たけじいの気まぐれブログ

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民謡をたずねて・その34

2024年06月27日 11時36分47秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり記憶が無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

                  

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
ブログ・カテゴリ-「懐かしいあの曲」に、書き留め置こう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その34
「田原坂(たばるざか)」
(熊本県)

「田原坂」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等で、常にランクインされる民謡のひとつであり、子供の頃から、ラジオ等から流れてくるのを聞いていて、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡である。ただ、子供の頃は、「田原」を、なんで「たばる」と読むのか、違和感を感じていたような気がする。後年になって、九州地方には、「原」を「ばる」と読む地名が、沢山有ることを知り、納得したものだったが・・・・。

今更になってネット等で調べてみると、
「田原坂」は、熊本市北区にある坂で、明治時代までは、昼なお暗いほど立ち木に覆われていた地で、1877年(明治10年)の西南戦争の激戦地になってから有名になったのだそうだ。
西郷隆盛率いる薩摩軍が、近代的装備をもつ官軍に決戦を挑んだものの、3月20日には、敗戦が確定的になり、その戦況を、薩摩軍の本陣が有った人吉まで伝える役目を命じられたのが20歳の美少年三宅伝八郎で、「右手(めて)に血刀、左手(ゆんで)に手綱(たづな)、馬上ゆたかに美少年」と、歌詞によみこまれている。実際に、この曲が出来たのは、明治37年頃、日露戦争の頃なのだそうで、かっての田原坂の激戦を歌って、日本軍の士気を鼓舞しようとしたものだとも言われているようだ。
「へー!、そういう民謡だったのか・・・」
目から鱗・・・、である。

「田原坂」  (YouTubeから共有)
 

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