たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

粟鹿とヒボコ

2019-08-14 09:05:50 | 鉄の神々2

<粟鹿神社 あわがじんじゃ>

 

播磨国一の宮のひとつである「粟鹿神社」の名称を見て、

まず思い浮かんだのが「粟(農耕儀礼)」と「鹿」

というキーワードが登場する佐用都比売神社の伝承です。

粟鹿神社の由緒によりますと、

「粟を三束くわえた鹿が山(粟鹿山)から現れ、

土地の人々に農耕を教えた」ことが社名の起源とされますが、

恐らくこの場所でも「鹿の血」を用いた

農耕儀礼が行われていたのでしょう。

天美佐利命の一族と佐用都比売の一族は、

「伊和大神」を中心として血縁関係でつながり、

アメノヒボコの侵入を阻止すべく、

共同戦線を張り巡らせていたのかもしれません。

 

ちなみに、アメノヒボコがおよそ数年の日本滞在ののち、

故郷である伽耶(もしくは新羅)に帰国する際、

天皇自らが赤い絹の織物を贈ったという逸話があります。

もしそれが本当だとすれば、アメノヒボコは

日本側の要請に応じて来日した可能性も大です。

天皇の命でこの地に派遣され、

自らの土地を奪おうとしたアメノヒボコに対し、

伊和大神の一族はどんな感情を抱いていたのでしょうか……。

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