「亥の子(いのこ)餅」。
自分…知りませんでした。
何でも、亥の月、亥の日、亥の刻に食べて無病息災を願うらしいですね(今年は11月19日、今日ですね)。
そこで、「亥の子(いのこ)餅」に関する記事をご紹介します。
記事(2015年11月18日 tenki.jp)によると
『亥の月・旧暦10月の最初の亥の日、亥の刻。このときに新穀でついた「亥の子餅」を食べて、無病息災、子孫繁栄を祈る年中行事があります。今年の亥の日は、明日11月19日。亥の刻は、午後9時~11時。そろそろ本格的な冬を前に、ストーブや炬燵を出すころです。
◆「亥(い)」とは、猪(いのしし)のこと。亥の月、亥の日、亥の刻に「亥の子餅」を食べる由来とは…
冬も近づく旧暦・亥の月の最初の亥の日、亥の刻には、昔から多産な猪にあやかろうと、子孫繁栄や無病息災を祈り、亥の子餅を食べてきました。
これは、もともとは中国から伝わった行事といわれ、日本おける平安時代の宮中行事「御亥猪」に。宮中ではこの日に「亥の子」の形をした餅を献上する儀式があり、これが次第に民間でも行われるようになったとか。
また、田の神を迎え送る「亥の子の祝い」は、収穫を祝い豊作を願う習わしとして、主に西日本で多く行われてきました。東日本で同様の行事にあたるのは、旧暦10月10日の「十日夜(とおかんや)」。
ともに子供たちが、ワラや石で地面をたたいて家々をまわり、畑の作物を荒らすモグラや野ネズミを追い払ったという年中行事です。どこか「うりぼう」(猪の子のこと)にも似た子供たちが賑やかに集い、新穀でついた「亥の子餅」を食べて、みんなの健康や繁栄を願ったのでしょうね。
◆平安時代の宮中行事「御亥猪」からはじまり源氏物語にも出てくる「亥の子餅」
さて、「亥の子餅」ですが、もともとは大豆、小豆、ささげ、胡麻、栗、柿、糖の七種の粉で作られたとか。
紫式部作『源氏物語』でも、紫の上のもとに「亥の子餅」が届けられた場面が登場します。
また、別名は「玄猪」。室町時代には、白・赤・黄・胡麻・栗の五色の餅であったそうですが、近世には小豆の入った薄赤色の餅となり、やがて牡丹餅となったともいわれています。現在ではとくに決まった形はなく、多くの菓子店がさまざまな素材を駆使し、色や見た目、味わいに工夫を凝らしています。
◆茶の湯のお正月・炉開きが行われ、市中では火鉢や炬燵を出す「亥の日」
陰陽五行によると、十二支の一つ「亥」は水性にあたるとされ、江戸時代の江戸市中では、亥の月の亥の日に火鉢や炬燵(こたつ)に最初の火を入れると、火事になりにくいと信じられていたとか。
また、茶の湯の世界でも、「亥の日」に炉開きを行います。お茶のお正月といわれる開炉の茶事でも、「亥の子餅」は茶席菓子としてよく用いられるのです。
“亥の月、亥の日、亥の刻に食べれば病気をしない”という言い伝えにあやかっていただけば、この冬、風邪をひくことなく健やかに過ごせるかもしれません。』