6月1日の安田の里
6月1日の麦畑
この麦畑は明日、刈られてもおかしくありません。
刈られるまで毎日行きます。
九州の旅16 都井岬
霧島連山を後にした大和路2号は
一旦、宮崎市内に戻ります。
今日は都井岬方面です。
宮崎市内に入って国道220号に入ったら急に混み始めました。
南宮崎あたりです。
昨晩ラジオを聴いていて、
宮崎のどこかでニトリセンターがグランドオープンだと言っていたなー。
思い出して、国道でない道に入りましたが、効果は薄く5分くらいの短縮でした。
ニトリセンターを過ぎたら嘘みたいな静けさです。
青島へは以前行ったので今回はパスです。
日南海岸沿い
鵜戸神宮
亀石
飫肥城跡
飫肥は飫肥城よりも飫肥杉で憶えています。
城跡にも杉が植っています。
ここの杉は脂分が多く、船の材料に適しているとのこと。
成長が早く、樹の頂上部が吉野杉よりも尖って見えます。
飫肥はもともと伊東氏の居城でした。
大友宗麟と仲がよかったと書いてあったので、
帰ってから記憶の断片を調べてみました。
天正少年遣欧使節の伊東ドンマンショ、千々石ドンミゲルとの関係は・・・
図星でした。
ただ天正遣欧少年使節でした。
伊東マンショは宗麟の名代で使節の責任者であった。
年を取ったら昔のことを思い出します。
断片的ですが伊東ドンマンショ、千々石ドンミゲル、原ドン・・・までしか思い出せません。
しかし
名前にドンが入っているのはなぜでしょう。
調べても分かりませんがそう憶えています。
キリスト教禁止で彼らの運命は不幸でした。
一時ここは島津氏が支配しますが、
近世に伊東氏は島津氏にとって代りました。
武家屋敷
飫肥駅
都井岬野生馬
都井岬の野生馬は全くの自然に任せています。
出産、子育て、餌など人の手はかかっていません。
死後も自然のままに任せています。
都井岬灯台
最初で最後の一枚
都井岬ビジターセンター
ふつう観光地にあるビジターセンターは無料ですが、
ここでは310円の入場料が要りました。
ここの管理者が大和路2号を見て話しかけてきました。
60過ぎのおばさんですが、彼女は串間の高校を出て、
集団で奈良県広陵町の繊維工場に就職しました。
就業しながら大和高田の文化短大に入って保母免許を取って田舎に帰ることになっていました。
ところがね、彼氏が出来て、その彼氏が広陵町六道山に住んでいたと言う。
一人娘だから卒業と同時に親元に帰らねばならず、
泣く泣く別れるのだけれど、辛いのは彼女じゃなくて彼氏の方だった、
ということを話されて、なかなか帰してもらえませんでした。
広陵町の六道山は和尚の通う新聞配達店の近くです。
6月1日の麦畑
この麦畑は明日、刈られてもおかしくありません。
刈られるまで毎日行きます。
九州の旅16 都井岬
霧島連山を後にした大和路2号は
一旦、宮崎市内に戻ります。
今日は都井岬方面です。
宮崎市内に入って国道220号に入ったら急に混み始めました。
南宮崎あたりです。
昨晩ラジオを聴いていて、
宮崎のどこかでニトリセンターがグランドオープンだと言っていたなー。
思い出して、国道でない道に入りましたが、効果は薄く5分くらいの短縮でした。
ニトリセンターを過ぎたら嘘みたいな静けさです。
青島へは以前行ったので今回はパスです。
日南海岸沿い
鵜戸神宮
亀石
飫肥城跡
飫肥は飫肥城よりも飫肥杉で憶えています。
城跡にも杉が植っています。
ここの杉は脂分が多く、船の材料に適しているとのこと。
成長が早く、樹の頂上部が吉野杉よりも尖って見えます。
飫肥はもともと伊東氏の居城でした。
大友宗麟と仲がよかったと書いてあったので、
帰ってから記憶の断片を調べてみました。
天正少年遣欧使節の伊東ドンマンショ、千々石ドンミゲルとの関係は・・・
図星でした。
ただ天正遣欧少年使節でした。
伊東マンショは宗麟の名代で使節の責任者であった。
年を取ったら昔のことを思い出します。
断片的ですが伊東ドンマンショ、千々石ドンミゲル、原ドン・・・までしか思い出せません。
しかし
名前にドンが入っているのはなぜでしょう。
調べても分かりませんがそう憶えています。
キリスト教禁止で彼らの運命は不幸でした。
一時ここは島津氏が支配しますが、
近世に伊東氏は島津氏にとって代りました。
武家屋敷
飫肥駅
都井岬野生馬
都井岬の野生馬は全くの自然に任せています。
出産、子育て、餌など人の手はかかっていません。
死後も自然のままに任せています。
都井岬灯台
最初で最後の一枚
都井岬ビジターセンター
ふつう観光地にあるビジターセンターは無料ですが、
ここでは310円の入場料が要りました。
ここの管理者が大和路2号を見て話しかけてきました。
60過ぎのおばさんですが、彼女は串間の高校を出て、
集団で奈良県広陵町の繊維工場に就職しました。
就業しながら大和高田の文化短大に入って保母免許を取って田舎に帰ることになっていました。
ところがね、彼氏が出来て、その彼氏が広陵町六道山に住んでいたと言う。
一人娘だから卒業と同時に親元に帰らねばならず、
泣く泣く別れるのだけれど、辛いのは彼女じゃなくて彼氏の方だった、
ということを話されて、なかなか帰してもらえませんでした。
広陵町の六道山は和尚の通う新聞配達店の近くです。
奈良と飫肥が人との出会いで不思議に絡み合うなんて、やはり「旅」なんでしょうか。
ところで、ドンとかドーニャは、スペイン語では名前につく敬称だったときかされたことがあります。ドンファン、ドンガバチョ、ドン・キホテ?もかな。男性がドン。女性が、ドーニャ。認知症まじかですが、確かそのはずです。
貴方なんでも知っていますね。
スペイン語ですか、少年使節はローマに行ったと思っているから、イタリア語もですよね。