



メモ:深夜台風6号、1日夜イジェクト、17:00 大
読者の皆様へ
■本発売まで後19日
8月15日発売を目途に皆様に献金をお願いした『沖縄「集団自決」の大ウソ』の編集作業が現在進行中です。ただ販促物のチラシ作成など、さらに最低限の出版数400冊で調整中ですが、出来れば市場に出回る出版数も800冊~1000冊と一冊でも多い方が目立ちますし、本の体裁もより目立つ体裁にしたいと考えています。
そこで再度皆様の献金ご協力お願いいたします。
■出版費用の献金のご協力願い

最低限での出版には何とか漕ぎつけましたが、増刷等で皆様の献金ご協力を伏してお願い申し上げます。
献金額の多寡は問いませんが、一口3000円以上にして頂けると幸いです。
まことに勝手なお願いですが、宜しくお願いいたします。
狼魔人日記
江崎 孝
お振込先
- 金融機関:ゆうちょ銀行
- 名義:江崎 孝
- 記号:17050
- 番号:05557981
ゆうちょ銀行以外からお振り込む場合の振込先
- 金融機関:ゆうちょ銀行
- 金融機関コード:9900
- 預金種目:普通預金
- 名義:江崎 孝
- 店名:708(読み ナナゼロハチ)
- 店番:708
- 口座番号:0555798
★すでに御献金賜った方には、出版本を贈呈したいと思いますので、下記メルアドに贈呈本の送り先、住所氏名をご一報いただければ幸いです。
管理人への連絡⇒ezaki0222@ybb.ne.jp
★
沖縄タイムス記者により書かれて『鉄の暴風』は、執筆者自身は現地取材もせず伝聞の噂を根拠に裏どりもないまま発売された。
裏どりがないなど、まだましな方である。
『鉄の暴風』を発行した沖縄タイム謝花直美編集委員などは、遅ればせながら「体験者」に取材し、次のような出鱈目を報道している。
村長に「耳打ち」した人物は防衛隊と称する民間人であり、軍人ではない。
つまり、謝花記者の裏どりによると民間人の「耳打ち」が軍の自決命令に早変わりするのだ。これでは伝言ゲームよりひどい。
吉川勇助さん -上- (6月14日朝刊総合3面)
村長の「陛下万歳」合図に
防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」
渡嘉敷島。西の御嶽と日本軍の北山(にしやま)陣地の谷間。一九四五年三月二十七日、米軍上陸後、各地に避難していた住民が、軍命でフィジガー、後に第一玉砕場と呼ばれる場所に集められた。
住民は家族や親族、集団ごとにまとまっていた。当時六歳で、母親と妹と来た新崎直恒(69)。グループには手榴弾がなく、知り合いの集団に加わった。その輪には直恒らが「皆から、とても信頼をされている人」と話す、当時十五歳で役場職員の吉川勇助(78)がいた。
勇助の家族で七、八人、直恒らも合わせると、輪は合計二十人になっていた。輪には勇助が二発、兄が二発、計四発の手榴弾があった。「役場に集められてもらった。一つはあまりに旧式だと、村長に九七式という新しい型に換えてもらった」と説明する。
米軍上陸直前、日本軍は、役場を通して十七歳未満の少年を対象に、厳重に保管していた手榴弾を二発ずつ配った。米軍上陸後、一発は攻撃用、もう一発は自決用と言い渡された。
役場職員の勇助は、フィジガーに来ても、村長の傍らにいた。不意に軍の陣地方向から現れた防衛隊員が、村長に何かを耳打ちしているのに気付いた。迫撃砲や艦砲射撃のすさまじい音と爆発の音、防衛隊員が村長に何を伝えたか、勇助の所までは聞こえない。
しかし、村長は、防衛隊員の言葉に「うん、うん」と何度もうなずいた。おもむろに立ち上がり「天皇陛下万歳」と叫んだ。
それが号令となった。フィジガーのあちこちで、手榴弾がさく裂した。バン、バン、バン。勇助の輪でも手榴弾を爆発させようとしたが、すべて不発だった。
しかし、周りでは血だらけの遺体、手や足が吹き飛ばされた人、悲鳴、泣き声、地獄図だった。
そのうちに、生き残った者たちが生き地獄を逃れようと、群れを成し北山陣地を目指し始めた。
勇助たちも陣地になだれ込んだ。「それを見た、隊長はものすごい勢いで怒った」。村長に伝令した防衛隊員も、本部に来ていた。住民が殺到する混乱の中で、腰に下げた、銃剣用の剣が手榴弾に当たり、「しまった」という言葉と同時に爆死した。
村長の傍らで一部始終を目撃した勇助は「住民が勝手に死ぬことはあり得ない。村長に伝えられたのは軍命だった」と語気を強めた。
=敬称略(編集委員・謝花直美)