「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

いつものような月曜日

2010-11-22 23:44:53 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
久しぶりのオフィス。

出張中に書きためていた業務メモを打ち出し、
さらに、赤ペンで追記するなど、
過去10日ほどの活動を振り返る。

(※業務メモ:
備忘録代わりに個人的につけている日々の活動や所感のメモ。
日によるが1~3ページくらいになる。)

出張の記録も更新。
先週パナマで行われた
早期警戒システムのワークショップへの参加で、
赴任後6回、合計26日となる。
単純に言って、月の半分は外まわり、という計算。
複数国を担当するプロジェクトゆえ、
交通費と出張者の時間と体力はかかることは、
織り込み済みではあるのだが……。

先週の早期警戒システムのワークショップを思いだしつつ、
プロジェクトとしての共通資料作りを始める。
手始めに資料の西訳をスタッフTさんにお願いする。

盛り込むべきアイディアは何か。
関係機関のロゴやその配置をどうするか。
日本語のBOSAIのコンセプトを
やさしく伝えられるスペイン語はどういうものか、等々。
考えるべき論点はいくつもある。

目の前の現象の背景に何があるか。
その背景についての知識を持たせた上で、
目の前で起こっていることを解釈させ、
しかるべき行動へと導けるように。
狙いは明確なのだが、
それを型にするまでには少し時間がかかりそう。

いつものように、18時くらいまでオフィスで仕事。
自宅に戻ってからは、明日からの出張準備をしつつ、
金曜日まで家を空けていてもよいように、
冷蔵庫の食材を(根菜類はともかく)片づける。


                    (11月24日アップ)

何とか「借金」は返せたかな?

2010-11-21 23:01:46 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
天気の良い日曜日。

体調も戻ったことだし、
久しぶりにグランビアのロスランチョスまで
ステーキを食べに出ようか、と、
同窓の先輩Sさんに声をかけていたのだが、
残念ながらドタキャンとなる。

ハイチでのコレラ対策や、
ニカラグア=コスタリカ間の国境紛争絡みで
ニカラグアが中米統合機構から脱退を考えているなど、
現在進行形の課題が山積み、とのこと。
かつ、資料作成などは、結局のところ、
休みの日にやらざるを得ない、と。

この部分は同感であった。

仕事の性格上、
「切った」「貼った」「縫った」の対応を求められてはいないが、
それでも、7時半から18時まで、正味10時間半オフィスにいても、
どうしても積み残しが出てしまう。
となると、それを処置するのは週末でしかない。

ステーキは自分で焼いて食べることとして、
頭が動いていなかった一週間弱で、
たまってしまったメールに返信をすることで一日が過ぎる。
(うーん、これではサバティカルにならないなぁ……。)

何とか20通を書き上げ、
「借金」態勢からは抜け出したものの、
もう日付が変わるような時間となっていた。
ルーティンワークの延長で週末が終わってしまっては、
何とももったいないと思いつつも、これが実態。
しっかりとした原稿を書くことも、
ここに来る目的だったのではなくて?
と、自らに言い聞かせなくては、である。


旅とくらし、くらしと旅

2010-11-20 23:52:32 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2週間ぶりに自宅で過ごす週末。

「モクテスマの復讐」からはようやく立ち直りつつあるが、
その間、ためてしまった仕事も多い。
ノートを引っ張り出して業務メモにまとめ、
さかのぼってのブログの更新などで日を送る。

夜、久しぶりに「日本一」へ。

「おごってでも一人で食べるな!」は、
敬愛するO先生の弁であったが、
このところ、サンサルバドルにいる時には、
自宅での食事は当然のことながら、
どこかに食べに出る時も一人での食事が多くなった。

考えてみれば、
富士で生活している時も、
いつもの「丸天」には一人で行くことが多かった。

(注:丸天は、富士市内にある、顔馴染みの魚河岸料理の店。
ネットなどでも良く知られているとのことであった。)

中米の地での活動は、
「旅の坊主」の行脚先での出来事なのだろうか。
それとも、
生活者として中米で暮らす者が、
(旅が多いのも生活の一部として)
日々の暮らしの中で行っていることなのだろうか。

ふと、そんなことを考える。

日本とは違う緊張感の中で生活しつつも、
生活は生活。
日々、ピリピリでは、
息が詰まるし、長つづきもしない。

仕事の種類は、なるほど多少は珍しいかもしれないが、
仕事をして、お金をもらって、生活しているのは、みなと同じ。

特別なところに行って、特別なことをしている、
どこかにそんな思い込みが、
あったのかもしれない。
(思い上がり、と言うべきかも……。)

日本を発って2ヶ月が経ち、
少しは落ち着いて、
自分を振り返ることが出来るようになった、
そんなところなのかもしれない。

なかなか得難い経験をさせてもらっているのだから、
それを活かさない手はない。
その部分は、まったく変わってはいないが。

見慣れた店。
少しずつ成り立ってくる定員さんとの会話。
いつもと同じビールとおつまみ。
皮のノートを開いてメモをとりつつの、
いつものような一時であった。

どうやら、体調はもどったみたいである。

                      (11月22日アップ)

パナマという国を考える

2010-11-19 23:29:34 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
当初予定通りなら、
この日にJICA事務所に報告し、打ち合わせの後、
サンサルバドルへ戻るはずだったのだが、
プログラムは前倒しで終了し、
報告・打ち合わせも前日に済ませたので
夕方のフライトまで半日の時間が出来る。

せっかくパナマまで来て、かつ時間があるならば、
パナマ運河を見ずに帰ることはない。
というので、タクシーをチャーターして市内観光。

ミラフローレス閘門(水門)は、
市内からわずか6kmという近さ。
観光客でごった返していたが、
なるほど、これは確かに面白い。
目の前を大型船が通り、閘門が閉じられ、
注水に伴ってゆっくりと船体が持ち上がり、
そして抜けて行く。
見ていて飽きないものだった。

昼食は、コースウェイと呼ばれる橋を通って、
市街地の南にうかぶ3つの小島へ。

島は、奥から
フラメンコ島(踊りだけでなくフラミンゴの意味もあるのだそうな)、
ペリコ島(インコの意味)、
ナオス島(文学的な表現での船・複数形の意味)、

手前のナオス等のレストランで、
海鮮スープに魚を揚げたものなどいただく。
スープも食べやすく提供され、魚のフライも洗練された味であった。

それはそれとして。

フラメンコ島には巨大なヨットハーバーがあり、
静岡・熱海辺りのハーバーでは見られないような、
巨大な豪華ヨットが係留されている。
豪華ヨットのマストの間からは、
パナマの新市街地、林立する超高層ビル群が見える。

当地への訪問は2回目であるが、
どこか金の使い方がおかしい、その思いを強くするのみであった。
かつては同じ国であったコロンビアの麻薬マネーか、
その隣のベネズエラの石油マネーか、
出所は知らないが、通貨がドルであるがゆえに、
○○マネーが流れ込み、で、
あるところにはある、という姿が出来上がっているのか。

持つ者からすれば、
持たざる者は自分に投票さえしてくれればいい、という、
そういう「わかりやすい話」なのだろうか……。

パナマ運河があればこそ、
黙っていても中央政府には、
それなりの額の金が入ってくる、
だから、
政治的に目立てば、金の算段はしてあげるよ、という話、
なのだろうか……。

同じパナマシティの中でも、
一方にスラム化しつつあり「危ないから立ち入らないように」という場所があり、
他方に国策としての経済センター作りのための高層ビル群がある。
チリキ県(州)とベラグアス県(州)のサイト訪問はまだだが、
金の流れが少し変わったならば、
ずいぶんと社会も変わるだろうに、
なせそういう使い方が出来ないのだろうか。
嫌でも考えさせられてしまう。

一言で表現するのは趣味でなく、また、
わかったようなことを言うのも好きではないが、
それにしても、バランスが崩れた様を感じさせる国である。
この印象、いつか変わって行くのだろうか???

パナマ⇒サンホセ、サンホセ⇒サンサルバドルと、
短時間で飛行機を乗り継ぐも、無事に到着。
預けた荷物も無事に出てきた。

プロジェクトのドライバーAさんの出迎え。
そのまま自宅に戻り、ようやく週末である。
何とか体調は戻ってきたかな、と。

Skype!を使い、日本に戻ったばかりの母に電話。
無事帰国は何よりであったが、
ツアーの仲間ほどは「モクテスマの復讐」に遭ったとのこと。
恐るべし、メキシコ観光?

                       (11月21日アップ)

「絵」を描くことの大切さと難しさ

2010-11-18 23:25:06 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
予定していた早期警戒システムの研修プログラムが
前日までで終わったこともあり、
1日繰り上げてJICAパナマ事務所を訪問、
M所長、担当Mさんと、Sリーダーを交えて諸々の打ち合わせ。

5年間のプロジェクトに、半ばを過ぎての参加であり
当然のことながら、活動をどのように終わらせるかについて、
今からしっかりと考えておく必要がある。

そのことの重要性は十分理解しているつもりだが、
残念ながらたかだか2ヶ月ちょっとの滞在経験しか持たず、
プロジェクトサイトへの初度視察も終わってない。
なかなか、期待・課題と現実のギャップが埋まらない。

プロジェクトの終了後を考えるならば、
我々が直営で、つまりは自分自身が体を動かしてやるのではなく、
カウンターパートなりコミュニティなりに
うまくやらせてナンボ、という話になる。

「ここは日本に任せているのだから、
俺たちは何もやらなくていいのだ」
などという話になってしまったら、
何のためのプロジェクトか、ということになる。

地元の人材の活かし方。
言うは易し、行うは難しであることは言うまでもないが……。

次は1月に、ということで、
全体での打ち合わせを終える。

引き続き、担当Mさんに時間をもらい、
もう少し細かい意見交換など。

計画で規定している各到達目標に対して、
率直に言ってゴールが見えない、という現状がある。
どうすれば、評価に足る成果を残すことが出来るのか、
その評価のモノサシ自体の検討も含めて、
いろいろと議論をさせてもらう。

各国から上がってくる成果のうちの共通部分が、
まずはプロジェクトの成果、ということになる訳だが、
それだけでなく、
共通の成果からはみ出した部分についても、
(少なくとも)定性的な成果として位置づけ、
次の世代に、あるいは横に伝えるべき。

そのようなアイディアをもらったように思う。

プロジェクトが雇用している現地スタッフZさんが
事務所に報告に来ている。
報告の仕事は終わったとのことだったので、
ちょうど時分どきでもあり、お昼をごちそうすることに。

敵もさるもの、ひっかくもの。

事務所があるワールド・トレード・センター(!)のお向かいの、
洒落たシーフード・レストランに案内される。
後で聞いてみればなかなかの高級店だとか。
確かに味は良かったが値段も相応。
しっかりとたかられてしまった。

まぁ、そこは、じたばたしたところで始まらない。
美味しくシーフードをいただきつつ、
プロジェクトに対する思いやら提案やらを聞かせてもらう。

で、考えた。

BOSAIの精神は一つ、すなわち
「リスクとの共生を学ぶ」という言葉に尽きるが、
現実の中で、具体的に求められるBOSAI活動は、
その土地、その土地に応じて、自ずと異なるものとなる。

では、3県(州)の6つのプロジェクトサイトについて、
その土地におけるBOSAIの絵を描けるだろうか。

「まずは調べて記録に残そう」かもしれない。
早期警戒の仕掛けを作って導入し、
何かあったらサイレンが反応するから「逃げよ」かもしれない。
「参加型で小規模土木工事をやろう」かもしれない。

土地柄・地域特性を理解した上での、
意識向上、組織化、能力向上、等々。

プロのBOSAI人として、
みえる化からカイゼンまでの絵を描けるか。
そして、その絵を、説得力ある形で語れるか。

それぞれのプロジェクトサイトの特徴と、
その特徴に相応しい住民参加型のBOSAI活動の絵、
まずは、その絵のイメージを持つことが先決であるな、と
改めて確認させてもらった。
美味しい料理に感謝、というところであるな。

ホテルに戻り、
ようやく頭も動き出したらしく、
メールやら原稿書きやら。

夕方、M所長と担当Mさん、
Sリーダーと「旅の坊主」の4人で、
近くの韓国料理屋へ。

好き嫌いなく何でも食べるが、
それでも白いご飯があるとホッとするのは、
やはり東洋人ゆえ、なのだろうなぁ……。

                       (11月20日アップ)