鉄卓のブログ「きままに」

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「江津湖で夏目漱石」に会う【JR九州水前寺駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-20】

2021-12-03 | JR九州ウォーキング
2021年11月28日(日)

今日は豊肥本線水前寺駅(熊本県熊本市)



長い列の後ろに並んだ。受付は8時半に始まって、8時40分頃にスタート。



水前寺成趣園へ。
一般的には水前寺公園と呼んでいる。バス停は水前寺公園前、市電の電停は水前寺公園となっている。

成趣園は肥後細川家5代細川綱利が1671(寛文11)年に現在と同規模の庭園を築いた。それから350年にあたる。
綱利は、忠臣蔵で有名な、吉良邸討ち入り後の大石内蔵助を含む赤穂浪士17名を預かったことでも知られている。



水前寺公園内にある古今伝授の間。
肥後細川家初代細川幽斎が、八条宮智仁親王に、古今和歌集の解説の奥義を伝授した建物。
元々は京都御所にあった。

関ヶ原の戦いで東軍徳川方についた細川幽斎は丹後の田辺城を西軍の大軍に包囲される。
古今和歌集の奥義を伝える人物が絶えることを恐れた後陽成天皇の勅命で和睦し、包囲は解かれる。
東軍の勝利で関ヶ原の戦いは終結する。

この建物は、移転、解体保存等の紆余曲折を経て、1912(大正元)年に京都から移築されている。



参道にあるいきなり団子の店



加勢川沿いの道を歩く。



水前寺公園の湧水は加勢川に流れ、江津湖へと流れていく。



水前寺体育館前電停のところにある公園では、熊本洋学校教師ジェーンズ邸の復元工事が行われている。
ジェーンズ邸は明治4年に建てられた、熊本で現存する最も古い洋館。

昨日の木葉駅コースで訪れた正念寺、徳成寺は西南戦争で兵士を救護する病院であった。
その活動から、佐野常民が有栖川宮から博愛社(現在の日本赤十字社)の設立許可を受けた建物でもある。

元は古城に建てられていたが、移転を繰り返し、水前寺公園の近くに移転していた。
その場所で熊本地震にあい建物が倒壊し、この公園に移転が決まり工事がされている。



公園からゆるやかな坂を上り、熊本県庁へ。

1~2週間前だったら、庁舎前プロムナードのイチョウ並木の黄葉がそれはそれは見事だった。
毎年のことだがイチョウ並木の黄葉を楽しみにしている人は多い。
まだ見ていない人には是非見てほしい光景だった。惜しかった。

熊本地震後の熊本復興プロジェクトとして、尾田栄一郎氏と熊本県が連携して、ONEPIECEのキャラクター像が熊本県内各地に設けられている。
ここ、熊本県庁プロムナードのルフィ像が第1号で、3周年を迎えた。



残りの黄葉。



イチョウ並木のところにある自販機。熊本産の飲み物。
カフェオレは全国的に人気がある。
30年以上前から愛飲している。



県庁を後にして、ゆるやかに上って行く。

少しコースを外れて歩く。



健軍神社の参道、杉並木の道に出る。
正面には健軍神社の楼門が見える。

健軍神社は杉並木の参道から楼門眺め、楼門を入っていくのが最もいいと思う。



西南戦争には、熊本の幾つかのグループがそれぞれの大義名分で薩軍側で戦った。
最大のグループ熊本隊1400名は、ここ健軍神社で結成式を行い出陣した。
明治10年2月22日のことである。
各地で戦い、田原坂の戦いでも多くの兵士が戦死した。

昨日の木葉駅コースで田原坂公園へと上った坂の、上りきったところのすぐそばに、亡くなった兵士を慰霊する七本柿木台場薩軍墓地がある。
コースに含まれていなかったのは惜しかった。

熊本隊は8月17日、延岡の和田峠の戦いの後、投降した。

熊本隊の戦いについては、
河野弘善著『黨薩熊本隊』(尾鈴山書房 昭和48年発行)
徳富蘇峰著『近世日本国民史 西南の役(五)、(六)、(七)』(講談社学術文庫 昭和55年発行)
などがある。



健軍神社は熊本市で一番古い神社。

また、神社周辺や広い範囲で縄文遺跡が発掘させている。
歩いていたらわかるが、周囲は住宅地になっている。
もし、開発されていない土地だったら、かなり大きな縄文遺跡が発見されているであろう。



健軍神社から熊本市動植物園へ。



2022年の全国都市緑化祭に向けて正面入り口は工事中。

正面入り口前にONEPIECEのチョッパー像。



熊本動物園には孫悟空のモデルになったともいわれている金絲猴がいる。
国内ではここだけのようだ。
一匹しかいない、前はもっといたのに。



10月桜は、ほぼ終わっていた。





動植物園では遊園地の乗り物も楽しめる。
孫たちを連れてくると、動物はそっちのけで乗り物を楽しむ。



動植物園を出て、江津湖散策路へ。





お花たちも歓迎してくれる。











夏は、ここに自主トレに来ることもある。



江津湖をいつも散策している人でもつい見逃してしまうのがある。
第五高等学校漕艇部艇庫跡の碑。
夏目漱石は五高教師だったときに漕艇部の部長も経験している。





五高の碑からすぐ、江津湖の上に架かっている陸橋の下を歩く。

陸橋の近くに、富永兆吉の肥後狂句碑がある。
「音のよさ まいっ時櫓で 漕いでくれ」



ここからは、先ほど寄った熊本県庁が見える。



駅長さんも歓迎する遊歩道を歩いていく。











暑い日は子供たちの水遊び場。



西の方には金峰山が見える。花岡山の仏舎利塔も見える。



東の方の景色。



歩いていくと、スイゼンジノリ(国指定天然記念物)の発生地。
江戸時代は献上品の一つとなっていた。





さらに歩いて、象さんプールへ。
湧水が湧いている。
夏は子供たちの遊び場。冬は鳥たちの遊び場。



ここから直ぐ、散策路から右に入った広場に2つの句碑がある。
広場の入り口には句碑への案内が無いので気がつかない人が多い。

一つは中村汀女の句碑。
「とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな」



もう一つは夏目漱石の句碑。
「ふるひ寄せて 白魚崩れん 許りなり」

夏目漱石は熊本時代に約1000句詠んでいて、全俳句の4割ほどが熊本時代の作という。





見える橋が江津湖遊歩道の終わり。逆から歩けば始まり。

川は加勢川、水前寺公園の湧水はここへと流れてくる。



市電の通りに出て、直進する。



12時少し前にゴール新水前寺駅に着いた。





今日は、今年最後のJR九州ウォーキングだった。

デパ地下へ行ってお弁当を買い、コンビニでビールを買う。
今年一年というより後半の半年だったが、無事に歩けた。

秋の日差しをいっぱい浴びながら、乾杯。



今年のJR九州ウォーキングを終える。