狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

怪人達の乱闘!ハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔

2021-07-30 00:29:54 | 資料保管庫

 

 

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■良書紹介

「自立自尊であれ」

著者:OXメンバー

本書の著者名は「ОⅩメンバー」とする。

メンバーは沖縄県庁のОBとマスコミ関係者あわせて5人。「ОⅩ」は沖縄伝統闘牛の牡牛をイメージした。元沖縄県知事仲井真弘多の人物像と、仲井真県政の仕事を読者に伝えるのが主眼。チームとして2年半かけて取材し、苦闘した本に完成した共同作品である。

従って、個々人の筆名よりもチームであることを優先して編著とした。すべては事実に基づき書かれた。

元沖縄県知事仲井真弘多が語る沖縄振興の現実

普天間基地移設問題、自立経済の確立

教科書では学べない、沖縄のリアリティがここにある。

自立自尊であれ

定価 880円

目次

第一章 奇跡の成果

第二章 理の人 情の人

第三章 強くやさしい自立型社会

第四章 基地問題の「解」

    1 普天間飛行場の危険性除去

    2 マスコミ不信

    3 返還地後利用推進法

    4 安全保障環境と防衛

               ★

ハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔2009-04-20 

太田元知事vs上原正稔、二大怪人、ハーバービューホテルの決闘!

筆者の友人N氏が、初めて上原正稔氏を探し当てた時の体験談を紹介しよう。

今から10数年前の話である。

当時N氏は本土のジャーナリストから、上原正稔氏との面談設定の依頼を受けていた。 そのころ携帯電話を持たない上原氏に連絡することは至難の業であった。 風の便りによると、上原氏は秘書の屋比久氏の電話を通じて連絡できると聞き、秘書が呼び出してくれるものと早合点した。 早速屋比久氏に電話を入れ取次ぎを依頼した。 

ところが屋比久氏曰く「呼び出し?勘弁して欲しい」と丁重に断られた。

それもそのはず、屋比久氏の住居は寄宮中学校の先で在り、上原氏の住居は再開発前の農連市場内にあるという。 直線距離にしても5000㍍以上離れており、おいそれと電話呼び出しできる距離ではない。

これでは「勘弁して欲しい」も当然である。

そこで、N氏は屋比久氏に農連市場内にあるびっくり食堂の裏に間借りしている上原氏の住居を教えてもらい、上原氏の探索を開始した。上原氏は以前から農連市場界隈でその特異な風貌にパイプをふかしながら散策する姿を目撃されていた。 だがN氏はその日まで上原氏を捉えることも目撃することもできなかった。

びっくり食堂とはボリューム満点でびっくりするほど美味しい沖縄そばが売り物だった。

だが、びっくりするのはその味やボリュームだけではなかった。

その店に一歩足を踏み入れた客の誰もがびっくりするのは、そばを配膳する女性の「偉容」である。

偉容とはいってもその配膳係が上原氏が女装したような怪異な姿をした「異妖」ではない。 雑然とした農連市場内のさらに雑然とした沖縄食堂には似つかわしくない美女が配膳している姿が「偉容」なのだ。 詳しく言えば身長170㎝近くもあるファッションモデルと見紛う鄙には稀な美女がソーキそばを配膳しているのだ。

N氏はこの女性に上原氏の消息を聞いたとき、「鄙には稀な美女」というより「掃き溜めに鶴」の印象さえ受けた。後で分かったことだが、この「鶴」女史は、ソーキそばを調理するご主人が東京の飲食店で調理の修行中、よく食べに来てくれた中国人の美女で、二人は結婚して「沖縄嫁」として農連市場内で共働きしていた。

 ちなみにこの「鶴」女史は北京大学の音楽専攻でプロのバイオリニストという別の顔を持つ。そして後に上原氏の采配でバイオリンコンサートを催すのだから、話しがややこややこしくなる。

このように話しが発展すると、肝心の上原氏探索の話が霞んでしまう。

話を上原氏の探索に戻そう。

N氏はびっくり食堂の裏に間借りをしていた上原氏宅の前に立ち、声をかけた。

「ごめん下さい。上原先生。お邪魔します」

だが何度呼び掛けても返事がない。

留守かと思ったが念のためドアを開けたら鍵は掛かっていない。

「不用心だな」と呟きながら、中を一瞥して驚いた。

家具一つない部屋の中にはゴミクズの山があるだっけだった。

「しまった。一足遅かったか。引っ越したか。」と内心思った。

だが、念のためもう一度声をかけた。

「上原先生、いらっしゃいませんか」

その時、信じられない光景が目の前で展開された。

突然部屋の中央にうず高く積まれたゴミの山がグラグラと動き、中から顔面を髭で覆われた達磨大師のような怪僧が姿を現した。

いや、実際は僧侶ではなく、この人物こそ沖縄の怪人上原正稔その人だった。

上原氏は、眠そうに目をこすりながらこう言った。

「誰かね、こんな早く」

その時、時間は既に午前11時を過ぎていた。

「なるほど、昼飯には早いかもしれない」

びっくり食堂でソーキそばでも食べながら要件を伝えるつもりのN氏は、上原氏の寝起きの一言にミョウに納得した。

部屋の中は家具類やテレビはおろか、電気製品らしきものは一つもない。

だが、部屋の片隅にこの部屋には不似合いの電気釜があるのを発見し、そっと蓋を開けてみた。 自炊の様子は見られなかったが、時には米でも炊くのかと思ったのだ。

電気釜の中にご飯の残り物あるいは炊飯前の米など自炊の形跡を期待したN氏の思い込みは見事に裏切られた。 中には近隣の農連市場ではよく見かける萎びたキャベツの葉が二枚ほど入っていたからだ。

N氏の驚きを目ざとく見つけた上原氏は呟いた。

「あーそれ、知人からのもらい物だが、コメが無いのに自炊などできる筈もない」「電気釜など、キャベツも煮炊きできないなんて、不便なものだ」

長々と、N氏と上原氏の衝撃的な出会いについて述べてきたが、これ以上上原氏の正体を暴露したら、問題が生じる可能性がある。金銭的には全く無欲だが人並み以上に名誉を貴ぶ上原氏の逆鱗に触れ「名誉棄損」の請求でも提訴されたら困る。今日はこれくらいにしておこう。

代わりに最近産経新聞の那覇支局長が上原氏宅で撮影した写真を引用しておこう。

もっともN氏がゴミの山から出てくる上原氏の衝撃的姿驚いた時に比べれば、衝撃の度合いがはるかに少ないが・・・。

沖縄関連の資料などが乱雑したマンションの一室で過ごす上原さん=那覇

上)反戦運動に不都合な人間「真実明かせばパージ」

沖縄戦関連の資料などが乱雑したマンションの1室で過ごす上原正稔さん=那覇市
沖縄戦関連の資料などが乱雑したマンションの1室で過ごす上原正稔さん=那覇市

「ぼくは沖縄の反戦運動にとって、最も都合の悪い人間だから…」。そう語る作家が沖縄にいる。上原正稔(まさとし)さん、78歳。以前は地元紙に沖縄戦のノンフィクションを連載するなど知られた存在だったが、今は表舞台から姿を消し、知人のマンションに身を寄せる。

沖縄戦の真実を明らかにしようとすれば、パージ(追放)されるさ」。上原さんは自嘲気味に笑った。

 

               ★

佐野眞一著の『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』(集英社)の一部を引用したところ、太田昌秀元知事とドキュメンタリー作家上原正稔氏の「ハーバービューホテルの乱闘」について、知人友人からもっと詳しく知りたいという声があった。

詳しくは同書を読めば済むことだが、何しろ650頁を超す膨大な本ゆえ読破するにも覚悟がいる。

だが、沖縄に在住する者なら殆どの登場人物は新聞等でお馴染みの名前なので、その「書かれたくなかった」実像に触れると下手なコントよりよっぽど笑わせてくれる。

筆者が個人的に知る人物も複数登場する。 中には共に酒を酌み交わした友人も登場して笑いを誘ってくれる。

だが、夥しい数の登場人物の中にあって、太田元知事と上原氏という特にキャラの立った怪人の乱闘場面は圧巻である。

喜劇の王様チャップリンもステッキを担いで逃げ出すほだ。

というわけで、お二人の絡んだ場面を抜粋して同書読破の手引きとして、引用する。

<太田に会った目的は、米留体験を聞く以外にもう一つあった。太田の知事時代の業績に、沖縄戦最大の激戦地の摩文仁の丘に「平和の礎」を建てたことがあげられている。
その「平和の礎」と、やはり琉球大学教授時代の太田が、アメリカの国立公文書館に出向き、同館に所蔵されていた沖縄戦の未公開フィルムを調査、発見したことから大きな記録運動のうねりとなった「沖縄記録フィルム1フィート運動」の二つのアイディアは、自分のアイディアが盗まれたものだと、抗議する男がいる。
この人物は上原正稔(まさとし)という1943年(昭和18年)生まれのドキュメンタリー作家である。 上原には太田に会うだいぶ前に会った。 上原を人目見て、この男は現代のキジムナーだな、と思った。 キジムナーとは、沖縄の人々に昔から愛される伝説の妖怪である。
黄色のシャツにピンクと紫というちぐはぐな靴下を履いたファッションの配色感覚だけでも、この世のものとは思えなかった。 その奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な出で立ちに小さな体を包んで登場したときは、立派な髭をたくわえた顔とも相まって、愛玩用の犬が二本足で立って現れたかと思った。 若者が被るようなキャップ、首のスカーフや茶色のサングラス、ポパイのようなパイプも、どこか現実離れしていた。
「1フィート運動も、“平和の礎”のアイディアも、最初に発案したのは僕です。 それを太田昌秀に盗まれた。 それ以来、太田とはケンカです。 僕は太田に首を絞められたこともある。 彼は知事失格というより、人間失格の酒乱男です。 売名欲の塊です」

ーー首を締められた? 穏やかじゃないですね。 どこで首を絞められたんですか。

「ハーバービューホテルです。 その件で僕は太田を告訴しました。
初めて聞く話だった。 後で入手した告訴状には、こう書かれていた。

被告人(引用者注・太田)は、告訴人(引用者注・上原)に対し、平成4年9月13日、午後9時頃、那覇市泉崎2-46の沖縄ハーバービューホテル二階「鳳凰の間」において、右手拳で告訴人の左わき腹を一回強く突き、さらにたじろぐ告訴人の左上腕部を痛みを感じるほど強く握り締めて、3メートルひきずるなどして暴行を加えた

告訴状に付随した陳述書には「太田氏が顔を上気させ、目を吊り上げ、恐ろしい形相で私に駆け寄り」といった、さすがはドキュメンタリー映像作家らしい臨場感あふれる記述もあった

 

著者の佐野氏が描く上原氏の描写が秀逸で思わず笑ってしまったが、対する太田知事もこれに決して引けをとらない。

筑紫哲也氏が「沖縄の良心」だと沖縄に忖度して紹介する太田元知事の素顔の怪人ぶりは、上原氏がキジムナーなら、太田氏は脂塗れのアンダケーボージャー(脂食い坊主)とでも言うべきか。

アンダケーボージャーとは沖縄の伝説の怪盗ウンタマギルの子分のこと。 

元知事のことを怪盗の子分に例えるのは礼を失するとも思えるが、上原氏のアイディアを盗んだというのなら怪盗の子分程度に例えられても仕方がないだろう。

それにしてもかつて今上陛下(現在の上皇)もご宿泊したことのある沖縄の最高級ホテルの宴会場で、満座注目の中現役の知事が上原氏の首を絞め3メートルも引きずる暴挙にでたとは。

通常では到底信じられることではない

まさに『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』に登場する人物の中でも際立つ千両役者である。

太田氏は琉球大学教授から県知事、そして参議院議員とエリートコースを歩む人物だが、一方の上原氏は組織に属しない一匹狼で、その名は知る人ぞ知る沖縄の怪人である。

まるで接点のないように見えるご両人だが、沖縄戦記を発掘してそれを出版するという分野においてはご両人の活動分野は重なっている。

ここで佐野氏は上原氏が言う「乱闘劇」について裏付けのため再度太田氏にインタビューするのであるが、その部分を紹介する前にキジムナーこと上原氏について少し触れておきたい。

太田氏については沖縄を忖度のみで沖縄を語る筑紫哲也氏などによって「沖縄の良心」のように描かれているので、当日記の読者ならよく承知のことと思う。

沖縄タイムスに取り込まれた大江氏と筑紫氏

一方、上原氏については沖縄県人でも知る人は少数派であるが、古くからの当日記の読者なら、琉球新報に連載中の沖縄戦記を前日になって突然発表中止という言論封殺の被害を被ったドキュメンタリー作家として、また係争中の集団自決訴訟でも原告側の証拠となった『沖縄戦ショウダウン』の著者として記憶に新しいだろう。

「沖縄集団自決冤罪訴訟」の原告側の準備書面に出てくる上原氏に関連するくだりを抜粋すると次の通りである。

≪さて、今回新たに提出した重要な証拠のなかに、沖縄出身の作家上原正稔氏が記述した『沖縄戦ショウダウン』があります。上原氏は、琉球新報に「沖縄戦ショウダウン」を連載中、当時の集団自決の生き残りである金城武徳氏らを調査した結果、渡嘉敷村民の自決について、
「国のために死ぬのだ。だれも疑問はなかった。村長が立ち上がり音頭をとり、『天皇陛下万歳』と皆、両手を上げて斉唱した」ことを確認しています。

(2)続いて、被告らが依拠する富山証言の信用性を弾劾しています。被告らは富山証言をもとに米軍が上陸する直前の昭和20年3月20日、手榴弾を村民に配ったといいます。富山証言は第3次家永訴訟において、沖縄国際大学の安仁屋政昭氏が公に持ち出したものでありますが、日本軍の第32軍も渡嘉敷島の第3戦隊である赤松部隊も米軍が慶良間諸島を最初に攻撃することはないと考えていました。だから地上戦も予定していませんでした。安仁屋氏もそのことを明確に認めています。3月25日8時海上に敵機動部隊船影を確認するまで米軍の渡嘉敷島への上陸を全く予想していなかった赤松部隊が3月20日に米軍の上陸した場合の戦闘に備えて村の少年や役場職員に手榴弾を配布することはありえません。富山証言はデッチアゲそのものです。

(略)

(4)太田氏(「鉄の暴風の筆者」ー引用者注)は沖縄タイムス上での論戦において、「あの玉砕は軍が強制したにおいがある。アメリカ兵が目撃した集団自決の資料の発見者で翻訳者である上原正稔は、近く渡米して目撃者を探すそうである」と記載しています。その上原正稔氏こそ、先に紹介した『沖縄戦ショウダウン』の著者でした
原氏は、『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない金城武則氏、大城良平氏、安里喜順氏、そして知念朝睦氏といった集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく真実に気がつきました。そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、「筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」と告白しているのです。 さらに、「国の援護法が『住民の自決者』に適用されるためには『軍の自決命令』が不可欠であり、自分の身の証(あかし)を立てることは渡嘉敷村民に迷惑をかけることになることを赤松さんは知っていた。だからこそ一切の釈明をせず、赤松嘉次さんは世を去った」「一人の人間をスケープゴート(いけにえ)にして『集団自決』の責任をその人間に負わせて来た沖縄の人々の責任は限りなく重い」と結論しています。
『沖縄戦ショウダウン』の記事が沖縄の有力紙琉球新報に掲載されている意味は重大です。そのことは、沖縄の言論人にも事実を調査し、真実を見極めようという誠実な人がいること、そしてそうした沖縄でも赤松隊長命令説の虚偽が自明なものとして知られていたことを意味しているからです。 

 いま、上原氏の「沖縄の人々の責任は限りなく重い」という言葉に込められた沖縄の良心の叫びを、噛みしめる時が来ているのです。
(沖縄集団自決冤罪訴訟・準備書面)

これに対する被告側は、「『沖縄戦ショーダウン』は、赤松氏を一方的に評価する人物だけからの証言によって執筆されたもので信用性がない」などと客観的反論を放棄し、「信用性がない」といった極めて情緒的文言で終わっている。

被告側は上原氏の著書は信用できないというが、上原氏は被告側のバイブルともいうべき『鉄の暴風』を出版した沖縄タイムス刊で、同じ沖縄戦を扱った 『沖縄戦トップシークレット』『1995年3月刊)を出版している。

同じ沖縄戦関連で同じ沖縄タイムスが出版した『鉄の暴風』はバイブル扱いして、他方では同じ沖縄タイムス刊で沖縄戦を出版する上原氏を自分の都合の悪い記述だから信用できないという。

これが「集団自決」訴訟を通じて被告側弁護団が取ってきたダブルスタンダード手法である。

                ★

雑誌『うらそえ文藝』(2009年5月)に掲載の集団自決特集は星雅彦氏執筆の論考「集団自決の断層」と、上原正稔氏執筆の論考「人間の尊厳を取り戻す時ー誰も語れない“集団自殺”の真実ー」そして執筆両氏の対談という三部構成になっている。

沖縄戦記の実証的調査の先駆者とも言える沖縄在住の知識人のお二人の対談から要点を抜粋引用する。(太字強調は引用者)

:・・・単刀直入に質問します。
沖縄戦において集団自決は、果たして隊長の命令で行われたものなのかどうか。そのことを簡単明瞭に答えて下さい。

上原: 結論的に言いますと、隊長の命令は全くなかったんです。これが隊長の命令があったと喧伝された背景については、何度も書きましたけれども、読者はほとんど読んでないので、読んでも古いから今改めてこういう質問と問題が提起されているから答えますけれども、とにかく隊長命令はなかった。これはもう動かしがたい事実です。・・・・・

・・・(略)・・・・

それからこの裁判で、証言者たちが前言を翻して、逆な発言をするのも不思議な現象だ。例えば、宮城晴美さんのお母さんの宮城初枝さん、以前は宮平初枝さんだが、その人が軍命について嘘の証言をしたことを告白したのを、娘が証言したことを告白したのを、娘が後でまた裏返してあの告白は嘘だったという経緯がる。その上、戦後生まれの宮城晴美さんは自分の証言の真実性を訴えたりする。また、二重の虚言的な操作をする人が出てきたりして、非常に疑心暗鬼になる。ただ、住民が本当のことを言えなくて、奥歯にものの挟まったような状態で証言するのを、私は数人から何度も感じてきたわけです。
また、四十年ほど前に渡嘉敷島に宿泊して、私は当時の村長と駐在巡査と宮城初枝に会って話を聞いたわけです。そのとき何かしらしっくりせず隠しているなと感じたものです。
隊長命令があったとは誰も言わなかったし、なかったとも言えないふうに、非常に曖昧だった。
「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれど
ある程度の確信はあったがあの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。

上原:  
集団自決と関係者の発言はまさに援護法というものが作用しているんです。
実は一九五一年九月八日に「サンフランシスコ平和条約」が締結され、それで沖縄は日本から切り離されて、沖縄から抗議の声上がったわけですよ。どこにもこの記録はないんですが、僕の推定では、沖縄の声を日本政府は聞き入れて、沖縄はアメリカに自由に使ってくださいと提供したが、そこで沖縄に申し訳ないという気持ちがあったわけですよ。そのために沖縄にお金を落とすことにしたわけですよ。これが援護法の拡大適用というやつです
それで、この援護法というのは、本来は軍人と軍属だけにしか下されないものなんです。
ヤマトでは東京でも大空襲の被害者にはお金は一銭も下りてません。また、原爆被害者にもお金は一銭も下りていません。それは原爆手帳というかたちの診療を受ける権利しかないわけです。
それなのに、日本政府は自国民には一銭も出してないが、沖縄には集団自決者にも援護法を拡大適用にして給付金を出した。沖縄の人たちはそれを隠し通したわけですよ。

:  一般住民にも遺族年金が支給されたのは、『鉄の暴風』が隊長命令で集団自決が起きたと書きたてたために、後で援護法が適用されるようになっあっと、そんなふうに解釈している人もいる

上原: いや『鉄の暴風』が書かれても書かれなくても援護法は、拡大解釈されたのです。沖縄だけです。

: 「沖縄住民に特別配慮を賜った」わけだ。

上原 :
この援護法というものに、厚生省は条件を付けた。それは軍協力者であるということ。
そうであれば五歳以上の者は受ける権利がるということだった。後年、幼児も含めるようになったようです。

: 隊長の命令とは関係ないが、追いつめられ住民は軍民一体にさせられた…。


上原:  それでね、渡嘉敷村役場でも、それから座間味村役場でも偽の報告書を作ったわけですよ
それぞれ「赤松隊長の命令によって我々は集団自決をしました。」と。
座間味でも、「梅澤隊長命令によって集団自決をしました。」と出して、遺族年金がもらえるようになったわけです。それで、それに立ち会った県援護課の照屋昇雄さんは非常に重要な証人なんですね。まだ那覇には健在の照屋さんは、二〇〇六年の一月の産経新聞インタビューの中で、そのことを証言している。

<星雅彦「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれどある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。>⇒集団自決を追って星雅彦


 

■「一フィート運動」を始めたのは上原氏■

沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会

被告側が沖縄戦の実践的研究者である上原氏を論理的に反論できないので、情緒的に排斥した理由は上原氏の次のような調査姿勢にあると思われる。

上原氏は、独自のルートで、アメリカで眠っている「沖縄戦映像」を取り寄せて、記録フィルムに残されている「場所と、人物を特定したい」と沖縄各地を調査し、証言を集めてきた。

上原氏は従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題に摩り替える手法をとらなかった。

上原氏は、当初は『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない多くの集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく沖縄戦の真実に気がついた。

そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、

「筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」と告白している。

彼は言う。

「反戦平和なんてボクには関係ない!」

「大切なことは、沖縄戦を撮影したフィルムに、無数の沖縄住民の姿が映っているということだ。ボクは、フィルムの中の『主人公』たちに、この映像を届けたいんだ!」

そう、沖縄戦を記録した映像の中には、悲惨な戦闘シーンだけではなく、生き残った沖縄の人々の、驚くほどの「笑顔」が残されていた。

そして彼はフィルムに封印されていた沖縄戦の真実の物語を追求している異色の沖縄戦研究家でもある。

「1フィード運動」は、その後同運動に大田昌秀元知事や、新崎盛暉、安仁屋政昭、石原昌家等のサヨク学者が運営委員として加わり、運動がイデオロギー化していく。そして創設者上原氏の名を消して「1フィート運動は自然発生的にできた」などと大嘘を吐き、イデオロギー化していく。

1フィート運動を乗っ取ったサヨク集団が解散する記者会見の現場に乗り込んでサヨクどもを罵倒する沖縄の怪人

創始者の上原氏は「一フィート運動」がイデオロギー化するのを嫌ったのか、組織を離れて独自の活動をするようになる。

上原氏の沖縄戦の記録発掘に対する姿勢がどのようなものかは、次の沖縄テレビ・サイトから垣間見ることが出来る。


第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/14th/05-330.html
『むかし むかし この島で』(沖縄テレビ制作)
 
つづく

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6 コメント

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『むかし むかし この島で』つづく (宝味)
2021-07-30 08:49:09
サンマの決闘! ウシVS高等弁務官
<担当コメント>山里孫存
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c030137/
Unknown (amai yookan)
2021-07-30 10:00:49
>そして彼はフィルムに封印されていた沖縄戦の真実の物語を追求している異色の沖縄戦研究家でもある。

「1フィード運動」は、その後同運動に大田昌秀元知事や、新崎盛暉、安仁屋政昭、石原昌家等のサヨク学者が運営委員として加わり、運動がイデオロギー化していく。

■      ■

やっぱり彼らが乗っ取った「1フィート運動」がこさえた映像は「左寄りに都合よく継ぎはぎした代物」って事がよく分かった

● んhkがこさえ10000人が訴訟に発展した
https://www.youtube.com/watch?v=VNhZX_x28u0
反日番組「『シリーズJAPANデビュー』の第1回「アジアの“一等国”」』

● これの沖縄版「1フィート継ぎはぎ版」だ。https://www.nicovideo.jp/watch/sm19781280
そして、ここに鎮座している面々こそ、似非平和=平和を利用して利権を得、人々を騙す「平和詐欺・集団」である。
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2021-07-30 10:43:35
.
オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」除く)。

「好きな台湾 近くてまだ遠い」の那覇市・野原しおりさん(28)は、3月18日、5月3、12、23日、6月2、12日に続き今年7回目の掲載。
「古典の豊かな歌詞にほれた」の浦添市・友利和雄さん(82)は、1月13日に続き今年2回目の掲載。
「県の裁量権認めた反対意見」の京都市・敦賀昭夫さん(68)は、1月3日、2月6、28日、4月2、24日、5月22日に続き今年7回目の掲載。
「1回目接種予約 安心へ一歩」の浦添市・當山盛淳さん(71)は、2月28日、3月9日、5月24日に続き今年4回目の掲載。
「自然に感謝 100歳まで元気に」の国頭村・宮城政健さん(83)は、2月24日、4月26日、5月29日、6月28日に続き今年5回目の掲載。
「70歳で旅立った母 感謝もっと伝えたかった」の西原町・与儀真也さん(36)は、今年初掲載。
「チャーギの果実」の那覇市・垣花正男さん(76)は、1月23日、2月19日、3月6日、4月10日、6月17日、7月20日に続き今年7回目の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。


.
【1フィート運動】カラー映像の中で空爆機護衛グラマンが任務終了後に低空侵入で首里城上空を近接旋回した短い動画に注目します。戦闘機は重機関銃を撃つと同時に8ミリカメラが起動します、地上に動く物を見付けたから撃ったのです、あの位置から。 (坂田)
2021-07-30 11:18:39
【沖縄防衛局サンゴ移植着手 知事、事前に連絡なく「非常に遺憾だ」
29日 沖縄タイムス】 ・・・ 最高裁で沖縄敗訴なのに又もや否定だ。


最高裁判決書を翁長知事が2016年12月に否定した。当然、判決に従うと事前に公言していたが判決後にひるがえし民主主義を否定した。

玉城知事 再度の同じ埋立阻止訴訟(前回が埋立取消、今回が撤回訴訟)で2020年3月最高裁が2016年12月翁長敗訴と同じく却下。

2016年12月最高裁判決書、『仲井眞知事の埋立承認を取消した翁長知事が違法行為を働いた』です。知事として憲政史上初の犯罪者だ。

この判決書を知る県民がいないと想う、地元2紙が報道しないからだ。


そして今回のサンゴの最高裁判決を玉城知事が再び否定(=国家の根幹で在る民主主義行政手続きの否定)と言うことを又やってのけた。

もう一つ、玉城知事が沖縄防衛局の埋立て設計審査変更申請書を県土木部名護支所に提出して既に15カ月経った。

玉城知事が、民主主義行政手続きを否定して審査そのものを拒絶していること、今もだ。

なぜかくも、沖縄県知事が2代に渡って、この7年間次々と訴訟を起こして来たのだろうか?

然も、訴訟が『オール敗訴』だ、翁長知事の2018年迄の弁護士費用がとうに一億円をこえていたことも県民が知らず。

弁護料追加支払いを2018年県議会が議決した、然も、翁長知事の個人的第三者委弁護士3人が受取人と来た。翁長知事が連れて来た。

地方都市の弁護事務所にとって一億円を超える弁護料なんてそうあるものではない。それを翁長知事の個人的第三者委弁護士3人が貰った。


この訴訟戦略は、【裁判を繰り返すことで埋立工事を20年間引き延ばすことが出来る】とする辺野古埋立阻止指導者の北上田毅氏の発案で在り、当時の翁長知事が左派の北上田毅氏と親友関係ゆえに乗った。

北上田毅氏  京大卒土木技師で京都市役所勤務歴だが、その前後の属性情報が一切不明。ただ一つ、推察するのはキリスト教徒かもだ。

そして、埋立一部海域の海底地盤が「マヨネーズ状態の軟弱地盤」で在ると図面資料から解析したのも本人です。さすが土木技師でした。

なお、裁判官が一番嫌がるのが建築訴訟です。分厚い設計図面資料なんて、CP作成で数学と物理学の計算式の塊ですから文系の方が判るはずが在りません。それを解読が出来る方って一級建築士並みです。

辺野古デモに来日と在日韓国人が多く、暴力行為で捕まるのがその輩が占めている理由は、『韓国基督教会と日本基督教団(大阪)が「米軍出てけの活動指針」が共通』するからだ。だから、辺野古に皆が集る。

この辺野古移設阻止最高指導者の市民活動家北上田毅氏が翁長知事と親密だったのを判ったのが北上田毅氏のブログを観察した結果。

翁長知事が北上田毅氏を沖縄県庁幹部職員研修会の講師役に抜擢していたのが判った。もう、県庁が左派から乗っ取られているわけさ。

北上田毅氏がブログで発案指摘した埋立阻止戦術を翁長知事が2週間~2か月後に県が採用する「ルーティン癖」が判ったこと。

翁長知事と玉城知事が次々と埋立阻止訴訟を繰り出すのも北上田毅氏の『工事を20年間遅らせる戦略』に基ずくものです。


そう言う、知事らが重宝するご聡明な北上田毅氏にも弱点が在ること。

ブログ記載内容と使用言葉を解析すると北上田毅氏の性格は一言で【英雄主義者】で在るから自己顕示欲の塊であること。

なお、穏やかな表情の方に意外と多いのが自己顕示欲で示威言動を執る型がいる。自慰行為を手伝ってもらうことを欲っしているタイプだ。

そう言う方を攻めるときは、最初は決して対峙せずに、世間で言う伝統的な「褒めごろし」で舞い上がらせることに在ります。

褒められて怒る人などいませんよ。褒めて褒めて褒めて本人を舞い上がらせて駄目にする戦略です。


今迄の玉城知事に因る民主主義行政手続否定行為を県民が知るや。

判りやすく例えれば、誰しも自宅の新築や改築などで役所の建築課に事前に設計審査申請したとき、役所の審査順番が「基礎、構造、消防」で進んで1か月後には建てて良いとする「建築確認通知書」が下ります。

この通知がないと建築が出来ません。だから遅いと社会問題化する。

それを、1年3カ月も理由にならない当て付け理由で、玉城知事が設計審査そのものを建築課にさせていないこと、行政の長がさせている。

自分になんのとがも無く、行政から審査そのものを棚上げする違法な対応を受けたら申請者がどう想うか判りますか、「怒り」そのものです。

好い加減に埒が明かないなら、弁護事務所か国の出先機関か警察署か新聞社に相談にと決意されることでしょう。


改めて、2016年12月最高裁判決書『仲井眞知事の埋立承認を取消した翁長知事が違法行為を働いた』を県民が知らないと想う訳です。

沖縄県知事が2代に渡って民主主義行政連続性の鉄則を否定している。その癖して、二人とも民主主義を守れとうそぶいていること。



その玉城知事の“異論”『水温が高くサンゴにダメージを与える状況であれば水産資源保護にはかなっていない。強く抗議せざるを得ない』。

真夏の暑い沖縄諸島域の海水温を下げる推進役が台風の襲来です。

西太平洋沿岸は判りませんが、東シナ海の大陸棚はせいぜい200m程度の深度です。やって来た台風が海の底から海水をかき混ぜてくれるので水温が直ぐ下がります。台風によりサンゴが夏バテしないのです。

台風が少ない年に石垣島と西表島の海域(石西礁湖、海上からもサンゴ全面群落が観える)のサンゴが白化や病気で一面が白く変貌した。

海水が高温になるとサンゴに共生する藻の光合成は低下します。光合成が低下したらサンゴに付着した藻が逃げ出して、白化が起きます。

多いときには隔年ごとに白化が起きるので、たしか数年前に本島西海岸のダイビング業者でしたか、夏バテしないサンゴ(=いるんですよ猛者サンゴが)を見付けて陸上養殖を開始した。

その後、移植が可能に成った。これを、当時の沖縄も内地もマスコミが驚きとして報道した。有力な解決策を学者ではなく個人が見つけた。

真夏のサンゴ白化現象、こう言うこと一つ学会で報告されている。それを沖縄県民が猛者サンゴを見付けて白化現象解決の糸口を付けた。

玉城知事がやるべきこと、県と国が一緒になって猛者サンゴ養殖拡大に邁進することです。長い時間が掛かります、簡単なことでは在りません。

科学と努力を無視して或る種の誤解で、今回の様に、又もや沖縄防衛局にいちゃもんを付ける反政府魂胆の常套戦術などもう止めませんか。



反政府魂胆の常套戦術と言えば、朝日新聞と立憲民主党と民主党の【東京五輪パラリンピック開催の即刻中止要請】です。

朝日新聞 コロナ禍現下で開催は国民に命の危険が在ると言う一方で、朝日新聞が主催する8月の甲子園高校野球大会の是非に沈黙した。

五倫村 究極のロックダウンを施行してコロナウイルス完封状態で在ることを報ぜず、ただ、「今日の選手村で〇人が陽性判明で累計が120数名」と国民に誤解を招く報道に依然と邁進していること。

朝日新聞が東京第5次感染流行原因をどうしても「五輪で持ち込まれたせい」「五輪を通じて国際にウイルスが拡大している」と非科学的で愚かで稚拙な印象操作報道で国民を今度も騙せると踏んでいる。

今年6月迄の第1~4次感染流行の『山』が終息かと想れたら、今度は7月に入った途端に世界同時多発のインド株に因る感染流行が開始だ。

日本だけがデルタ株で新たな感染流行増加を招いているのではない。デルタ感染が7月から世界同時多発で増加が進捗している現下。

いま世界で一番ワクチン接種が進んだ国がアメリカで在り、一度でも接種した方が340千万人とのことで、実数の360千万人まで残り僅か。

そのアメリカが今年明けからワクチン接種が進捗して、住民の接種関心を買うために賞金や賞品などを配る笑える戦術の行政も出て来た。

結果、昨11月からの感染流行が今年2月から低下局面に移行して、驚くことに6月末まで新たな感染流行の『山』もなく、2月中旬からずーっと新規感染数が緩やかに低下して来た流行曲線を見せた。

つまり、アメリカのワクチン接種増加が新規感染数を抑制していた。

日本は4月から第四次感染流行が来たが、アメリカにはないのだ。この事実を返政府姿勢が命のTVも新聞も一向に報道していない。

アメリカの新規感染数  最大感染数が1月2日の30万人(=良く数えましたね)です。ワクチン接種進捗の2月以降で低位な新規感染数が2千人~3千人~4千人~5千人台で在り、何日間も続いたことが在る。

ここに注目したら接種効果が判ると想うが、日本マスコミが紹介しない。

そして、そのアメリカでも世界と同じく7月に入った途端にデルタ株の感染増加傾向を見せた、新規感染数の58%がデルタ株とのこと。

もっとも、7月上旬の新規感染数が一日5万人台だったが、人口が日本の3倍であるから「そうなのか?!」程度である。

日本人口に換算したら新規感染数が一日で18000人になるが、日本が一日で1万人を初めて超えたのが昨日でした。


立憲民主党 スポーツを誰よりも憎む政治家のイメージが付いた枝野幸男代表が、今になって党の活動指針を変えてしまった。好い加減だ。

【立憲&国民、五輪中止は「現実的でない」 翻意の枝野氏「かえって混乱招く」】29日JCASTニュース。

『五輪パラ中止中断で、「かえって想像のつかない大きな混乱」のおそれがある』と宣う。なんとかに説教の例え在り、どっちがなんとかなのだ。

『あるべき論と同時に現実を冷静に見極めなければならない』と続けた。「あるべき論」・・・枝野幸男氏らしき真正共産主義思想家の理想論だ。

『危惧したとおりの状況で、大変残念な状況の中での五輪』と枝野幸男氏が八つ当たりを隠さずに変な正義論を現すが論理崩壊で在る。

もう良いですよん、先週まで党のサイトで五輪中止を息巻いていた枝野幸男大先生が、金メダルラッシュ(=日本のゴールドラッシュ)を見て『中止はやばいっ!』と風見鶏になっただけのこと、男じゃないよん。


日本共産党 依然として大会期間中でも国民の命を守るために中止をと党サイトで謳う。主催のIOCではなくて、ほこ先が政府と来た。なぜだ。

党サイトを再度視たら、いつの間にか【中止を求める】に更新済みだ。

【求める】 ・・・ 周知の通り、社会生活の慣用句で在り、努力目標と掲げる『頑張ります』を現わす“相手に対するいたわりのお言葉”で在る。

もうお気づきですか、日本共産党も一緒に活動指針を変節していた。

しょせん、努力の約束だから後で出来なかったことを訴訟されても、裁判所が門前払いする程度のもので在ること。

だから、この『頑張ります、求めます、推し進めます、図ります』などの同義語を求められた覚書や合意書や誓約書に必ず入れるのが安全で在ります、しょせん努力ですから成果を約束していないのです。

ところが、これに皆がまんまと騙されてしまうわけよ、社会人でも。

ちまたの政治家の公約に上記の「努力目標」がありふれている世間。

出来もしないことでも毎日聞かされると、最初は半信半疑の方でも「本当かも?」と受け取ることが起きてしまう。

それを新聞がやったら、即、翼賛化してしまう。沖縄2紙のことだ。

だから、『公約は嘘が大きいほど大衆が信じやすい』との大衆洗脳法をアドルフ・ヒトラーが80年前に現した。
うちな~語り部 (宝味)
2021-07-30 16:28:25
続き『むかし むかし この島で』

続『サンマデモクラシー』
中共コロナで沖縄ならではの問題があぶり出されて、ここからですよね。ここからどう次の、あるべき未来の沖縄像を考えていくか、そういう復帰50周年になるんじゃないかな。東京や北京五輪はそのヒントになる。

カメやウシといったキラキラネーム。そして、カメの生まれ変わりに『お前ら、五輪見ていいのか』『日本人の金メダルにはノーコメントだ』と、そう言われているような感じがするんです。

ウシさんがいたら日本人の活躍を「素直におめでとう!」と言えないとは「志ぃさーではなく、モ〜ウ♪志位さー」と声を上げただろう。
「おかしい事はおかしい」と声を上げた人たちがいて、それによって、今の沖縄の見え方もだいぶ変わるんじゃないかと思うんです。

カメーカメーに屈した?韓国 2021/07/29
カメー(方言で「食べて)琉神マブヤーの技の一つ。
https://www.youtube.com/watch?v=C6X8_ql0vfE
Unknown (amai yookan)
2021-07-31 00:07:16
>N氏はこの女性に上原氏の消息を聞いたとき、「鄙には稀な美女」というより「掃き溜めに鶴」の印象さえ受けた。

■     ■k

あれれ、豊見城、喫茶Fの鶴さんと言い・農連の鶴さんと言い、どっちも「吉屋チルー・美女」つながり、偶然にしては、出来すぎの感あり、ですが、どーなんでしょうか??

・農連市場は、解体して新しく生まれ変わったのですが「びっくり食堂」今も健在でしょうか?

ひょっとして、ここかな?https://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47005894/

そして鶴さんも・ご亭主も、、、健在?

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