狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

敵前逃亡のラスプーチン 佐藤優沖縄講演会

2009-06-10 07:04:08 | 未分類

 

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筆者が佐藤優氏の名前を知るようになったのには、三つの段階がある。

先ず最初は、2002年頃から数年間にわたりマスコミの標的になった頃、「疑惑のデパート」鈴木宗雄氏の腰ぎんちゃくの外務官僚として背任横領で刑事被告人となり、鈴木氏の個性的なキャラも相まって、テレビの画面を通し、彼のギョロ目の顔と名前を知った。

次は、一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕などを記した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版して文壇に登場したころ、その旺盛な執筆活動とラスプーチンという怪異を連想する呼び名に、改めて彼のギョロ目の風貌とその名を再認識する。

その後は、一昨年の2007年、集団自決に関わる教科書問題で沖縄のフィーバーが全国区になった頃、佐藤氏は頻繁に沖縄マスコミに接近し、沖縄紙に寄稿したり講演会などをするようになって、三度目には沖縄二紙を通じて彼の名を認識をするようになる。

だが、佐藤氏が「自分の血の半分は沖縄の血だ」という殺し文句を武器に沖縄に接近するまでは、不覚にも佐藤氏が沖縄の関係者であることを知らなかった。

当初は佐藤氏の思想的立場は保守も保守、天皇を崇拝し北畠親房の
『神皇正統記』を愛読書にする右翼だと聞き及んでいたので、左翼で固めた沖縄論壇とどう折り合いをつけて行くのか興味があったが、その接着剤ともいえる「半分は沖縄の血」という殺し文句に沖縄左翼は、一もニもなく取り込まれてしまう。

以後沖縄での左翼講演会には頻繁に出演するようになる。

だが、その頃は既に沖縄に関しては先輩格の小林氏が『沖縄論』を出版し沖縄ではベストセラーとなったり、沖縄最大の収容席を誇るコンベンションホールでの講演会を満席にするなどで沖縄の保守派の支持を得ていた。 つまり、佐藤氏は沖縄に関しては、母の沖縄の血を引くという特権を利用する前に、「純粋ヤマトンチュ」の小林氏に大きな遅れを取ったということになる。

■ラスプーチンの「集団自決論」は「売れない評論家」への丸投げ■

同じ頃、「集団自決訴訟」の被告人の一人である大江健三郎氏を敬愛して止まない山崎行太郎氏が、「文学的に大江健三郎に劣る曽野綾子が大江を批判するのは怪しからん」といった論調で「曽野綾子の誤字・誤読論」を自ブログでぶち上げた。

曽野綾子氏の批判なら何にでも食いつく琉球新報が、ダボハゼのようにこれに食いつ付くのは当然の帰結。 新報が何の検証もなくその「幻の誤字・誤読論」を掲載して大恥を晒したことは何度も触れた。

佐藤氏は琉球新報に三日に渡り寄稿した事実だけで、山崎氏が沖縄論壇に認知されたと勘違いしたのか、今度は山崎氏に急接近し、「集団自決問題」が出る度に、彼の名を出して彼の論に丸投げしてこれを自論に替えている。 

山崎氏も元々保守派を自認していたと聞くが、売名のチャンスと見るや沖縄左翼に揉み手をして近づくあたりに彼の節操のない態度に同じ臭いを嗅いだのだろうか。 

佐藤氏が推薦し、かつ丸投げする山崎氏の苔むした「曽野綾子の誤字・誤読論」とはこれ。

誤字論⇒幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

誤読論⇒「屁理屈ジャンケン」


左右論壇を徘徊する佐藤優氏という出版会の「虚塊」、いや「巨魁」が小林よしのり氏にケンカを売った理由は、こう考えられる。

佐藤氏は「沖縄の血」と護憲を売りものに沖縄問題に首を突っ込んできたが、沖縄問題では先輩格の小林氏が、目の上のタンコブだった。

目の上のタンコブを除去するのがインテリジェンスの要諦かどうかは知らないが、とりあえずラスプーチンとしては沖縄で団結する小林一派を駆逐する必要があったのだろう。 

だが、少なくとも集団自決に関する限り、佐藤氏の論は付け焼刃であり、良識ある県民を愚弄する噴飯モノというのが筆者の認識である。

佐藤氏の視野にある沖縄は、沖縄の偏向マスコミだけであり、マスコミを篭絡すれば沖縄の世論なんてチョロイものとでも考えているのだろう。

                     * 

さて、前置き?が長くなったようだが、講演会で聴衆の質問にこたえて、佐藤氏はこう答えた。(参考までに質問も引用)

 

(質問;「次回は小林よしのりさん本人と直接の討論を期待しますが、聞くところによる小林さんが討論を申し込んでも佐藤先生が拒否しているそうですが。」)

これに対する佐藤氏の回答。

事実は違います。 小林氏の議論は次の点で討論の体をなしていないので断っているのです」

「先ず、討論は論点を提示しなければ議論にならない。 次に討論は最低のマナーが必要だが、小林氏にはこれがない。 小林氏は金儲けのために討論を申し込んでいるが、彼の金儲けに協力するつもりはない」(要旨)

前回、佐藤氏の回答は「逃げ口上」過ぎないと書いたが、両者の「戦争」を知る者なら、小林氏が彼の回答どおりの条件で討論を受けていることは周知のことである。

佐藤氏はこれまでも再三「論点がないので論争にはならない」(日刊「サイゾー」)といっているが、小林氏は『SAPIO』の欄外で次のように論点を絞ってきている。

わしと「言論封殺魔」との間の論点は明確である。 「言論封殺魔」発議の論点で議論するのを怖がって逃げている。

①集団自決は「軍命」か否か?

②独立論は沖縄の良心的な人々の意見といえるか?

③沖縄の新聞は偏向していないか?

④沖縄の言論空間は全体主義ではないか?

このように論点を絞って挑戦されているにも関わらず、佐藤氏が依然として「論点がない」と強弁するのは敵前逃亡といわれても仕方がない。

上記四つの論点については、ここではコメントしないが、当日記は三年前の開設以来、「偏向した沖縄の新聞」をネタにして本日まで続いているので、③と④に関しては一番の証言者である。

従って、勿論ここで「沖縄の新聞は偏向している」そして「沖縄の言論空間は全体主義である」と言っておく。

佐藤氏が知る沖縄は地元マスコミを通しての沖縄であり、沖縄紙の色眼鏡を通して見た沖縄である。

日刊「サイゾー」記事の「沖縄は全体主義の島だ」という言説を出している沖縄の知識人がいます。彼らは沖縄での発言力もあるし、琉球新報で発言しようと思えばできるのに、その努力もしないで内地に行って発言してばかりで、リスクを負おうという姿勢が感じられません」

というくだりは沖縄の新聞の実情を全く知らないか、あえて知らない振りをしている「インテリジェンス作戦」なのかもしれない。

 私は琉球新報に「ウチナー評論」という連載を書いています。私が思想的に右寄りに位置する保守的な人間だとわかっていながら、琉球新報は私にコラムをもたせている。これも、沖縄と内地の溝を埋めたいと思っているからです。琉球新報の人たちはリスクを負っている。少しずつリスクを負いながら、どこかで共通の言葉を見出せないか努力しているわけです。一方で、「沖縄は全体主義の島だ」という言説を出している沖縄の知識人がいます。彼らは沖縄での発言力もあるし、琉球新報で発言しようと思えばできるのに、その努力もしないで内地に行って発言してばかりで、リスクを負おうという姿勢が感じられません。私はこのことを言いたくて、「ウチナー論評」でも書いた。それを見た小林さんは、「『沖縄は全体主義の島だ』という有識者」を自分のことだと決めつけて、今回私を攻撃してきたわけですが、はっきり言って小林さんは念頭に置いていない。内地に行って小林さんと連携する沖縄の有識者たちの行動様式を問いたかったわけです。(日刊「サイゾー」:)

                    ◆

佐藤氏が沖縄の新聞の偏向性に関連して、先日の田母神さんの講演会を沖縄二紙が黙殺したことを、沖縄二紙の見識の表れと絶賛したが(拍手あり)、これと「沖縄紙は偏向していない」とを、どのように整合させるのか。 凡夫には理解の外で、流石は佐藤インテリジェンスと、ただ関心するのみだった。

その一方で佐藤氏は、田母神氏に対しては沖縄紙が示すようなアレルギー反応どころかむしろ好意を示しているような節さえある。

田母神論文問題を引き起こしたアパグループ代表・元谷外志雄の著作『報道されない近現代史』(産経新聞出版刊)の広告に推薦文を書き、

そこで「異能の実業家、元谷外志雄氏が描くグローバリセージョン後の帝国主義的国家対立の姿に戦慄した」と絶賛している。(ウィキぺディアより)

一方では田母神講演会を黙殺した沖縄マスコミに揉み手をして「見識がある」と褒め上げ、他方では田母神氏の論文の母体となったアパグループ代表の著書に嬉々として推薦文を書く鵺のような男。

いや、鵺ではなく狢だという目取真氏の忠告を待つまでもなく、「くれぐれも狢には騙されないように」と言っておきたい。

次に佐藤氏が提示するマナーに関しても、「漫画という非対称の手段では討論にならない」としていたが、

これに対して小林氏は「漫画を使わずに文章で勝負してもよい」と佐藤氏の土俵の文章での勝負を挑んでいるが、佐藤氏はこれにも答えていない。

最後の「小林氏の金儲けに付き合う気はない」に対しても、小林氏に「討論に関しては、原稿料は要らない」とまで言われていながら、これにも答えようとしていない。

つまり佐藤氏は小林氏の再挑戦に対しても同じ回答を繰り返すだけで、小林氏の挑戦をことごとく避けているとしか見て取れない。

これを人は敵前逃亡と呼ぶ。

そのくせ、沖縄での協力者の一人にしか過ぎない宮城沖縄大学教授を「沖縄人のくせに」とでも言わんばかりに執拗に攻撃する。

インテリジェンスの世界では勝つ為には、卑怯もクソ(失礼)もないのだろうが、

普通の考えの人間ならこれを卑怯とも卑劣とも呼ぶ。

さらに佐藤氏は「沖縄は全体主義の島ではない」と沖縄左翼に媚を売りながら、沖縄文学界の重鎮大城立裕氏にも「大城立裕氏に学ぶ」といった歯の浮くような文章を書いているようだが、肝心の大城立裕氏が沖縄の言論空間を「異論を許さない雰囲気に危うさを感じる」(西日本新聞)と指摘していることは最大の皮肉である。

 

佐藤さん、宮城教授への攻撃はお門違いですよ。

敵は本能寺ならぬ、よしりんですよ!

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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