道を歩く。寒いが空は青い。歩いてきた躰もだいぶん暖まってきた。


(歩く)

 JR鹿児島本線の2両編成の列車が通る。荒尾から熊本駅の熊本県内間は1時間に2本ほど走っている。JR九州は3月17日のダイヤ改正で九州内のローカル線を中心に列車の大幅削減を発表している。地元の自治体からは反対の陳情が相次いでいる。


(鹿児島本線の列車)

 乗る人が少ないから列車を削減する。削減されると乗る人がますます減っていく。「地方再生」という響きのいい言葉とは裏腹に地方は見捨てられていく。

 歩いていくと、駐車場の一角に「ぎょくとうマルシェ」が開かれている。薩軍と官軍の兵士も歓迎。スタンプラリーの抽選会もここで。残念ながら外れ。みかんを頂く。負け惜しみだけど、この時期のみかんはありがたい。ビタミンCで風を予防しよう。


(歩く)


(寒い)


(ぎょくとうマルシェ会場で撮らせていただいた。この後、薩軍兵士は官軍兵士に・・・とか。)


(ぎょくとうマルシェ会場で抽選会)

 木葉川沿いを歩き、どこが境かわからないけど、玉東町から熊本市へ。スタンプラリーは玉東町の催しだった。


(川沿いを歩く)

 県道へ出て田原坂へ、一の坂、二の坂、三の坂と上る。


(田原坂へ)


(一の坂を上る)


(二の坂を上る)


(三の岳を望む)


(三の坂を上る)

 以前は5月の連休中に田原坂公園で開催されるすいか祭りに併せて田原坂を上るウォーキングがあっていた。そのすいか祭りが田原坂公園から別な場所に移ってからはウォーキングも開催されなくなった。今日は久しぶりに田原坂を上るJR九州のウォーキング。

 5月の連休中とは鬱蒼感が薄いように思う。上るのは暑くないので少し楽。頂上の公園付近にはみかん畑がある。5月の初旬はみかんの花が咲きだす頃なので、今年は咲いていない、咲いていると毎年の違いも楽しみだった。つぼみばかりの中、花を見つけてみかん畑を歩き回ったりもした。今の時期その楽しみが無いのは寂しい。


(みかん畑)

 三の坂を上りきって、公園には入らず、『田原熊野座神社』へ寄る。神社付近には薩軍が陣を構えており、調査で数多くの小銃弾、薬莢、四斤砲弾片などが見つかり、激しい戦いが繰り広げられていた。


(道沿いで)


(田原熊野座神社)


(田原熊野座神社)


(田原熊野座神社)


(田原熊野座神社で説明板)


(田原熊野座神社。氷っていた)


(田原熊野座神社で)

 引きかえし、『田原坂公園』へ。

 途中、雲仙普賢岳が綺麗に見える。


(雲仙)

 公園では、民謡「田原坂」の詩にある美少年の銅像が迎えてくれる。


(美少年の銅像と案内をしてくれた方)

 西南戦争当時の銃弾鋳造の実演を顕彰会の人がされていた。銃弾も手造りだった。これで敵を倒すぞー、と気合を込めて作っていたんですかね。


(銃弾鋳造の実演)

 「道の駅すいかの里 うえき」の出張販売もあっている。「いきなり団子」が100円で売られていたので即買って食べる。いきなり団子は小さい頃よく食べた。さつまいもをだんご生地で包んで蒸しただけの簡単なもので、お米が配給時代におやつ代わりに食べていた。次第に小豆あんが入ってお土産用になっていく。今ではあんの種類も多く、熊本の代表的なお土産の一つになって一個百数十円で売ってある。でも、100円のが懐かしく美味しい。健軍商店街にも100円のいきなり団子が売ってある。

 温めてあったのでおいもがホクホクして美味しい。いきなり団子はあんではなくおいもを食べるもんだと、一人勝手に納得する。


(いきなり団子)

 その横には「ウォーターメロンメロン」と書かれたメロンパンが。覗き込むと「中は赤色です。」と声をかけてくれた。もう買ってみるしかない。200円。「持ち帰りますか。」「すぐ食べます。」で、割って見た。中は赤色、黒のつぶつぶもある。植木は全国でも有名なスイカの産地。そのスイカをイメージしたパンのようだ。黒のつぶつぶはスイカの種を模してある。パンも美味しい。「インパクトあるねぇ。切ったところを見せとかないと。」と言ったら、ちゃんと用意してあって並べてあるパン一番前に置かれた。名前の意味は聞き忘れた。


(ウォーターメロンメロン)

 公園には、西南戦争の死者官軍薩軍双方合わせて1400名の慰霊塔。砲弾の跡が生々しく残る弾痕の家(復元)、平成27年に新装オープンした田原坂西南戦争資料館がある。


(慰霊塔)


(戦死者の名が記されている)


(戦死者の名が記されている)


(弾痕の家(復元))

 以前の資料館が建っていたところは展望台になっている。三の岳、雲仙普賢岳などが眺められる。


(展望台から三の岳)

 資料館では、田原坂の戦いを体感できる展示や、西南戦争の前後も含めた歴史が学べる。熊本地震の損傷で閉館になっている「横井小楠記念館」の出張展示もされている。小楠が明治新政府の参与として勤めていた京都で暗殺された時に持っていた短刀も見ることができる。


(田原坂西南戦争資料館)


(資料館内)

 入館料は300円だが、熊本市内在住65歳以上は無料。北九州市・福岡市・鹿児島市と熊本市は交流連携協定を結んで、それぞれの市の施設の割引が他の市の市民にも適用されるので北九州市・福岡市・鹿児島市の65歳以上も無料で入館できる。

 資料館を出て、田原坂公園を後にする。

 田原坂一帯は西南戦争で最も激しい戦いが繰り広げられ、戦死者の骨がまだ埋まっているともいわれている。知人の中には田原坂に行くと気分が悪くなるという方も数名おられる。

 向かったのは公園からそう遠くない『七本柿木台場薩軍墓地』。熊本隊や薩軍の兵士311名が埋葬されている。官軍墓地では兵士一人ひとりの墓碑があるが、薩軍墓地には無い。


(七本柿木台場薩軍墓地)


(七本柿木台場薩軍墓地)

 熊本隊は、熊本市東区にある健軍神社に集結、挙兵した。2月22日のことである。墓碑に刻まれている戦死の日は3月15日。


(七本柿木台場薩軍墓地)


(七本柿木台場薩軍墓地)

 薩軍墓地は広々とした眺めのいいところにある。直ぐ近くには官軍の七本官軍墓地がある。こちらは兵士一人ひとりの墓碑があるが、うっそうとした木立の中にある。それほど離れていないのでコースに入れても良かったのだろうが、何故かコースから外されている。1キロも余分に歩くことも無い距離だと思うけど。

 薩軍墓地から少し歩くと四つ角があり、左へ曲がると七本官軍墓地。右へ曲がり下ると直ぐにゴール田原坂駅へ着く。


(いつもの牛さん)

 ホームには今年最初のウォーキングを終えた皆さんが列車を待っている。寒かったけど天気も良かったし、みんな満足そうな笑顔。


(田原坂駅。向こうのホームは上り玉名・大牟田方面、手前のホームは下り熊本駅方面)

 下り熊本駅行はしばらく待てば来るけど、上り玉名・大牟田駅方面は50分程待たねばならない。のんびり待っていると、上り列車が通過して行った。普通列車でも田原坂駅に停車しない列車がある。「おいおい、待てよ。」と叫ぶ。

 上り列車を利用する人は熊本県外から参加している人たちも沢山いる。寒い中朝早くから起きて参加している。途中会った筑豊方面から参加している歩友は5時半に出てきたと話されていた。

 1時間に2本ほど運行の熊本県内の鹿児島本線も、田原坂駅には停車しない列車があり1時間に1本ほどしか止まらない。乗客が少ないのでそれは仕方がないけど、ウォーキング開催の日だけは臨時停車するのがJR九州熊本支店の「おもてなし」だと思う。新たに臨時列車を出すのではない。通過している列車が臨時停車すればよいだけ。他県ではウォーキングのため臨時停車する列車に乗ったことがあり助かったこともある。

 下りの列車が来た。最後はもやもやとした気持ちで今日のウォーキングを終える。

2018年も正月2日は益城町三社参りウォーク

2018-01-02 | 熊本の話題
2018年1月2日(火)

 昨年に続いて、正月2日は熊本地震で最も被害の大きかった益城町三社参りウォーク。

 熊本市と益城町の境にある小楠公園(熊本市東区沼山津)へ。昨年は倒壊した「横井小楠像」などの復旧作業で公園には入れなかったが、今年は入れます。横井小楠像も復旧しました。

(横井小楠像)


(小楠公園)


(小楠公園から四時軒辺りの案内板)

 小楠公園前バス停から東が益城町。県道熊本高森線の道路幅も4車線から2車線に。

(小楠公園前バス停から)

 熊本県は益城町内の2車線を4車線にする計画を発表したが反対も多いようです。

(都市計画の案内板)

 路線バスは、昨年1月3日までは高速道路下のバス停までしか運行されていませんでした。


 惣領地区の氏神「惣領木神神社」へ。鳥居も社殿も新しく立派になっています。

(惣領木神神社鳥居)


(惣領木神神社)


(鳥居に書かれている。)

 歩いている途中コンビニも営業しているので、寄っておにぎりを買い、県道熊本高森線から少し入った「安永神社」へ。
 安永神社は鳥居も社殿も昨年のままです。
 鳥居の傾きも変わっていない感じです。

(安永神社鳥居)


(安永神社)

 神社の紋は昨日の健軍神社と同じのようです。阿蘇神社の神紋だと思います。

(安永神社)


(安永神社裏の大木)

 路線バスも走っています。

(産交バス)

 道路沿いには病院がたくさん建っています。
 道路の4車線化には地元医師会も地域医療を守れないとして反対しています。
 病院は道路拡張で駐車場を削られたら開業できなくなる恐れがあると思います。
 理髪や飲食店などいろんなお店も道路沿いに並んでいます。
 それぞれのお店の死活問題がからんでいます。

(道路沿いの医療機関)


(道路沿いの医療機関)

 県道熊本高森線の木山の四角。
 熊本県と益城町が、ここを中心に再開発の計画をしていますが、益城町の都市計画審議会で区画整理事業計画が否決されました。
 区画整理は災害に強いまちづくりをめざし、緊急車両が通れるよう道路を拡幅したり、宅地や防災公園などを一体的に整備したりする計画です。
 賛否相半ばのようで、対立が先鋭化しなで冷静な判断が出来るようになればと思います。
 そのためには計画する側のそれこそ本当の丁寧な説明がいるのではないでしょうか。

(木山の四つ角)

 木山の四角を右に曲がって、「木山神宮」へ。
 木山神宮の神殿は倒壊したまま。

(木山神宮)


(木山神宮)


(木山神宮)


(木山神宮)


(木山神宮)


(木山神宮)

 木山神宮のすぐそばを流れる秋津川。
 下流は熊本市方面で熊本市東区沼山津にある横井小楠旧居「四時軒」の裏を流れています。

(秋津川の下流方面)

 熊本地震で益城町最大の避難所となった「益城町総合体育館」は取り壊されています。
 ここには多くの芸能人が訪れました。
 私は、ここは1日だけボランティアで行きました。

(益城町総合体育館)

 益城町総合体育館すぐ横の秋津川。
 上流で木山川から分かれている。
 昨年も同じような光景が見れました。

(秋津川の上流方面)

 木山城址は、まだ地震後そのままです。

(木山城址)

 寺迫交差点を右折して県道熊本高森線へ戻ります。

(寺迫交差点)

 歩道の復旧工事が進んでいます。

(歩道)

 まだの所もあります。

(歩道)

 田んぼの向こうに見えるのは仮設住宅だと思います。

(仮設住宅?)

 寺迫交差点から30分程歩いて、ようやく「津森神宮」に着きました。
 津森神宮の由緒によると「昔はここは入り江(津)でしたが、神武天皇の霊体出現時より、たちまち森となり、この地は津森と言われ宮所の名となっています」とあります。
 縄文時代、このあたりまで有明海の水がは入り込んでいた時期があるのではないかと思います。

(津森神宮)


(津森神宮)

 神様の避難所(防空壕)。説明板には「この地層は、9万年前の阿蘇山噴火の火砕流が冷えたもので、硬くて崩れにくいため、戦時中空襲からご神体を守るためのもうけられました。」とあります。

(津森神宮 神様の避難所)

 甘酒をいただきました。

(津森神宮)

 樹齢500年の銀杏。

(津森神宮)

 津森神宮へ来た道を引き返します。
 寺迫交差点の下は昨年と変わっていませんが1月10日から復旧工事が始るようです。

(寺迫交差点の下)


(寺迫交差点の下)

 木山の四角すぐ横の木山上町バス停。昨年はここから無料のシャトルバスで古閑入口バス停まで行きました。
 今日は路線バスに乗ります。
 昨年、ここでシャトルバスを待っている女性の方と4車線化のお話しなどしました。
 道路向こうにおられた知り合いの方とも道路越しに気軽に話をされていました。
 4車線になると道路の向こうとこっちで気軽に話をするということは出来なくなると思います。
 2車線の今は一帯となっている地域も分断されることになって行くのではないでしょうか。
 将来を考えると4車線化や再開発は町の発展には繋がっていくと思います。
 しかし、今を生きる人にとっては人と人の関係が薄れて行く社会にもなって行きます。
 バスが来たので熊本市内へ向かいます。


 益城町は復興が進んだ部分とまだまだの部分が混在しています。
 昨年と最も変わったのは、車と人が多く見受けられるようになったことです。
 コンビニ、商店、飲食店その他いろんなお店が再開しています。
 県道熊本高森線はひっきりなしに車が通っていました。

 三社参りウォークが今年も四社参りウォークになりました。
 天気も良く、日焼けしています。

 昨年の益城町三社参りウォークのブログはこちらです。
 「2017年正月2日は益城町三社参りウォーク」

2018年も元日は三社参りウォーク

2018-01-01 | 熊本の話題
2018年1月1日

新年おめでとうございます。

今年も1年の始まりは熊本市内の元日三社参りウォークです。

自宅から、熊本市内で最も古いといわれる健軍神社へ。長い列に並んでお参り。

(健軍神社)


(健軍神社楼門)

健軍神社前には「西南の役 熊本隊出陣の碑」があります。
薩摩西郷軍の決起に呼応し熊本隊1400名が健軍神社に集結、挙兵します。
明治10年2月22日のことです。

(西南の役 熊本隊出陣の碑)

三社参りの途中にある是法神社にもお参りします。神社の隣には観音堂があります。

(是法神社)

是法神社からすぐの堂免公園。今日は子供たちの姿は見えません。

(堂免公園)

堂免公園のトイレ。いまどき煙草の吸殻を置けるようになっているとは。
利用するたびに新しい吸殻が置いてあります。
熊本市には早く手を打って欲しいと思います。

(堂免公園のトイレ。煙草の空き箱も置き捨て。)

明午橋は工事中。仮橋を渡る。

(明午橋から子飼橋と立田山)


(明午橋から大甲橋と白川)

藤崎八旛宮でも並んでお参り。

(藤崎八旛宮)


(熊本の日本酒です。藤崎八旛宮で。)


(藤崎八旛宮今年の秋季例大祭の案内。)

藤崎八旛宮の前にあるパン屋さん。元日も営業中。パンを買いました。

(グラバーズベーカリー)

宮本武蔵は細川藩に抱えられ晩年を熊本で過ごしました。
旧居跡は熊本西年金事務所になっています。

(宮本武蔵旧居跡)

宮本武蔵旧居跡の横を流れる坪井川は鯉が泳いでいます。

(坪井川)

熊本西年金事務所あたりから熊本城が見えますが、大天守は修復工事が進んでいます。

(熊本城)

熊本城内にある加藤神社裏の石垣と井戸。熊本城内には井戸が120程あったといわれています。

(加藤神社裏の石垣と井戸)

棒庵坂を上ります。

(棒庵坂)

加藤神社に着きました。ここも長い列です。列から少し離れてお参りしました。

(加藤神社鳥居)


(加藤神社)

無事だった宇土櫓。平屋の続櫓は崩壊したので修復中です。

(宇土櫓。後方は大天守と小天守)

熊本城にはこのような案内板がいたるところに立っています。
地震前より親切になりました。

(石垣の復旧手順)


(案内板がある場所も図示してあります。)

奥が大天守、手前が小天守。

(修復工事中の天守閣)

国の重要文化財に指定されている不開門(あかずのもん)が建っていましたが、崩壊後に片づけられています。

(不開門が建っていた場所)


(不開門の案内板)


(石垣修理の案内板)

北十八間櫓は石垣も建物も崩壊しました。北十八間櫓も国の重要文化財に指定されていました。
下の広場は子供の時の遊び場でもありました。
今は広場も立ち入り禁止で鳩が伸び伸びと遊んでいます。

(北十八間櫓の石垣)

高橋公園の横井小楠銅像。左より坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久。
後ろは崩壊した熊本城東十八間櫓の石垣。東十八間櫓は崩壊し片づけられている。

(横井小楠と維新群像)

元日の熊本日日新聞には、被災し部分運休が続く南阿蘇鉄道が全線復旧後にJR肥後大津駅まで直接乗り入れする計画であることが報じられています。
しかし、国の災害復旧は災害前の状態に戻すことが原則で、新たな価値を付ける復旧には消極的とも報じられています。


8キロほどのウォーキングですが、久しぶりに歩いたので気持ち良かったです。
歩いていると、あちこちで走る人が目につきます。

刺激を受けて、夕方は4キロほど走りました。