和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

主地道80号奈良名張線

2011-11-18 06:59:02 | カメラ
主地道80号奈良名張線は
奈良から名張に抜ける田舎が残るルートです。
今年は柿の豊作で昨年の分まで実っているようです。
この県道からオレンジの物体が見えると
近くまで行って見て来ます。
宇陀からだと奈良からとは反対に走ります。

昨日は安田、額井、山添、鳥見山など。
安田は行っただけ、Tさんと話をして額井へ。
額井で一枚。

戒長寺のイチョウはまだ早い。
直接向渕に抜けます。
上笠間を通って旧25号を北上。
カブは名阪国道に乗れません。
奈良名張線に出てオレンジの物体探します。





この杉は西側に傾いています。


ここには3名のカメラマンがいました。

久しぶりでフィルムで撮りました。
一発必勝主義で一ヶ所3枚まで、不必要なものは撮らない主義でいきます(♪)。



フィルムから 高山植物 32

ショウジョウバカマ(猩々袴)
ユリ科 ショウジョウバカマ属

ショウジョウバカマ 仏隆寺
(デジタル画像です)



仏隆寺から諸木野へいく最初の集落の家の土手に咲いていました。
高山植物というよりも山野草です。
低山から高山にいたるまで分布します。
林縁や土手に咲いています。
この花を初めてみたのは葛城山です。
そのときフィルムに収めたのですがどこに行ったか分かりません。
ですから今日はデジカメで撮ったのを載せました。
花の色は土壌によって違うそうです。
アジサイみたいに赤っぽいのや、青っぽいのや、白っぽいのがあります。
毎年同じところに咲きます。

東さんのブログを拝見致しますと、
薬師寺東塔の足場が建てられました。



野見宿禰

2011-11-17 17:08:05 | カメラ
桜井浄水場の柿がひときわ輝いていました。


伊勢街道というキーワードを持って歩いていると、
色々なものが見えて来ます。

野見宿禰

一番最初に相撲を取ったのは野見宿禰と当麻蹶速(けはや)と言われています。
垂仁天皇の頃、垂仁7年7月7日、フィーバーですね。
勝負事にはええ日らしい。
東、野見宿禰と西、当麻蹶速が無制限死ぬまで一本勝負で野見宿禰はんが勝った。
当麻蹶速はんは腰の骨を砕かれ、天国に召されたそうです。
日本書記の話ですが、これとよく似た事実(土地の平定等)はあったでしょう。
相撲を取った場所というのが相撲神社。
桜井市纒向の穴師兵主神社の入口にその相撲神社はあります。
野見宿禰はんは島根の出雲からわざわざ来はったことになっていますが・・・。

はたしてそうやろか、が今日の本題です。

前々から気になっていた地名、「出雲」。
国道165号沿い、初瀬の西隣に出雲という地名があります。
地名なんか知らんわ、と言われる方、
岩坂、狛に入る交差点名に出雲の名前があるのをご存知でしょう。
小さい交差点ですがよく引っかかります(赤信号で)。
その度に連想させられるのは
堺の出雲大社分祠、亀岡の出雲大神宮、島根の出雲大社です。
毎回のことですので、出雲の古代パワーが
和尚に何かを呼びかけているのかもしれましぇん。

そこで伊勢街道ですが
昔の面影が残っている街道筋を少しずつ歩いています。
十二柱神社(じゅうにはしら)にやって来ました。



狛犬の台座の下を見てください。
4ヶ所で誰かが支えています。
近寄ってみましょう。

お相撲さんです。


野見宿禰顕彰会の建てた碑です。
池田雅雄先生が45年ほど前に野見宿禰の出雲出身は
実は桜井の出雲村のことではないか、と言われてから
伝承、口承、昔からの生産などを検証して桜井の出雲村にたどり着きました。
これらのことを知るにつれて和尚も池田雅雄先生の説になるほどと感じました。

ここからは想像力の世界です。
出雲のことですが、
垂仁天皇の時代に島根の出雲からヤマトの国に移り住んだ集団がありました。
天皇から居住地を与えられ、その居住地を島根の国の名前と同じ出雲と名乗った。
それが桜井の出雲です。
歴史的事実として遠く離れて移住する時は出身の地の名前を使うことがあります。
例えば、北海道開拓時代の地名は屯田兵の出身の地名を多く用いていました。
明治の大水害による十津川村民の移住では行政名(新十津川村)まで残っていますから、
おらが生まれた土地の名を使っても、何ら不思議はありません。

八講桜のある谷を今井谷と言います。
今井谷の由来は
橿原の今井町の住人が談山神社のご利益があるようにと、
神社に出来るだけ近くに居を構えました。
それ以降この谷を今井谷と言うようになったと聞きました。
近くですら出身地の名前が残っているくらいですから、
遠くはなれた地ではなおさらです。

そのように考えていくと

日本書記の島根の出雲から召喚された野見宿禰さんは
実は桜井の出雲村から召喚されたのです。
相撲を取らす為にわざわざ遠くの出雲から召喚することはないでしょう。
相撲神社へは2時間もあれば着きます。
当麻蹶速さんは4時間ぐらいかかります。
相撲を取る時は当麻蹶速さんのほうが歩き疲れていたと言えます。
まあ、出雲の勢力がヤマトにも強力にあったのでしょう。
たかが相撲といえども、勝った野見宿禰さんは当麻地方を支配しました。
野見宿禰さんから見れば島根の出雲でも桜井の出雲でも、どちらでもいいのです。
出雲勢力の実績さえ確かなものであれば・・・。

野見宿禰さんは立派な人(神様?)で
古墳の人身御供を埴輪に替えたことでも知られています。
菅原氏(菅原道真等)の先祖とも言われています。

このように好き放題考えて、伊勢街道を旅しています。

昭和の悪政として住居表示の変更があります。
地名は文化であると考えるならば住居表示は
その文化の否定になります。
京都や奈良は古い地名が多いです。
少しでも多く残るようにしたいですね。
地名が全く消える訳ではありません。
住居表示には経過資料として新旧対照図が残されていますが
200年、500年経って調べるとなると大変な作業です。

濡れ地蔵

濡れ地蔵は室生湖の北はずれにあります。
大字山辺三は額井岳中腹から室生湖まで含まれます。
全戸90軒ほどらしいのですが、昔から年中行事が残っており、
調べたら面白そうです。
濡れ地蔵のところは伊勢街道のルートになっています。




野鳥の撮影マナー

2011-11-16 16:44:11 | カメラ
本日のブログにアカゲラの写真を載せていました。
数年前に撮ったのものですが、営巣中の撮影はいかがなものか、とのコメントがありました。
調べてみますと、自然保護の観点から鳥にストレスを与えるような撮影はタブーになっているようです。
知らなかったとはいえ、今後改めます。
ネイチャーコンテストなどで営巣中や自然破壊につながる写真は審査から外す事になっています。
日本鳥類保護連盟の野鳥撮影のマナーに関するHPがあります。参考にして下さい。

都会は疲れる

2011-11-16 16:33:25 | カメラ
昨日の朝は九品寺でした。
東の空は全く表情がなく、
今日もダメか、と思って西を見ると、
かぎろひは出ていませんが、月かたぶきぬでした。


大阪にヤボ用があって
大山崎経由で新大阪で用を済ませ、
梅田のヨドバシに寄りました。
フィルムカメラのコーナーは
中判以上が1コーナーあるだけで
国産品だけが置いてありました。
久しぶりでどこにどんなコーナーがあるか分かりません。
人も多いし疲れました。
電池とブローニーフィルムを買って出ました。
難波の乗換えで外に出ましたが、頭がボーっとして来ました。
田舎もんは都会に出ると疲れますわ。

キツツキの写真を載せていましたが
コメントに営巣中の撮影はマナー違反と言う指摘がありました。
知らなかったとはいえお恥ずかしい限りです。
削除しました。お詫び申し上げます。



酵素水

2011-11-15 04:15:01 | カメラ
大阪府市長の選挙戦が始まりました。
他県にいながらも面白そうであります。
府知事からの鞍替え候補の橋下氏と現職の平松氏の一騎打ちです。
独裁者に対して大政翼賛会的の一声がありますが、
どのような政策的違いが出て来るのでしょうか。
マスコミの票読みは定評がありますので
投票前には分かってくるでしょうね。
調子に乗ると足元をすくわれるし、
本当に変革が必要な時には独裁者的手法が必要になります。


柿の皮酵素水を作ってみました。
ペットボトルに
剥いた柿の皮を天然水につけて砂糖を小さじ一杯くらい入れて置くだけです。(常温)

3、4日したら酵素が活動して醗酵して来ます。
炭酸ガスが出て来てペットボトルの空気の部分がパンパン(張りつめる)になります。
ふたを開けるとこのようになります。(炭酸ガスが強いと泡が吹き出る事があります)

「プシュー」炭酸飲料のふたを取った時の感じです。
酵素が生きている証拠です。
酵素が死ねば醗酵が行われません。
その酵素水をどうするかって?
毎日少しずつ飲むだけです。
健康にええし、ダイエットにもなります。
腸内をきれいにし、老廃物を外に出すらしい。
これはたまたま柿でしたが、他の果物、野菜でも出来ます。
多種類入れた方がいいみたいです。
醗酵が進むと酸っぱくなりますが薄めて飲んでも良いし
料理に使っても良いです。

タニタ食堂メニューまだ続いています。マイナス6.5kgです。


今日の花はアザミです。
本当はイブキアザミとして写真を撮って来たのですが。
調べてみるとどうやらミヤマコアザミらしいのです。

フィルムから 高山植物 32

ミヤマコアザミ(深山小薊)
キク科 アザミ属

ミヤマコアザミ 伊吹山

イブキアザミとしてストックしていました。
今回調べ直したらどうやらミヤマコアザミらしいのです。
葉の特徴と花の立派さからまた花の付き方から見るとイブキアザミではありません。

イブキトラノオ(伊吹虎の尾)
タデ科 イブキトラノオ属

イブキトラノオ 伊吹山

タデ科の花としては見栄えがよく、
草原では一歩抜きん出て花を咲かせるので目立ち易い。
北海道では大群落を作ります。
筆者も礼文島で利尻山を背景に群落をなしていたのを憶えています。

箸墓古墳から

2011-11-14 00:48:30 | カメラ
伊勢街道のブラブラは箸墓古墳から始めました。
どうして箸墓古墳からなのか?
別に理由はありません。
三輪山からのつもりでしたが、
いい場所を見つけようと移動していたら箸墓まで来ていたのです。
ええ柿の木があったのでここ(箸墓)からにしました。








三輪山からは伊勢街道のルートに沿って東進しました。
ほとんどが道標、神社、常夜燈、碑などで
ブログに載せれるシロモノではありません。
三本松まで行って戻って来ました。

途中でこんな写真を撮っていたら

近くの家のおばさんが出て来て、
唐突に「コウテイダリア知っていますか?」
「はぁ、皇帝ダリアですか。」
「咲いたから写真撮りませんか?」
あまりに熱心なお誘いで
つい
「見せてもらいます」
庭に案内されて、色々話をしながら
このダリアの霜に弱い事を教えてもらい、
昨年は咲く前に霜が降りて全滅だったとのこと。
そのうちコーヒーが出て、お茶、お菓子までおよばれして時間を過ごしました。



フィルムから 高山植物 31

バイケイソウ(梅蕙草)
ユリ科 シュロソウ属

バイケイソウ 大台ヶ原



以前にコバイケイソウを紹介しましたが
同じ仲間です。残念ですが花の写った写真はありません。
花が大分違います、スイバの花みたいです。
このバイケイソウは花よりも
芽吹き間もない頃の若葉を写真に撮ります。
大台ヶ原や大峰に群生しています。


中西遺跡

2011-11-13 04:27:12 | カメラ
昨日、御所市の中西遺跡の現地説明会がありました。
今回は一万㎡の面積でしたが、前回、前々回を合わせると
二万㎡を越えます。
二万㎡を越えるという事は、弥生時代前期の水田遺構が日本最大になります。
弥生時代と言えば唐古遺跡がありますが、住居跡が主ですので、
水田の遺構としてはここが最大という説明がありました。
平坦部を見るので、土盛りした上から見下ろす工夫がありました。
昨日の雨でぬかるんでいたものの、水田跡に水たまりが残っていて、
平面性が分かり易くなっていました。
一枚の田んぼは小さく、せいぜい2~3坪ぐらいです。
この水田跡に続く住居跡が発見されれば、
唐古との比較が出来る事になるでしょう(この部分は和尚の考え)。
電車で行ったんですが、駐車場もちゃんとありましたから、
車で行けば良かったと後悔もしました。
相棒(孫)もよく歩いてくれました。

葛城山を望む現場


二上山も見えます


相棒も何やらノートを広げて・・・
近くを通ったおじさんに「未来の考古学者か」と。


現説は右上の土盛りの上


水路もそれとなく分かります。


河川によって浸食された様子も分かります。


今回の発掘場所の北側も発掘中でした。何やら出て来ているようです。



フィルムから 高山植物 30

山を歩いていて、全く知らない花に出くわす事があります。
図鑑を持って歩いている訳ではありませんので、
写真だけ撮って帰ってから調べる事になります。
今日の花もそうでした。

ツマトリソウ(妻取草)
サクラソウ科 ツマトリソウ属

ツマトリソウ 上高地

林の中に生えるので目立ちません。大きさもせいぜい15cmぐらいで、
よほど気を付けないと素通りです。

クルマバツクバネソウ(車葉衝羽根草)
ユリ科 ツクバネソウ属

クルマバツクバネソウ 上高地

花なのか葉なのか分かりにくい植物です。
葉は輪生しているので目立ちますが、
花が葉と間違うような色です。

フィルムから高山植物シリーズでは花の名前と科、属は
図鑑でチェックしています。
山と溪谷社の「日本の高山植物」と
保育社「高原と高山の植物」全4冊を参考にしています。
上の二つは写真ですので安価です。
北隆館の図鑑が欲しいのですが手書きのイラスト(精密画)で高価です。
本来図鑑はイラストに限ります。
写真とイラストの両方が同じページにあればいう事ありません。




クロユリ

2011-11-12 05:54:02 | カメラ
フィルムから 高山植物 29

クロユリ(深山黒百合)
ユリ科 バイモ属

クロユリ 中ア 千畳敷

正式名はミヤマクロユリでしょうが普通クロユリと言っています。
濃い赤褐色で内側に黄色の編み目模様があります。
ロープウェイ千畳敷駅の前に保護されています。
乗鞍の畳平のお花畑にたくさん咲いています。


クルマユリ(車百合)
ユリ科 ユリ属

クルマユリ  場所不詳

高山帯の草地にハクサンフウロやハクサンボウフウなどと一緒に咲いています。
白馬山系の大出原のお花畑でたくさん咲いているのを見ましたが、
残念ながら写真はありません。
カタクリのように花ビラがそり返ります。

充電期間?

2011-11-11 04:46:26 | カメラ
今日は1が6つ並んでいます。
2011.11.11

次は一年後の2012.12.12、その次は当分ありません。

昨日も図書館で本を借りてきました。

日本ブックエース 日本の街道 大和路 15,000円

今年の5月の出版ですが、昭和48発行の毎日新聞社 「日本の街道7 大和路」の復刻版です。
当然ながら写真は古いです。
もう少し鮮明に写っていても良さそうですが、
コントラストが効き過ぎて、トビ、ツブレ目立ちました。
復刻版の宿命ですか。


講談社 世界遺産屋久島 水越 武 3,800円

和尚はまだ屋久島に行っていません。
私に屋久島の詩人山尾三省の知り合いがいて、
それに同行する話もありましたが実現しませんでした。
(何かの理由で時間がとれなかった。今思えば残念です。)
この本は借りるのが2回目です。
水越さんの写真には独特の感性があります。
私が真似出来ないような動物的な感性と言いましょうか、
言葉では表現しにくいのですが、
ページを開けて、最初は重いなー、と感じますが、
そのうちに、中へ引き込まれている自分を発見します。
氏の写真集は晴れの日や表面的カラフルな写真が極端に少ないです。
見る方もある意味シンドイです。

御所市 葛城の道 井上博道 値段不明 昭和63年

偶然手にして借りて来ました。
御所市発行ですので非売品かもしれません。
山麓線の工事中の頃で古道の雰囲気は残っていたようです。
監修は関大の網干さんです。


フィルムから 高山植物 28

ミヤマシシウド(深山猪独活)
セリ科 シシウド属

ミヤマシシウド 穂高涸沢

涸沢ヒュッテと涸沢のテントサイトが見えます。


虫が付き易い花です。
ハエみたいな虫が付いているため、虫のない花を探します。


広葉草原でひときわ高く咲いています。
1.5mぐらいのものもあります。
満開のいい頃は本当に美しいです。
虫がたかるのは玉にキズです。
虫に責任はないけれど・・・。


和尚の山岳写真

2011-11-10 05:44:06 | カメラ
フィルムから 高山植物 27

ハクサンイチゲ(白山一花)
キンポウゲ科 イチリンソウ属

ハクサンイチゲ 立山





高山植物の中でもかなりの頻度で見られます。
高山帯の草地に群落を作りますが、
シナノキンバイやミヤマキンポウゲなどと一緒に咲いています。
白い花びらに見える所は萼片で花は黄色い部分です。
登山道を歩いていてこの花を見つけると一休みして
写真を撮りたくなるようなそんな花です。
北海道の五色が原の大群落に(行ってみたいと)あこがれた事もあります。


ここからはプライベートなコーナーです。飛ばして下さい。

先日、どうしても読みたい本を図書館に借りに行きました。
絶版になっているので本屋さんにはありません。

講談社 山の写真と写真家たち 杉本誠著 4800円

地元の図書館に行ったらありませんでした。
受け付けで県内の図書館にあるかどうか検索してもらった結果、
奈良県立図書館にありますと出ました。
「取り寄せ出来ます」というので頼んで帰りました。
数日して図書館から電話があり、取りに行ってすぐに読み始めました。
3分の1が写真なので早く読み終えました。
片目が視力ゼロですから長時間続けて読むのは無理で、休み休みでした。

数年前までやっていた山岳写真の世界を
自分なりに整理してみようというのが動機です。
堺に住んでいた時にも借りたのですが、
写真だけ見て返した記憶があります。
やっとこの歳になって読み終える事が出来ました。
ある意味ではなつかしく読みました。

その中に名取洋之助の“つまらない山岳写真”に関しての記事がありました。
昭和30年代中頃の事です。
注;名取洋之助は報道写真家でもあり、戦後、岩波写真文庫の編集者でもありました。

第一次登山ブームの頃でしょうか。
サロン化していた?山岳写真界を叱咤激励しているようにもとれますが、
これを機に若手写真家の台頭がありました。
その頃の若手の中で、
白川議員、白旗史朗、横田祐介、三宅修等がプロの山岳写真家として歩き始めました。
和尚が山登りを始めたのは20歳の時(昭和43年)で
あの時の若手はすでに山岳雑誌などで活躍していました。

余談ですが
和尚が山を登るきっかけになったのは、
鳥取の大山を見てからです。
それ以後10回ほど登っていますが、
今でも心の山として存在しています。

和尚の山登りスタイルは単独行で
テント、山小屋どちらでもです。
写真は記録程度で山岳写真を撮ろうというつもりはありませんでした。
とにかく色々な山を登りたかった。
山岳写真を意識するようになったのは40歳前後です。
山の写真を撮るために仕事を辞めて山に入り、
新たな仕事を見つけてまた辞めて山に入る生活を何年か続けました。
体力にも自信があった頃ですね。
今から思えば良い写真はその頃の写真です。

技術研鑽の場として雑誌山と溪谷の月例コンテストがありました。
応募するうちに山岳写真史に残るような先人と会い、話をするようになりました。
「山の写真と写真家たち」では最後の方に出てくる写真家です。
特にお世話になったのは山本和雄氏と新妻喜永氏でした。
穂高から一歩も動かず死ぬまで撮り続けたのが山本和雄氏。
彼はあらゆる団体に属さずがモットーでした。
山本和雄さんの影響を受けた写真家は多いです。
三脚も持たず、35mmで自由に撮って、洒脱な文章を書く新妻喜永氏。
他にもコンタツおじさんで親しまれた近藤辰郎氏。
山岳写真界一番の紳士三宅修氏。(今、息子の岳氏が活躍)
和尚には先生がいませんが、
影響を受けた事で言えば最初のお二方が先生に当たります。

その後、和尚は山岳写真協会に入りましたが、
大和路の写真を撮る為に15年ほどの在籍で辞めました。
大和路の写真を撮る為と名分を付けていますが、
身体的な事など色々あります。
写真を撮らなくて所属していると
指導者になるか、サロンにどっぷり浸かるかのどちらかです。
今は「あらゆる団体に属さず」です。
ですが
大きい団体に属するといい事があります。
発表の機会と出版物に載せられる機会が増えます。
情報がよく入ります。孤独になりません。
肩書きが便利な時もあります。などなど。

ここ二年間は明日香、宇陀を中心に撮って来ましたが、
範囲をもう少し狭めて、伊勢街道を中心に撮影したいと考えています。
今のところ奈良県内だけですが、御杖村の撮影も増えると思います。
また新しく青越えのコースも加わります。

スーパーカブで来たおっさんが写真を撮っていたら声をかけて下さい。
(怪しげな格好をしているらしい)
そう言えば20年前の名刺には
“わしはあやしいカメラマン”と書いた名刺を持っていました。
椎名誠の「わしらは怪しい探検隊」からかりてきました。

あやしさは抜けきれないですね。