たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

失ったもの

2019-08-20 09:15:21 | 鉄の神々2

<津山市内>

 

「生贄」という習俗を話題にする際、

よく耳にするのが「渡来人が来日する前から、

日本には生贄文化が根付いていた」という話です。

 

ただし、個人的な感覚では、

超古代の日本(縄文時代より以前)には、

「神のために生き物を捧げる」

という風習はなかったと感じますし、

仮に縄文時代に入って、

アイヌの熊送りや能登半島のイルカ奉納、

そして鹿の血を用いる農耕儀礼など、

動物供犠が行われるようになっても、

あくまでも無駄な殺生を最小限に

抑えた上での神事だったと想像しております。

 

恐らく、播磨国およびその一帯では、

「死」や「葬祭」に関わる祭祀をする人々が集まり、

様々な神事のあり方が検討されていたのでしょう。

日本由来の「鹿」から、大陸由来の「牛」へと

供犠の動物が入れ替わる中で、祭祀の質も次第に

「大陸の色」を帯びて行ったのだと思われます。

もしかすると、「産鉄」と引き換えに行われた

「生贄」という習俗の蔓延により、

日本古来の祭祀が浸食されつつある

状況になったのかもしれません。

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