たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

神域の概念

2017-07-18 10:20:44 | 熊野の神社

<曽根・飛鳥神社 そねあすかじんじゃ>

 

今回、押し気味の予定をやりくりしてまで

曽根・飛鳥神社を訪れたかった理由は、

神社の裏手の樹齢1000年はあろうかという

クスノキの巨木を写真に撮ることでした。

前回は知らずに通り過ぎてしまい、

後で資料を調べている最中に気づいて、

少々残念に思った経緯があったからです。

 

目指すクスノキの巨木は、

左手にあるホテルに向かって続く小道の途中、

境内をぐるっと取り巻く石垣の不自然な隙間に、

かなり窮屈そうな趣で収まっていました。

「境内」という狭い枠を飛び出すほど、

生命力に満ちたその姿を目の前にすると、

現代人が決めた「神域」の概念が、

神の意志とは少々異なることを感じます。

 

きっと古代は、この神社周辺の一帯に、

亜熱帯の森が広がっていたのでしょう。

上へ上へとどこまでも伸びる太い幹と、

空を埋め尽くすように広がる枝葉は、

かろうじて残された神域を、

その身を持って守るかのごとく、

千年以上もの長い間、

この場で静かに耐えていたのかもしれません。

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