たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

二人の皇女

2016-08-01 10:43:31 | 名草戸畔・神武東征

<檜原神社 ひばらじんじゃ>

 

天照太御神の御杖代となり巡幸の旅に出た、

倭姫命(やまとひめのみこと)と、

豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)という

二人の皇女の軌跡をたどってみても、

奈良の山中や熊野の海岸沿いに、

立ち寄った形跡がありません。

 

名草戸畔との戦があった和歌山市付近は豊鍬入姫命が、

八十梟帥らの軍勢と争った宇陀市近辺には倭姫命が、

しばらく滞在した記録が残っているものの、

丹敷戸畔(にしきとべ)と対峙した荒坂の津には、

足を延ばしていないのが不思議です。

 

そこで、荒坂の津を熊野灘ではなく、

紀の川周辺だと仮定してみると、

名草に向かう途中で豊鍬入姫命が

立ち寄った可能性が出てきます。

 

神武天皇は丹敷戸畔を殺してはいなかったのか、

あるいは紀の川からヤマトを目指していたのか、

その真相を知っているのは、

古代海人族つまり「戸畔」と深く関わる

この二人の皇女なのでしょう。