たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

飛鳥町の神社へ

2017-07-05 10:18:00 | 熊野の神社

<熊野市・飛鳥町>

 

湯谷集落で聞いた「寺谷の神社」を探すべく、

五郷町の中心部へと差し掛かったところで、

「果たして寄り道しても大丈夫だろうか…」

という微かな不安が、頭の中をよぎりました。

予定ではあと2社ほど回ることになっており、

すべて「平地」の神社であるとは言うものの、

日没までの時間はあまり残されていません。

 

仮に、それらの神社がわかりにくい場所にあれば、

今日中に参拝するつもりだった場所を

すべて回り切れなくなるでしょう。

せっかく手に入れた「地元情報」だったのですが、

ここにきて計画を変更するのもためらわれます。

しばし逡巡した結果、後ろ髪を引かれる思いで、

次の目的地である隣町へと車を進めたのです。


ミカンの思い出

2017-07-04 09:59:25 | 熊野の神社

<五郷町・湯谷地区>

 

湯谷・石神神社を参拝した折、

偶然出会ったこの集落出身の方は、

「お年寄りばかりで手が回らないだろうから」

という理由で、空き家となった実家を訪れるたびに、

境内の掃除をしたり、お賽銭箱を確認したりと、

神社の管理を一手に引き受けているとのことでした。

 

まだまだ聞きたいことはあったのですが、

気づけば1時間近くもおしゃべりをしており、

滞在の予定をかなりオーバーしています。

帰り際、「近くにおすすめの神社はないか?」

と伺ったところ、「寺谷にありますよ」と、

先ほど通ってきた町の中心部の名称を教えてくれました。

 

何度もお礼を言って、その家の敷地を後にし、

車を停めてある場所に戻ろうとしたとき、

先ほど別れた女性が、慌てたような足取りで

こちらに走ってくる様子が視界に入ります。

その場に立ち止まって待っていると、

「こんなものしかなくてごめんなさいね…」と、

大きなデコポンを私に手渡してくれたのです。

 

ミカンの産地でもある熊野地方では、

多種多様なミカンが栽培されており、

その味も種類も想像以上に豊富です。

私の手の平に乗せられたデコポンは、

まるで「旅のご縁」を飾る宝石のように、

太陽の光を浴びてキラキラと輝いて見えました。


愛しい故郷

2017-07-03 10:06:24 | 熊野の神社

<五郷町・湯谷地区>

 

五郷町にある湯谷・石神神社を訪れたとき、

楠のご神木とともに出迎えてくれたのは、

近くで暮らすこの神社の氏子の女性でした。

私が参拝の旨と遠方から来たことを告げると、

「わざわざこんな田舎の神社に?」と驚かれ、

せっかくだからと家に招いてくれたのです。

 

空き家になった実家を管理するため、

時折市内から通っているというその方は、

お正月に行われる神社の餅まきの様子や、

子どもの頃の思い出、過疎集落の現状、

山の手入れの仕方、棚田の利用法…等々、

あたかも「愛しいもの」を語るように、

愛情たっぷりに説明してくれました。

 

もともとこの家に住んでいたご両親は、

一帯の山を所有する地主だったそうで、

かつて湯谷の集落にも多くの民家があり、

ほとんどの人が林業に従事していたと聞きます。

「ぜひ窓からの景色も…」

という言葉に促され、家内におじゃますると、

春を間近に控え、息を吹き返し始めた山々が、

すぐ目前にまで迫っているのがわかりました。


よい守り人

2017-07-02 10:02:54 | 熊野の神社

<湯谷・石神神社 ゆのたにいしがみじんじゃ>

 

五郷町・湯谷の石神神社は、その名が示す通り、

神域のあちこちに「石」が散らばる

「石神」の名にふさわしい場所です。

一方、推定樹齢が300年と言われる

見事な楠があることでも知られており、

もはや自分の体を支え切れなくなった太いご神木が、

狭い境内を懐に抱き込むかのように座していました。

 

斜め上への方向へと向かって伸びる、

その幹とも枝とも見分けがつかないような

「神の触手」は、木組みの足場によって、

かろうじて倒木を免れているのでしょう。

枝の突端は今にも地面に届かんばかりの様相で、

境内の向こうにある小川のほうへと垂れ下がり、

さながらジャングルのような趣を感じさせます。

 

「山」「岩」「木」「川」「滝」など、

ご神体と呼ばれる自然物には、

様々な種類がありますが、

石神神社はそれらの要素が複合的に絡み合い、

ひとつの神域を形成している場所でした。

さらにこの山里にある隠れた聖地には、

よい神社を語る上では欠かせない

「よい守り人」も存在していたのです。


石尽くしの聖域

2017-07-01 10:07:35 | 熊野の神社

<湯谷・石神神社 ゆのたにいしがみじんじゃ>

 

五郷町の中心部から北東方面に車を進めると、

山道の行き止まりの手前に、

湯谷という集落があります。

周囲を山と棚田とに囲まれたこの場所は、

「町」がそれほど遠くないせいか、

これまで見てきた山里よりも、

幾分開けた雰囲気を感じました。

 

何重もの長い石垣が張り巡らされた

段々畑の向こう側に鎮座していたのは、

石神神社というこの地区の氏神です。

棚田と小さな川の間には、

緩やかな石作りの短い参道が、

鳥居のほうへと続いています。

 

「石神神社」とペンキで書かれた

木の案内板に従って階段を上ると、

鳥居の上部にも「石神神社」の文字が

誇らしげに刻まれていました。

棚田の石垣、参道の石段、

石の瑞垣に、大きな石が転がる小川…。

そこはまさに「石」尽くしの聖域でした。


静かな山里

2017-06-30 10:44:50 | 熊野の神社

<五郷町・湯谷地区>

 

柳谷・滝神社への参拝を終え、

次の目的地へと車を進めること約15分。

国道169号と国道309号とが交差するあたりで、

熊野市五郷町という地区に差し掛かります。

学校や郵便局などが立ち並ぶその一帯は、

典型的な山間集落の中心部といった風情の

穏やかでゆったりとした空気が漂い、

「いよいよ山を抜けたか」という安堵感に、

自然と心が緩んでいくようです。

 

事前の調査段階では、このような場所の一角に、

目指す神社があると想像していたのですが、

そんな思惑と裏腹にナビが示していたのは、

中心地からさらに山のほうへと続く山道です。

再び森の中へと突入してからほどなく、

いくつかの民家を経た先に見えてきたのが、

湯谷という世帯数10軒ほどの静かな山里でした。


聖域の一部

2017-06-29 10:19:56 | 熊野の神社

<神木・原地神社 こうのぎはらじじんじゃ>

 

熊野の神社の中では珍しく、

「外向き」のムードを感じさせる

御浜町・神木の原地神社ですが、

何本もの大木が境内を取り囲む様子は、

「さすが」と言いたくなるような

熊野の自然美にあふれた光景です。

 

古い祭壇跡こそ見つからなかったものの、

境内の横を流れる小川の雰囲気は、

赤木川流域などで見かけた

いくつかの元無社殿神社とよく似ており、

「川をご神体とする無社殿神社」ととらえても、

あながち間違いではないような気もします。

 

熊野三山や他の自然信仰の遺跡などと比べると、

少々インパクトに欠けるのも確かですが、

この原地神社という場所が、

熊野という広大な聖域の一部であることもまた、

疑いようのない事実なのでしょう。


暖色系の神社

2017-06-28 10:17:24 | 熊野の神社

<神木・原地神社 こうのぎはらじじんじゃ>

 

神木のイヌマキからそう遠くないところに、

原地神社という土地の氏神さまがあります。

近くの民家の庭先には、

オレンジ色のミカンの果実がびっしりと実り、

その向こうでは、黄色い菜の花と深紅の椿が

競うようにして、神様の御殿を

春の装いへと衣替えしている最中でした。

 

御浜町・神木の原地神社は、

社殿を取り囲む自然石の石垣や、

神域に敷き詰められた浜石こそ、

熊野らしい重厚感を漂わせているものの、

全体的には軽やかなご神気が漂う場所です。

 

明るく開けた平坦な土地にあるせいか、

この地独特の「陰」のような部分が消え、

参道に沿って立てられた赤い幟ですら、

温かい色味が似合うこの神社を、

引き立てているような気がしました。


流す性質

2017-06-21 10:28:39 | 熊野の神社

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

続々と登場する巨岩パワーに圧倒されたまま、

次の目的地へと向かった私を待っていたのは、

清らかな小川のそばに鎮座する

「滝」をご神体とする神社でした。

熊野地域の神社を調べているときから、

なぜか気になって仕方がなかった場所で、

無社殿神社であるという確証はなかったものの、

「滝神社」の文字を目にするたびに、

「ここは行かねばならぬ」と何かが訴えかけるのです。

 

実際に滝神社を訪れてみますと、そのときの直感は

決して間違っていなかったと実感するもの。

幾分容量オーバーとなっていた心身の状態が、

清浄な川の流れと可憐な花々の癒やし効果により、

ゆっくりと正常値に戻って行くのを感じました。

よい聖地には必ず「よい水」の存在があるのも、

参拝前に禊をするという意味だけでなく、

特殊な空間でつけた(憑けた)余計なモノを、

参拝後に流す効果があるのかもしれません。


神への献上品

2017-06-20 10:25:01 | 熊野の神社

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

森の中にある柳谷・滝神社の境内に、

不思議なほどの白さをもたらしていたのは、

木々の間からキラキラと降り注ぐ日光と、

足元に咲くバイカオウレンの花々でした。

まるで豆電球を灯したかのように、

純白に輝くその可憐な姿は、

この神社の見どころのひとつで、

2月下旬から3月にかけてのピーク時には、

境内のあちこちに群生するそうです。

 

訪れた日は、すでに見頃を過ぎていましたが、

膝を折って地面にしゃがみ込むと、

その梅の形にも似た5弁の花びらが、

苔の絨毯に織り込まれた文様のように見えます。

他の色を惹き立てる薄く白い花弁の透明感、

ひと目を避けるようにして咲く遠慮がちな姿、

いかにも日本人好みのどこかはかなげなその花は、

のちにご祭神となった天照太御神への

氏子たちからの献上の品なのかもしれません。


崇敬の証

2017-06-19 10:22:29 | 熊野の神社

 

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

一見社務所と見間違うような、

柳谷・滝神社の現代風の造りの社殿の前で、

参拝のご挨拶をしてから裏手へと回ってみますと、

そこにもやはり「矢倉」の痕跡がありました。

改めて周囲を見渡してみれば、境内だけでなく、

神域全体をぐるっと取り囲むようにして、

長い石垣が二重に張り巡らされています。

 

恐らくほんのちょっと前までは、

滝そのものを拝む無社殿神社だったのでしょう。

かつては滝の上の丘に鎮座していたそうですから、

社殿だけでなく石垣(瑞垣)なども、

のちに作られたものかもしれません。

 

小さな集落の氏神とは思えないほど、

隅々にまで管理が行き届いた境内には、

地元の人々の信仰心が強く感じられます。

社殿という崇敬の証の人工建造物も、

この神社の大事な要素のひとつとして、

しっくりと風景に馴染んでいました。


滝を祀る神社

2017-06-18 10:16:12 | 熊野の神社

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

神川町の柳谷という集落にある神社を目指し、

川沿いの参道をほんの数分歩いたところで、

川の両岸を結ぶようにしてかけられた

細く長いしめ縄が視界に入りました。

白い幣束と房のついた藁飾りが、

規則正しい間隔で結び付けられ、

川面を渡る涼やかな風に揺れています。

 

「滝神社」の名が示す通り、この神社のご神体は、

しめ縄の向こうに流れ落ちる滝なのでしょう。

訪れた日はかなり水の量も少なく、

川底の岩が見えているような状態でしたが、

ひとたび大雨に見舞われれば、

瞬時にして別の顔をむき出しにするような、

危うい二面性も漂わせる場所です。

 

二手に分かれた参道の一方を選び、

さらに山の中へと進んで行くと、

想像以上に広々とした境内に出ます。

森を整備している途中なのか、

周囲の木々は倒され枯れているものの、

整然と掃き清められてた神域は、

薄布で覆われているかのように、

白々と浮き上がって見えました。


癒しの散歩道

2017-06-17 10:12:15 | 熊野の神社

熊野市・神川町柳谷

 

北山村にある「道の駅おくとろ」から、

国道169号線を奈良方面へと車を走らせますと、

次第に国道とは思えないほど道が狭まり、

集落の家並みもぱったりと見えなくなります。

対向車ともほとんどすれ違わないまま、

左手に七色ダムが見えてきたころには、

あたり一帯「見慣れた」山の景色が広がっていました。

 

七色ダムに沿って伸びる国道を道なりに進んだ先に、

熊野市・神川町柳谷へと続く曲がり角があります。

お約束のように出現した細い山道を、

もはや何の躊躇もなく走り切ったところで、

視界がパッと明るく開け、前方に見えてきたのは、

次の目的地である神社をお守りする集落です。

 

民家の手前には、小さな橋がかけられており、

その下を流れる小川を伝うようにして、

固く踏みしめられた遊歩道が続いています。

整備されたトレッキングコースを思わせる、

その安全かつ歩きやすい道は、

ハードな山巡りをしてきた心身にとって、

自然にすべてをゆだねられる癒しの散歩道でした。


神様の選別

2017-05-04 10:10:50 | 熊野の神社

<色川神社 いろかわじんじゃ>

 

聖地となり得る条件が完全に揃い、

また「人の手」という得難い恵みをも兼ね備えた、

那智勝浦・色川神社を訪れて思い浮かんだのは、

「神様の選別」というキーワードでした。

実は、熊野エリアの大半が位置する和歌山県は、

全国でも最も神社が少ない都道府県のひとつで、

最大の神社数を誇る新潟県と比べても、

わずか10分の1程度だと聞きます。

 

明治時代に行われた神社合祀政策により、

統廃合が進んだことが要因だと思われますが、

熊野の無社殿神社を巡る中でふと、

悪名高き「神社合祀令」の別の側面が

見えてきたような気もするのです。

和歌山や三重といった古代信仰の聖地ほど、

「多くの神社を潰された」という史実の真意は、

もしかすると私たちが想像するような、

単純な理由ではないのかもしれません。


特殊な力

2017-05-03 10:05:40 | 熊野の神社

<色川神社 いろかわじんじゃ>

 

那智勝浦・色川神社という聖域は、

社殿の有無など無関係に思えるほど、

自然が人工物を凌駕するような場所でした。

現在は風格あるお社が建てられ、

多くの神様が合祀されていますが、

聖域の雰囲気は損なわれることなく、

往時の様相をそのままに伝えています。

 

ご神体である巨大な岩壁の存在はもちろん、

二つの川の「河合」でもあるこの場所には、

特殊な自然の力が宿っているのでしょう。

その昔はこのあたり一帯が、

銅の産地として知られていたことを考えると、

地下の鉱物が土地の磁場に影響を及ぼし、

「朱」と同様の効果を生んでいるのかもしれません。