萩さんの話ネタ2

特に何の特徴もない思い付きの話を徒然と・・・
暇な時にでも寄ってやってください。

即席麺、ちょい足しレシピ

2015-11-14 12:00:00 | 日記

カップラーメンや袋麺などの即席麺。
ちょい足しで即席麺を旨くする方法について調査した記事をご紹介します。
…個人的には、非常に興味がある話題です(^^)

記事(2015年11月13日 msnニュース)によると

『カップ麺&袋麺が3倍旨くなる「ちょい足しレシピ」
 ●魚粉
 特に相性がいいのはシンプルな醤油ラーメンだとか。豚骨系のカップラーメンに入れると魚介豚骨になり、奥行きのある味になるのだとか。最近では、カップラーメンや即席麺用に入れるちょい足し用の魚粉も発売されており、魚介系ラーメンの人気の高さが伺える。

 ●あおさ海苔
 「普通の板海苔じゃなくて、乾燥したあおさ海苔を入れると磯の香りがフワッとしてカップラーメン特有のしつこさがなくなって美味しいですよ」と教えてくれたのは、20代のOL。彼女はお寿司屋さんの海苔汁にヒントを得て、ラーメンに入れるようになったという。あおさ海苔は普通の板海苔よりも香りが強く、ハラリと溶けるようにスープに馴染んでいくのが特徴。「相性がいいのは塩ラーメンですね。家でごはん作るのが面倒くさい時なんかは、サッポロ一番の塩ラーメンにたっぷりのあおさ海苔と刻んだネギ、胡麻と胡麻油を入れて食べたりしてます」

 ●お酢(タバスコ)
 「半分はそのまま食べて、最後の半分はお酢をサッと一回しかけて食べると味がしまって美味しくなるし、後味もサッパリします」と教えてくれた30代の主婦によれば、お酢は万能調味料だという。「醤油でも塩でも、味噌でも、豚骨でも、どんなラーメンでも〆にちょっと入れれば途端に味が締まります。即席麺は化学調味料がたくさん入っているので、お酢を入れることでいつまでも続いてしまう濃厚な後味をサッパリさせることができるんだと思います。また、酸味に辛さがプラスされているタバスコも同じような効果がありますね。タバスコはカップ焼きそばと相性が抜群ですよ」

 ●カレー粉
 あらゆるものと相性が良いと言っても過言ではないカレー味。「カレーは味噌ラーメンと塩ラーメンと相性がすこぶるいいんだ。味噌ラーメンなら気持ち多め、塩ラーメンなら軽めにコショウの変わりくらいな感じで。いろんな種類のカレー粉が売ってるけど、僕のオススメはSB食品の赤い色したちっさい缶のカレー粉。あれは日本人好みの味で落ち着くんだよね~」と、カレー粉の魅力を語ってくれたのは、40代の会社員男性。さらに彼は驚くべきカスタマイズを施すという。「味噌ラーメンにカレー粉を少し多めに入れて、粉チーズをどっさりぶっかける。これでチーズカレー味噌ラーメンの出来上がり! ごはんが進む一杯になることは間違いなし!」

 ●パクチー&ナンプラー
 タイ料理好きの30代女性に教えてもらったのは、エスニックな一杯に変身させる裏技だ。「パクチーとナンプラーを塩ラーメンに入れると、本当に最高! 一味唐辛子とお酢を少し入れたら、完全にタイ料理になりますよ。パクチーはできれば生のパクチーがいいですが、なければ乾燥したものや冷凍したものでもいいです」

 ●日本酒
 一杯飲んだ後の〆の一杯にもってこいなのが、こちらの日本酒だ。「熱々の沸騰させたお湯を塩味のカップラーメンに注ぎ、お猪口半分強の日本酒を入れて蓋をする。3分経って蓋を開ければ、日本酒の香りがフワ~と香るんだ。これがまた本当にたまらない。酔った胃袋と頭にトドメが刺さる一杯だよ(笑)」
 入れる日本酒は大吟醸など香りが高いものがオススメなんだとか。

 ●他にも
 ・ブラックオリーブ……醤油ラーメン&塩ラーメン
 ・とろろ昆布……醤油ラーメン&塩ラーメン
 ・かに缶……とんこつ系以外
 ・コショウせんべい……醤油ラーメン&塩ラーメン
 ・天かす……醤油ラーメン&とんこつ
 ・粉チーズ……味噌ラーメン、塩ラーメン、とんこつ』

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土曜日・・・雑記

2015-11-14 01:00:00 | 日記

「駄菓子」。
昔懐かしいですね。駄菓子に関する面白い記事がありましたのでご紹介します。

記事(2015年11月12日 tenki.jp)によると

『ニッキ水やラムネ、梅ジャムにソースせんべい、酢こんぶ、あんず棒 etc.……どれもこれも昔懐かしい「駄菓子」ばかりですね。
 日本全国の「香りのある地域」から選定された、環境省の「かおり風景100選」には、埼玉県の「川越の菓子屋横丁」も選ばれています。
 一方で、昔ながらの駄菓子屋さんが減っているのはご存じの通り。かつて身近な存在だった駄菓子ですが、現在では観光地などの特別な場所で楽しむお菓子になってきているのかもしれません。
 江戸から明治、そして昭和へ……駄菓子の辿った道程を辿ります。

 ◆とびきり上等ではないけれど、庶民にとって身近なお菓子
 奈良時代までの日本で、「菓子」といえば果物か木の実を指していたとか。その後、甘葛やはちみつを使ったお菓子や、中国から伝わった揚げ菓子などが出まわり始めました。
 やがて茶の湯が流行すると、本格的なお菓子が作られるようになります。しかし、お菓子に欠かせない白砂糖は、当時は大変な高級品。それを使ったお菓子を口にできるのは上流の人びとに限られていました。

 江戸の中期から後期になると、国産の白砂糖の増産などもあって、砂糖の価格が低下。飴玉、まんじゅう、きんつば、大福……などなど、庶民の手が届くお菓子が次々に登場しました。
 
 街道の整備などにより、人やモノの移動が増えたことも、お菓子の普及にかかわっていたようです。限られた地方でしか食べられていなかった菓子が、町でも出まわるようになりました。菓子の消費が増えたことで、菓子づくりを生業とする職人も登場します。そんな中、唐菓子、南蛮菓子などの要素もミックスされ、駄菓子の原型にあたるものが作られていったと考えられています。

 「駄菓子」という言葉の語源は定かではありませんが、田んぼや山仕事に持っていく「田菓子」からきているのではないかともいわれます。
 当初、駄菓子はほとんどが行商で売られていました。それが、明治・大正時代になると店を構えるようになり、「一文菓子屋」「一銭菓子屋」と呼ばれるようになっていったのです。

 ◆近代化や世相と結びついて発展した「駄菓子文化」明治維新が起こり、社会の近代化が進む中で、大都市へとたくさんの人びとが流入しました。
 生活の西欧化も進み、欧米で菓子づくりを学んだ人びとによってビスケットやチョコレート、ドロップなどが次々と紹介されました。

 19世紀終わりから20世紀初めにかけて、日本の統治下に置かれた台湾、パラオ、サイパンなどでは製糖が盛んに行われ、砂糖が潤沢に供給されました。供給が安定することで価格も下がり、お菓子の種類も増えていきます。

 都市の風俗・文化が形成されていく中、駄菓子屋も隆盛の時代を迎えたようです。
 「大人はみな働き手」という家が多く、小銭を与えられた子どもが向かうのは駄菓子屋でした。そうして、年長の子どものやることを見ながら、品物の選び方やお金の数え方などを覚えていったのです。

 第二次大戦が終わり、砂糖の統制が撤廃されると、駄菓子屋は再び輝きを取り戻します。戦後復興に向けて大人たちが必死に働いていた昭和20~30年代、子どもたちの遊び場として駄菓子屋さんが人気を博していたのです。

 その後、大手製菓メーカーによる業界再編や、スーパーマーケットの登場などにより、駄菓子を取り巻く状況は変化していきます。職人が手作りした菓子を、小規模な卸売業者が仕入れ、駄菓子屋の店頭に並べる……。こうした昔ながらのやり方が、少しずつ消えていきました。
 現在、スーパーやコンビニなどで見かける駄菓子は、卸売業者さんが特別なブランドとして扱っているケースが多いようです。』

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