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夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

権徳輿 独酌

2006年11月04日 09時38分22秒 |  漢詩を長崎弁で
先日の十三夜の日記から

権徳輿『独酌』

独酌復独酌  独酌 復独酌   
満盞流霞色  満盞 流霞の色  
身外皆虚名  身外 皆虚名   
酒中有全徳  酒中 全徳有り  
風清与月朗  風清と月朗    
対此情何極  此に対す 情何ぞ極まらん

に飛び火して、
それに

同じ詩人の「玉臺體」を返しておきました。

昨夜裙帶解
  (昨夜袴の紐が解けて)
なんてのが出てきて、あれ~~~~~??????って思いましたら、なんとこれは吉祥なんだそうで、知らなんだ~~。(恥)

そんで、
朝、蜘蛛が飛んで(これも吉祥?)
だから、白粉を捨てるのは止めましょうね。
彼が帰ってきそうな予感、、、

なんちゃう詩?
まるで中国の演歌ですね。


でも知人が権徳輿の『独酌』の対訳がないとお嘆きだったので、またまた悪戯心を起こしてしまいました。
あちらのブログへ書くと皆さんにお叱りを受けそうなので、こちらにひっそりと。

独酌復独酌  独酌 復独酌   
満盞流霞色  満盞 流霞色  
身外皆虚名  身外 皆虚名   
酒中有全徳  酒中 全徳有り  
風清与月朗  風清と月朗    
対此情何極  此に対す 情何ぞ極まらん

 流霞 神話の中の仙酒の名前。そこから美酒を指す言葉
  論衡・道虚篇には「輒飮我流霞一杯。毎次一杯,數月不飢。」
 身外 自身のほか
  杜甫 絶句漫興 に
   莫思身外無窮事
  且盡生前有限杯
    思ふ莫(なか)れ 身外無窮の事を,
    且(しば)し 盡(つ)くせ 生前有限の杯を

ってことですね。

一杯、また一杯と一人で酒を飲む
杯は蓬莱の神酒 流霞の色に満ちる
もう、自分のほかはただ夢幻
酒の中にこそ、真実がある
吹く風は清く、月は朗々と輝いている
もう、これ以上何も望むことはない



お定まりの;
これをやるから嫌われるんですよね。  

手酌で一杯、また一杯
バクダンだろうと、甘露、甘露
世間なんてただの幻
酔って見る夢が、本当の世界
風はさわやか、月は輝いて
もういつ死んでもいいみたい。


十三夜  片見月  秋風辭 漢 武帝(劉徹)

2006年11月01日 15時44分20秒 |  漢詩を長崎弁で




            写真は10月3日(十三夜の日に撮影し追加しました)

蓬莱泉の「空」様がお見えになるかもしれないと、菊の花と詩を用意して心待ちにしていたのに、発送済みのご挨拶は来たけど、空さまはとうとう間に合わなかった。
重陽は10月30日だったのに、
きっと、どこかの御局様のところでついつい枕を重ねられているのだろう。

仕方がない、金曜日はは十三夜、片見月にならないように気をつけてって、私はどこで中秋の名月を見てたカナ? あの子? この子??

月に一人対面し曲を献ず
霓裳羽衣闇に広がる
秋風は酒を震わし
菊香目覚める
     風車



秋風起兮白雲飛
草木黄落兮雁南歸
蘭有秀兮菊有芳
。。。。。。
歡樂極兮哀情多
少壯幾時兮奈老何

   秋風辭
   漢 武帝  劉徹  


 秋風起こりて白雲飛び
草木黄落して雁南歸す
蘭秀有りて菊芳有り
 。。。。。。
歡樂極りて哀情多し
少壯幾時ぞ老いを奈何せん

秋の風が吹いて、白い雲が流れていく
草木は黄色に染まり、雁は南へと帰る
藤袴は頂花を広げ、菊香は広がる
。。。。。。
楽しさを極めれば、悲しみも深く
若さは儚く、この老いをどう生きていこう



蛇の足

嫌われるのは判ってはいるのですけど、
どうしても、どうしてもこれをやりたい。


見んしゃい、白か雲が空ば流れて
草葉は黄色にあせていき
雁も南へ飛んで行きよるやろが

庭には藤袴が頂花をつけ
菊の香りが満ちてくる
。。。。。
楽しかことばやりつくせば、後は悲しかことばかりたい
溌剌と楽しかった若い日は夢んごと短こうて
長~い、長~い、年寄りの日が続く
なんばせぃちゅうんかな~


古朗月行 李白 

2006年10月11日 23時36分42秒 |  漢詩を長崎弁で
小時不識月     
呼作白玉盤     
又疑瑶台鏡     
飛在青雲端     
仙人垂両足     
桂樹何団団     
白兔搗薬成     
問言与誰餐
  ......


子供んときゃ月のことをな~んも知らんかった
白か皿って呼んどったくらいじゃけん
天女さんの鏡が
雲ん端まで飛んで行ってひっかかっとるんじゃろかとも思うとった
仙人さんが足を月から垂らしちょる
桂の木がこんもりと茂って
白兎が薬を搗き捏ねよる
誰にその薬をやるとねって聞いたりしちょった

中秋月

2006年10月02日 23時45分46秒 |  漢詩を長崎弁で


萬里清光不可思
添愁益恨繞天涯
誰人隴外久征戍
何處庭前新別離
失寵故姬歸院夜
沒蕃老將上樓時
照他幾許人腸斷
玉兔銀蟾遠不知
   中秋月
   白居易
     http://www.xysa.com/quantangshi/t-439.htm


なげけとて月やは物を思はする
    かこちがほなる我が涙かな
          西行

もう帰らぬ恋人よ、
冷たく白い月の光は
無心に心をかき乱す



月は無心に清い光を万里に投げかけている
見る人の愁いを添え、恨みをましながら、天空を巡ぐる

遠く隴外に遠征して故郷や妻や子を思い出す兵士がいる
どこかの庭先では新しい別れに涙している人を照らす
帝の寵を無くし宿下がりをしている女官を照らし
敵の捕虜となった老将が高い楼に登るのを照らす

月はさまざまな場所で人の悲しみを照らしている
それでも月には遠すぎてわからない




お月さんは遠くから綺麗か光を万物に投げかけている
見る人の怨みやつらみを光に加えて空を巡っている
遠征して妻や子供を思い出している兵士もおる
どっかの庭先じゃ別れに涙している恋人たちもおる
帝の愛をなくして宿下がりしている女官もいる
捕虜になった兵士も照らしている

いろんなところで月の光はさまざまな人の悲しみを照らしとる
でも月にはあまり遠すぎてその悲しみが届かんちゃ

王孫遊  謝朓

2006年09月30日 12時19分42秒 |  漢詩を長崎弁で
謝朓の「王孫遊」

草蔓如絲
雜樹紅英發
無論君不歸
君歸芳已歇
 
専門家によると中国の詩には「王孫遊」というのは、帰ってこない男を待つ女心を歌う非常にポピュラーな題材なんだそうです。演歌にもこの手のものがありますし、小野小町の例もありますよね。
いつもの私訳のほうは、「上品なものを下品に述べる」って怒られていますので、密やかに載せておきます。

草は茂り放題
花ももう終わりそう
お見限りを恨むじゃないけど
帰られるころにはもうお婆ちゃんよ


庭の草はぼうぼう
花も終わってしまいそう
お見限りはしょうがなかけど
変えられるころには私はもう婆たい



まだこれくらいならいいですよね、これが進むと私のレベル。
先日のジョークの日記ではないですけど、体の節々が痛いって文句を言っている友達へ、僕ちゃん生まれたての赤ん坊みたいだよ。
「えっ?」
「だって、毛はないし、歯もないし、今パンツが濡れたみたいだし」ってことになる。
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/beeaee717a97ef4be6752cb30673153e

霓裳  玉樓春 李

2006年09月27日 10時25分15秒 |  漢詩を長崎弁で
Mixiのマイミクさんが「霓裳」のことをお訊ねでした。
彼女は白居易の長恨歌のことはご存知だったので、

>>
霓裳の意味はわかりませんけど、
霓裳羽衣(ぎょうしょううい)は舞曲の名前です。
楊貴妃の玄宗皇帝へのお目見えのときもこの舞曲がなっていて、皇帝はこの曲が大好きだったといううわさです。
曲はこちらで試聴できます。
http://www.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000081075/
>>
ということをお返しし、ついでに李の玉樓春のことをご紹介しました。
  

晩妝初了明肌雪
春殿嬪娥魚貫列
笙簫吹斷水雲
重按霓裳歌遍徹


臨風誰更飄香屑
醉拍闌干情味切
歸時休放燭花紅
待踏馬蹄夜月

また、遊びの訳をつけてみます。

お姉ちゃんたちのお化粧も終わり、白い肌は輝くようだ
入り口にめざしのように並んでお客を待っている
バンドの音楽が一杯に広がって
また霓裳の曲を初めから演奏し始める

風に香水の匂いが混じり
酔って手すりにつかまれば、そこはかとない切なさがよぎる
お開きに明かりを強めないで
月とともに帰るから

なんだか、チャバレーへ行くおなじみさんの歌になっちゃったのでMixiには転載しないことにしました。


遠聽江上笛

2006年09月15日 23時24分03秒 |  漢詩を長崎弁で
遠聽江上笛
臨觴一送君
還愁獨宿夜
更向郡齋聞 

   韋應物


川面を流れてくる笛の音
送別の杯を酌み交わす
寂しさに眠れぬ夜
この笛を思い出すだろう




川を伝わってくる笛の音
別れの杯を酌み交わす
寂しさに眠れん夜には
この笛を思い出すじゃろな~


竹里 王維

2006年09月15日 23時11分04秒 |  漢詩を長崎弁で
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
   王維

竹の林の中で
琴を弾きながら歌う
知る人もないこの林にも
月だけが光を送ってくる

竹林の中で
琴を弾いて歌う
だ~れも知らんこの林にも
月だけは光を送ってこらす

野望 王績

2006年09月11日 22時59分27秒 |  漢詩を長崎弁で
王績の「野望」を紹介したくてYahooで探して詩がでているウエブサイトに行きました。(漢字を書くのに旧字などがあって、手書きパッドを使ったりしなければならないので自分で入力するのが大変なんです)

さてその詩を見つけ出しましたが;
http://residence.educities.edu.tw/f5101231/indext89.html


野望

東皋薄暮望
徙倚欲何依
樹樹皆秋色
山山唯落暉
牧人驅犢返
獵馬帶禽歸
相顧無相識
長歌懷採薇

ところで、Yahooの検索には翻訳サービスが付いていますよね、それで試しにやってみました。


野原は望む
東の皋は、薄暮、望んで、
徙は欲の何依に寄りかかる。
みんなの秋の景色を植えて、
山山はただ暉が落ちる。
牧者は犢が戻ることを駆って、
馬帯禽が帰することを狩る。
相顧の無は知り合って、
長歌懐采薇。

まったく理解不能だけど、ここまでできるようになったって褒めるべきなんでしょうね。

それであいも変わらず恥知らずにも試訳、まあYahoo訳とそれほど変わるもんじゃないですけど、ご愛嬌。


暮れなずんだ野原を
あてどもなく歩く
木々は秋の色をまとい
山々は夕陽に染まる
牧童は牛を納屋に帰し
狩人は獲物を家に運ぶ
誰も知らず、帰る家もない私は
意に染まぬ食を拒んで死んでいった先人を偲ぶ


ちなみに姐さまご推薦の大阪弁訳のウエブサイトに倣って、

陽の沈みかかっつとる野原を
どこんいこうともなく歩きよった
周りの木は紅葉して
山は夕日に染まとった
牛飼いは牛を納屋に連れて行き
狩人は獲物をかあちゃんのところに持って行きよる
誰も知り合いもおらんうちは
いやな奴からの食べもんはいらんちゅうて死んでいった人んことを考えとった


秋日 耿湋 そして 秋たつと人は告げねど

2006年09月06日 00時13分56秒 |  漢詩を長崎弁で
返照入閭巷
憂来誰共語
古道少人行
秋風動禾黍
   秋日 
   耿湋

夕日に照らされたこの小さな村
心に満ちた憂いを分かつ相手もなく
人影もない田舎道には
秋風が稲を揺らしているだけ



夕陽の中のこん小ちゃか村には
心の憂さを分ける人もおらん
人影もなか道には
秋風が稲を揺らし取るばかり


中国の詩が面白いのは自分の言葉で置き換えられるからかな?


秋たつと人は告げねど知られけり
   山のすそ野の風のけしきに
          西行

これだと変えようがないから。