「虹」
冬の虹はめずらしですが、温暖化しているのではといわれる昨今ではめずらしくないらしい。
まぁ この時期でも虹がでれば、思わず見とれてしまいますね。
そこで、こんな記事をご紹介します。
記事(2015年11月25日 tenki.jp)によると
『◆色も七色ばかりではない!虹にまつわる世界の不吉な伝承
現代の私たちにとって虹というのは、ロマンチックで明るい幸福や夢の象徴。ヨーロッパ文明圏では、虹は総じて好意的に受け取られてきたようです。
ギリシャ神話では虹はイーリスという女神であり、イーリスはそのまま瞳の光の調整をする虹彩のことも指しますし、アヤメの仲間のアイリスも、同じイーリスからきています。とはいえ、西洋でも虹は不穏なものでもあり、イギリスなどでは虹が出ると、子供たちは虹が消えるおまじないをつぶやいたとか。そういえば、ピンクフロイドの「狂気」という有名なアルバムジャケットには、虹の分光が精神的不安の象徴として描かれていました。精神的な病や、嗜好の逸脱、混乱などが虹と結び付けられることも多いようです。
そして虹という漢字の本家中国では、はっきりと不安定や凶兆を暗示させるものととらえられていました。
それは「虹」という漢字にも現れています。言うまでもなく虫偏がつくのは蛇、蛙、蜥蜴(とかげ)、蝦蟇(がま)、蚯蚓(みみず)、蛭(ヒル)などと同じ扱い。虹は巨大な蛇だといわれていたのです。そして両端に頭があり、地上に水を飲みに来るのですが、両端の頭で水を飲むので虹のアーチの形になるというわけです。
また、色は五行に対応して五色、陰陽に応じて雄と雌の性別もある。これを虹蜺(こうげい)といい、虹(こう)が雄、蜺(げい)が雌、対であらわれるとされました。雌雄対で現れるとかちょっと不可解ですが、虹には実際よく見るとはっきり見える鮮やかな虹の上に、ぼんやりとして色の配列が逆になったもうひとつの虹があります。これは、副虹。この副虹を蜺といったのです。
そして、虹が現れるのは人の社会・世の中が本来あるべき道をはずして乱れたときに凶兆としてあらわれるといわれました。「淮南子(えなんじ)」の原道訓(げんどうくん)には、「虹蜺不出、賊星不行(虹蜺出でず、賊星(ぞくせい)は行かず)」と、虹が出ないことは世が乱れずよいこととされていました。
日本語の「にじ」という読みも、もとは「のじ」または「ぬじ」といい、[沼の主」という意味です。日本でも中国に倣い虹の色は五色で、やがて西洋科学の輸入とともに七色になったのですが、もっと古くは虹は黒と赤の二色、と考えていた時代もあったようです。これはまた異様な感じがしますが、[黒」というのはおそらく、主虹と副虹の間の暗く見える部分を指しているものと思われます。そして、主虹の「明るい」部分を「赤」と言っていたのではないでしょうか。
沖縄の島嶼地域では雨呑み者(アミヌミヤー)、奄美では天の長虫(ティンナギャ)などと呼び、旱魃をもたらすものとして恐れられ、また虹を指さすと指や手が腐る、といわれて虹が出ても指差してはならない、といわれていました。
とはいえ現代の私たちは、虹というのは太陽光が空気中の雨粒などの水滴に当たり、その42度の反射光(副虹・蜺は51度)が分光して虹として見える、と科学的に知っていますよね。
◆「冬の虹」よりも珍しい虹もある
ところで、空気が乾燥し太陽光が弱く虹が出にくい冬の虹よりも、もっと珍しい虹があるのはご存知でしょうか。
ひとつは白虹と呼ばれる現象。水滴よりも細かい霧粒などの水蒸気に反射してできる虹で、全体がほぼ真っ白。霧のでやすい高原の湿原によくあらわれるといわれ、尾瀬ヶ原や日光ではしばしば観測されるようです。
そして、夜の虹、月虹。太陽光ではなく、満月などの強い月光が作る虹で、出現頻度はきわめて低く、もし見た人は幸福になれるとか、運命が変わるなどの伝説もあるようです。月の光は太陽より弱いので満月であっても空気が澄んでいなければならず、なおかつ水滴が空になければなりません。かなりきびしい条件ですよね。台風一過の後の満月の夜に見晴らしのよいところにいってみると、もしかしたら見られるかもしれません。』