韓人張良、以五世相韓、韓亡欲爲報仇。始皇東遊、至博浪沙中、良令力士操鐡椎撃始皇。誤中副車。始皇驚、求弗得。令天下大索。
三十一年、更臘爲嘉平。
三十二年、始皇巡北邊。方士盧生入海還、奏録圖書。曰、亡秦者胡也。始皇乃遣蒙恬發兵三十萬人、北伐匈奴、築長城。起臨洮至遼東。延袤萬餘里、威振匈奴。
韓人張良は五世韓に相たるを以て、韓亡んでより為に仇を報いんと欲す。始皇東遊して、博浪沙の中(うち)に至りしとき、良、力士をして鉄椎(てっつい)を操(と)って始皇を撃たしむ。誤って副車に中(あ)つ。始皇大いに驚き、求むれども得ず。天下に令して大いに索(もと)む。
三十一年、臘(ろう)を更(あらた)めて嘉平と為す。
三十二年、始皇北辺を巡(めぐ)る。方士盧生、海に入って還り、録図書を奏す。曰く、秦を亡ぼす者は胡ならんと。始皇乃(すなわ)ち蒙恬(もうてん)をして兵三十万人を発して、北のかた匈奴を伐ち、長城を築かしむ。臨洮(りんとう)より起り遼東に至る。延袤(えんぼう)万余里、威匈奴に振るう。
韓人張良は五代に亘り韓の大臣をつとめていたので、韓が亡ぼされた後仇を報いようと、機会を窺っていた。始皇帝が巡察して博浪沙に着いたとき、張良は力士を使って鉄のつちを投げさせたが、副車にあたってしまった。始皇帝驚いて探させたが見つけられず、天下に令して捜索させたが、捕えることが出来なかった。
長城 汪遵
秦長城を築いて鉄牢に比す
蕃戎敢えて臨洮に逼(せま)らず
焉(いず)くんぞ知らん万里連雲の勢
及ばず堯階三尺の高きに
三十一年、更臘爲嘉平。
三十二年、始皇巡北邊。方士盧生入海還、奏録圖書。曰、亡秦者胡也。始皇乃遣蒙恬發兵三十萬人、北伐匈奴、築長城。起臨洮至遼東。延袤萬餘里、威振匈奴。
韓人張良は五世韓に相たるを以て、韓亡んでより為に仇を報いんと欲す。始皇東遊して、博浪沙の中(うち)に至りしとき、良、力士をして鉄椎(てっつい)を操(と)って始皇を撃たしむ。誤って副車に中(あ)つ。始皇大いに驚き、求むれども得ず。天下に令して大いに索(もと)む。
三十一年、臘(ろう)を更(あらた)めて嘉平と為す。
三十二年、始皇北辺を巡(めぐ)る。方士盧生、海に入って還り、録図書を奏す。曰く、秦を亡ぼす者は胡ならんと。始皇乃(すなわ)ち蒙恬(もうてん)をして兵三十万人を発して、北のかた匈奴を伐ち、長城を築かしむ。臨洮(りんとう)より起り遼東に至る。延袤(えんぼう)万余里、威匈奴に振るう。
韓人張良は五代に亘り韓の大臣をつとめていたので、韓が亡ぼされた後仇を報いようと、機会を窺っていた。始皇帝が巡察して博浪沙に着いたとき、張良は力士を使って鉄のつちを投げさせたが、副車にあたってしまった。始皇帝驚いて探させたが見つけられず、天下に令して捜索させたが、捕えることが出来なかった。
長城 汪遵
秦長城を築いて鉄牢に比す
蕃戎敢えて臨洮に逼(せま)らず
焉(いず)くんぞ知らん万里連雲の勢
及ばず堯階三尺の高きに