何時の頃から「歴史認識」と言う言葉がマスコミを我が物顔に歩き出したのだろう。
おぼろげな記憶を辿ると十数年前、前の中国国家主席・江沢民が来日して日本国中至る所で日本人の「歴史認識」を叱り付けて回って以来ではないだろうか。
その時は天皇陛下主催の晩餐会にも人民服で現れ、日本人の「歴史認識」を叱責して、顰蹙を買った記憶がある。
歴史の専門家でもない筆者が歴史を語るとき、昔から気に留めている事が一つある。
現在の価値判断で過去の歴史を断罪してはいけない、と言うことである。
当たり前のことだが、どうもこれでは訴える力が少ない。
これが誰か過去の偉大な学者の言葉の引用ならインパクトがある。
それも写真も無いほどの古い時代の学者の言葉の方がより重みがある。
例えばアリストテレスいわく「・・・・」とか、孔子のたまわく「・・・・」とか。
ところが似たような内容の言葉を簡潔に言っている学者がいた。
写真が無いどころか、テレビ等でもチョクチョクお目にかかる谷沢永一関西大学名誉教授である。
谷沢永一いわく「現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」。(谷沢永一著「歴史通」より)http://www8.ocn.ne.jp/~washida/kansai20.htm
これで決まり!
因みに谷沢はタニザワと読む。
今後この引用をチョクチョク使わしてもらうよ、谷沢先生そして江沢民さん。