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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

腐臭を放つ大江健三郎

2015-06-23 06:35:10 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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本日午後7時よりチャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」に出演します。よろしくお願いします。
↓↓↓
 


 
本日は「慰霊の日」。
 
今年は終戦70年の節目の年とあって、本日の沖縄タイムスは合計10面を使って沖縄戦の大発狂。
 
沖縄タイムスの発狂見出しにに逐一対応するのはバカバカしいので、一面の見出しのみを紹介する。
 
■一面トップ
 
戦後70年きょう慰霊の日
 
「戦争は人間性奪う」
 
戦争体験者70人のメッセージ
 
(以下省略) ふー、やれやれ。
 
              ☆
 
昨日のエントリーで琉球新報のデタラメな社説を紹介した。

大江・岩波集団自決訴訟の最高裁判決を捻じ曲げて、あたかも最高裁が「集団自決は軍の命令による」と認定したかのように報じるデタラメな社説のことだ。
 
最高裁で被告・大江側の勝訴が確定したのだから、軍命も確定したものと事実誤認していた多くの読者から問い合わせがあった。
 
そして、改めて新聞の影響力の大きさに慨嘆した。
 
たかが新聞、されど新聞である。
 
 
最高裁判決が出た当時の当日記から、サルベージしてみよう。
 

腐臭を放つ大江健三郎氏の自己保身 2011-04-24

 
最高裁判決文を紹介します。
 
判決はたったこれだけです。
上告より2年4ヶ月も待たせて、これだけかとも思うのだが、独自の判断を避けて大阪高裁判決を丸呑みしたのなら、所詮こんなものだろうか。
 
高裁判決が約半年の短期間で判決を下したのに対し、最高裁が2年余も時間をかけたのは、最高裁といえども、いや、むしろ最高裁だからこそ「戦後民主主義」の呪縛からは逃れきれず、いろいろ逡巡した結果だろう。 
 
 今我が国は、国民が選んだ民主党政権の下で未曾有の国難にあえいでいる。 最高裁判が「戦後民主主義」的判断を下すということが、現在の政治状況を見事に象徴している。
 白木勇裁判長以下前裁判官の名前も記しておいたので、次の選挙では不適格裁判官として全員辞職させよう。

 ■最高裁判決文

 

  決定

当事者の表示    別紙当事者目録のとおり。

 

上記当事者間の大阪高等裁判所平成20年(ネ)1226号出版差し止め等請求事件について、同裁判所平成20年10月31日に言い渡した判決に対し、上告人兼申立人らから上告及び上告心理の申し立てがあった。 よって、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

本件を上告審理として受理しない。

上告費用及び申し立て費用は上告人兼申立人の負担とする。

理由

1上告について

民事事件について、最高裁判所に上告できることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張しているものであって、明らかに上記各項に規定する自由に該当しない。

2 上告受理申し立てについて

本件申し立ての理由によれば、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。よって、裁判所官全員一致の意見で、主文の通り決定する。

 

 平成23年4月21日

最高裁判所第一小法廷

裁判長裁判官   白木  勇

     裁判官   宮川  光治

     裁判官   櫻井  龍子

     裁判官   金築  誠志

     裁判官   横田  尤孝

                              ★


喜ぶ大江さん「強い励ましに」
 沖縄タイムス2011年4月23日
   【東京】沖縄戦をテーマにした「沖縄ノート」で「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制の記述をめぐり、訴訟を闘い続けたノーベル賞作家の大江健三郎さん(76)は22日、東京地裁の司法記者クラブで会見し、軍の関与を記述した同作は名誉毀損(きそん)にあたらないなどとする一、二審判決の確定を受け、「(沖縄戦の評論は)一生の仕事と考えていたので(裁判は)苦しかった。最高裁の決定は力強い励ましになる」と喜びを語った。

 原告の上告を退ける最高裁の決定は、22日午前に関係者へ郵送で知らされた。同11時半ごろ電話で弁護士から知らせを受けたという大江さんは「ぼんやりして、(係争中の)5年間を考えていた」と突然の知らせを振り返った。

 会見で、大江さんは50年余りの作家活動の中で、沖縄ノートは「広島ノートと併せ、一番大切な本」と表現。沖縄戦や米軍基地などを負担してきた沖縄を、日本人が認識し直すために著作を続けてきたと説明し、「この本のことを覚えていてもらいたい、高校生にも読んでもらいたい。今あるのは、そういう気持ちだけ」と静かに語った。(略)

                ☆

昨日の沖縄2紙の狂乱振りを見ていると、「軍命」「強制」「教科書」と書いた大見出しが躍り、まるで最高裁判決で「軍命」「や「軍の強制」が確定し教科書にもおおっぴらに「軍の命令により集団自決が起きた」とかけるかのような印象を受ける。

歪曲と捏造の記事で溢れた紙面で連日叩かれたケビン・メア氏の心境が理解できるような気がする。

ところが一夜明けた本日の沖縄タイムスにはメア発言はともかく、昨日の狂乱が嘘のように集団自決関連の記事は一行もない。

筆者も複数の知人友人から電話をもらい「残念」の言葉を聞いたが、確かに出版差し止めと被告の謝罪が適わなかったのは残念であるが、両隊長が命令したり強制して集団自決が起きたのではないということは、既に大阪高裁で確定済みだったのでそれほど落胆したわけではないと答えておいた。

事実、負け惜しみではなく、両隊長の名誉回復は既に大阪高裁で確定した、と何度もエントリーしているので古くからの読者ならご存知のことと思う。

(省略)

それで、当日記では沖縄タイムス記事の次の「歪曲」部分を取り上げてみる。

<会見で、大江さんは50年余りの作家活動の中で、沖縄ノートは「広島ノートと併せ、一番大切な本」と表現。沖縄戦や米軍基地などを負担してきた沖縄を、日本人が認識し直すために著作を続けてきたと説明し、「この本のことを覚えていてもらいたい、高校生にも読んでもらいたい。今あるのは、そういう気持ちだけ」と静かに語った。>

このくだりを見た高校生は、最高裁が大江氏の問題の著書である『沖縄ノート』の内容の真実性を最高裁が認めたと判断し、そのデタラメな本の内容を鵜呑みにしてしまう恐れがある。

最高裁は、むしろ『沖縄ノート』には誤りがあるが、執筆当時の40年前には「軍命があった」という噂が流布し、それが検証も無いまま「定説」となっていたので、大江氏が「軍命」を「真実と思っても仕方が無かった」と、判断しているのである。(「真実実相当性」)

大江氏は最高裁がいかがわしいと判断した「沖縄ノート」を高校生にも読んでほしいと言っているのだ。

この発言を見て、保身に汲々とし高校生がデタラメを信じることに何ら心の痛痒を感じない老作家の腐臭を感じ取る。

 

4年前の「11万人集会」のとき、沖縄2紙に踊らされて参加した県民の大多数は集団自決問題が何であるかを知っていなかった。「集団自決があった事実を教科書から削除するのはけしからん」といった基本的な事実誤認をしている県民は多く、事実、当日記にもそのような罵声を浴びせるコメントも多数あった。

ところが昨日の琉球新報の「識者評論 岩波・大江勝訴」と題する記事を」見て仰天した。

沖縄平和ネット代表世話人の村上有慶氏が、こんなことを言っているのだ。

「裁判は原告の梅澤氏本人が命令を出したかというより、、沖縄戦の「集団自決」の有無を問う訴訟を起こすこと自体が目的で、「集団自決」なかったとする教科書を書き人たちをバックアップするという政治的な動きの中にあった。」(琉球新報 4月23日)

4年前の沖縄2紙の歪曲報道に踊らされた気の毒な県民ならともかく、顔写真つきで新聞の「識者評論」をお書きになるエラ~イ先生が「『集団自決』の「有無を起こす裁判」があったと信じているのが驚きである。

いや、いや識者の先生がこんな基本的な間違いをするはずはない。

きっと、琉球新報が読者を「原告側は明らかな事実を教科書から消し去ろうと目論む卑劣な集団」という深謀で印象操作したものと考えるが、どうだろうか。

 

以下は池田信夫氏のブログの引用です。

大江健三郎の犯罪

 沖縄の集団自決をめぐって争われた名誉毀損訴訟の最高裁判決で、被告の大江健三郎氏と岩波書店が勝訴した。これまでの経緯を知らない人が、大江氏が正しかったと誤解するのもよくないので、少しコメントしておく。
問題の訴訟は、2007年の記事でも書いたように、赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた者だと罵倒した大江氏の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって赤松大尉の遺族などが起こしたものだ。これについては曾野綾子氏が現地調査をした上で「事実ではない」と指摘し、大江氏側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めた。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。これは「ノーベル賞作家」に配慮した問題のすり替えである。原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。

二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが大江氏が命令を「真実と信じる相当の理由があった」という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。たしかに出版差し止めというのは、民主主義国では軽々に認めてはならないが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは、大江氏側が記述の修正をしなかったからだ。

裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を「」するどころか、集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。裁判では思わぬ事実も出てきた。大江氏を支援する先頭に立っていた金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)が、渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めたのだ。こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。

戦争は軍部が暴走して起こしたもので、国民は無垢な被害者だという大江氏の幼稚な歴史観は、軍はすべて悪だという「平和憲法」的な思い込みでしかない。集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。旗を振って戦勝を祝ったのは国民であり、それを積極的に煽動したのは新聞だった。彼らは戦後も解散させられることなく、責任を軍に押しつけてみずからの戦争犯罪に口をぬぐってきた。

大江氏を5年間の訴訟でサポートし、『沖縄ノート』を重版してきた岩波書店も共犯者である。彼らが戦後60年あまり振りまいてきた「非武装中立」の幻想は、きわめて有害なものだった。国民の短絡的な正義感に迎合して結果に責任を負わない万年野党と、既得権を無条件に擁護する与党との不毛な対決の中で政策の対立軸ができず、優先順位をつけて政策を取捨選択しなかった結果が、莫大な政府債務と迷走する危機管理である。

大江氏も岩波書店もわかっているように、

彼らは裁判には勝ったが真実の法廷では敗れた。

『沖縄ノート』の大部分は、現地紙の切り抜きを文学的に加工したでっち上げだ。

それは彼の願望とは逆に、事実を直視できない「進歩的知識人」の知的不誠実の証拠として歴史に残るだろう

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13 コメント

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Unknown (東子)
2015-06-23 08:57:13
>『沖縄ノート』には誤りがあるが、執筆当時の40年前には「軍命があった」という噂が流布し、それが検証も無いまま「定説」となっていたので、大江氏が「軍命」を「真実と思っても仕方が無かった」と、判断している

通説が定着していたから、信じたとしても、大江氏に責任はない。
ということですね。


「曽野綾子 沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄 2006-05-24」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/42d6368e9684492810ff0b6340898809

>「鉄の暴風」(沖縄タイムス社)やそれを元ネタにした大江健三郎氏の「沖縄ノート」(岩波新書)で、沖縄の「集団自決」は軍命令だった云われたことに疑問を持った作家の曽野綾子氏が沖縄取材の経緯を雑誌「正論」に書いている。

曽野綾子氏に沖縄の「集団自決」は軍命令はなかった検証できて、大江氏に出来なかったのは、「日本軍=悪」に曇った目で見て、表層しかなぞらなかったからだろう。
Unknown (東子)
2015-06-23 08:57:39
「日本軍=悪」の口伝を、まるで地方に伝わる「民話(グリム童話は民話集)」を集めるような気持ちで集めて、マスコミが検証もせず流すことに、問題がある。
検証をしないのは、「慰安婦というつらい仕事をした人が嘘を言うはずがない」「気の毒な人の話を疑っていけない」というあれと同じ、ジャーナリストに一番必要な「疑ってかかる」を放棄した姿勢。
そのくせ、もう一方では、「日本軍=悪」だから、糾弾せねばならないという、中途半端なジャーナリスト魂を持つ。
その結果、悪を暴くの高揚感だけで仕事をするから、検証無しの「証言」だけで、人を糾弾するのである。
しかも相手が反論の機会がない、あるいは反論することで他に迷惑がかかると口を噤むことを良いことに、「ペンの暴力」を奮うのである。

「それは違う」はかき消され「日本軍の残虐行為」だけが、定着する。
マスコミの責任である。


一番冤罪を生み、人権侵害になることにもかかわらず、「日本軍=悪」と言えるとなると、「冤罪」「人権」は完全に吹き飛ぶのである。
日頃、「冤罪」「人権」を声高に叫ぶ人権派の人ほど、「日本軍=悪」の印籠を出されると、「へっ、ヘー」とひざまづくのである。
日本軍のしたことの方が、もっと大きい人権侵害のはずだという思い込みも手伝って。
(侵害の大小で小ならしても良いという理屈はどこにもない)

始末に悪いのは、検証無しの糾弾を、糾弾している自分に酔って正義の化身のように思い、少しでも自分の糾弾にケチでもつけられようものなら、「弱者の痛みがわからないのか」と、糾弾の仕方を批判しているのに、糾弾の中味を批判したようにすり替えて、こちらの人間性を非難してくることである。
段々、皆は、触らぬ神に祟りなし状態になって、野放しになる。


「沖縄戦元隊員証言、護郷隊少年兵が互いに制裁 2015年6月22日」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244607-storytopic-1.html

>中にはスパイ嫌疑がかけられた少年の射殺も含まれており、上官の命令により複数の少年が目隠しをされた仲間に対して一斉に銃を発射。
>犠牲になった少年は集合時間に遅れただけだったという。


「4歳「スパイ」の汚名 沖縄戦 渡野喜屋の悲劇 2015年6月22日」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015062202000122.html

>七十年前、全身に飛び散った手りゅう弾の破片が、今も体をむしばむ。
>「私は、四歳で『スパイ』として処刑された」。沖縄県読谷村(よみたんそん)出身の仲本政子さん(74)=大阪市=は、悲しげに笑う。
>日本兵が住民を虐殺した「渡野喜屋(とのきや)事件」で生き残った。
>仲本さんが二十歳の時、兄から打ち明けられた話だ。
>三カ月後、兄は心を患い、入院した。



日本軍が苛めたのは日本人だけでなく、朝鮮人もだというのを、検証せず「日本軍=悪」で過ごしてきたジャーナリスト達には、反論できなかった。
それが、「韓国慰安婦」であり、「軍夫」である。


狼魔人日記「朝鮮軍夫「恨之碑」 2006-05-14」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/6344846c2b9598aab7c7271321c54283

>谷沢永一いわく「現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」を挙げておこう。
>当時の朝鮮は日本の一部であり、朝鮮人も日本国民だった。
>当時の日本国民なら成人男子は徴兵か徴用は当たり前で、軍夫は戦闘以外の雑用を行っていた。
>一旦徴兵や徴用の命を受けると誰もこれを拒むことは出来なかった。
>これは何も朝鮮人軍夫に限った事ではない。
>日本人全てがそうだった。
>これを現代の価値観で「強制連行」と決め付けるのは「歴史を過つ」ことになる。
>そして今朝の琉球新報は9段抜きの27面(三面)トップで「平和な未来誓う」と題して朝鮮人軍夫追悼の恨之碑除幕式を大々的に報じた。
>「日本兵に連行され、目隠しをして処刑台への階段を上る朝鮮人の青年と、足元で泣き崩れる母親」をブロンズで表現した碑は、読谷村在住の彫刻家金城実さんが手がけたという。

今年も慰霊祭が碑の前で行われているのでは?
Unknown (東子)
2015-06-23 08:57:58
「東京新聞「朝鮮人慰安婦・軍夫に寄り添う沖縄 戦争の痛み共感 2015年6月21日」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015062102000148.html

>最近の日本では、慰安婦被害という歴史的事実まで否定するかのような論調が目につくが、沖縄戦を生き延びた地元住民には、旧日本軍に虐げられた者同士の共感がある。
>宮古島と読谷村には、朝鮮人犠牲者を悼む碑が立つ。
>戦後七十年の「慰霊の日」を前に、現地を訪ねた。

沖縄戦を生き延びた地元住民には、旧日本軍に虐げられた者同士の共感がある。
「沖縄戦」は、日本軍の圧政からの解放運動だったのですか?
Unknown (東子)
2015-06-23 08:58:20
「「軍神」の妹、ひめゆりの悲劇 家族4世代が悼む 2015年6月22日」
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=120867

>戦死した長兄の大舛松市大尉(享年25)に軍最高の名誉が与えられ、「大舛に続け」のスローガンがあふれる中、「軍神」の妹として戦場へ向かった清子さんは一人息を引き取った。
>あれから70年。
>遺族は清子さんの人生を悼みながら、平和を願って手を合わせた。
>太平洋戦争のさなか、長兄の松市さんがガダルカナル島で戦死したのは、その2年半ほど前。戦闘の最前線で亡くなった若き陸軍将校を世論は「軍神」と祭り上げ、賛辞の対象にした。
>清子さんもその渦に巻き込まれた。
>自身は教員の説得で台湾疎開を選び、戦禍を生き延びた重盛さんは「自ら希望し、軍人として突き進んだ松市の戦死は、本人も本望だったかもしれない。しかし清子はまだ10代。あまりにかわいそうな一生だった」と表情を曇らせる。

タイムスにしては、珍しい記事だと思った。
淡々とした語り口に、悲しみが伝わってくる。
清子さんを追い詰めたのは、「空気」でしょう。
が、その時代に生きていたら、その「空気」を自分も作るのに加担していたかもしれないと思えて、煽りにのっては、いけないと自分を戒めた。

この記事がじーんとくるのは、沖縄「だけ」のことでないから、が大きい。
各地に「軍神」の妹はいたでしょうし、軍需工場で犠牲になった女子学生も多い。
だから、広く共感を得る。

そして、「自ら希望し、軍人として突き進んだ松市の戦死は、本人も本望だったかもしれない」と、軍を悪者にしていない。
日本を守ろうとしてくれた大舛松市大尉に、感謝の気持ちで手を合わせた。
もう一つ。
「自身は教員の説得で台湾疎開」と、疎開を肯定。
色々事情はあったにせよ、沖縄県民が疎開しなかったのが民間の犠牲者を多く出した原因だと思っていますので、当時の沖縄県知事であった泉守紀(いずみしゅき)は、疎開に真っ向から反対した中でも、疎開なさった家族で、そういう心持の家族だから、恨み言でなく哀しみが伝わってくるのかなぁっと思った。



【参考】
なずさんのひとりごと「対馬丸事件」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1681.html

>当時の沖縄県知事であった泉守紀(いずみしゅき)は、疎開に真っ向から反対したのです。
>「沖縄県が戦場とならないために努力するのが軍の仕事である」などと、わかったようなことを言い出しました。
>そして県が疎開行動に協力するのを拒んだのです。
>風雲急を告げているときです。
>すぐそこまで敵が迫っている。
>愚図愚図しているヒマはない。
>「沖縄県が戦場とならないために」もちろん最大限の努力はする。
>けれど、戦闘はこちらが望んで起こすものではないのです。
>こちらの事情に関わりなく、相手が相手の都合で、攻めて来る。
>沖縄に日本軍がいなければ、攻めて来ないなどということもありません。
>当時の航空機は、日米とも、まだ燃費が悪いのです。
>米軍が日本本土を攻略するためには、そのための攻撃拠点となる基地が必要です。
>だからこそ、サイパンに次いで沖縄の占領は不可避なのです。

今の中国の脅威が、同じだと思います。
そして、沖縄の位置は70年前と少しも変わっていません。
Unknown (東子)
2015-06-23 08:58:42
「西普天間住宅地区の返還式 菅長官「普天間飛行場の危険除去を忘れてはならない」 2015.4.4」
http://www.sankei.com/politics/print/150404/plt1504040012-c.html

>西普天間住宅地区を含む6施設・区域が返還されれば、返還面積は約1千ヘクタール(東京ドーム約220個分)となる。


「西之島、東京ドーム58個分に拡大 二酸化硫黄の放出確認 「火山活発状態続く」 2015.6.22」
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/150622/lif15062218330017-n1.html

>約13ヘクタール広い約271ヘクタールに拡大したと発表した。
>噴火前の西之島の約12倍で、東京ドーム約58個分に当たる。


西之島は、返還面積の4分の1まで大きくなった!
訂正 (東子)
2015-06-23 08:59:28
× なずさんのひとりごと「対馬丸事件」
○ ねずさんのひとりごと「対馬丸事件」
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2015-06-23 10:47:18

オピニオン面に一般投稿10本。

「戦争する国に してはならぬ」の沖縄市・荷川取順市さん(75)は1月10、29日、3月23日、4月1、24日、5月3、21、28日、6月13日に続き今年10回目の掲載。
「人殺しの戦争 もうたくさん」の浦添市・知念徳彦さん(65)は3月3、15日、4月15日に続き今年4回目の掲載。
「亡き父のため 慰霊の日投稿」の豊見城市・大嶺よし子さん(70)は1月1、7、22日、2月2、23日、3月9、19、30日、4月9、22日、5月8、23日、6月7日に続き今年14回目の掲載。
「米から届いた 昔の父の手紙」のうるま市・東智子さん(61)は3月26日、4月17日、5月6、31日、6月12日に続き今年6回目の掲載。
「特攻の若者も 『平和の礎』に」の名護市・富原守和さん(67)は1月5、11日、2月5、14、24日、3月12日、4月16日、5月4日、6月10日に続き今年10回目の掲載。
「命どぅ宝叫び 平和な国願う」の那覇市・照屋美代子さん(64)は5月16日に続き今年2回目の掲載。
「平和な沖縄を 祈り続けたい」の豊見城市・米蔵任さん(51)は1月1、8、21、29日、2月5、18、28日、3月13日、4月25日、5月30日、6月14日に続き今年12回目の掲載。
「戦争孤児 つくらないで」の那覇市・花城清裕さんは昨年5月14日以来の掲載。(76)
「慰霊の日 不戦誓いたい」のうるま市・野島雅安さん(75)は1月4日、3月4、24日、4月26日、5月3、15日に続き今年7回目の掲載。
「『沖縄戦』いまだ終わらず」の豊見城市・渡真利善朋さん(46)は1月6、12、17、24、31日、2月10、19、28日、3月7、17、27日、4月8、20日、5月3、12、17、27日、6月10日、18日に続き今年20回目の掲載。

カギカッコは投稿欄における見出し。

那覇市・花城さんは年齢記載がないが、昨年5月14日に掲載された時は76歳と表記。豊見城市・渡真利さんはぶっちぎりトップの20回目掲載。
特攻の若者も平和の礎に刻銘すべきという名護市・富原さんの意見に賛成。



Unknown (タマ)
2015-06-23 13:12:10
ニコニコ生放送で沖縄全戦没者追悼式を見ました
途中からですが県議会議長と遺族会連合会長?は式辞で辺野古ガーを挟んで来てました。翁長知事の平和宣言に至ってはただの政治演説でしかなく、一般席からは掛け声があがり、指笛までする始末。政治利用というよりもただの政治集会のような・・・
安部総理のあいさつでは「帰れ」等の野次が多く、見ていて悲しくなりました。
沖縄県民の品格が問われる式典でした
Unknown (心配性)
2015-06-23 18:10:54
平和のためなら何でもありですね。こういう連中が社会を作ったらと思うと怖い。
http://youtu.be/N9DgzbMxezE
戦没者追悼 (沖縄県民)
2015-06-23 19:18:34
 政治宣伝の場と化すことが解かりきっている追悼式は最初から無視。政治宣伝演説を英霊や心ある遺族の方々はどう聴いたか。ましてや、野次など。

 次のところを巡って黙とうをささげてきた。戦没者から国難に殉ずる覚悟と興国への願いを突きつけられている気がしてならない。我が身を省みて恥じ入るばかりである。

 黎明の塔

 歩兵第89連隊(山三四七六部隊・長金山 均大佐)終焉の壕(与座岳近くの人目につかない山中に「壕」のほか「聯隊終焉の地の碑」・「聯隊旗奉焼の碑」が建立されていて、ひっそりとしている。)

 海軍壕敷地内の慰霊碑(壕には、数十年前県外で勤務している折には帰省時に必ず出向いて黙とうしていたが、宣伝の場と化しているのを知ってからは行かない。)

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