寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 臣は以って膏(あぶら)を塗り血を釁(ちぬ)れりと為す

2014-12-13 09:02:22 | 十八史略
開寶寺塔成。前後八年、所費億萬。田錫奏曰、衆以爲金碧熒煌、臣以爲塗膏釁血。上不怒。
先是西夏李光叡卒。子繼筠嗣。又卒。弟繼捧嗣。繼捧來朝、獻四州地。其弟繼遷叛去、數入冦邊。
契丹主明記殂。號景宗。子隆緒立。年十二。母蕭氏專其國政。
上命曹彬等、分道伐契丹。彬兵大敗於岐溝關。詔班師。契丹自是連年入冦。後女眞以契丹隔其朝貢之路、請撃之。不許。女眞遂臣於契丹。

開宝寺の塔成る。前後八年。費す所億萬なり。田錫(でんしゃく)奏して曰く「衆は以って金碧熒煌(きんぺきけいこう)と為せども、臣は以って膏(あぶら)を塗り血を釁(ちぬ)れりと為す」と。上怒らず。
是より先、西夏の李光叡(りこうえい)卒す。子継筠(けいいん)嗣(つ)ぐ。又卒。弟継捧嗣ぐ。継捧来朝して四州の地を献ず。其の弟継遷叛(そむ)き去り、数しば辺に入冦す。
契丹の主明記殂す。景宗と号す。子隆緒立つ。年十二なり。母蕭氏、其の国政を専らにす。
上、曹彬(そうひん)等に命じて、道を分って契丹を伐たしむ。彬の兵大いに岐溝関(きこうかん)に敗る。詔(みことのり)して師を班(かえ)す。契丹是より連年入冦す。後、女真、契丹が其の朝貢の路を隔つるを以って之を撃たんと請う。許さず。女真遂に契丹に臣たり。


金碧熒煌 熒煌は照り輝く。 塗膏釁血 民の膏と血で塗る、人民をくるしめたこと。 

開宝寺の塔が落成いた。その工期は八年に及び、費用は億萬銭にも及んだ。田錫が奏上して「多くの人々は金色やみどりに光り輝いて大変美しいと讃嘆していますが、臣には人民の膏血を塗りたくったように見えます」と。太宗は敢えて怒らなかった。
これより先に西夏の李光叡が死んだ。子の継筠が跡を嗣(つ)ぐ。又卒。弟継捧嗣ぐ。継捧来朝して四州の地を献ず。其の弟継遷叛(そむ)き去り、数しば辺に入冦す。