夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

晩秋 その2 穏かな眠り いすみ市岬町

2007年12月15日 11時05分59秒 |  岬な日々


さて昨日のゴミ写真の処理の第二弾。
このいすみ市岬町の終の棲家にどれほど満足しているか、なんどか書いてきていますので、常連さんはお分かりですよね。



白状しますと、海そばの家ということで、最初は伊豆を見ました。だって伊豆高原に家がありますとか、修善寺の家なんて、ポロって口にするなんてかっこいいじゃないですかね。おまけにバブルがはじけて、きちんとお金をかけて作った温泉つきの家だってそんなに高くなかったんです。友人にも伊豆や箱根に家を持っているのがいて、盛んに「こっちさこい」コールが聞こえてきました。



でも調べてみると、あちらは別荘族の溜まり場。オフシーズンには店もなく、町まで買出しに出かけなければならない。定住しちゃったら冬場なんかは毎日の生活が大変。オンシーズンには、渋滞でたどり着けるまでに何時間かかるかわからない。定住するまでの東京との二股生活が大変。



なんて思っていたら岬に家があった。好運でした。



間取りは気に入っているし、鳥の声さえなければ物音一つしない静かな環境も好き。魚は新鮮だろうと思っていたら、果物や野菜もいい。おまけに肉も地元産がある。東京までも1時間半から2時間の距離。言うことないじゃないですか。



今はこなさなければならない宿題がいくつかある。フルタイム、岬で稼動というわけには行かない。



これを終って、この家でゆっくりと穏かな眠りにつければ、、訪れる人とない山里の草庵。白骨死体で見つかるでしょうね。



山里は冬ぞ寂しさまさりける
  人目も草もかれぬと思へば



この詩はなんどかアップしていますけど、まさにその通りの状態ですからね。 



それでも静かに、穏かに眠りにつければこの家を手当てした甲斐があったというものでしょうか。


 
やったことないから、やってみますか?



晩秋 その1 華やかな幕 いすみ市岬町

2007年12月15日 11時04分20秒 |  岬な日々


別に木の葉が落ちたからって木が枯れるわけではない。でも紅葉し、散っていく木の葉や草を見て、自分の人生の終焉と重ねるのは秋になると古来からの風習みたいなものだろうか。「あっち」からの招待状がいつ届くかなんて思う歳になって来ると、それはもう単なる遠い感傷やかっこつけではなく、身近なものとして感じられるようになる。



光り輝くような華やかな幕切れ、しっとりとした穏やかな永久の眠り、どちらも理想の終わり方ではあるのだろうけど、私はどちらを望むのだろう。そしてどちらかが訪れてくれるのだろうか。



心情的にはしっとりと穏かに満足して眠りにつければかっこいいかなって思うのだけど、でもその「かっこいい」っていうのは大向こうを気にしていない?もっと耀いてふと気がつけば終っているっていうのもまた魅力だな~って思ったりもする。
でも死に際に、「人生に一度っきりのことだから、きちんとどちらにするか決めるまで待ってよ」なんて、じたばたしているのがむしろ私らしいかなっても思う。
もっともそんな理想の終焉が迎えられるなんて好運がはたして訪れるか、まあ、そんなことは私にはないかもしれない。きっと後悔と、慙愧と、諦めきれない思いでおさらばするんでしょうね。



なんていいながら、晩秋、その華やかな幕と穏かな眠りの2本立てにしました。
だって、昨日、白鳥を撮りに行って白鳥が撮れなくって、その辺のものをむやみやたらに撮って来たのが山ほどあるんです。それこそ、枯れ木も山の賑わいで、下手なカメラも数打ちゃあたるですよ。



夏の間、刈り払い機で必死に退治していた雑草たちも終わりを迎えています。
刈り払い機の歯に絡まって抵抗していた葛の葉もひとまず眠りにつきます。



なに、敵は地面の下ではゆうゆうと根っこを伸ばして、今年延びた分だけ大型のモンスターとして再生を期しているのは判っているんですけど。
単にひとまずクリスマスからお正月の休戦ね。
この間に敵はアングラでパーティでもやっているのかな。
眠りに付くというのにこの耀き、華やかさはどうでしょう。
今年一年10ヤード前進って成果を誇っているようではありませんか。
来年は20ヤード前進するぞ! なんて思っているのかな。
こちらがだんだんとお呼びが近くなっているのを計算に入れているのかもしれませんね。






なんとなく、しみてきて ヘンデルのリコーダー・ソナタ   ブリュッヘン

2007年12月15日 09時33分40秒 | 芸術・文化
笛をやっている人なら、ヘンデルのソナタはいやというほどレッスンで吹かされる。
だからプロならともかく、アマチュアは聞きたがらないし、吹きたがらないのじゃないかな。
私も、ヘンデルのソナタ集なるものをいくつか持っていて、例えばミカラ・ペトリなんかはあのぴちぴちした演奏に上手いな~って感心したりして、でも何度も聞くかというと、そうでもないんですよね。
結局棚に積み上げえられて、はてどこかにあるはずなんだけどってことになる。

ブリュッヘンのCDも車に積んでいて、何度か(他に聞くものがなかったので)聞いていて、そのときはそんなにいいとは思わなかった。
私的にはマルティン・リンデだったらどう吹いただろう。彼はそのときのメンバーで乗ってしまうと、とてつもない演奏をする。気が乗らないときには、ばっちりと楽譜どおりだけど、好きな相手とのアンサンブルだと、譜面を見ていても「はて、どこを吹いているんだろう」なんてことがある人だから、いろんな人との演奏を聞かないと彼の演奏はわからないよな~なんて思ったりする。まあ、弟なんかにはリコーダー奏者としてより、インプロビゼーションの大家として認識されているようだし、バロック音楽だったらそれも当たり前なんでしょうけどね。

自分に合うものとしたら、演奏的にはリンデかケース・オッテンだろうな~って思う。リンデの当意即妙さに比べるとケース・オッテンは地味。でもあのなんともいえない暖かい音って絶対に捨てがたい。とにかく話していてこちらの目を見ながら、ゆっくりと、にこやかに対応してくれるあの人柄がそのままにじみ出ている感じで、惚れ惚れするんだけど。でも最近は全くニュースを聞かない。オランダにいる笛吹きたちに聞いても「さぁ~」って答えしか返ってこない。佐藤さんとやっていたアンサンブルもとっくに活動を中止しているし、まぁ、生きていればもう相当な歳だからね~

なんて、まったく「お勧め」投稿にはなっていないことを書きながら、ブリュッヘンに戻りましょう。以前聞いたときにはペトリの後に聞いたのかな。なんてそっけない演奏をするんだろうって、ペトリの演奏の後だから余計にそう思っちゃった。そのあとも長距離のドライブで持っていったCDをあらかた聞いて、体も疲れ果てて、そんなときにばかり聞いていたんです。だから「ふん」という気しかもてなかった。

でも、昨日の朝、白鳥を撮りに朝もやの中を車を出して、たまたまこのCDをかけていたら、「いいじゃん」って再認識してしまいましたね。だから車から降りても、家に持ってきて、何度かかけていたけど、ぼんやりと、軽い仕事をこなしているときにはこの音が沁みてきて、結構素敵。これからの人生、ぼんやりしていることが殆どになってくるから、これからはこのCDはちょいちょい聞くのかな~

ところで、ラフマニノフのピアノ・コンチェルトがどうなったかって?
あのときにも書いたけど、これはそんなに好きな曲ではなくって、ただ自演版やルービンシュテイン版があるので聞き比べ、お勉強にはいい曲かと思っただけ。今はアシュケナジーで止まっておりますよ。
おまけにこの間はパガニーニの主題による、、、買い込んできちゃって、そんなに好きな曲じゃないのをいろいろ買いこんでどうするのでしょうね?







ヘンデル:リコーダー・ソナタ集
ブリュッヘン(フランス),アーノンクール(アリス),ビルスマ(アンナー),アーノンクール(ニコラウス),レオンハルト(グスタフ),タヘッツィ(ヘルベルト),ヘンデル
ダブリューイーエー・ジャパン

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教えてください  鳥の嗅覚って?

2007年12月15日 08時43分58秒 | 調べなくっちゃ


鳥に餌をやるのはあまり好きではないのですけど、先日豚肉を冷凍していたのが、ラップがはがれパサパサになっていましたので、ベランダのテーブルおきました。
その前にもパンのあまりをさいの目に切って置いていたのですけど、こちらには反応しなかった鳥たちが、あっというまに豚肉に群がって、なくなってしまいました。
ベランダのフェンスの内側、白いテーブルに白いプラのトレイ。目では見難いところにおいてありました。匂いでかぎつけるのでしょうか?

多摩川の鳥たちは、餌をくれそうな人はすぐわかって、いつも注意をその人に向けています。別な場所に移動しても、一度餌をくれた人は覚えているみたいで他の人とは明らかに違うような距離をとります。
多摩川を散歩している人で回りに鳥が群がっている人は、常時餌を持ち歩いている人なんですね。その日にはまだ餌をやっていなくっても、ちゃんとその人のことを覚えています。その人が多摩川に姿を見せると、鳩や、鴨、鴎や雀、、、いろんな鳥たちが接近してきて、目線をその人に送っています。
ベンチに腰を下ろして、ビニールの袋などを膝に乗せようものなら、鳩なんかが膝の上の袋に頭を突っ込んで食べています。
鳶なんか目がいいのはわかりますけど、鳥は嗅覚もいいのかなってトレーまで飛ばされたテーブルを見ながら考えています。

今日も先日の豚シャブの残りをテーブルの上においています。
ヒヨドリなんかがすぐ近くまで来るのですけど、今日は私が部屋にいるので用心してテーブルまでは下りてきません。でもそこに餌があるのは判っているみたいです。
どうしてかな?




教えて下さい  鶯

2007年12月15日 08時24分27秒 | 調べなくっちゃ


岬の朝は早く、空が白みかけるころから、鳥たちが騒ぎ始めます。
それもちゃんとした順番があるみたい。
一つの種類が騒ぎ始めて、どこかへ飛び立ち、静かになったと思うと、次の鳥たちが泣き始める。

今朝もベランダの向こうの木の間でいろんな鳥がさえずり、飛び交っていました。
この時期の朝はちょうど登ってくる太陽がその先にあり、まぶしくてよく見ていられないのですけど、でもちょっと待って、、、

このところなんかおかしいと思っていたのですけど、今年は鶯の声を殆ど聞いていません。いつもだと一日中うるさく鳴き交わしているのに。
なにか異常があるのでしょうか?

鶯の消息についてご存知の方教えて下さい。

キンクロハジロとオオバン  いすみ市

2007年12月15日 00時00分56秒 |  岬な日々


さて、今日撮りました写真で風景写真はずいぶんと残っているのですけど、それは明日のお楽しみということで、今日の締めくくりはキンクロハジロとオオバン。
今日は白鳥で始まりましたのでキンクロハジロはちょうどいい締めになると思います。
というのは、白鳥も、鴨も、アヒルも、そしてこのキンクロハジロも皆カモ科。親戚なのですね。



でも、どこを取ったら、これと白鳥が親戚なんて出てくるんでしょうね~





オオバンは以前も、オオバン、コバンがざっくざくなんて日記にも書いていましたけど、岬には凄く多いですね。
ちなみにこれは鶴の親戚。これもまたよく判りませんね。
名前を呼ばれたと思って近寄ってきましたよ。







なんかくれるの?
なんて心待ちにしている顔。



なんにもくれないの? ちぇ、けち!
なんてことを言うんでしょうね。しつけが悪すぎる。