寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宗八家文 柳宗元 愚渓詩序 三之一

2014-12-20 10:00:00 | 唐宋八家文
 灌水之陽、有溪焉。東流入于瀟水。或曰、冉氏嘗居也。故宇姓是溪爲冉溪。或曰、可以染也。名之以其能。故謂之染溪。
 余以愚觸罪、謫瀟水上。愛是溪、入二三里、得其尤絶者家焉。古有愚公谷。今予家是溪而名莫能定。士之居者、猶齗齗然、不可以不更也。故更之爲愚溪。
 愚溪之上、買小丘爲愚丘。自愚丘東北行六十歩、得泉焉。又買居之爲愚泉。愚泉凡六穴、皆出山下平地。蓋上出也。合流屈曲而南爲愚溝。遂負土累石、塞其隘爲愚池。愚池之東爲愚堂、其南爲愚亭、池之中爲愚島。嘉木異石措置。皆山水之奇者、以余故、咸以愚辱焉。

愚渓詩の序 三の一
 灌水(かんすい)の陽(きた)に渓有り。東流して瀟水(しょうすい)に入る。或るひと曰く「冉氏(ぜんし)嘗て居るなり。故に是(こ)の渓に姓して冉溪と為す」と。あるひと曰く「以って染むべきなり。これに名づくるにその能を以ってす。故にこれを染渓と謂う」と。
 余愚を以って罪に触れ、瀟水の上(ほとり)に謫(たく)せらる。是の渓を愛して、入ること二三里、その尤絶(ゆうぜつ)なるものを得て家す。古(いにしえ)に愚公谷(ぐこうこく)有り。今予是の渓に家して名能(よ)く定まること莫(な)し。土(ど)の居る者、猶お齗齗然(ぎんぎんぜん)として、以って更めざるべからざるなり。故にこれを更めて愚渓と為す。
 愚渓の上に小丘を買いて愚丘と為す。愚丘より東北に行くこと六十歩、泉を得たり。また買いてこれに居り愚泉と為す。愚泉凡そ六穴、皆山下の平地より出ず。蓋し上より出ずるあり。合流屈曲して南するを愚溝と為す。遂に土を負(お)い石を累(かさ)ね、その隘(あい)を塞ぎて愚池と為す。愚池の東を愚堂と為し、その南を愚亭と為し、池の中なるを愚島と為す。嘉木異石措置(さくち)す。皆山水の奇なるもの、余が故を以って咸(みな)愚を以って辱しめらる。


灌水の陽 灌水は永州を流れる川、陽は日の当たる方川は北山は南。 尤絶 齗齗 論争するさま。 措置 交え置く。

 灌水北側に谷川が有る。東に流れて瀟水に注ぐ。あるひとは「冉氏(ぜんし)が嘗て住んでいたからその姓をとって冉溪とした」と言い、またあるひとは「この水で布を染めた。それでこの川に名づけるのにその役を取って染渓(ぜんけい)と呼んだ」と言う。
 私は自分の愚かさから罪を得て瀟水のほとりに流された。この谷川が気に入り、二三里奥に入って景色のよい場所を買って家を建てた。さてこの谷をなんと呼ぼうかと考えた。昔、斉の桓公が鹿を追って谷に入ったとき出遭った老人がこの谷を愚公の谷と答えたという。今私がこの谷に来て名が決まらない。土地の人も論争して定まらない。それで私は愚渓と名付けることにした。
 愚渓のそばに小高い丘がある。ここを買って愚丘と名付けた。愚丘から東北に六十歩行くと泉がある。ここも買って愚泉とした。愚泉には六つの穴があり山の麓の平地から湧き出てくる。おそらく山の上の水源から出るのであろう。合流して曲がりくねり南に流れて行く、これを愚溝とし、土を盛り石を重ねて流れをせき止め、そこを愚池と名付けた。愚池の東を愚堂と名付け、その南を愚亭とし、池の中の島を愚島と呼んだ。それらには美しい木や珍しい石を配した。全てが山水の優れたものだが、私のために愚の名を冠せられて辱かしめられるのだ。