「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

再び、打ち合わせ&打ち合わせ

2010-11-26 23:39:13 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
今日も一日、打ち合わせ。
タクシーでJICAコスタリカ事務所へ。

出張旅費をかけてまで打ち合わせが必要なのか。
そう思う時も、ないではない。
しかし、言葉も文化的背景も異なるチームメンバーであり、
しかも広域プロジェクト=日々顔を会わせられる訳もない。
さらに、お互い、プロジェクトの途中からの参加。
なるべく早いうちに、じっくりと時間をかけて、
お互いの理想を一致させておかないと、後で大変なことになる。

そんな思いを抱きつつ、ともかく議論を続ける。

休暇明け早々から飛び回っていた事務所のYさんに、
無理を言って同席してもらい、パワーランチモードで行う。
ずっとお付き合いいただいているJOCVのお二人にも同席をお願いする。
これから先のコスタリカでのプロジェクトのあり方について、
日本人4人+現地雇用のナショナル・コーディネーターとの意識合わせ。

最大の論点はモノの決め方。これが今まで明確ではなかった。
そのことを改め、しっかりと図式化できないか、と。
こちらでしっかりとした案を作っておき、
次回の訪問時に、プロジェクト・マネージャーと詰めることにする。

「関係機関に資料をもらいに行きたくても、
代わりに差し上げる、プロジェクトのPR用のパンフレット一つない」

ごめんなさい、としか言いようのない話。
極めて早急に手を打たないと、である。

現場の担当者との定例会議も実現していない。
これもまた情けない話。これも、プロジェクトの予算で定例化しないと、である。

等々、議論は尽きないが、時間切れとなってしまう。

前任者の名誉のためにも、付け加えておかなくてはならなかった。
前任者の努力があるからこそ、今の活動がある。
ただ、活動範囲はあまりに広く、マンパワーは小さすぎる。
十分なことができようはずもない。
「弾を作り、弾を打ち、また弾を作り……」とはHさんの弁。

後任の「旅の坊主」、担当国が3つ、現場の数は19+α。
赴任2ヶ月半で、まだ7か所しか行けていない。
そう思うと、前任Hさんは、
よくぞまぁ、ここまで実績を残したもの、と思うのみ。

足りないところは後任が頑張ります、と言いたいが、
何せ力不足は否めず……。

まぁ、現場など、こんなものか、などと、
わかった気になってはいけないのだが、
どこかに妥協をしている自分もいる。
だがまぁ、ともかく、有意義な議論であった。

プロジェクトの車で空港に向かう。
途中、国家災害緊急事態委員会(CNE)へ。
プロジェクトのコスタリカ側の代表は旧知のD氏。
ともかく熱心で、ビジョンもあるのだが、
忙しすぎ&自分で抱え込むのは、誰かさんと似ている。

何とかアポだけは取りつけて空港へ。
LR670便でサンサルバドルに戻る。
20分違いの便でニカラグアから戻ってきていたKさんと合流。
自宅まで、いろいろと議論しながら戻る。

日本に送った研修生も、研修は終盤にかかっている。
何を得て来てくれたのか。そこが気になる。
国の職員に期待するもの、現場の担当者に期待するもの、自ずと異なる。
現場に必要なノウハウ、国の政策に必要な体系性。
そんな議論が出来たことが嬉しい。

馴染みの日本食レストラン「日本一」が、
駐車場がないとの理由で営業出来なくなったとのこと。
代わりの店舗が見つかるまで、休業を余儀なくされる。
願わくは、自宅から徒歩圏内に来てくれれば、との勝手な期待も持ちつつ、
ご主人Fさんへのご挨拶も兼ねて顔を出す。

お世話になりました。
なるべく早い再会(再開)を願っています。

                           (11月30日アップ)

期せずして911指令センターとコスタリカ赤十字を訪問

2010-11-25 23:00:07 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
我ながら何とも情けないことながら、
朝、起きられず。
10時近くなってしまったが、会場のラディソンホテルへ。
全体会はほとんど聞き逃してしまう。
Iさん、Oさんに迷惑をかけてしまった。要猛省。

フォーラム2日目(最終日)。
300余名という規模で、関係機関が集まっていること自体が素晴らしい。
と共に、その他大勢としての参加しか出来なかったことについて、
情報収集の在り方もふくめてしっかりと反省しなくてはならないと、
改めて思う。
その国に常駐していないということの意味は、
もちろんわかっているつもりではあるのだが……。

フォーラムは進行中なれど、
911の指令センターを見学させてもらえるとの話があり、
IさんOさんに連れられ、そちらを見学させてもらう。
911のインストラクター、Mさんに感謝。

コスタリカの911。
薬の処方、DV、火事、救急、傷害、殺人、等々。
何から何まで、全国を一元管理とのこと。
まずは3秒ほどの自動応答の後、担当者が受ける。
システムはカナダ製、ライセンス料は1台あたり月額1000ドルとか。
まぁ、そういうものだろう。
通報の中身は、訓練を受けた担当者が、その場でキーボード入力、
(書き込むべき項目は当然のことながら決まっている)
必要に応じて関係機関とリアルタイムで共有されるとのこと。
電話料金の1%(料金?収益?)が911のシステム維持に投入されるとのこと。
データは10年保存。毎日、判事が来て確認しているのだそうな。
職員数が109名。うち75名はパラメディックとのこと。

セントロの北部、カリブ海方面行きのバスターミナル
「カリベ・バスターミナル」の食堂にて、日本人3人で食事。
きれいかつリーゾナブルな値段と味に満足。

午後、フォーラム会場に戻り、
相変わらずスペイン語はわからないが、
わからないなりにフォーラムの展開を聞く。

4つの分科会から、それぞれの報告があり、
壇上の8人がそれに応える形で議論が展開する。
提言?が導き出された過程はわかるが、
その中身については甚だ疑問。
そして、その提言が「えらいさん」に伝えられる。
これは一種のセレモニーなのか、とも思ったが、ともあれ、
BOSAIでこれだけの人が集まる素地があることを
しっかりと認識すべきである。

夕暮れ近くになったが、
コスタリカ赤十字の本部を見学させてもらえるとのことで、
IさんOさんと共に伺わせていただく。

コスタリカ赤十字は、
救急と救助の初動対応を行っているという点で、
他国とは異なる特徴を持っている。
(ちなみにメキシコとコロンビアも同様なのだそうだ。)

指令センターには、午前中に見た911のシステムが2つ。
指揮通信システムは、99年にJICAが供与したものとか。
さらに、日本の消防で言えば救助工作車にあたるものも、
日本が支援していた(車両はフォード製ではあったが)。

全国で700台ほどの車両を運用しており、
うち400台ほどが救急車とのこと。
やはりここでもトヨタ車の評価は高い。

奇妙に思われるかもしれないが、
気象変動対策のセクションがあり、
若い職員ががんばっている。
コミュニティ向けの一連のテキストがあり、
その幾つかはプロジェクトBOSAIの活動とも通じるものがある。
過日の、コスタリカ・コバノでの学校BOSAIの写真を見せ、
「我々はこういう活動をやっているのだが一緒にやれればいいね」と話をする。
そう、一緒に仕事をしたいなぁ、という気になるのが嬉しい。

期せずしての赤十字訪問であったが、
得るところは大変大きかった。
担当のOさんに感謝である。

夕食は、サンホセに来た時にはいつも行っている、
アルゼンチン産の肉料理の店である「ブエノスアイレス」へ。
バーの雰囲気も良く、店の人と顔馴染みになりたいなぁ、と思う。

分厚いステーキ肉と赤ワインを味わいつつ、
IさんOさんからいろいろと説明をしてもらう。

参考までに、その幾つかを紹介するならば……。

・自治体職員(市町村レベル)を対象として、
コスタリカの通信大学が
リスクについての講義を行っている事例がある。

・土地利用について、中央政府は規制を強化しようとしているが、
市町村のレベルが追い付いていない。

・建物の耐震性に関する建築基準はある。また、
断層周辺での建築を制限する断層法もある。
ただし、その断層の規定については、極めて疑問。

・コミュニティが災害リスクを知りたいと思ったら、
中央政府(国家防災危機管理委員会)が、
コミュニティレベルでのリスクマップまで提供可能。

・開発計画の中に防災の視点を入れよ、
との議論まではされている。

・防災計画?非常事態計画?はあってもその評価が出来ない。
評価が出来る仕組みを作る必要あり。また、
計画についてアドバイスをしてくれるところがない。

・企業の防災についても、防災計画、シミュレーション、
BCPまでの言及はある。

・等々

さて、これら、
表になった課題だけでも多数ある。
それらに対して、どこまで働きかけられるだろうか。

酔いざましを兼ねて、
ホリデーインまで送ってもらう。

ウェルカム・ドリンクをもらい損ねていたことに気付き、
バーの閉店まで少し時間があったので、
パソコンを持ち込んでメールなど。

                              (11月30日アップ)

打ち合わせ、打ち合わせ、打ち合わせ!

2010-11-24 23:42:30 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
ゆっくり目の朝。10時にJICAオフィスへ。
担当のコーディネーター、Dさんと打ち合わせ。
何だかんだと、昼食をはさんで3時間余り。

担当になって当方はわずか2ヶ月余。
Dさんもこの5月に代わってからの半年ちょっと。
しかも、本来主役であるはずの、
カウンター・パートのプロジェクト・マネージャーは時間がとれず。
JICA事務所の日本人スタッフYさんは出張。

これらの事情は事前にわかっていたものの、
ともかく、何が問題なのか、
何を明らかにしなくてはならないのか、
その確認だけで3時間余の時間が費やされる。
そういうもの、との覚悟はあり、
かつ、おかげで、ある程度は方向性が見えてきた。

幾つかの点については具体的な指示も出す。
Dさんにがんばってもらわないことには、
プロジェクトの先行きは厳しい。
期待するところ、極めて大。

昼食の後、
Dさんの運転するプロジェクトの車で、
パセオ・コロン(通りの名でもあり、また地域の名でもある)の
豊田通商コスタリカへ。
駐在のHさんに時間を作ってもらい、
いろいろとお話をうかがう。

豊田通商の防災の仕事を手伝っていた縁で、
日本の仲間に紹介をしてもらい、
この日の面談となる。
官民連携が出来ればいいなぁ、という思いはあるものの、
豊田通商さんの側からすれば、余計な仕事をもってこられて……、
との思いは否めまい。
そんな中、時間をとっていただいたことに、ただただ感謝。

当方のプロジェクトの概略を説明した上で、
プロジェクトの持続性確保のために、
日系企業の支援を得られるような仕組みが出来ないだろうか
(企業側からすれば、企業の社会貢献という枠組みでの話となる)
その方向で1時間ほど議論をさせていただく。

もちろん、その場で答えが出るような話ではない。
何せ、商売をしている方のところにお願いをするのだから、
それなりのメリットを示さなければ話が具体化するはずもない。
今日のところはご挨拶、というところ。
いつか、一緒に仕事が出来ればいいなぁ、という思いのみ。

それにしても……。
日本の国際貢献は地味だなぁ、と思う。
豊田通商のオフィスからそう遠くないところに、
中国がどでかい国立競技場を援助した。
もちろん、完成予定はずれにずれ、
その後の維持費を出すはずもない。
駐車場の台数も話にならないくらい少ないので、
協議開催日には周辺は渋滞でえらい目に遭うというのが、
今から確実視されている。
建設はすべて出稼ぎの中国人労働者。
かつ、建設後は永住も可という条件で連れてこられたとかいうのだから、
体の好い棄民政策であることは違いあるまい。

だが、間違いなく目立つ。
我々の地味な作業など、吹っ飛んでしまう。
それでもなお、と、我々は言い続けられるだろうか……。

打ち合わせの後、
Dさんの運転でラディソンホテルへ。
言うまでもない、大手ホテルチェーン。
第2回の防災に関する国レベルでのフォーラムが開催中。
300名規模の人が集まっていること、そのこと自体がすごいこと。
そのような活動(イベント)なのに、
なぜBOSAIプロジェクトに声がかからなかったのか。
その意味をしっかりと考える必要があろう。

JOCVのIさんOさんは正規に登録して参加中。
ワークショップの時間になったのだが、
ダラダラの運営であり、また、
スペイン語からの通訳の手間暇を考えた時、
まぁ、パスさせてもらおう、ということに。

で、タクシーでクラウンプラザまで移動し、
プールサイドのカフェで、
2時間ほど、話をきかせてもらう。
今回の会議のこと、フォーラムのこと、
現場での苦労やら、コスタリカ人の活動ぶりやら。

背景を知らず考えず、ただ教わったことを、
「これが普通のやりかた」と理解し、その普及をしてしまう。
原理がわかっているならば、そうはならないはず。
ゆえに、借り物で終わってしまう、等々。

現場の声ゆえ、説得力は大きい。
彼らの声をしっかり受け止めよ、である。

19時、先に話を聞いたHさんが到着。
ホテル2階の日本食レストラン「富士」にて、
4人でいろいろと話をする。

久しぶりに納豆をいただく。
しっかり納豆だった!

                   (11月28日アップ)

7度目の国外出張はコスタリカへ

2010-11-23 23:01:00 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
作り置きの鶏ガラスープに、ご飯を入れただけの簡単なものだが、
少しはまじめに朝食をとり、片づけをした上でオフィスへ。

8時半過ぎ、
専門家3人とエルサルバドル担当コーディネーターのMさん、
車2台に分乗して事務所を出発、サラコサ市へ。
9時過ぎから、D市長との面談。
途中から、JOCV防災隊員のSさんも同席。
当地におけるBOSAI活動について、意見交換など。

一旦はオフィスに戻り、12時過ぎに再び、
今度はプロジェクトの車で空港へ。

チェックインの後、
件の「ポジョ・カンペーロ」にてフライドチキンの昼食。
今回は、しっかりと狙い通りのものが注文できた。
(実のところ、1品多く買わされてしまったのだが……。)

TAでサンホセへ。
空港では、先日、ニコヤで一緒になったドライバーLさんが出迎え。
この日から3泊4日の滞在はホリデーイン、初めての滞在となる。

予定よりも早く、今日の予定が終わったようで、
JOCV防災隊員のIさんとOさんがロビーまで来てくれる。

サンホセの大通りに面した中華料理屋にて、
再会を祝しての夕食会。
この日で終了した、第1回の防災についての国民会議についてなど、
いろいろと話を聞かせてもらう。

・問題点はあるが、ともかく大きな一歩であったではなかったか。

・科学技術的な観点からの報告はあったが、
社会にそれをどう活かすか、という観点までは行っていなかったのではないか、

・知識を持っているところ(大学・行政機関等)が、
(上から下へという意味での)講義・能力開発は行ったことにはなるのだろうが、
それが定着するタイプのものか、コミュニティのためのものかどうかはわからない、

・「自治体が動かない」「金がつかない」といった批判的な議論はあるが、
ではどうするのか、という建設的な議論はない、

・国立大学の連合体が、防災(Gestion de Riesgo)について、
プロジェクトを始めたとのこと。ただし詳細は不明。

・学校での避難訓練の時、ドアの下が安全とか、屋外に逃げたら大の字になれ、とか、
間違った情報が伝わっている。これを修正するのに手間暇がかかる。
「間違いだらけの防災教育」では困る。

等々。

幸いにも、IさんもOさんも、週末まではサンホセにいるとのこと。
二人との更なる意見交換や情報共有が楽しみである。

                     (11月28日アップ)

11月22日付記 ブログ開設2000日

2010-11-22 23:57:50 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
この日、
ブログを開設してからちょうど2000日を迎えた。

更新回数は378件。つまりは5日に1回以下の更新ペースだが、
それでも、何とか続いていることは、我ながら驚きでもある。

どう考えても、
万人受けの対極にあるようなブログゆえ、
読んで下さる方も多くはないが、
それでも、ゆっくりとではあるが、
足跡を記していきたいと思う。


お読み下さっている皆さまへ。
引き続いてのご愛顧を、よろしくお願いいたします。

「旅の坊主」こと
小村 隆史 拝




                          (11月24日アップ)