2018年1月27日(土)
(今日のマップ)
「寒っ!」
今年のJR九州ウォーキングの始まり鹿児島本線木葉駅(熊本県)はマイナス3度以下。
(木葉駅)
(木葉駅)
前日の天気予報では、午前中はマイナス気温。寒そうなのでゆっくり出て行こうと思ったが、子供の頃の遠足みたいに朝早く目が覚めてしまった。
こんなに寒い日に早くからの参加者はいるのかと思って来たけど、マップの番号は「93」。皆さん早い。そして笑顔。馴染みの方たちとは「やっぱし来たね。」みたいな顔でご挨拶。冬休みの間、待ちわびていたんですね。
8時半前にスタート。駅から直ぐの『高月官軍墓地』へ。官軍墓地の中でも最大のもので、田原坂・吉次峠・横平山の戦闘で戦死した官軍兵士約980名を葬ってある。
(高月官軍墓地)
玉東町の西南戦争戦跡のウォーキングでは、その地を説明する案内板が置かれている。今日はその廻りに多くの人が集まっていた。その説明の中からクイズが出されている。皆さん熱心に読まれている。係りの人の足元にはストーブ。
(高月官軍墓地の説明)
(高月官軍墓地でのクイズ)
(高月官軍墓地の係りの人の足元にはストーブ)
設置してあるトイレの水は出ない。寒さで水道管が凍っているようだ。
早々に次の『有栖川宮督戦の地』へ向かう。征討総督に任ぜられた有栖川宮熾仁親王が田原坂攻略戦の戦地を見て廻られた地で、記念碑が建立されている。木葉城址でもあり、高台からは田原坂等の戦地が眺められる。
(歩く)
(小径で)
(有栖川宮督戦の地記念碑)
(有栖川宮督戦の地から三の岳)
そこから、『徳成寺』へ。説明板には「官軍兵士の治療場所として利用され、近くを流れる川は、兵士食料の米のとぎ汁の白と、包帯を洗った赤の色に染まった。」というようなことが書かれている。
(徳成寺)
(徳成寺の説明)
地元の皆さんからぜんざいを頂いた。寒さの中、有難うございました。美味しかった。
(徳成寺でぜんざいのおもてなし)
冷えた躰も暖まって先へ進む。道は違うけど、方角は引き返し。
(道沿いで)
(歩道には地元の窯で作られている「木の葉猿」)
玉東町役場の前を通って、『正念寺』。山門には36発の小銃の弾痕が残っている。
(正念寺)
(正念寺山門の弾痕)
官軍の野戦病院であったが、敵味方分け隔てなく治療が行われ、博愛社活動の始まりの地とされている。
博愛社は西南戦争時に佐野常民らによって傷病者を救護することを目的に組織され、明治20年に日本赤十字社と改称され今に至っている。
(正念寺の説明)
(正念寺で)
(正念寺で)
遮るものが無い田んぼの中の道を歩く。寒いが空は青い。歩いてきた躰もだいぶん暖まってきた。
(歩く)
JR鹿児島本線の2両編成の列車が通る。荒尾から熊本駅の熊本県内間は1時間に2本ほど走っている。JR九州は3月17日のダイヤ改正で九州内のローカル線を中心に列車の大幅削減を発表している。地元の自治体からは反対の陳情が相次いでいる。
(鹿児島本線の列車)
乗る人が少ないから列車を削減する。削減されると乗る人がますます減っていく。「地方再生」という響きのいい言葉とは裏腹に地方は見捨てられていく。
歩いていくと、駐車場の一角に「ぎょくとうマルシェ」が開かれている。薩軍と官軍の兵士も歓迎。スタンプラリーの抽選会もここで。残念ながら外れ。みかんを頂く。負け惜しみだけど、この時期のみかんはありがたい。ビタミンCで風を予防しよう。
(歩く)
(寒い)
(ぎょくとうマルシェ会場で撮らせていただいた。この後、薩軍兵士は官軍兵士に・・・とか。)
(ぎょくとうマルシェ会場で抽選会)
木葉川沿いを歩き、どこが境かわからないけど、玉東町から熊本市へ。スタンプラリーは玉東町の催しだった。
(川沿いを歩く)
県道へ出て田原坂へ、一の坂、二の坂、三の坂と上る。
(田原坂へ)
(一の坂を上る)
(二の坂を上る)
(三の岳を望む)
(三の坂を上る)
以前は5月の連休中に田原坂公園で開催されるすいか祭りに併せて田原坂を上るウォーキングがあっていた。そのすいか祭りが田原坂公園から別な場所に移ってからはウォーキングも開催されなくなった。今日は久しぶりに田原坂を上るJR九州のウォーキング。
5月の連休中とは鬱蒼感が薄いように思う。上るのは暑くないので少し楽。頂上の公園付近にはみかん畑がある。5月の初旬はみかんの花が咲きだす頃なので、今年は咲いていない、咲いていると毎年の違いも楽しみだった。つぼみばかりの中、花を見つけてみかん畑を歩き回ったりもした。今の時期その楽しみが無いのは寂しい。
(みかん畑)
三の坂を上りきって、公園には入らず、『田原熊野座神社』へ寄る。神社付近には薩軍が陣を構えており、調査で数多くの小銃弾、薬莢、四斤砲弾片などが見つかり、激しい戦いが繰り広げられていた。
(道沿いで)
(田原熊野座神社)
(田原熊野座神社)
(田原熊野座神社)
(田原熊野座神社で説明板)
(田原熊野座神社。氷っていた)
(田原熊野座神社で)
引きかえし、『田原坂公園』へ。
途中、雲仙普賢岳が綺麗に見える。
(雲仙)
公園では、民謡「田原坂」の詩にある美少年の銅像が迎えてくれる。
(美少年の銅像と案内をしてくれた方)
西南戦争当時の銃弾鋳造の実演を顕彰会の人がされていた。銃弾も手造りだった。これで敵を倒すぞー、と気合を込めて作っていたんですかね。
(銃弾鋳造の実演)
「道の駅すいかの里 うえき」の出張販売もあっている。「いきなり団子」が100円で売られていたので即買って食べる。いきなり団子は小さい頃よく食べた。さつまいもをだんご生地で包んで蒸しただけの簡単なもので、お米が配給時代におやつ代わりに食べていた。次第に小豆あんが入ってお土産用になっていく。今ではあんの種類も多く、熊本の代表的なお土産の一つになって一個百数十円で売ってある。でも、100円のが懐かしく美味しい。健軍商店街にも100円のいきなり団子が売ってある。
温めてあったのでおいもがホクホクして美味しい。いきなり団子はあんではなくおいもを食べるもんだと、一人勝手に納得する。
(いきなり団子)
その横には「ウォーターメロンメロン」と書かれたメロンパンが。覗き込むと「中は赤色です。」と声をかけてくれた。もう買ってみるしかない。200円。「持ち帰りますか。」「すぐ食べます。」で、割って見た。中は赤色、黒のつぶつぶもある。植木は全国でも有名なスイカの産地。そのスイカをイメージしたパンのようだ。黒のつぶつぶはスイカの種を模してある。パンも美味しい。「インパクトあるねぇ。切ったところを見せとかないと。」と言ったら、ちゃんと用意してあって並べてあるパン一番前に置かれた。名前の意味は聞き忘れた。
(ウォーターメロンメロン)
公園には、西南戦争の死者官軍薩軍双方合わせて1400名の慰霊塔。砲弾の跡が生々しく残る弾痕の家(復元)、平成27年に新装オープンした田原坂西南戦争資料館がある。
(慰霊塔)
(戦死者の名が記されている)
(戦死者の名が記されている)
(弾痕の家(復元))
以前の資料館が建っていたところは展望台になっている。三の岳、雲仙普賢岳などが眺められる。
(展望台から三の岳)
資料館では、田原坂の戦いを体感できる展示や、西南戦争の前後も含めた歴史が学べる。熊本地震の損傷で閉館になっている「横井小楠記念館」の出張展示もされている。小楠が明治新政府の参与として勤めていた京都で暗殺された時に持っていた短刀も見ることができる。
(田原坂西南戦争資料館)
(資料館内)
入館料は300円だが、熊本市内在住65歳以上は無料。北九州市・福岡市・鹿児島市と熊本市は交流連携協定を結んで、それぞれの市の施設の割引が他の市の市民にも適用されるので北九州市・福岡市・鹿児島市の65歳以上も無料で入館できる。
資料館を出て、田原坂公園を後にする。
田原坂一帯は西南戦争で最も激しい戦いが繰り広げられ、戦死者の骨がまだ埋まっているともいわれている。知人の中には田原坂に行くと気分が悪くなるという方も数名おられる。
向かったのは公園からそう遠くない『七本柿木台場薩軍墓地』。熊本隊や薩軍の兵士311名が埋葬されている。官軍墓地では兵士一人ひとりの墓碑があるが、薩軍墓地には無い。
(七本柿木台場薩軍墓地)
(七本柿木台場薩軍墓地)
熊本隊は、熊本市東区にある健軍神社に集結、挙兵した。2月22日のことである。墓碑に刻まれている戦死の日は3月15日。
(七本柿木台場薩軍墓地)
(七本柿木台場薩軍墓地)
薩軍墓地は広々とした眺めのいいところにある。直ぐ近くには官軍の七本官軍墓地がある。こちらは兵士一人ひとりの墓碑があるが、うっそうとした木立の中にある。それほど離れていないのでコースに入れても良かったのだろうが、何故かコースから外されている。1キロも余分に歩くことも無い距離だと思うけど。
薩軍墓地から少し歩くと四つ角があり、左へ曲がると七本官軍墓地。右へ曲がり下ると直ぐにゴール田原坂駅へ着く。
(いつもの牛さん)
ホームには今年最初のウォーキングを終えた皆さんが列車を待っている。寒かったけど天気も良かったし、みんな満足そうな笑顔。
(田原坂駅。向こうのホームは上り玉名・大牟田方面、手前のホームは下り熊本駅方面)
下り熊本駅行はしばらく待てば来るけど、上り玉名・大牟田駅方面は50分程待たねばならない。のんびり待っていると、上り列車が通過して行った。普通列車でも田原坂駅に停車しない列車がある。「おいおい、待てよ。」と叫ぶ。
上り列車を利用する人は熊本県外から参加している人たちも沢山いる。寒い中朝早くから起きて参加している。途中会った筑豊方面から参加している歩友は5時半に出てきたと話されていた。
1時間に2本ほど運行の熊本県内の鹿児島本線も、田原坂駅には停車しない列車があり1時間に1本ほどしか止まらない。乗客が少ないのでそれは仕方がないけど、ウォーキング開催の日だけは臨時停車するのがJR九州熊本支店の「おもてなし」だと思う。新たに臨時列車を出すのではない。通過している列車が臨時停車すればよいだけ。他県ではウォーキングのため臨時停車する列車に乗ったことがあり助かったこともある。
下りの列車が来た。最後はもやもやとした気持ちで今日のウォーキングを終える。
(今日のマップ)
「寒っ!」
今年のJR九州ウォーキングの始まり鹿児島本線木葉駅(熊本県)はマイナス3度以下。
(木葉駅)
(木葉駅)
前日の天気予報では、午前中はマイナス気温。寒そうなのでゆっくり出て行こうと思ったが、子供の頃の遠足みたいに朝早く目が覚めてしまった。
こんなに寒い日に早くからの参加者はいるのかと思って来たけど、マップの番号は「93」。皆さん早い。そして笑顔。馴染みの方たちとは「やっぱし来たね。」みたいな顔でご挨拶。冬休みの間、待ちわびていたんですね。
8時半前にスタート。駅から直ぐの『高月官軍墓地』へ。官軍墓地の中でも最大のもので、田原坂・吉次峠・横平山の戦闘で戦死した官軍兵士約980名を葬ってある。
(高月官軍墓地)
玉東町の西南戦争戦跡のウォーキングでは、その地を説明する案内板が置かれている。今日はその廻りに多くの人が集まっていた。その説明の中からクイズが出されている。皆さん熱心に読まれている。係りの人の足元にはストーブ。
(高月官軍墓地の説明)
(高月官軍墓地でのクイズ)
(高月官軍墓地の係りの人の足元にはストーブ)
設置してあるトイレの水は出ない。寒さで水道管が凍っているようだ。
早々に次の『有栖川宮督戦の地』へ向かう。征討総督に任ぜられた有栖川宮熾仁親王が田原坂攻略戦の戦地を見て廻られた地で、記念碑が建立されている。木葉城址でもあり、高台からは田原坂等の戦地が眺められる。
(歩く)
(小径で)
(有栖川宮督戦の地記念碑)
(有栖川宮督戦の地から三の岳)
そこから、『徳成寺』へ。説明板には「官軍兵士の治療場所として利用され、近くを流れる川は、兵士食料の米のとぎ汁の白と、包帯を洗った赤の色に染まった。」というようなことが書かれている。
(徳成寺)
(徳成寺の説明)
地元の皆さんからぜんざいを頂いた。寒さの中、有難うございました。美味しかった。
(徳成寺でぜんざいのおもてなし)
冷えた躰も暖まって先へ進む。道は違うけど、方角は引き返し。
(道沿いで)
(歩道には地元の窯で作られている「木の葉猿」)
玉東町役場の前を通って、『正念寺』。山門には36発の小銃の弾痕が残っている。
(正念寺)
(正念寺山門の弾痕)
官軍の野戦病院であったが、敵味方分け隔てなく治療が行われ、博愛社活動の始まりの地とされている。
博愛社は西南戦争時に佐野常民らによって傷病者を救護することを目的に組織され、明治20年に日本赤十字社と改称され今に至っている。
(正念寺の説明)
(正念寺で)
(正念寺で)
遮るものが無い田んぼの中の道を歩く。寒いが空は青い。歩いてきた躰もだいぶん暖まってきた。
(歩く)
JR鹿児島本線の2両編成の列車が通る。荒尾から熊本駅の熊本県内間は1時間に2本ほど走っている。JR九州は3月17日のダイヤ改正で九州内のローカル線を中心に列車の大幅削減を発表している。地元の自治体からは反対の陳情が相次いでいる。
(鹿児島本線の列車)
乗る人が少ないから列車を削減する。削減されると乗る人がますます減っていく。「地方再生」という響きのいい言葉とは裏腹に地方は見捨てられていく。
歩いていくと、駐車場の一角に「ぎょくとうマルシェ」が開かれている。薩軍と官軍の兵士も歓迎。スタンプラリーの抽選会もここで。残念ながら外れ。みかんを頂く。負け惜しみだけど、この時期のみかんはありがたい。ビタミンCで風を予防しよう。
(歩く)
(寒い)
(ぎょくとうマルシェ会場で撮らせていただいた。この後、薩軍兵士は官軍兵士に・・・とか。)
(ぎょくとうマルシェ会場で抽選会)
木葉川沿いを歩き、どこが境かわからないけど、玉東町から熊本市へ。スタンプラリーは玉東町の催しだった。
(川沿いを歩く)
県道へ出て田原坂へ、一の坂、二の坂、三の坂と上る。
(田原坂へ)
(一の坂を上る)
(二の坂を上る)
(三の岳を望む)
(三の坂を上る)
以前は5月の連休中に田原坂公園で開催されるすいか祭りに併せて田原坂を上るウォーキングがあっていた。そのすいか祭りが田原坂公園から別な場所に移ってからはウォーキングも開催されなくなった。今日は久しぶりに田原坂を上るJR九州のウォーキング。
5月の連休中とは鬱蒼感が薄いように思う。上るのは暑くないので少し楽。頂上の公園付近にはみかん畑がある。5月の初旬はみかんの花が咲きだす頃なので、今年は咲いていない、咲いていると毎年の違いも楽しみだった。つぼみばかりの中、花を見つけてみかん畑を歩き回ったりもした。今の時期その楽しみが無いのは寂しい。
(みかん畑)
三の坂を上りきって、公園には入らず、『田原熊野座神社』へ寄る。神社付近には薩軍が陣を構えており、調査で数多くの小銃弾、薬莢、四斤砲弾片などが見つかり、激しい戦いが繰り広げられていた。
(道沿いで)
(田原熊野座神社)
(田原熊野座神社)
(田原熊野座神社)
(田原熊野座神社で説明板)
(田原熊野座神社。氷っていた)
(田原熊野座神社で)
引きかえし、『田原坂公園』へ。
途中、雲仙普賢岳が綺麗に見える。
(雲仙)
公園では、民謡「田原坂」の詩にある美少年の銅像が迎えてくれる。
(美少年の銅像と案内をしてくれた方)
西南戦争当時の銃弾鋳造の実演を顕彰会の人がされていた。銃弾も手造りだった。これで敵を倒すぞー、と気合を込めて作っていたんですかね。
(銃弾鋳造の実演)
「道の駅すいかの里 うえき」の出張販売もあっている。「いきなり団子」が100円で売られていたので即買って食べる。いきなり団子は小さい頃よく食べた。さつまいもをだんご生地で包んで蒸しただけの簡単なもので、お米が配給時代におやつ代わりに食べていた。次第に小豆あんが入ってお土産用になっていく。今ではあんの種類も多く、熊本の代表的なお土産の一つになって一個百数十円で売ってある。でも、100円のが懐かしく美味しい。健軍商店街にも100円のいきなり団子が売ってある。
温めてあったのでおいもがホクホクして美味しい。いきなり団子はあんではなくおいもを食べるもんだと、一人勝手に納得する。
(いきなり団子)
その横には「ウォーターメロンメロン」と書かれたメロンパンが。覗き込むと「中は赤色です。」と声をかけてくれた。もう買ってみるしかない。200円。「持ち帰りますか。」「すぐ食べます。」で、割って見た。中は赤色、黒のつぶつぶもある。植木は全国でも有名なスイカの産地。そのスイカをイメージしたパンのようだ。黒のつぶつぶはスイカの種を模してある。パンも美味しい。「インパクトあるねぇ。切ったところを見せとかないと。」と言ったら、ちゃんと用意してあって並べてあるパン一番前に置かれた。名前の意味は聞き忘れた。
(ウォーターメロンメロン)
公園には、西南戦争の死者官軍薩軍双方合わせて1400名の慰霊塔。砲弾の跡が生々しく残る弾痕の家(復元)、平成27年に新装オープンした田原坂西南戦争資料館がある。
(慰霊塔)
(戦死者の名が記されている)
(戦死者の名が記されている)
(弾痕の家(復元))
以前の資料館が建っていたところは展望台になっている。三の岳、雲仙普賢岳などが眺められる。
(展望台から三の岳)
資料館では、田原坂の戦いを体感できる展示や、西南戦争の前後も含めた歴史が学べる。熊本地震の損傷で閉館になっている「横井小楠記念館」の出張展示もされている。小楠が明治新政府の参与として勤めていた京都で暗殺された時に持っていた短刀も見ることができる。
(田原坂西南戦争資料館)
(資料館内)
入館料は300円だが、熊本市内在住65歳以上は無料。北九州市・福岡市・鹿児島市と熊本市は交流連携協定を結んで、それぞれの市の施設の割引が他の市の市民にも適用されるので北九州市・福岡市・鹿児島市の65歳以上も無料で入館できる。
資料館を出て、田原坂公園を後にする。
田原坂一帯は西南戦争で最も激しい戦いが繰り広げられ、戦死者の骨がまだ埋まっているともいわれている。知人の中には田原坂に行くと気分が悪くなるという方も数名おられる。
向かったのは公園からそう遠くない『七本柿木台場薩軍墓地』。熊本隊や薩軍の兵士311名が埋葬されている。官軍墓地では兵士一人ひとりの墓碑があるが、薩軍墓地には無い。
(七本柿木台場薩軍墓地)
(七本柿木台場薩軍墓地)
熊本隊は、熊本市東区にある健軍神社に集結、挙兵した。2月22日のことである。墓碑に刻まれている戦死の日は3月15日。
(七本柿木台場薩軍墓地)
(七本柿木台場薩軍墓地)
薩軍墓地は広々とした眺めのいいところにある。直ぐ近くには官軍の七本官軍墓地がある。こちらは兵士一人ひとりの墓碑があるが、うっそうとした木立の中にある。それほど離れていないのでコースに入れても良かったのだろうが、何故かコースから外されている。1キロも余分に歩くことも無い距離だと思うけど。
薩軍墓地から少し歩くと四つ角があり、左へ曲がると七本官軍墓地。右へ曲がり下ると直ぐにゴール田原坂駅へ着く。
(いつもの牛さん)
ホームには今年最初のウォーキングを終えた皆さんが列車を待っている。寒かったけど天気も良かったし、みんな満足そうな笑顔。
(田原坂駅。向こうのホームは上り玉名・大牟田方面、手前のホームは下り熊本駅方面)
下り熊本駅行はしばらく待てば来るけど、上り玉名・大牟田駅方面は50分程待たねばならない。のんびり待っていると、上り列車が通過して行った。普通列車でも田原坂駅に停車しない列車がある。「おいおい、待てよ。」と叫ぶ。
上り列車を利用する人は熊本県外から参加している人たちも沢山いる。寒い中朝早くから起きて参加している。途中会った筑豊方面から参加している歩友は5時半に出てきたと話されていた。
1時間に2本ほど運行の熊本県内の鹿児島本線も、田原坂駅には停車しない列車があり1時間に1本ほどしか止まらない。乗客が少ないのでそれは仕方がないけど、ウォーキング開催の日だけは臨時停車するのがJR九州熊本支店の「おもてなし」だと思う。新たに臨時列車を出すのではない。通過している列車が臨時停車すればよいだけ。他県ではウォーキングのため臨時停車する列車に乗ったことがあり助かったこともある。
下りの列車が来た。最後はもやもやとした気持ちで今日のウォーキングを終える。