教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

パラオの慰霊碑守りたい かつての戦友が支援金を求めて奔走

2008年10月27日 12時45分23秒 | 社会・経済

『麻生太郎首相の祖父、吉田茂元首相が揮毫(きごう)した碑など太平洋戦争で玉砕したパラオの島に建つ戦没者慰霊碑を保存したいと、かつての戦友でパラオ在住の海洋生物学者、倉田洋二さん(81)が奔走している。ホテル建設計画で立ち退きを迫られ、移設費80万円の支援を求めてこのほど一時帰国した。「玉砕の島の生き残りとして、戦友たちの碑を守りたい」と訴える。 パラオは昭和20年の日本の敗戦まで31年間、日本の統治を受けた。現在も日本人の子孫が1000人ほど暮らす。戦争末期には日米の激戦地となり、このうちアンガウル島では、面積わずか8平方キロの島を守る日本軍約1300人に対し約2万1000人の米軍が押し寄せた。生き残った日本兵は34人。倉田さんはその一人だった。東京都出身の倉田さんは戦後、都の小笠原水産センターで所長を務め、アオウミガメの食用研究などに従事してカメ博士」と呼ばれた。定年後の平成6年、「戦友の墓守がしたい」とパラオへ移住。都内の海洋自然保護NPO(民間非営利団体)「OWS」の副会長としてアンガル島;の州立自然公園作りに携わった。 島の浜辺には「戦没日本人之碑 日本国政府 内閣総理大臣 吉田茂」などと刻まれた昭和28年建立の国の慰霊碑をはじめ、玉砕部隊の出身地だった栃木県の観音像、戦友会の碑など6基と個人の慰霊碑20基の計26基が並んで建つ。 倉田さんは「どの碑もはるか太平洋のかなた彼方にある日本の方角を向いている。戦友の遺品の日誌には『この大海原が歩けるものなら歩いて祖国へ帰りたい』と書いてあった」。パラオの中心コロール島から年4回ほど訪れ、掃除と参拝を続けてきた。今年に入って慰霊碑がある民有地の地主が「ホテルを建てたい」と移転を求めてきた。』産経新聞

今日の日本の平和と繁栄は、幾多の貴い戦死者と戦没者の血で贖われています。1人のパラオで戦った海洋学者で、ご高齢な倉田洋二さんの小さい肩にゆだねるのでは無く日本政府が国の為に闘った英霊を供養し、戦没者慰霊碑の移転や保存費は日本国負担すべきでは有りませんか。アメリカ合衆国でもロシアでも中華人民共和国でも国の為に闘った人たちを英雄として大切にしているでは有りませんか。英霊と言うと戦前回帰の軍国主義者と批判されますが。日本の国の為にひたすら信じ、日本の国の為に命を捧げた人達を粗末に扱っている国は世界中どこにも有りません。兵隊さんは、戦争加害者だと非難した有名な評論家もいましたが。ロシアに行って言われたら良いと思います。反国家的言動者として、国家への反逆者であると追放されるでしょう。傷痍軍人や戦死者を大事にしなかったのは今の日本国だけです。戦後63年未だ戦地に野ざらしになっている旧日本軍の兵隊さんの遺骨が、激戦地の南方の島に日本に帰れず放置されていることに対して日本国としての無責任さを感じます。戦死された家族の方々も高齢化しほとんど亡くなられているのでは有りませんか。国の為に命を的に闘い、戦死した方々の供養をし、戦死者の遺骨を日本の遺族の方々に返して上げるのが残された国の義務では有りませんか。赤紙一枚の召集礼状で戦地に行き、戦地で戦死したら63年間も放置したままです。飲まず食わずで闘い野垂れ死では戦死した兵隊ささんの霊も浮かばれません。今日の日本の平和は、誰によって齎、もたらされされたのでしょか。中国大陸で、4日間運河につかり、一日胡瓜一本の食事しかなく、旧陸軍伍長として闘った亡き父から聞いた話しを思い出しました。 歌に有ります泥水すすりは本当で、食べれるものは蛇まで食べたと話してくれました。南方の激戦地から国の為に闘った兵隊さんの日本へ帰りたいの声が聞こえないでしょうか。遺骨収集を完了しないと日本の戦後は本当に終わりません。未だ激戦地の南の島々に遺骨として残されておられます旧日本軍兵隊さんや軍属の総て皆さんの遺骨収集と供養を日本国として完全実施して欲しいと念願します。南の島で戦死された旧日本軍の兵隊や戦没者の皆さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。倉田洋二さんパラオ亡き戦友の皆さんの為にお体大切になさって頑張って下さい。戦没者の皆様方の為の供養と遺骨帰還の為に、国民の皆様方の御支援とサポートをお願い申し上げます。

                      暁 に 祈 る

作詩 野村俊夫  作曲 古関裕而 昭和15年

1 ああ あの顔で あの声で  手柄頼むと 妻や子が  ちぎれる程に 振った旗 遠い雲間に また浮かぶ

2 ああ 堂々の 輸送船  さらば祖国よ 栄えあれ 遙かに拝む 宮城の 空に誓った この決意

3 ああ 傷ついた この馬と  飲まず食わずの 日も三日  捧げた生命 これまでと  月の光で 走り書

4 ああ あの山も この川も 赤い忠義の 血がにじむ  故国(くに)まで届け 暁に あげる興亜の この凱歌

亡くなられた歌手の伊藤久男さんの歌われた有名な歌「暁に祈る」を南の島で戦死された戦没者の皆様方にお送り致します。

                                                   合 掌

☆ウェブサイト:http://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

                                                                   

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