goo blog サービス終了のお知らせ 

たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

聖地の行方

2017-06-11 10:13:07 |  無社殿神社2

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

熊野市育生町・赤倉地区にある丹倉神社は、

見たこともないほどの巨岩をご神体と仰ぐ、

自然信仰の原型ともいえるような場所です。

神域へと続く急な石段から平地に降り立ち、

祭壇へと近づくと、さらに強い圧迫感とともに、

尋常ではない高さの岩壁が目前に迫ってきました。

 

参道の途中には、榊が添えられた小さな祠が、

山の斜面を仰ぎ見るようにして置かれ、

岩の手前のご神木の近くには、

きちんと手入れをされた手水場から、

沢の水がちょろちょろと音を立て流れ出ています。

 

深山の懐という厳しい環境からは想像できないほど、

「人間が参拝するための手順」が、

すべて整えられた丹倉神社の神域には、

代々この場所をお守りしてきた人たちの

崇敬心が充満しているのでしょう。

 

どんなに奉仕の気持ちがあっても、

日々聖域を管理するという行為は、

相当の労力を必要とするものです。

数えきれないほどの人間の願いを受け止めてきた、

目の前の巨大な磐座を見上げながら、

さらなる過疎化が進むであろうこの地域の今後と、

「聖地の行方」に思いを馳せてしまいました。


異様な姿

2017-06-10 10:18:29 |  無社殿神社2

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

深い山の中で不思議な存在感を醸し出す、

丹倉神社の白い鳥居の先をのぞくと、

崖下へと続く急な階段が見えました。

とは言え、まないたさまの参道のように、

谷底が見えないほどの高さではなく、

上からでも階段の全長がわかるため、

少しホッとした気持ちになります。

滑らないよう足元に気をつけながら、

ひとつずつ石段を下りて行く途中、

眼下にあらわれたのは巨大な磐座でした。

 

大地を突き破るように隆起する

その丸みを帯びた大きな岩は、

人間など簡単に押しつぶすほどの体積で、

地面に置かれた祭壇に覆いかぶさるように、

ゆるい曲線を描いて鎮座しています。

恐らく、この場所を最初に見つけた古代人も、

その畏れ多くも「異様な」姿の中に、

神を感じ取らずにはいられなかったのでしょう。

見えない異界の壁を通り抜けるような感覚で、

ゆっくりとその巨岩の前へと足を進めました。


丹倉神社

2017-06-09 10:36:09 |  無社殿神社2

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

赤倉林道と呼ばれる大丹倉への最終ルートは、

すでに30分以上も山道を走ってきた身には、

思ったほど困難な道のりではありませんでした。

麓の赤倉地区から進むこと約10分。

林道の脇に白く塗られた鳥居と、

丹倉神社を示す案内標識が見えてきます。

意識しなければ思わず見逃しそうになるほど、

さり気なく出現した聖地への入り口の脇には、

2台分ほどの駐車場も設けられていました。

 

聞くところによりますと、

このスペースが確保されたのはごく最近で、

ついこの間までは林道の端ギリギリに、

車を寄せるしか方法がなかったそうです。

まだ新しさが残る道案内の標識と、

山の中でひときわ異彩を放つ人工的な空間が、

この地に寄せる地元の人々の思いと、

村おこしへの熱い期待を物語っていました。


孤高の集落

2017-06-08 10:33:52 |  無社殿神社2

<育生町・赤倉地区>

 

丹倉神社へと向かう林道の入り口には、

熊野市育生町赤倉という、

日本民話に出てくるような佇まいの

小さな山間集落がありました。

「民宿があるくらいだから…」 という、

当初の予想を大幅に裏切り、

その周辺一帯を取り巻く浮世離れした光景は、

まさに「孤高の里」という言葉がぴったりでした。

 

道路事情がよくなった現代社会においては、

「どこから行っても困難」という場所には、

滅多にお目にかかれないものですが、

この赤倉地区へと向かう県道52号は、

熊野市側からも北山村側からも、

急峻な山道を30分以上も登らなければならず、

この地で暮らす人々のご苦労とたくましさに、

心から敬意を示したくなるような道です。

 

狭いスペースで対抗した軽トラックのおじさんは、

私が「外地の人間」と判断するや否や、

離合しにくい場所で車を停めてしまったことを、

まるで自分の責任であるかのように、

運転席の窓を開けて頭を下げてくれました。

私たちが求めてやまない真の聖地は、

こうした人たちの力によって、

長い間守られ続けてきたのでしょう。


自問自答

2017-06-07 10:30:03 |  無社殿神社2

<県道52号線>

 

というわけで、今回の旅の記事のほとんどを、

「目的地までの道路事情」に割いておりますが、

決して地図には載っていない荒れた登山道や、

未舗装のオフロードを利用したわけではなく、

あくまでも生活道として使われている道が大部分ゆえ、

ある程度運転に慣れている方であれば、

さほど問題なく通行できるとは思います。

 

これらの話の中でお伝えしたいのは、

熊野という土地の厳しい環境と、

「聖地」を物見遊山の感覚で訪れることへの危うさです。

私自身、細く険しい山道に対峙する中で、

「本当に行っていいものだろうか…」という疑問が、

頭の中に浮かび上がり、聖地に対する甘い考えを

自分自身に問いただした場面が何度もあります。

 

言うなれば、こうして自問自答することこそが、

「神社参拝」「聖地巡礼」の意義のひとつであり、

「お参り」の一環なのでしょう。

「どのような準備期間を経てこの場所に来たか」

「どのような気持ちで神社を参拝したか」を、

神様は遠くから見ているのかもしれません。


秘境の里

2017-06-06 10:27:24 |  無社殿神社2

<育生町・赤倉地区>

 

丹倉神社へと続く県道52号線は、

事前予測をはるかに越える「エグイ」道でした。

ピンポイントの恐怖感という意味では、

「退避スペースなし」「路肩不安定」の

静川・高倉神社への道中には劣るものの、

先ほどお参りした「まないたさま」への道が、

もはや初心者向けのコースに感じられるほど、

いくらアクセルを踏み続けても、

一向に森の中から抜けられないまま、

延々に崖っぷちの片側車線が続いています。

 

ガイドブックにも紹介されている場所ゆえ、

「それほど大変ではないだろう」と

高をくくっていた部分もあったのですが、

やはり地図上の印象と、実際に訪れて

感じた印象とでは雲泥の差があるもの。

初めて訪れる観光客のためにも、

全国の地自体の担当者の方々には、

ぜひとも周辺の「道路状況」についても、

詳しく周知して欲しいと思います。

 

そんなこんなで、走り続けること約30分、

すでにアクセルを踏む感覚すら麻痺した、

私の目の前に突如としてあらわれたのは、

思わず「これは、また…」と絶句するような、

周囲を山また山に囲まれた秘境の里でした。


神社サバイバル

2017-06-05 10:24:25 |  無社殿神社2

<大丹倉 おおにぐら>

 

まないたさまの次に向かったのは、

熊野市の名勝・大丹倉の入り口に位置する

丹倉神社(あかぐらじんじゃ)という、

これまたプリミティブな場所(磐座)です。

ちなみに、丹倉神社のある山中に向かいがてら、

いくつかの神社へと立ち寄ったのですが、

途中ガソリンが残り少なくなったことに気づき、

「このまま進むべきか、市街地へ戻るべきか」

と逡巡した結果、大丹倉へ向かう交差点を目前に、

再び熊野市の街中へと舞い戻ることにしました。

 

山々に点在する神社を巡っておりますと、

一番困るのがトイレやガソリンスタンドを、

なかなか見つけられないことです。

これまで何度も冷や冷やするような体験をした結果、

遠回りをしてでも休憩スポットを探す癖がつきました。

案の定、大丹倉へと続く県道52号線沿いは、

ガソリンスタンドはおろか人家もまばらで、

次第に標高を上げる山道を登りながら、

「やはり今回もサバイバルだったか…」という思いが、

頭の中にふつふつと湧いてまいった次第です。


見えない圧迫感

2017-06-04 10:07:51 |  無社殿神社2

<まないたさま>

 

有馬町・池川地区の民間信仰の聖地、

まないたさまを訪れたときに見かけた、

「二つの岩の間に敷き詰められた浜石」

「二つの岩の間から流れ落ちる滝」は、

女性の「産み出す力」の象徴でしょう。

ここを参拝した人々が広める、

「女性の願いを叶える」という風評も、

「さもありなん」と納得してしまうほど、

不思議なエネルギーがみなぎっています。

 

山間集落の奥地にあるとは言え、

市街地からそれほど離れていない場所で、

このような原始の自然の姿と対面できるのは、

たいへん得難く貴重な経験です。

と同時に、他の無社殿神社では感じなかった、

「圧迫感」のようなものを覚えたのも事実で、

参拝及び目的の用事を済ませるとすぐ、

その見えないプレッシャーから逃れるように、

一気に元来た坂道を駆け上がったのでした。


微かな引っかかり

2017-06-03 10:02:42 |  無社殿神社2

<まないたさま>

 

「まないたさま」という

親しみやすいネーミングとは裏腹に、

熊野の山中にあるその古代信仰の聖地は、

まるで荒ぶる神が宿るかのごとく、

プリミティブな姿を保っていました。

鳥居の向こうに敷き詰められた滑らかな白石と、

岩と岩との間を流れる小さな滝の流れだけが、

未だ朝日も差し込まない深い森の谷底に、

そっと白い色味を添えています。

 

二つの巨岩が折り重なるようにして作られた

狭い空間(磐座)にはご神体があるようですが、

周囲を取り囲む巨岩の圧倒的な存在感と、

心の中の微かな「引っかかり」に阻まれ、

それ以上立ち入ることはできませんでした。

古代そのままの様相を残すこの場所は、

確実にすばらしいところだとはわかるものの、

なぜか「早くこころ立ち去らなければ」

という焦燥感にかられるのです。

 

ひと通り周りの風景を写真に撮ったあと、

この地に立ち寄らせてもらったことの感謝を伝え、

「長居は無用」とばかりに、その場を後にしたのでした。


ワイルドな絵面

2017-06-02 10:00:37 |  無社殿神社2

<まないたさま>

 

熊野市有馬町の池川という集落にある

まないたさまという自然信仰の聖地は、

どこまでも深く険峻な崖の際に沿って、

ひたすら山道を下った先にありました。

まさに「谷底へと転げ落ちる」

という表現しか浮かばないような状況の中、

足元を確認しながら慎重に足を進めて行きます。

幸い地元の人々の厚い信仰心のおかげで、

参道のほとんどに頑丈な石段が敷かれてあり、

荒天のときでもなければ、さほど心配はないようです。

 

参道の行き止まりを前にして、

木々の隙間から見えてきたのは、

これまで歩いてきた森の景色とはかなり趣の異なる、

巨大な岩々がゴロゴロと転がった荒々しい様相でした。

一番手前の岩と岩の間には、

天然の木をそのまま利用した

小さな鳥居が置かれています。

その粗削りでワイルドな「絵面」には、

一瞬近づくことをためらうほどの、

野生的なパワーがみなぎっていました。


とうりゃんせ

2017-06-01 10:00:02 |  無社殿神社2

<まないたさま>

 

古くから水神をお祀りする聖地として

また婦人病への霊験あらたかな信仰の場として、

女性たちからの厚い信仰を集める「まないたさま」は、

近年はスピリチュアルスポットとしても周知される、

民間信仰の色合いが強い場所です。

 

ちなみに「まないた」の語源は、

美しい水をあらわすマナイト(真名井戸)が

転訛したものだと言われており、

実際にまないたさんの聖域は、

産田川の源流部分に位置しています。

 

「山道をひたすら下ったところにある」

という話までは聞いていたのですが、

実際に入り口に立ってその地形を確認しますと、

想像をはるかに越えるほどの傾斜の崖道が続き、

どこまで降りれば谷底につくのかも確認できません。

 

一日の生活が動き出したばかりの午前6時過ぎ、

その付近には一軒の民家があるのみで、

遠くの木々の間を駆け抜けようとした鹿の親子が、

「まさかこの時間に人間に見つかるとは」といった表情で、

驚いたように立ち止まり、こちらのほうを見ています。

 

冷気を含んだ早朝の風が竹林の中を吹き抜け、

サラサラと乾いた音を立てる中、

私の脳裏には「行きはよいよい帰りは怖い…」 という、

とうりゃんせの歌だけが、

グルグルとリピート再生し続けていました。


薄暗い空間

2017-05-31 10:50:53 |  無社殿神社2

<まないたさま>

 

「まないたさま」というユニークな名称のこの場所は、

有馬町・池川地区の民家の間の目立たない小道から、

谷底に向けて延々と石段を下った先にありました。

長い間「縁ある人のみが知る」秘境でしたが、

ここ最近、神社のガイドブックでも載るほど、

旬の参拝スポットとして紹介されていますので、

訪れる観光客も少なくはないのではないでしょう。

  

ちなみに、私がこの集落を知ることになったのは、

近隣の産田神社のことを調べている最中です。

「産田川の源流に自然信仰の痕跡がある」と聞き、

機会があれば訪ねてみたいと考えていました。

熊野市の中心部からそう遠くない場所であるため、

さほど難しいルートではないと考えていたのものの、

やはりそこはさすがに熊野、期待を裏切りません。

 

まないたさまへと降りる階段の奥を覗いた刹那、

吸い込まれそうなほど深く切り立った谷が、

視界の向こうに薄暗い空間を作っていたのです。


試練の始まり

2017-05-30 10:45:23 |  無社殿神社2

<有馬町・池川地区

 

有馬町・池川地区にたどり着いてまず行ったのが、

崖と山に挟まれた傾斜のある山道で、

車をUターンさせるという荒業でした。

目的地を通り越し、集落の端まで行ったところで、

「目印を見逃したかも」とおもむろに悟った私は、

近くで切り返しのできるスペースを見つけたものの、

運悪くどこにもそのような場所が見つかりません。

しかしこのまま進めば、さらに山深くなる気配が濃く、

できればこのあたりで中心部へと戻りたいところです。

 

いくつかの案をふるいにかけ、最善の方法を考えた結果、

最終的に選んだのは「慎重に切り返す」という選択肢でした。

一度車を降りて、あたりの状況をくまなく見回し、

幾分道幅が広くなっているところまで車を進め、

細かくハンドル操作をして続けておよそ5分後。

崖からの転落だけは避けるよう神経を尖らせながら、

ようやく望みどおりに車の向きを180度転換させ、

元来た道へと引き返すことができたのでした。


三次元の空間

2017-05-29 10:42:50 |  無社殿神社2

<有馬町・池川地区>

 

「行ってみないとわからない」とはよく言ったもので、

二次元の地図を眺めただけでは決して想像できない

「標高差」「傾斜度」というものが、

三次元の空間に身を置いて初めて見えてきます。

この熊野市郊外の山中を巡る道も

(そして次に訪れたさらに長い山道も…)、

地図やナビをを見た限りでは、

これほどの急坂が続いているとは予想だにせず…。

 

「山道を舐めてかかることの危うさ」と、

「自分の目で確かめることの大切さ」を痛感しながら、

いつまでたってもあらわれない「目的地」に向け、

ひたすらハンドルを切り続けました。

恐らく、時間にすればほんの15分程度の

ドライブだったとは思いますが、

体感としてはすでに1時間くらい

経過したような気になりはじめたそのとき、

ふと森が開け目的の集落が見えてきたのです。


海と山とのキワ

2017-05-28 10:40:19 |  無社殿神社2

<早朝の熊野灘>

 

スーパーや警察署などが集まる

熊野市中心部の住宅地の間に、

有馬町・池川地区へと続く急峻な坂道があります。

途中、いくつかの小さな集落を経て、

池川地区へとたどり着くまでの道路は、

ひたすら坂また坂が続く狭い山道で、

ほんの十数分前に朝日を拝んだ、

熊野灘の雄大な景色が嘘のようです。

 

熊野という場所は、広々とした海に背を向けたとたん、

一転して険しい山々と対峙する変化に富んだ地形を持ち、

ひとたび山深い集落に入れば、もはやほんの数キロ先に、

あの太平洋が広がっていることが信じられなくなります。

市街地を抜けたばかりのこの山道も、

走り始めるや否や深山幽谷の様相を呈し、

次から次へとあらわれるカーブの連続に、

寝ぼけた頭が一気に冴えてしまいました。