11月15日は、「七五三(しちごさん)」のお祝いをする日。
最近では、お祝いをする日や形式もいろいろですが、そもそも七五三の祝いはいつから始まり、どのように広まってきたのでしょうか?
記事(2015年11月15日 tenki.jp)によると
『◆「七五三(しちごさん)」の起源をさかのぼると…
平安時代に遡る説と、江戸時代発祥の説がありますが、共通するのは、当時は子供が七歳になるまで生きられる確率が低かったため、三歳から七歳までの間にその成長を祝うようになったとされます。
江戸時代説によると…天和元年 十一月十五日に五代将軍・徳川綱吉が病弱だった息子・徳松の健康を祈ったことから武家に浸透し、庶民へと広まりました。元来は関東圏のみで行われ、次第に全国で行われるようになった…儀式の内容は下記の通りです。
三歳…「髪置(かみおき)」 男女ともに、髪を伸ばし始める儀式
五歳…「袴着(はかまぎ)」 男児が袴を着け始める儀式
七歳…「帯解(おびとき)」 女児が帯を締める着物に変える儀式
現在、三歳の「髪置」前に髪を伸ばす子供はたくさんいますが、五歳男児の「袴着」と七歳女児の「帯解」は、和装での祝い着として伝わってきました。
◆お祝いは数え年でするもの?
数え年は、「旧暦」の正月に神様から年齢を頂戴する…という考えに基づいています。
七五三などのお祝いで神社を訪れる時の年齢も、この考え方の基に、生まれた時を一歳、お正月が来るたびに一歳ずつ年齢を重ねていく「数え年」で行っていたわけです。
ですが、今は暦も旧暦から新暦にかわり、年齢の数え方も生まれてから何年たったかの「満年齢」になっています。
さらに、入学の時期の4月を起点とする数え方もあり…わかりにくくなってしまいますね。
◆千歳飴に願いをこめて
「千歳飴」の発祥は、江戸時代の浅草と言われています。千歳まで生きることはできませんが…わが子に「できるだけ長く健康に生き続けてほしい」、という願いが込められていることがわかりますね。
その形にも思いは込められて「細く、長く」作られたと言います。色も「紅白」を用いて、袋には「吉祥模様」と呼ばれる、鶴亀や松竹梅を描くようになったのです。どこまでも、わが子の健やかな成長を願ってやまない親心を感じます。
こちらも、最近では色や形が一つではなく、いろいろ選べるようですが、そこに宿る心は変わらぬものと思います。』
結局、大切なのは、何よりも「健やかにここまで育ちました」と感謝を込めてお詣りすることのような気がします。