たけじいの気まぐれブログ

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藤原緋沙子著 「宵しぐれ」

2024年06月05日 14時44分26秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤原緋沙子著 「宵しぐれ」(廣済堂文庫)を、読み終えた。本書は、著者の長編時代小説、「隅田川御用帳(すみだがわごようちょう)シリーズ」の第4弾
「第一話 闇燃ゆる」「第二話 釣忍」「第三話 ちぎれ雲」「第四話 夏の霧」の連作短編4篇が、収録されている。
「隅田川御用帳シリーズ」は、縁切り寺「慶光寺」の御用宿「橘屋」の女主人お登勢(おとせ)に雇われた、元築山藩藩士の浪人塙十四郎(はなわじゅうしろう)が、「慶光寺」の寺役人近藤金吾や、橘屋の番頭藤七等と共に、縁切りを求めて「橘屋」に駆け込んでくるいろいろな女達の様々な事情を探り、絡み合う悪事や謎を解明、愛憎乱れる 女と男の深い闇を、人情と剣とで見事に解決していく、悲喜こもごもの物語である。

「第一話 闇燃ゆる」
▢主な登場人物
大和屋半兵衛・お兼、おさよ、
寅次、ごん太(
唐物屋大黒屋仁兵衛(徳安)、儀助、
倉田伴内・宗之進、
島岡左一郎(戸田藩目付

万吉(橘屋の小僧、10歳
▢あらすじ等
半年前に駆け込んできた大和屋の女房お兼と主の半兵衛の再吟味の場で、半兵衛は、女中のおさよを養女にすると約束し、お兼は家に戻ることになったのだが・・・・、そのおさよが水死体で発見され・・・、何故?、誰が?、・・・、真相探索・・・・、3年前の中山道深谷宿の旅籠「吉田屋」の火事と関連が浮上、

徳安とは?、戸田藩の藩士倉田伴内とは?、
「父の敵、おさよの敵」・・・・、宗之進は満身の力で斬りさげた。

 「ごん太を大和屋さんで?」、
 お登勢は、玄関に立った大和屋の女房お兼の顔を仰ぎ見た。
 するとそこへ、「ごめん」、倉田宗之進が現われた。
 「ごん太を譲って頂きたい」、
 ・・・・・・、
 「万吉は、孤児なんです。あの子から、ごん太を取り上げることは、私には出来ません」、
 お登勢は、しみじみとして言った。

「第二話 釣忍(つりしのぶ)」
▢主な登場人物
お蓮・兵吉(お蓮の弟)、
又兵衛(薬研堀の縄暖簾「えびす」の主)、巳之助、
越前屋利兵衛・おみわ・お勝、
彦七(元越前屋番頭)、玄次郎、
楽翁(元老中松平定信)、柳庵、
すっぽんの伊蔵(岡っ引き、南町奉行所同心三原作之進から手札)、
▢あらすじ等
楽翁が落とした財布を、そっくりそのまま番屋に届けたお蓮は、「たった一つ願いが叶うなら死んでもいい」と言う。「たった一つの願いとは?」、櫛職人の弟兵吉が、越前屋の一人娘おみわと心中?、不審?、真相は?、柳庵が検死した結果、心中に見せかけた殺人事件?、ただ、下手人が検挙されない限りは、兵吉は死罪?、限られた時間、真相究明、探索開始、彦七が?、玄次郎が?、岡っ引きの伊蔵が、浮上・・・、
  「まあ、釣忍じゃありませんか」、
  お登勢は、釣忍をぶら下げてやってきた又兵衛の手元を見ると嬉しそうな声を上げた。
  又兵衛はもじもじして、「あの、これを、十四郎様に・・・」、
  「あら」、お登勢はがっかりした声を上げた。

  ・・・・・・、
  「お蓮さん・・・」
  お登勢が釣忍に手を合わせた時、ちりん、ちりん、ちりん・・・・、風鈴が鳴った。
  切ない音色だった。


「第三話 ちぎれ雲」
▢主な登場人物
紅屋松之助・お新・おてる・卯兵衛・お石・お滝、与助、
お馬、覚次、
▢あらすじ等
縁切り寺の慶光寺に、白粉屋「紅屋」のおかみ、お新が駆け込んできた。夫松之助の先妻お滝の幽霊が出ることに悩んでの駆け込みだったが、不審?。十四郎、藤七達が、探索開始、松之助は養子であり、あばずれた娘おてる、冷酷な姑お石、完全に崩壊した家族の姿だった。その元凶は?、過去の事件の恨み、仕返し、お馬とは?、おてるが誘拐され、身代金五百両を要求され、お登勢が・・・・?
 「許すも許さないも、親子ではないか、今頃おっかさんは、二階でお前が現れるの待って
  いるぞ」

紅屋の事件が解決したのは、みな、お登勢のお陰だと、十四郎は思った。

「第四話 夏の霧」
▢主な登場人物
秋月千草・秋月甚十郎、大内彦左衛門、
伊沢忠兵衛・未世、
栗田徳之進、松波孫一郎、
成田惣兵衛(天竺屋、成田惣五郎)、ましらの鬼蔵、
近藤金五・浪江、
戸田出羽守
五兵衛、茂助、
▢あらすじ等
飲み屋で醜い狼藉を働いていた旗本の子弟らしき若者達に注意を促した金吾が、顔をつぶされたと因縁をつけられ襲われ、あわやの時、若衆姿の女剣士秋月千草と老武士大内彦左衛門が現れ、命拾いをするところから始まっている。金吾は、たちまち、凛とした千草に一目惚れ?、してしまい・・・、
橘屋ともゆかりのある心源寺が押し込みに襲われ、住職等皆殺し、財宝強奪事件が発生。2年前の寺院連続殺人強奪事件と同じ手口?、下手人は?、探索開始する、十四郎、金吾、藤七達、千草の父親秋月甚十郎は、2年前に、浄蓮寺で殺害されており、千草には、父親の敵を討ちたい悲願があり、金五は、千草のため、必死に奔走し、憎めない男、寺社奉行所徒目付栗田徳之助、十四郎、金五と同志、北町奉行所吟味方与力松波孫一郎等と連合して、ついに、凶暴嗜虐(きょうぼうしぎゃく)、人面獣心(じんめんじゅうしん)の男、惣五郎を突き止める。
 「押し込み一味を一網打尽にするには、次の押し込みを待つしかない」
千草、彦左衛門も、駆けつけ・・・・、
 「彦爺・・・」、「これで殿様も救われます」
千草に試合を申し込まれた十四郎、剣客として後には引けず・・・、
お登勢が、千草に、女の幸せを説き、金五の熱い思いを伝え・・・、
まさか?、
金吾から、母親浪江説得を任せられてしまったお登勢と十四郎、
お登勢は溜息をついたが、お登勢、十四郎は、腹の底から喜びがこみ上げてくるのだった。

 


民謡をたずねて・その19

2024年06月05日 07時23分39秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
みよう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その19
「両津甚句(りょうつじんく)」
(新潟県)

「佐渡の代表的な民謡は?」と問われれば、多分、ほとんどの人が「佐渡おけさ」と答えるに違いない。「佐渡おけさ」は、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等でも、「江差追分」、「お立ち酒」等と、常に、トップ争い?、ベスト5には、ランクインされる、日本の民謡の「横綱格」だが、その佐渡には、「佐渡おけさ」の他にも、ベスト100にランクインされる民謡が有る。「相川音頭」「両津甚句」が、それで、「佐渡おけさ」と合わせて、「佐渡の三大民謡」等とも称されているようだ。
「相川音頭」は、すでに、「民謡をたずねて・その6」に書き留めているが、「両津甚句」もまた、子供の頃から、なんとなく好みで、脳裏に焼き付いている民謡の一つであり、改めて聞いているところだ。
今更になってネット等で調べてみると、
「両津甚句」は、明治34年(1901年)に、橋を挟んで分かれていた、「夷町」と「湊町」が合併し、「両津町」になったことがきっかけで、それまで、「夷町」、「湊町」、それぞれに有った「夷甚句」、「湊甚句」を、大正時代に、折衷、整理されて、出来上がった民謡なのだそうだ。
「へー!、そうだったの」・・・・である。
  ハアーアーエー 
  両津欄干橋ゃエー
  真中から折りょうと
  コラサッサ
  船でエー通うてもー、ヨンヤアアー
  やめりゃせぬ
  ハアリャント リャント リャント、
独特な節回しの「両津甚句」、音楽的には、「佐渡おけさ」以上の民謡と評価されることも有るという。

「両津甚句」 (YouTubeから共有)