Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

高校時代の社会科に見る、宗教の見方、考え方

2024-04-27 19:57:31 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、神社寺社、及び新興宗教
 私にとり、宗教とは、初めは何者かに、祈りを捧げる。そうして、それが、こちらの努力、働きかけからなのか、向こうから勝手に、というか、幸せが外からやって来るのか、そのいずれかであったように思う。
 福島県立安積高校にて、倫理の時間を中心に、日本史等でも、元々仏教、特に鎌倉仏教において、自力と他力と二つがあるとは習った。
 その中でも、日蓮宗系は、自他力、といって、自力と他力を併せ持った、独特な宗教宗派だとも、その時に習った。
 それはそうだろう。その時は知らなかったが、自力の禅宗系も、他力の念仏浄土系も、ともに、中国では天台大師が開いた天台宗、日本においては最澄こと伝教大師が開いた日本天台宗で、それら、鎌倉仏教を開いた教祖が、皆、天台宗がある比叡山延暦寺で仏教を修行したのだから。
 その、後を引き継いだ、というか、天台宗が後の世に、真言宗の、真言密教を取り入れ、天台密教化(台密)していった、詰まりは天台宗の仏教が腐敗したので、鎌倉時代に、それらを清算する如くに、色々な宗派を立てた教祖がいた。その全てが皆、天台宗で習い修めた人達ばかりなのである。
 その中でも異彩を放ったのが、宗祖日蓮大聖人様である。この方こそは、日本においても、世界でも、初めて、天台法華を取り戻し復活せしめるべく、法華経、妙法蓮華経を第一とする、正当な仏法の流れを推し進めた当の御方である。
 私は、その当時は、その日蓮大聖人様の偉大さが判らなかった。だから、世界で一番に広まっている、キリスト教を選ぼうとした。
 学校でも、聖書が、ギデオン協会から我々全校生徒に配られ、それを日々、私などは、聖句をそらんじられる位まで、覚えた。
 学校では、倫理の先生(六角先生)が、若者が、否、皆、人として、宗教を選ぶなら、伝統宗教にしなさい、と口を酸っぱくして、当時から仰られていた。
 私は、高校を卒業したら、絶対にキリスト教会デビューをしよう、と狙っていた。
 しかし、高校を何とか周り道をして卒業はしたものの、当時は超就職氷河期であった。
 それで、当時、私は栃木県立宇都宮高校を卒業して、郡山市に帰っていた。
 その時通った教会が、カトリック郡山虎丸教会であった。(その前には、日本基督教団西那須野教会)。
 そして、何で仕事がないんだ、貴方には、と、まるで、私を半端者、悪く言えば、フーテン、ルンペンの如くに扱われた。
 私は最初から諦めていた。この人らには、何を言ったって、判らない人達なんだと。それら人々の、その時代の厳しい就職状況が判らず、世界観が、全く前時代的のままなのであった。
 その結論としては、その、キリスト教の信者の特性として「働かざる者、食うべからず」の聖書の教えが、根底に流れていたとは、その聖書を当時から、全巻、愛読する以前の私には、知る由もなかった。
 だから、私は、十年間近い位、辺りにある教会を、十か所近く通い直す日々が続いた。
 きっと、私の事を覚えている教会や、当時の出席者名簿が今でも残っているなら、私の名前があるんだと思う。
 とにかく、その後、キリストから、その前の時代は、神社神道にもお祈りしていたし、創価学会への、劇的に、心が吸収されていった時期が、これが最も長い時間である。今の日蓮正宗信徒の歴史経歴よりも、キリストも、創価は特に、郡山潜伏二十年の日々の全てを費やしたと言っても過言ではない。
 そうしてようやく、2017年平成二十九年二月八日、私は、正気に目覚め、日蓮正宗無量山寿海寺へと、やっとの事で帰伏した。
 これ以上は、語らなくても、私のそのほとんどの軌跡は、このブログに全てとは言わないが、記してある積りだ。
 このブログを、読者の皆様には、書いた時期に捉われずに、軽々には言えないが、お読み頂けたら幸いである。
 そこのコメント欄は、いまだに私は閉じてはいないし、自由に書き込める。
 しかし、何分、昔に書いた記事なので、当時の記憶を頼りに、私の記憶力との背比べとなろう。
 私なりに、質問等には、何とか対応出来得る限り、してはみたいが、見逃したり、返事が遅れたり、その時は、返事がないのは良い便り、と、その場合はご容赦願いたい。

以上。よしなに。wainai

以前のブログ、日蓮宗を名乗る方。今現在、日蓮正宗の私の破折折伏の決意。

2023-07-11 07:54:31 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、神社寺社、及び新興宗教
 以前、私は、2009年から、このgooブログを、主宰していて、私のブログ名「日々雑感、わたしが思う、あの事この事」という題名で、2017年まで、書いていた。
 その後、創価共の炎上に遭い、又、再開するのが、同じ2017年だが、この、以前のブログには、様々な方々が、コメントを寄せていた。
 その中でも、一回限りだったが、高齢と思われる方で、自称「日蓮宗」を名乗る、或るお方が、私のブログに、遭遇し、コメントを寄せた。
 こう見えても、私だって、その頃は、創価学会の教義に一切、矛盾点など感じずに、一途になって、創価の教えを、日本、乃至、世界に向かって、発信・配信していた。
 その時に、その、男性と思われる高齢者は、こう述べた。
 自分は、高齢で、日蓮宗の者であり、あなた(私の事)と同意、同じ立場なんだけれども、この国で、あの、鎌倉時代、度々の、外敵、外国の、蒙古(モンゴル)・元に攻められたが、その時に、何故か、神風が二回も吹き、日本国は守られた。その一番の根源は、日蓮上人がいたからに他ならない。日蓮上人が、日本を守って下さったから、私どもの今日の、平和がある、とこんな論旨である。
 私も、同意見であり、その方を、今の日蓮正宗ならば、破折を加えて、きちんと、その、高齢者の宗旨、「日蓮宗」をメッタ斬りにして、日蓮正宗の軍門に加えた、そう、考えて、間違っていますよ、あなたの宗旨は、位の事は言っただろうが、この時は創価学会で、学会も、他宗、他教との、融和、協調、友好路線を敷いていたので、まるっきり、一応、創価成りに、自分の教義、教えの無謬性を訴え、教えを宣揚したが、それきりの付き合いとなった。
 やはり、創価では、教えの箔(はく)が薄くて、他教派との論戦には、身構えてしまい、とことんまで、こちらの教えを、徹底的に、相手を論破し、こちら側に引き込むまでには行かなかった。それが、創価の、内部事情、引け目だった。それこそが、今の後悔、みずから恥じ入る所だ。
 だから、今現在、日蓮正宗に身を置く現在、創価、法華系の邪宗邪教、日蓮宗身延派だろうとなんであろうと、論戦を挑まれたならば、勝つ自信は、勝敗の決し方、勝つ見込みは、大いにある。
 何と言ったって、鎌倉時代、弘安二年十月十二日に、御建立された、三大秘法の戒壇の大御本尊様、御歴代の、宗祖日蓮大聖人様以来の、開山第二祖日興上人、第三祖日目上人、以下、代々の、現在に至るまでの、血脈相承、法水写瓶、法灯連綿たる、現代現在の御法主猊下様は、第六十八世御法主日如上人猊下様の下、この、麗しい、富士の清流を、それら、邪宗邪教共に伝え、間違いを指摘して、過ちを改めさせなくて、どうしよう、なんとしよう、とするのか。
 折伏に次ぐ、折伏行を大いに現じて、自行化他に亘る、それに、他者を教化する。
 そうして、日蓮正宗の、立派な御教え、化儀化法を、育成で教えてゆく。
 立派な日蓮正宗信徒ならば、自行化他・折伏育成を、命を賭けて行わなければならない。
 正に命懸け、である。自分の一生が掛かっていると思えば、勇気も沸いてくる。
 とにかく、邪宗邪教に、命まで汚染されて、塗炭の苦しみに喘いでいる、日本国中、世界中の、一般民衆を、今救わないで、いつ救うんだ、という話。

 私はやるよ!自行化他行も、破権門理の、破邪顕正の、折伏行も!命を賭けてやるんだから、本気なんだから!
 私の前に道はない。私の後に、道は出来る。詩人の高村光太郎だったっけ。とにかく、それで、今後は一貫する。真面目になって、クソ真面目になって、バカがつく位正直に、何でも、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺、日蓮正宗総本山富士大石寺の為ならば、何だって、命をいとわず、命を賭けて、頑張る!
 大聖人様、今に見ていてください。この娑婆世界に於いて、名を恥じずに、名を後世に残し、名を上げんが為に、名誉を最大限に重んじて、自分なりに、頑張ってゆきます。

以上。よしなに。wainai

諸宗教破折146回ー未だに御朱印集め?仏教・神道系

2023-06-09 08:45:20 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、神社寺社、及び新興宗教
根強い御朱印ブーム 
 これまで御朱印は、年配の方の一部で密かな人気だった。それが最近では、趣向を凝らしたものが多くなり、男女老若の別なく御朱印集めのブームが続いている。
 中でも、「世界で一つだけの宝物をいただく感覚」「日本の伝統や行事に詳しくなる」「旅の楽しみが倍増する」といったところに魅力があるようだ。
 そんな御朱印だが、平成から令和へと時代が移る際には、渋谷区の明治神宮では最大十時間待ちとなった。三重県の伊勢神宮でも、参道周辺だけでも終日、神職が御朱印帳に筆を走らせる人気ぶりだったようである。

火付け役は誰?
 こうした御朱印ブームの裏には、当然ながら寺社側の働きかけがある。
 例えば長野市の善光寺では「切り絵御朱印」がもらえ、福岡市の紅葉八幡宮では、御朱印にスマホのカメラをかざすと神様が飛び出すアプリ「御朱印AR」まで開発されている。
 さらに、御朱印マニアの間で有名な栃木県鹿沼市の古峯神社では、神の使いとする天狗の絵付き御朱印がもらえる。
 印刷の物の他、数人いる神職がそれぞれオリジナルを手描きすることから、その数は全部で数十種類あるとのこと。しかも、参拝する日によって神職が異なるので、すべての御朱印を揃える為には何度も足を運ばなければならない、といった具合である。
 御朱印を利用して、人々の参詣を促したのは、他でもない寺社側である。

三毒強盛の御朱印 
 御朱印ブームにより、寺社への参拝者が増えているのだから、さぞかし人々の心は安らいで、お寺や神社側も喜んでいるのかと思いきや、けっしてそうではないようだ。
 先の明治神宮のケースでは、平成最後の日と令和初日の日付両日の御朱印が、セットで二十七万円で転売されて大きな話題となった。
 また台東区の浅草神社では、数量限定の特別御朱印を巡り、入手できなかった参拝者が、神職や巫女らに暴言を浴びせたと言う。
 福岡県北九州市の到津八幡神社では、通常の御朱印は要らないと御朱印帳のページをちぎり、特別御朱印を求める人がいたとのこと。その怒りを露わにし、ネット上でも波紋が広がった。
 参拝者を増やしたくて工夫した御朱印で、まさか自分たちも苦しむとは思いもよらなかっただろう。
 御朱印を巡るこれらの現象は、まさに貪(とん・貪る心)・瞋(じん・瞋・いかる心)・痴(ち・道理に迷う愚かな心)の三毒が強盛となり、苦しむ人々の姿そのものではないか。
 三毒こそ、人々の善の心を最も害する根源の”煩悩”そのものであると見極めて、御朱印集めの寺社巡りなど、早々にやめるべきである。

謗法への親近(しんごん)は恐ろしい
 邪宗教の寺院へ参詣してはいけない理由がある。
 それは、日蓮大聖人が、『新池御書』に、
 「此の国は謗法の土なれば、守護の善神法味にう(飢)へて社(やしろ)をすて天に上り給へば、悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀は化(け)をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔寺社は徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」(御書 一四五八頁)
と仰せられているように、善神は正しい信仰による法味によって人々を救済する力用(りきゆう)を発揮するのであり、正法を誹謗する寺社には住まわない、ということである。
 善神の代わりに、魔や鬼が住み着き、災難を招いているのである。
 人々がどんなに幸福を願っても、謗法の寺社に詣でる祈りであれば、むしろ必ず災難を招きいれる結果となるのである。一刻も早く謗法の念慮を捨て、日蓮正宗の寺院へ参詣することが肝要である。
 宗祖日蓮大聖人の文底下種の妙法を受持信行することによってのみ、貪瞋痴の三毒を転じて、幸福な境界を開き、種々の願いをも成就できることを、私たちは知らしめていかなければならない。
(大白法、令和5年4月16日号発行 第1099号)

真に日蓮大聖人を敬うのは日興門流の日蓮正宗

2021-07-08 08:33:15 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、神社寺社、及び新興宗教
 日蓮正宗以外の身延派日蓮宗等々は、皆、日蓮大聖人を「日蓮大菩薩」と、日蓮を菩薩の位、三宝でも、僧宝に日蓮と置く等、大聖人様を軽しめ、貶めて平然としている宗派である。
 日興門流の日蓮正宗のみが、日蓮を三宝で仏の位に置き、本当に敬っているのだ。
 これは、そもそも日蓮各宗派の成り立ちに由来する。元々、日蓮大聖人が唯授一人の後継者に最も適任と御弟子に選んだのが六老僧の一人の日興上人だった。
 身延山久遠寺で第二代の御法主となられた日興上人であったが、他の五老僧の日昭、日郎等の僧侶は交代制の大聖人の墓守も守らない。謗法厳戒を守らず神社参詣をしだす。大聖人の遺された御書や御本尊を御不敬する、等々の破戒行為を働く。
 決定的だったのは、地頭の波木井実長(はきりさねなが)が五老僧にそそのかされて、神社参詣、釈迦仏造立、等々の謗法を犯し、日興上人は「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」 との大聖人の御遺言そのままに、身延を離山し、数々の重宝、御灰骨、戒壇の大御本尊等々を富士の地にある大石ヶ原に大石寺を建立し、持ち帰りあそばされた。
 今でも身延派は、日蓮大聖人を日蓮上人と呼び、決して仏様だとは思わず、僧侶の地位に落したままであり、各寺院には、南無妙法蓮華経の題目の御本尊を主には祀らず、釈迦三尊像を祀ったり、稲荷、蛇、鬼子母神、等々を祀る邪宗の代表格となってしまっている。
 本来の日蓮大聖人の本当本物の信仰を尊んでいない宗派が日蓮宗(身延派等々)なのである。

福島県郡山市内の邪師による、邪宗邪教邪義邪説邪道の救いようの無い邪宗教たち

2017-08-27 17:37:04 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、神社寺社、及び新興宗教
郡山市の邪宗の寺の如法寺。うちの日蓮正宗無量山寿海寺でもそこの元檀家の方がいるが、開祖の空海は晩年、悪瘡で悩みの内に死んだ。謗法の報いだろう。
 真言宗をやると、その家の長男が立たず、女系家族となり、女で切り盛りしつつ、男を小馬鹿にする。自分が自分がと、長でもない者が上に立とうとして下剋上の様相を呈する。兎に角、見栄っ張りの自己中心的な人間になる。骨の病気になりやすい。
 うちの東京の母方の祖父が真言宗なので、その実態は良く判る。

 如法寺などは、郡山市の堂前町にあり、馬頭観音を本尊に祀る。そこの信者なのを声高に喧伝しているブログ、時遊人suzuのスズキというブログを見て、暗然とした。いまだにそんな郷愁を誘い、うわべだけで自慢にもならぬ自慢をして得意になるのか、と。
 そのブログの主催者は、事あるごとに、自分ほど郡山を知り抜いたスペシャリスト?はいないと吹聴し、時々暴言を吐いてはガス抜き、息抜きをしている。
 何が真実の宗教かは存知なく、本尊に迷い、酩酊状態の愚論を述べて、煙に巻く。
 私の以前のブログのアドレスが、「エル」なる人物により、私に何の知らせも報告もなしに「ネット上の知り合い」と称してそこのスズキのブログに登場し、勝手に紹介されているのを以前、見た。
 まるで晒しものであり、陳列物の如くに私のブログが勝手に断りもなく紹介されていた。
 これには私は大いに不満であった。
 その「エル」なる人物には、私のブログに来ては、問題を何度も起こされた。
 勝手に来ては、殺人事件などの無残で残酷な凶悪犯罪の列挙に明け暮れ、書き込みを勝手にしていく。
 いくつもの難問を勝手にコメントに投げ込んでしらを切り、答えだけ持ち逃げして、私を不快にさせた。
 私はその非道をなじり、不当だと訴えたが、「ゴメンナサイ」という一言で切り抜けられるとエルという人間は浅はかにも思ったようだった。
 しかし、「ゴメン」と言われても、私は許すとは一言も言っていない。そんな言葉が通用するならば、警察も司法も要らない。
 
 とにかく、私はネット上で自分のブログが勝手に載せられたsuzuという同じ郡山市の人のブログを見て思った。
 成程、郡山の事が詳しく載ってある。しかし、これも、殺人事件・自殺・霊などの怪奇現象等を殊更面白おかしく載せて、むしろそれらを自身の血や肉にして肥え太らせ、肥大化した豚の怪物のような、得体の知れない記事が多かった。動画サイト・ユーチューブの引用も多く、その連係プレーをしつつ、映像で誤魔化し、声高に自身の正当性を叫ぶ。
 そこに私は何か不自然・不健全なものを感じ取った。
 今年2017年2、3月あたりの記事を読むと、今もその記事があるのかは知らぬが、そのsuzuなる人物が、八山田の辺りの高校、福島県立郡山北工業高校の教師を臭わせる記事が踊っていた。
 どこまでが本当かは判らぬが、そう判断しても良い記事だった。そんな公職の、公務員が、今の世の中の公務員なんて、たかが知れているのは百も承知だが、まあ、あきれ果てたとしか言いようがない。そんな人種が公僕としてまかり通ってしまうのかと。
 北工の、鈴木教諭と言えば、皆が判るのに、「裸の王様」の、自分独りだけが分らぬとは…。少なくとも大人なのでしょうあなたは。「井の中の蛙大海を知らず」とも言う。おのれが己がと声高に叫び、見る人を何故か不快にする。そういうものには交わりたくはない。
 
 「suzu」の、「エル」の与太話、与太記事を読んでも、何も得られなかった。エルは「ツイッター」を主に徘徊し主催し、次は「廣野ナントカ」なる偽名を使い、つい最近はまた別名で名乗るがこいつは姿をすぐにくらます。得体の知れなさではsuzu以上だ。

 マズそうな自分の食事を殊更持ち出して写真としてアップし、三松会館だ、何だとうつつを抜かし、乗っけていた。それは自由だが、私は上記の通り、彼を許したつもりはないし、反感を持ってそれらツイッター等や他人のブログへの書き込み等を監視して見詰めていた。

 エルは日顕御陰尊猊下を事もあろうか誹謗していた。今は判決が下りて誰も相手にしない事、創価学会側もそれを訴え直してはいけないと判例で決まった事を蒸し返して、違法な事を殊更針小棒大に、得意になって訴えていた。当時は私はまだ学会員で、それを事実と鵜呑みにしていた。後に創価の非、日蓮正宗の正義を知り、愕然とした。今まで何と多くの嘘八百を創価学会は並べて来たのか、嘘つきの、デマのプロパガンダ出力・発信源、創価学会。その罪は大きい。
 
 本当に創価学会は嘘、デマ、ペテンしか言わない。それが文化・平和の団体と言うのだから笑わせる。この堕地獄ブタ野郎女郎、創価。教義を日蓮正宗からタダで持ち出して空威張り。笑止千万だ。師匠池田大作と共に地獄へ落ちて行く様を想像すると、笑いを越えて身震いする。もはや、狂気だ。

 郡山市は、真言宗豊山派如法寺、浄土系善導寺、こおりやまのミニコミ誌「ザウィークリー」の占い記事担当の祈祷寺、単立日蓮門流法久寺、神道神社系・開成山大神宮・安積国造神社等、新興宗教の、真如苑、天理教、霊友会、立正佼成会、顕正会、創価学会、霊波の光、世界真光文明、キリスト教各派・エホバの証人・統一教会・モルモン教、生長の家・幸福の科学、他、邪師による邪義邪宗邪教邪道邪説邪法の類がわんさかワンサカ余りにも多過ぎる。皆、本尊に迷う、迷い子の宗教、迷妄の狂ったおかしな宗教ばかりだ。それは新興宗教のみならず、伝統宗教にも言え、日蓮正宗以外の邪宗邪教にも即ち全て当てはまる。
 
 日蓮大聖人の言う、四箇の格言「真言亡国・禅天魔・念仏無間・律国賊」と喝破し破折された甚深の意味を現代人も、郡山市民も噛み締めるべき。
 
 世を糺さねばならぬ!