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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

アリストテレスいわく「・・・・」

2006-05-09 12:23:57 | 歴史

何時の頃から「歴史認識」と言う言葉がマスコミを我が物顔に歩き出したのだろう。

おぼろげな記憶を辿ると十数年前、前の中国国家主席・江沢民が来日して日本国中至る所で日本人の「歴史認識」を叱り付けて回って以来ではないだろうか。

その時は天皇陛下主催の晩餐会にも人民服で現れ、日本人の「歴史認識」を叱責して、顰蹙を買った記憶がある。

歴史の専門家でもない筆者が歴史を語るとき、昔から気に留めている事が一つある。

現在の価値判断で過去の歴史を断罪してはいけない、と言うことである。

当たり前のことだが、どうもこれでは訴える力が少ない。

これが誰か過去の偉大な学者の言葉の引用ならインパクトがある。

それも写真も無いほどの古い時代の学者の言葉の方がより重みがある。

例えばアリストテレスいわく「・・・・」とか、孔子のたまわく「・・・・」とか。

ところが似たような内容の言葉を簡潔に言っている学者がいた。

写真が無いどころか、テレビ等でもチョクチョクお目にかかる谷沢永一関西大学名誉教授である。

谷沢永一いわく「現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」。(谷沢永一著「歴史通」より)http://www8.ocn.ne.jp/~washida/kansai20.htm

これで決まり!

因みに谷沢はタニザワと読む。

今後この引用をチョクチョク使わしてもらうよ、谷沢先生そして江沢民さん。

                    

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固有名詞なき会話

2006-05-09 08:52:14 | 年金・老人・身辺雑感

仲の良い老夫婦が、縁側で日向ぼっこをしながら通りを眺めていた。

「婆さんや、今通ったのは隣の玄さんだろ」

「いいえ違いますよ。 今通ったのは隣の玄さんですよ」

「あーそうか。 私は隣の玄さんかと思ったよ」

                     *

人生の年輪を刻んだ老夫婦の会話は意味が深い。

この老夫婦、耳が多少御不自由のようだが視力も思考力も未だ健在。

 

◆月に一度同級生が集まって飲んだり食ったりしながらクダラン話に花を咲かせている。

が、飲んで食うのはともかく、そのクダラン話がなかなか前に進まない。

「この前久し振りにアイツに逢ったよ」

「アイツって?」

「アイツだよ、アレ、アレ、眼鏡を掛けていたいたヤツ」

「そいつって同級生?」

結局そいつはその晩、身元不明のまま話題は次の「あの唄」に移った。

「あの唄って?」

「あれが唄っていた・・・」

「あれって誰?」

かくして中身の無いクダラン話は延々と深夜まで続く。

加齢と共に物忘れが酷くなるが、月に一度同世代が集まるとお互いの同病を相憐れみ、その「症状」の進行状況を確認しあう。

お互いの傷口を舐めあって一安心・・・嗚呼!、これも情けない。

「あれ」、「それ」、「あいつ」で固有名詞の出てこない会話を終えて家に帰れば、家には語りかける相手もなし。

 

 

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