「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

東日本大震災から2年

2013-03-11 23:31:13 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
3月11日。

2005年5月のことだから今から8年近く前になるが、
地域安全学会の関連イベントとして小学生向け津波防災の出前講座を行ったことがある。
その会場であった岩手・宮古市の鍬ヶ崎小学校でその時を迎えることとする。

予定より1本遅れ、9時40分発の岩手県北バス106急行で盛岡を発つ。
1本遅れた分、盛岡駅ビル「フェザン」内のさわや書店に寄る時間が出来た。
前々から、盛岡に行った時にはこの書店に寄ることにしているが、
相変わらずこの書店のセンスは大したもの。
旅の途中ゆえ、書名チェックのみにしようか、とも思ったが、
それでも2冊買い込んだ上で、バスに乗り込む。
車窓から、多くの弔旗を見る……。

車中は、ゼミ生の親御さんからのメールへの返信と、
大学の同僚諸兄への「3月11日に思う」と題した雑感メール書き。
到着後は宮古駅前の「すみよし」にいか刺定食を食べつつ、予定の確認。

宮古に入る時の習慣であるが、
駅近くのリラパークこなりで震災絡みの本のまとめ買い。
そのまま、2km余を歩いて、鍬ヶ崎地区へ。

昨日とは打って変わって、雲一つない快晴。

授業をやっている小学校にアポ無しで入る訳にもいかず、で、
あの日小学生らが避難した(と聞く)学校脇の熊野神社の階段の上から
鍬ヶ崎の地区と宮古漁港を見下ろしつつ、その時を待つ。
あまりに平和な光景の中、
防災無線が2時46分からの黙祷を呼び掛ける。

目の前には、「ここまで津波が来た」という真新しい石碑があり、
実際、多くの建物が流されまだ再建できていないのだが、
それにしても、あまりに陽射しが平和であった。
それでも……。
更地となった鍬ヶ崎のそこここに、花束がたむけられていた。
そのことが、確かにいのちが奪われたことを示していた。

幸いにも、
私の津波防災講座を聞いた子供たちからは死者はなかったと、
後に聞いた。

だが、
子どもたちは、どんな思いで、
見慣れたふるさとを破壊しつつ、熊野神社に押し寄せる
津波を見ていたことだろう……。

そんなことを想像するにはあまりに場違いな、
あまりに平和でおだやかな陽射しであった。


(2013年3月13日 南三陸町のホテル観洋にて
さかのぼってアップ)


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