先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。
「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。
民謡をたずねて・その16
「おてもやん(熊本甚句)」
(熊本県)
おてもやん、あんたこの頃嫁入りしたではないかいな、
嫁入りしたこつぁしたばってん、ご亭どんがグジャッペだるけん、
まぁだ盃はせんだった、
村役、鳶役、肝煎りどん、あん人たちのおらすけんで、
あとはどうなっときゃあなろたい、
川端町っつぁん、きゃぁめぐろ、
春日ぼうぶらどんたちゃ、尻ひっぴゃぁて花盛り花盛り、
ピーチクパーチク雲雀の子、げんばく茄子のいがいがどん、
一つ山越え、も一つ山越え、あの山越えて、
私しゃあんたに惚れとるばい、
惚れとるばってん言われんたい、
追々彼岸も近まれば、若者衆も寄らすけん、
くまんどんのよじょもん詣りにゆるゆる話しもきゃぁしゅぅたい、
男振りには惚れんばな、
煙草入れの銀金具が、それがそもそも因縁たい、
アカチャカ、ベッチャカ、チャカチャカ、チャー
一つ世の中、艱難辛苦の荒波越えて、
男度胸でおいでなさい、くよくよしたとてしょうがない、
何時か目も出る花も咲く、
移り気な浮き世のならいに、取り越し苦労はおやめなさい、
悩みなんぞはこちゃ知らぬ、
意地と張りの心が、それが後生楽たい、
アカチャカ、ベッチャカ、チャカチャカ、チャー
今更になってネットで調べてみると
「おてもやん」は、原曲は、「熊本甚句」で、その亜種、三味線と踊りの師匠だった永田稲(いね)が、アレンジ、作詞、作曲、振り付けしたものなのだそうだ。
「おてもやん」とは、「おてもさん」の意で、「おても」のモデルは、永田稲と出会った、明るく芯の強い、冨永登茂(ちも)という女性だったと言われている。
1935年(昭和10年)には、芸者歌手赤坂小梅が、「熊本甚句」でレコードを出したが、戦後になってから、さらにアレンジされ、歌詞の中の「おてもやんあんたこの頃」から、「おてもやん」として、再レコード化されるに至って、熊本弁の陽気な歌詞で、日本全国に知られるようになり、熊本県の代表的民謡と定着したということのようだ。
「へー!、そうだったの」・・・、
目から鱗・・・、である。
「おてもやん」 (YouTubeから共有)
(歌意)
おてもさん、あなたは、最近、嫁入りしたというじゃありませんか?
ええ、お嫁に行ったことは行ったのですが、
ご亭主殿がアバタ面で、まだ三々九度の杯は交わしてないのです。
でも、村の顔役や、鳶の頭や、いろんな世話役の人達がいますから、
あとはうまくしてくれるでしょう。
繁華街の川端町の方を回って行きましょうよ。
春日の名物のかぼちゃは、いまが盛りで、尻(ヘタの反対側)に萎れた花を咲かせて、コロコロ転ばっていますよ。
(あたかも、カボチャ男達が裾を引っ張ったりしているみたいで、私はモテモテなんです。私の人生今が花盛り、春にさえずる雲雀のの子のような浮かれ放しの男や野暮ったいイガグリ男達は私の趣味ではないんです)
向こうの畑には、ヘタに棘がある茄子が沢山実を結んでいますよ。
(参考・参照)
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熊本県観光連盟・ふるさと寺子屋 No.142 「おてもやん」