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厳かな慰霊の場に政治的主張を持ち込んでいいのか。糸満市で開かれた沖縄全戦没者追悼式で朗読された翁長知事の「平和宣言」に懸念を感じた八重山住民も多かったはずだ。翁長知事が宣言で、政府に米軍普天間飛行場の辺野古移設中止を要求した◆会場からは、翁長知事に対しては拍手、安倍首相に対してはヤジが飛び、さながら政治集会だった。これも県の「平和宣言」が発端だ。こんな騒然とした追悼式で、果たして御霊は安らかでいられるだろうか◆八重山で開かれた追悼式は対象的だった。参列者はあらゆる政治的対立を超え、静かな雰囲気で戦争の悲惨さを語り、平和への思いに心を一つにした。主張の違いは何ら問題にならなかった◆最近、辺野古移設阻止を訴える知事の言動はエスカレートの一途をたどっているように見える。先月には「抑止力のために(辺野古移設が)必要だと日米両国が決めても止める」と述べ、今月は辺野古移設阻止を目的とした「辺野古新基地建設問題対策課」を県庁に新設した◆辺野古移設に向けた作業が進む中、県に苛立ちがあることは理解できる。しかし「反基地」の最も過激な主張が、そのまま県民の声として発信されているような現状では、県民の1人として不安を感じずにはいられない。
知事、異例の辺野古中止要求 沖縄戦70年、不戦誓う 首相「負担軽減に全力」
翁長雄志知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設には「昨年の選挙で反対の民意が示された」として「政府は固定観念に縛られず、移設作業の中止を決断することを強く求める」と訴えた。知事が平和宣言で、国と対立する政治的主張をここまで鮮明に打ち出すのは異例だ。
翁長知事が平和宣言の大半を占める辺野古関連の文言を読み上げているときは拍手と歓声と指笛が会場に鳴り響いた。 続いて安倍首相が哀悼の言葉を発しているときには罵声や野次が乱れ飛んでいた。
70年の節目の年の追悼式典が行われてい厳粛な場だ。
翁長知事は慰霊の日を自分のイデオロギーに利用する「異例の日」と勘違いしているのではないか。
安全保障事案である辺野古移設には反対しながら、尖閣を狙う中国に対しては沈黙を守っている翁長知事に中山石垣市長が批判の矢を放った。
「中国には言わず、米には主張する」石垣市長が沖縄知事批判2015年6月17日【石垣】尖閣諸島で中国公船が領海侵犯を繰り返している問題で、石垣市の中山義隆市長は16日の市議会で「翁長雄志知事は中国のトップに会っても何も発言せず、アメリカでは米軍基地問題をドンドン訴えている」などと知事の対応を批判した。崎枝純夫市議の質問に関連して答弁した。
崎枝氏は自衛隊配備や辺野古移設、尖閣諸島などの問題に触れ、翁長知事を支援する立場で質問。
中山市長は、知事が経済交流促進を目的に4月に中国で李克強首相らと面談したことを挙げ「翁長知事はマスコミに『領土問題は一地方自治体の長が言うべきでない』と述べた。私は大変憤った」と指摘。
「中国の公船が沖縄の行政区域で領海侵犯を繰り返す中、中国トップに会えても何も発言しない。片方の国に言わず、アメリカでは基地問題を言う。那覇市長だったらいいが、沖縄県知事だ」と語気を強めて批判した。
翁長知事の言う「普天間飛行場は県外」が民意ではない。
中山市長の言葉こそが民意である、
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我那覇真子さん、取材お疲れ様です。
慰霊の日を台無しにした知事や暴徒、総理を愚弄した県民や県民もどき。
そして、オバーの反応。
諸悪の根源は沖縄タイムスと琉球新報。
長年、県民を反日として洗脳し煽動してきたタイムスと新報の社員役員連中。
真子さん、
沖縄タイムスと琉球新報を正す事は出来ません。
なぜなら、社員役員連中は国家反逆罪という大罪を働く犯罪者なのです。
犯罪者をいきなり正す事は出来ません。
罪を犯した者へは、まず罰を与えなければいけません。
罰とは、沖縄タイムス社と琉球新報社を叩き潰して、彼らを路頭に迷わし、罪を犯したレッテルを永年 彼らに張つける事です。
そして、彼らが万に一つ、罪を反省した時に「正された」という事になるのです。
犯罪者をいきなり正すのは無理です。
それより、新しい新聞社を作る方がまだ簡単かもしれません。
昨今、私も新しい新聞社を作る事に色々と動いている所です。
真子さん、頑張りましょうね!
http://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/5095544121.html?t=1435032315
あれは慰霊の気持ちを首相に託した日本国民への侮辱です。
安倍首相も来年からはこんな失礼な政治集会には欠席すべきでしょう。
反対派の指導者は、反対派についてくる人々の思考パターンを熟知しているのが、よくわかりますね。
>真子さんは憲法違反を盾に激しい口調で安倍首相を罵倒するオバーを冷静に説得する自信を失った。
そうでしたか……。
政治集会化して騒然とすることは想像できたので、静かに追悼できないことを非難する人もいるのではないか、と思い、そういう人を取材できないかと提案してみたのですが。
騒がしい追悼式を嘆いたり、静かなところで祈りをささげたとか、いうコメントを見たので、この日追悼式に来る人は、翁長知事の「平和宣言」を期待しての人が圧倒的だったのかもしれません。
取材お疲れさまでした。
だから、アメリカに基地建設を諦めさせるには、「沖縄にこんなに憎まれていますよ」をアピールすれば良いと。
それには、ケネディ大使隣席の追悼式は、絶好のチャンス。
一部参加者に、翁長知事を支持し、安倍総理を嫌悪するのを、際立たせるようにと司令がでていたかもしれない。
それほどの印象を受けた。
「地元に憎まれているところに基地を造ることをアメリカは嫌う」は一般論であって、沖縄の研究は進んでいて一部の勢力によるものというレポートもでていて、一般論は当てはまらない。
私が観たニュースの中で、翁長知事の「平和宣言」に指笛は入っていたが、安倍総理の挨拶中の野次は入っていなかった。
私は、それを「沖縄県民の無礼さ、非常識さを隠す所業だ」と怒りを覚えたが、「それほどまで沖縄県民の声を消したいか!」というネットの声を見た。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244711-storytopic-11.html
翁長知事は安保の関係で嘉手納容認、浦添に何もないところに造る正真正銘の新基地の軍港積極推進の立場。
その知事が、辺野古に短い滑走路を増築すると、沖縄は「恒久平和の発信地」になれないという。
はぁ?
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244713-storytopic-1.html
>白梅同窓会の中山きく会長(86)も自由参拝への切り替えを視野に入れる。
>沖縄尚学高校の生徒による戦跡ガイドの取り組みなどはあるが、慰霊祭運営そのものを子どもたちに継承することはできないからだ。
逆に私は、伝聞では誇張や歪曲が起こるので戦跡ガイドは体験者でないと思うし、慰霊祭運営は子孫が先祖供養するのと同で継承できることだと思う。
「鎮魂」より「沖縄捨石」を伝えたいかどうか、の差でしょうね。
個人の死を昇華させて、戦争犠牲者という集合体へ、と考えられれば、犠牲を出す戦争を憎める。
しかし、沖縄戦に拘って戦争一般に拡張できないなら、沖縄戦の犠牲者のまま。
沖縄戦を2度と起こさせないはあっても、戦争を起こさせないには、発展していかない。
だから、沖縄戦以後、世界各地で起こる戦争には、無関心なのね、沖縄の反戦平和教育は。
恒久平和だの世界平和だの、壮大なことを言っても、結局は沖縄戦だけに目がいっているから、世界情勢の変化に気づかない。
靖国神社は、戦争犠牲者という集合体、そういう目で見て見れば、いつまでも、「戦争を憎む」縁(よすが)にできる。
だが、「安保のための」法整備を「戦争のための」と言いかえる人達は、靖国神社を「戦争を憎む」縁と捉えず、「戦争賛美」縁と捉える。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=120855
>元米軍通訳兵が沖縄戦で「敵」である弟を説得し命を救った
ということに焦点を当てて読めば、心温まる記事である。
だが、
>45年4月末に沖縄へ上陸し、5月15日、家族が住んでいた本島北部に向かった。
>米軍が沖縄全島をほぼ制圧した6月中旬、山の中にいた父や康治さんの元に「自分たちのことを方言で聞き回っている米兵がいる」との知らせが届く。
>父はフランクさんだと確信した。
>康治さんたちを残して山を下り、命懸けで米軍の歩哨線に踏み込んだ。
>片言の英語で米兵を説得し、奇跡的にフランクさんとの再会を果たした。
よく、「スパイ」認定されなかったものだ。
沖縄で日本軍に虐殺されたという話の虐殺の理由はほとんど「スパイ」。
たしかに、「スパイ」は警戒されるものだし、疑心案義になっている人達にとっては、誰もがスパイに見えただろう。
まだ、沖縄戦の終戦を迎えていない時に(だからこそ説得の甲斐があったのだが)、「自分たちのことを方言で聞き回っている米兵がいる」というだけ、探されている家族はスパイ扱いされなかったのか?
しかも、「命懸け」で歩哨線まで超えて、会いに行っている。
良い話には、スパイと疑われて当然のこともスパイ扱いされないし、遅刻しただけの少年を銃殺させるような非道な日本軍と言いたいときは、「スパイ」がでてくる。
この兄が家族を救った話のどこかに齟齬があったとしても、誰も傷ついていない。
「誰」が悪いでなく、「戦争」が悪いがテーマになっているから。
しかし、
「沖縄戦元隊員証言、護郷隊少年兵が互いに制裁 2015年6月22日」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244607-storytopic-1.html
>中にはスパイ嫌疑がかけられた少年の射殺も含まれており、上官の命令により複数の少年が目隠しをされた仲間に対して一斉に銃を発射。
>犠牲になった少年は集合時間に遅れただけだったという。
↑の記事のように、スパイという冤罪を生んだのは、「戦争」ではなく「日本軍兵の残虐さ」だと言えば、「戦争」を憎むより「日本兵」を憎む方向にいく。
「戦争」という、しかも「負けがこんでいる」追い詰められた状態では、「良い人も狂人になる」という結論を導き出しているなら、「戦争」の惨さを訴えることになるので、「戦争を憎む」。
「沖縄戦」に限られたことでなく、戦争一般、普遍的に言えることだから。
ところが、日本兵が沖縄県民を虐待したということに焦点を合わせて、お終い。
というか、「日本兵を憎む」ようにしたいのだ。
沖縄の反戦平和は、「沖縄戦」から発展させて「戦争を憎む」でなく、「沖縄戦」に拘って「日本兵を憎む」構図だ。
本土に捨石にされたとか、基地のゴミ捨て場とか、常に、日本を恨む形をとる。
対立構図を作るのは、常に沖縄。
韓国の常に「日本を恨む」構図作りと同じだ。
それゆえ、↓のような勢力に入り込まれる
「東京新聞「朝鮮人慰安婦・軍夫に寄り添う沖縄 戦争の痛み共感 2015年6月21日」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015062102000148.html
恒久平和を求めている。
日本軍が悪さをしたことを否定していない。
沖縄県民「だけ」でない。
日本軍の暴走を止められなった後悔を「日本軍への恨み」に変換しても、次回の暴走阻止へ何の対策にもならない。
戦争は人々を狂人に変えるが、狂人にならずに家族を、郷土を守りたいと思った人々も、沢山いた。
その差は何か? そこを問うてこそ、「戦争」の悲劇に迫れるのではないか?
常に日本政府との対立点を探して、日本政府との対立構図が崩れないようにする。
そのために、片付かない対立点を探す。
そして、片付かないのは日本政府の怠慢と非難する。
「日本政府の怠慢」が支持されるように、常に「沖縄県民は日本政府から虐げられている日本一不幸な県民」と刷り込んでおく。
「幸せ」を感じている人が、政府を転覆させようと思いますか?
「恨み」こそ、革命の原動力でしょ。
そして、革命には、闘いが付き物。
これのどこが、反戦平和?