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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ビートたけし著「コロナとバカ」を読了

2024年04月30日 22時52分24秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 ビートたけしの「コロナとバカ」という本を読み終わった。
 内容は、コロナがバカではなく、コロナに翻弄される特に日本人がバカと言いたげな内容である。
 たけし自身も、この頃、2021年2月1日電子書籍版発行、という時代背景もあり、御多分に漏れず、コロナに過敏に反応している姿が垣間見られる。
 その中でも、志村けんのコロナ?によると言われる死に触れて、私は志村けんという芸人は大嫌いなほうであったが、この、たけしの惜しみ悼み方を読んでいて、又見方が変わった。志村が、お笑い界の或る程度の、インテリ的な感じも受けた。
 その他、俳優女優のこの間の相次ぐ自死に触れて、それに対して、理由を客観的に一般大衆、世間はどうしても見てしまいがちだが、その人の主観に触れてみないと判らない、とたけしは言う。
 コロナ時代に、(そんな時代は実際には存在しないのだろうが)芸能界で不祥事?をやらかしてしまった人などを、笑いのネタにしているが、たけしが言うのには、泣かせる芸能は、昔から、定型のようなものがあって、その枠に当てはめさえすれば、それが成り立つ。
 しかし、一番難しいのが、人を笑わせるという、これが簡単なようで、最大限に難しいのだと、たけしの言い分には、成程、最もだ、との感じも受けた。
 とにかく、この頃のたけしは、コロナで世の中真っ暗で、お笑いもやりづらいと言う思いが、ひしひしと伝わって来る。
 如何にコロナが、世間での、お笑いにしろ、人の生きる希望にしろ、全てを奪ってしまっていたかが、このタイムマシンのような書籍書物を読むにつけて、思い出される。
 最近のたけしの書籍が出回っていないような気もするが、出ているならば読んでも見たい。たけしの本は、皆、毒舌でエスプリが利いていて、面白い。たけし程の人ですら、あの、コロナの呪縛には逃れられなかったのが、何か悲しい感じがする。
 多くの犠牲者、決して、そのウィルスというもののせいじゃなく、コロナで風評被害、生命まで自ら失った人たちまで出てしまった、この時代の騒動は、一体、今から考えると、なんだったのだろうとの、私としては、ただの風邪程度に、世間がこうまで振り回されるのか、との、集団心理の怖さを思い知ったここ数年間であった。
以上。よしなに。wainai

現代文明の危険性を喝破!「反キリスト・反一神教」の立場の養老先生

2024年04月30日 16時24分16秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
現代文明の危険性を喝破!「反キリスト・反一神教」の立場の養老先生 「バカの壁」養老孟司著、の第八章、「一元論を超えて」に、養老先生の端的な、現代のキリスト教イスラム教を代表とする、「壁」についてその限界、新たな時代は、それらに負けない二元論多神教的な世界観だと論じた章です。後に付随して、複音ハーモニカC調君が代。以上。よしなに。wainai 

「質問会集」日蓮正宗、朗読。複音ハーモニカAm調演奏。キリスト教の事

2024年04月30日 14時32分59秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
「質問会集」日蓮正宗、朗読。複音ハーモニカAm調演奏。キリスト教の事 「質問会集」日蓮正宗の朗読。複音ハーモニカAm調の演奏。キリスト教の宣伝カーが昨日我が家の隣を通り、爆音をまくし立てた。そして、これみよがしに、宣伝ビラ(トラクト)を配布し、各家庭に置いて行った。それは、キリスト看板「死後さばきにあう」等を貼り付けてゆく、宮城県の団体らしかった。その異常さに驚いた。数年前にも、以前からうちの近所を徘徊していく車であった。以上。よしなに。wainai 

「文章の書き方」辰濃和男著、福沢諭吉の文章について、朗読。ハーモニカ

2024年04月30日 07時57分39秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
「文章の書き方」辰濃和男著、福沢諭吉の文章について、朗読。ハーモニカ 「文章の書き方」辰濃和男著、福沢諭吉の「福翁自伝」「学問のすすめ」から諭吉の文章の上手さから文とは何かを考える。後半、ハーモニカで自由に楽曲を演奏する。以上。よしなに。wainai 

自民公明よ、当たり前だろ!昨日の選挙結果。立民全勝!自公よ、国民を舐めるな!!

2024年04月29日 14時26分36秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
補選全敗の自民 渦巻く解散封印論
4/29(月) 13:45
西日本新聞

2024年4月衆院3補選
「羽交い締めにしてでも止める」3補選全敗の自民に渦巻く解散封印論 世論も党内も"岸田離れ"
西日本新聞
 衆院3補欠選挙で自民党が唯一戦った島根を落とし、自民離れの民意が明確になった。全敗に終わった岸田文雄首相の求心力低下は必至で、早期の衆院解散・総選挙は困難な情勢だ。岸田氏が意欲を示す首相続投も一層厳しさを増す。

 自民党公明党政権の、断末魔の声が聞こえて来る。この、これら二つの政党には、もう、政権の座から降りてもらわなければ、日本国民が納得はしまい。
 それにしても、日本国民も舐められたものだ。このまま、昨日の結果が出る直前までは、自民党幹部の誰もが、当分、否、未来永劫、自分達、自公政権の永続、永遠の政治担当能力が、自身の政権運営において、約束されていたのだと、どうやら思い込んでいた節があった点でだ。
 こんな政党群は、国民が、余程のバカでない限り、今の政治状況を、日本のバカマスコミが通り一遍に、ボカシて伝えていても、野球だ、大リーグだ、相撲だ、芸能界だ、云々、と、バカ騒ぎしようとも、国民は見抜いていた。それら悪徳政治、及び政治家共を。
 だから、幾ら政治音痴だと、国民がバカにされようとも、ただのバカじゃないと思う。日本人も。それに怒らないとしたら、あれだけ、自民党派閥の、「裏金」だ、脱税だ、と、毎日のように速報されていた日には、今日の結果は、知れたものだ。
 これからが本番となる。いつ解散しても、自公が野に下るまで、私を含めて、国民一丸となって、今の悪政を司る、岸田一派、自民党公明党の、支持母体の元統一教会、創価学会の、悪徳カルトセクト支配下に置かれた、邪政治団体・邪宗教団体との、訣別を、国民が果たしてやろうじゃないですか!
 どうですか、皆さん。この国難の一大事を、政治政界の浄化を正常化を、国民の限りない一票の力で、成し遂げましょうよ!!
 塵も積もれば山となる。皆さんの一票は、一人一人で見れば、それは実に小さいかもしれない。しかし、束になれば、実に大きな塊の一票、何百万、何千万票ともなり得る!
 夢を実現させましょうよ。あいつらに、ここまで馬鹿にされて、蹂躙されて、正しい政治から遠のいてしまって、貴方は満足できますか?どうですか!
 問題は、敵は、自民党公明党連立政権政治にあり!!
 我々の日ごろの恨み、鬱憤を晴らしてやりましょうよ!必ずに!!
 これを、悪徳政治の根源、自公政権を、打ち破れば、良いだけの話であります。要するに問題は簡単単純なんですよ、国民の皆さん!!

以上。よしなに。wainai

「質問会集」日蓮正宗、朗読。後は複音ハーモニカで探り吹き、自由気ままに過ごす一日

2024年04月29日 12時02分30秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
「質問会集」日蓮正宗、朗読。後は複音ハーモニカで探り吹き、自由気ままに過ごす一日 「質問会集」日蓮正宗、朗読。後半は、複音ハーモニカAm調・C調にて、童謡唱歌等を演奏。今日の日の話等々、冒頭、最後に話す。以上。よしなに。wainai 

祝日・昭和の日を寿ぐ

2024年04月29日 10時26分06秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日

 本日は、「昭和の日」であります。日の丸、国旗、日章旗を掲揚致しました。
 近現代においては、日本の黄金期を築いた、「昭和時代」を振り返る、よすがとなる日と致しましょう。
 元々は、昭和天皇の御誕生日でした。
 その後、みどりの日に成ったりして、現在の「昭和の日」となりました。
 今日は、私は家でゆっくりとします。
 昨日のお寺での疲れを癒したいと思います。
 本来ならば、本日も、お寺にて、「五時間唱題会」なんですがね。
 それらにひたむきに取り組む方々に、最大限の敬意と敬礼を捧げたいと思います。
 そうして、皆、本当に元気だな!と。
 私にもその元気の一分を分けて頂きたい位。
 私にとっては、サボり、サボタージュですが、ここの所、疲れがピークに達しているので、そんな強行軍は、私には務まらないのが精一杯の、現在の私です。
 とにかく、私にとっては、良い気分の、五月さつき前の、四月最終週のとある一日が今日であります。
 以上。よしなに。wainai

創価学会「ニセ本尊」破折100問100答、電子ピアノでバーナム練習グループ1終り

2024年04月28日 22時59分28秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
創価学会「ニセ本尊」破折100問100答、電子ピアノでバーナム練習グループ1終り 創価学会「ニセ本尊」破折100問100答、朗読。日蓮正宗による。電子ピアノでバーナムピアノテクニックミニブック教則本グループ1終りの場面、復習。今日一日の事等話す。以上。よしなに。wainai 

本日は日蓮正宗立宗会、そして帰宅後、鈴木健二著「気くばりのすすめ」を読了!※長文失礼

2024年04月28日 18時29分01秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致

 本日は我が日蓮正宗菩提寺の無量山寿海寺にて、大聖人様の「立宗会」(りっしゅうえ)があった。
 その直前、私は、「はま寿司」で、「まぐろ丼」を540円と言う、リーズナブルな値段で途中で買い求めて、お寺の幹部の方々は幹事会を開き、その間に、私はそのどんぶりを全部食べてしまっていた。
 そして、皆さん、私の前に現れたのだが、食事はどうしたの?と言われて、とっくに食べちゃいましたよ、というと、540円と言うのは、本当に安いけれど、それで満足できる内容なの?と聞かれた。 
 まあ、確かに、がっちり食べたい人向きではないかも。しかし、薄切りの、赤身のマグロ四枚、中トロ?白いのが四枚、それと、しその葉の上にマグロのすり身が乗ったものにシャリがあるやつで、その値段は安い方だと思うと。
 これに、590円で、シャリが大盛なのも別コースであるが、それは、ご飯だけが大盛で、おかずのマグロは大盛じゃないから賛否両論だろう。
 この他、まぐろサーモン丼というのも、同じく540円で売っている。これも紹介した。

 そうして、私達は、御住職様の御説法を聴いて、非常に有難くお話を皆で聴き味わった。しかし、今日はバカに暑いなあ、と思いつつ、家に無事に帰って来た。
 そうして、今まで、確か今月から読み始めたのか忘れたが、NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が亡くなったと聞いた時から、私は彼の著書「気くばりのすすめ」をアマゾン電子書籍で買い求めて、この一か月程、読み進めて来た。
 今日、やっとそれを読み終わった。
 普通の読み方で、それ一冊に専念して読めば、これ位の本ならば、一日掛かるか掛からないかで読めるだろうが、私の読み方は、学校の授業と同じく、何冊もの書籍、本を、同時並行で進めて読んでいく。
 これが、誰の本を読んでいるのか判らなくならないのか、と問われても、私は、これが誰の本かは、充分理解して読んでいるから、大丈夫なのだ。それが、私の読書の流儀であり、以前、聖書などを読んでいた時は、確か、それ一冊に集中的に読んでいたような気もするが、やはり、平行読書だったと思う。
 その時は、聖書と、仏教の初期仏典「岩波文庫:中村元訳『ブッダのことば』」なども併せて読んでいたのだから、私にとっては、キリスト教一辺倒の、嫌味が抜けて行ったのだから、これは痛快である。
 とにかく、この一か月の、この鈴木健二著「気くばりのすすめ」だが、古き良き日本の美徳、道徳、気遣い、がアウトラインとしてある。
 最後の、文庫版での著者の言説が成程、と思わせた。曰く。
 この本が、要らない必要でない時代が訪れたならば、その時が、すべての日本人が自分及び他人、それを越えた、大自然や動物や昆虫含む森羅万象、あらゆる存在に気くばりが出来ている時代が来たのだと、作者は言い切る。
 それ位、昭和の頃、この本はバカ売れしたのである。何と400万部以上!
 今の出版不況がウソのような、しかし、この著者は、売り上げの印税の、85%以上、ほとんど収入の全てが、税務署に税金として取られると言って嘆いて見せる。
 この本は、この当時、講演活動の中で話して来た事が基本としてまとめてあり、それらを基に書いたものであり、話し言葉が、無理やり書き言葉になっているのが、この著者にとっては、他の著作に比べると、少し不満げにも感じられる。
 どうしてこの本がその当時の日本人に読まれたのか。ここに書いてある事は元々常識以上のものでもなければ、以下のものでもない。それなのに、多くの方が、年齢や男女の別を越えて、人間としてあるべき姿を学ぶ意味で、重要なヒントを得たと言って下さる。それは日本人が戦争と戦後の荒廃した生活の中で失ってしまった人間にとって変わらない常識を、幾分なりとも掘り出したからではないかと著者は言う(趣意。著者、あとがき、文庫本刊行に当たって、から大体の輪郭のおぼろげな引用)。
 思いやりの技術はとても簡単。本当は問題の本質はきわめて簡単。それがお互いに相手に細かい自然な気くばりをすれば良いだけである。それが今の日本人にはできないのだろう、との著者の言葉が熱く迫る。

 ともかく、今となれば、昭和元禄、とも言えた、物事も単純であり、何とも現在からみれば、おっとりとした、いい時代に我々は生きていたなあとは、何となく思う。
 けれどもこの時代は、校内暴力、家庭内暴力、政治家の汚職、公害環境問題、等々の、沢山の問題も抱えていた、それらに看過出来ない時でもあった。
 この本を書き終わったのが、一九八二年、秋。とある。まだまだ、迫り来るバブル景気までは、時間的な猶予がある。
 その後の日本人とは、諸外国の、特に先進国からはもう、学び尽くした、と言わんばかりの、日本が傲慢となって行った時代に差し掛かろうとしていた。その陰には、多くの日本人としての、学びを辞めた国民は、流浪の民の如くの、悲惨なバブル崩壊へと一気に国としてなだれ込んで向かってゆく。
 この時代を総括して、反省が本当に実地に実際に行われてきたのか?!果たして怪しいし疑わしい。それに加えての、現在の、不景気狂乱物価高の中の、株高フィーバーには、これには、私には、何か現政権の悪乗り、悪あがきじゃないのか、との不信感しかないのである。
 とにかく、汚職にまみれた、現自公政権を倒す、この一点に懸けた諸政党が、出て来てくれないのか、ここが一番最大限の現今の、喫緊の課題・問題だと、今日は、思い致し考える一日となっております。

以上。よしなに。wainai
※長文失礼しました。

短歌、二首、作歌。今回はこれだけです。

2024年04月28日 17時51分58秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 私は、短歌の作歌活動が、人並み以上の、隔日多産量産系だとはおもっていたのですが、今回は、思う程は、出来なかった、私です。
 何だか、拍子抜けしたような、情けない、こけおどしのような、ガッカリ感に包まれている私ですが、これを機会、機縁に、又、頑張って、作歌に取り組む決意です。
 以下、二首。

 大槻のひなびた町を行きければホーホケキョ―とうぐいすの鳴くなり

 ホーホケキョと鳴く鳥は死後硬直を免れると云う

 二〇二四年令和六年四月二十二日月曜日午後四時頃。作歌。於:大槻町JA旬の庭のそばにて。

 二首目は、ユーチューブ動画の、日蓮正宗の世界では伝道師?!折伏の第一人者として、かなり有名な、「樋田昌志」さんの、御言葉であり、ホーホケキョ―と鳴くうぐいすには、法華経の仏性が特別に宿り、見事な成仏の相を示し、死後硬直を免れるんだ、ホントかウソかは分かりませんが、そうなんだーと私は思い、仰っていた回を思い出して、私なりに作歌してみました。

 実際に、母の施設の帰り道で聞いた、本物自然の春のうぐいすの鳴き声でした。
以上。よしなに。wainai

高校時代の社会科に見る、宗教の見方、考え方

2024年04月27日 19時57分31秒 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、邪教神社寺社、及び新興宗教
 私にとり、宗教とは、初めは何者かに、祈りを捧げる。そうして、それが、こちらの努力、働きかけからなのか、向こうから勝手に、というか、幸せが外からやって来るのか、そのいずれかであったように思う。
 福島県立安積高校にて、倫理の時間を中心に、日本史等でも、元々仏教、特に鎌倉仏教において、自力と他力と二つがあるとは習った。
 その中でも、日蓮宗系は、自他力、といって、自力と他力を併せ持った、独特な宗教宗派だとも、その時に習った。
 それはそうだろう。その時は知らなかったが、自力の禅宗系も、他力の念仏浄土系も、ともに、中国では天台大師が開いた天台宗、日本においては最澄こと伝教大師が開いた日本天台宗で、それら、鎌倉仏教を開いた教祖が、皆、天台宗がある比叡山延暦寺で仏教を修行したのだから。
 その、後を引き継いだ、というか、天台宗が後の世に、真言宗の、真言密教を取り入れ、天台密教化(台密)していった、詰まりは天台宗の仏教が腐敗したので、鎌倉時代に、それらを清算する如くに、色々な宗派を立てた教祖がいた。その全てが皆、天台宗で習い修めた人達ばかりなのである。
 その中でも異彩を放ったのが、宗祖日蓮大聖人様である。この方こそは、日本においても、世界でも、初めて、天台法華を取り戻し復活せしめるべく、法華経、妙法蓮華経を第一とする、正当な仏法の流れを推し進めた当の御方である。
 私は、その当時は、その日蓮大聖人様の偉大さが判らなかった。だから、世界で一番に広まっている、キリスト教を選ぼうとした。
 学校でも、聖書が、ギデオン協会から我々全校生徒に配られ、それを日々、私などは、聖句をそらんじられる位まで、覚えた。
 学校では、倫理の先生(六角先生)が、若者が、否、皆、人として、宗教を選ぶなら、伝統宗教にしなさい、と口を酸っぱくして、当時から仰られていた。
 私は、高校を卒業したら、絶対にキリスト教会デビューをしよう、と狙っていた。
 しかし、高校を何とか周り道をして卒業はしたものの、当時は超就職氷河期であった。
 それで、当時、私は栃木県立宇都宮高校を卒業して、郡山市に帰っていた。
 その時通った教会が、カトリック郡山虎丸教会であった。(その前には、日本基督教団西那須野教会)。
 そして、何で仕事がないんだ、貴方には、と、まるで、私を半端者、悪く言えば、フーテン、ルンペンの如くに扱われた。
 私は最初から諦めていた。この人らには、何を言ったって、判らない人達なんだと。それら人々の、その時代の厳しい就職状況が判らず、世界観が、全く前時代的のままなのであった。
 その結論としては、その、キリスト教の信者の特性として「働かざる者、食うべからず」の聖書の教えが、根底に流れていたとは、その聖書を当時から、全巻、愛読する以前の私には、知る由もなかった。
 だから、私は、十年間近い位、辺りにある教会を、十か所近く通い直す日々が続いた。
 きっと、私の事を覚えている教会や、当時の出席者名簿が今でも残っているなら、私の名前があるんだと思う。
 とにかく、その後、キリストから、その前の時代は、神社神道にもお祈りしていたし、創価学会への、劇的に、心が吸収されていった時期が、これが最も長い時間である。今の日蓮正宗信徒の歴史経歴よりも、キリストも、創価は特に、郡山潜伏二十年の日々の全てを費やしたと言っても過言ではない。
 そうしてようやく、2017年平成二十九年二月八日、私は、正気に目覚め、日蓮正宗無量山寿海寺へと、やっとの事で帰伏した。
 これ以上は、語らなくても、私のそのほとんどの軌跡は、このブログに全てとは言わないが、記してある積りだ。
 このブログを、読者の皆様には、書いた時期に捉われずに、軽々には言えないが、お読み頂けたら幸いである。
 そこのコメント欄は、いまだに私は閉じてはいないし、自由に書き込める。
 しかし、何分、昔に書いた記事なので、当時の記憶を頼りに、私の記憶力との背比べとなろう。
 私なりに、質問等には、何とか対応出来得る限り、してはみたいが、見逃したり、返事が遅れたり、その時は、返事がないのは良い便り、と、その場合はご容赦願いたい。

以上。よしなに。wainai

田中角栄著「日本列島改造論」を購入。

2024年04月27日 15時18分55秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論

 日刊工業新聞社発行の田中角栄著「日本列島改造論」(復刻版)を購入した。
 この本は、私達昭和の頃の、小学校専門学校卒から日本の首相、内閣総理大臣にまで上り詰めた、自由民主党の田中角栄の、日本の未来図と言っても良い著書である。
 全国を、新幹線で、縦横、東西南北と結ぶ。今のインターネット社会という、そんなその当時は夢物語ともいえる事を想定して、論を進める。
 日本を改革するんだ、とにかく、と言った、この当時から、角栄は、「人間ブルドーザー」と呼ばれて、その後、「ロッキード疑獄」で失墜する。
 しかし、その正鵠を射る、正に時代の先の先を見通していた宰相は、この田中角栄氏以外には、日本に並び称される人など、いやしない。
 あのロッキード事件も、何か、角栄氏が、仕組まれて、デッチ上げられて失脚してしまった、意図的な感もなくもない。あの裁判が、正当性のある裁判だったのか、果たして。
 私らの生まれた頃の、丁度好景気に沸いた時代に、その寵児として受け止められた政治家、田中角栄。日本の政治家としても、学歴などくそくらえ、ようやく四民平等が成立したと皆が大歓迎して、首相に推されて、日本のトップに立った。その手腕、演説スタイルは、今なお、物語られる程、或る種、伝説ともなっている。
 とにかく、今日はこの本が届いた日である。新刊である。
 
 帯を見てみる。
 「91万部のベストセラー」「田中角栄の構想力と実行力に学ぶ」「稀代の名宰相・田中角栄が敗戦後の日本の荒野に佇んで何を考え、どのような理想を思い描いたのかー」「その実相と実現に向けた具体策があますところなく本書には記されている」
 裏の帯にも。
 「大都市と地方の格差解消、高まる環境問題への対処、デジタル化の推進ー」
 「50年前にも日本のグランドデザインを描いた『日本列島改造論』は、現代にも共通する多くの重要課題に具体的な解決策を提示している」

 とにかく、今の日本は、この著書の通りに、まるで予言書の如くに、そのままこの本を典拠として、今に至るまで突き進んでいるかのようである。
 日本の未来図が、正にここにある。

以上。よしなに。wainai

養老孟司の<逆さメガネ>朗読。宗教関係。電子ピアノでバーナム練習初歩

2024年04月27日 12時53分36秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
養老孟司の<逆さメガネ>朗読。宗教関係。電子ピアノでバーナム練習初歩 「養老孟司の<逆さメガネ>」を朗読。宗教関係。著者の六年制出身校栄光学園は、カトリックイエズス会の運営。その利点。後は、現代日本に禍根を残した、オウム真理教について養老先生は論じた。以上。よしなに。wainai 

"道をひらく"(松下 幸之助 著)を読書中。今日の立て続けの福祉関係者来訪とピアノ練習について

2024年04月26日 16時52分15秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
"道をひらく"(松下 幸之助 著)を読む。

"思い悩む 

 人間は神さまではないのだから、何もかもが見通しで、何もかもが思いのままで、悩みもなければ憂いもない、そんな具合にはゆかないのである。 悩みもすれば憂いもする。迷いもする。わからん、わからん、どうにも判断がつかん、どうにも決心がつかん、そんなことが日常しばしば起こってくる。 碁ならば、わからんままに石を打っても、別に人に迷惑をかけるわけではないけれど、人と人とがたがいに密接なつながりを持つこの世の中で、わからんわからんと思い悩んだままで仕事をすすめたら、とんでもない迷惑を人に与えてしまう。 わからなければ、人に聞くことである。己のカラにとじこもらないで、素直に謙虚に人の教えに耳を傾けることである。それがどんな意見であっても、求める心が切ならば、そのなかから、おのずから得るものがあるはずである。 おたがいに、思い悩み、迷い憂えることを恥じるよりも、いつまでも己のカラにとじこもって、人の教えを乞わないことを恥じたいと思うのである。"(松下幸之助「道をひらく」より)


 今日は私にとり、とても人疲れしたというか、いっぺんに、訪看さんと、相談室の長の方が二時台、三時台と来られて、私は大わらわで迎えた。
 その時、相談室の長の方は、ちょっと辛口な受け取り方で、そうやってムスッとした私の対応で、誰も喜ぶ人などいない。もっと、相手の顔を見て、笑顔位見せたら、と言われて、成程、と思うが、私なりに、何かしら、言い訳じみた態度、対応となってしまう。
 本来ならば、相談室の長の方は、水曜が私へのPCのエクセルの講義の日だったが、その日はあいにく長の方は出張で、本日の相談の日となった。
 そこで、最初の訪看さんは、私の体調を心配されて、最近は、コンビニ食と、カップ麺ですか、と言われて何でわかるのかと思っても、私から直接、コンビニで食事を調達している事は聞いているし、ゴミ箱に、昼食べたカップ麺のゴミを見れば、一目瞭然だ。
 それに加えて、心配なさったのが、私の睡眠時間の取り方で、昨日など、夜中の一時頃寝たというと、少し時間をせめて夜0時以前に出来ればベストなのにな、とは言われた。
 そして、来週は通院ですね、と言われた。
 そこでも、私は色々と話したが、私にとっては大事な事でも、後に話す、相談室の長の方は、自慢しいだと言われてしまった、私が元々。
 そして訪看さんが帰られ、すぐさま今度は、相談室の長さんが来られた。
 そして冒頭の、洗礼のような、お客様を迎える態度について、すぐに私の事を叱られた、というか御注意、御忠告を受けた。私なりに、これ程叱ってくれるのは、私の母親以来である。
 だいぶ長い事、話した気がする。その場では、私の買い物が、問題になった。
 私が、何台もラジオ機器を持っているにも関わらず、又買った事に、その方はショックを受けたようだった。それが病気だと。
 成程、とこの時も、私は膝を叩いて唸った。そういう見方があるのだ。これは私が増長し、慢心であったと。
 普通の人ならば、ラジオは一台二台で済むはずである。それが私と来たら、それが際限が無い。これが無ければ、今頃、お金が少しずつ余裕が出来て、今よりも苦しくはならないだろうと。
 私(長の方)だったら、そんなキーボードなんか買わずに、レストラン等で、フルコースの、美味しいものを食べる、と。
 その方には、栃木のKさんも、信頼を寄せる所があり、その長の方への私の苦情をKさんに言うと、その長の方の言葉の中に、私(wainaiこと私自身 )が愚痴る言葉は、皆、私の脳が全てその愚痴、マイナス感情を聞いているのだと言っていたと言うと、その方はきっと、今の話題になっている脳科学者の中野信子さんの説とおんなじ事を言っている、だから、長の方を信頼しても良いのではないのか、とこう、栃木のKさんは言った。
 それ以来、私も、これら、福祉相談室の方々を見直すキッカケを与えられたと自身で思うようになった。
 今回のラジオの件でも、しばらく、私から、あれ買った、これ買った、との声が聞こえなくなったので、その相談室の長の方は私の悪い癖が治ったのかと思ったそうであった。しかし、今日、私は、それを裏切るような、やっぱり無駄遣い、買っていたのだと知り、それ程、怖くは叱られなかったが、白々しい自分が、まるで眼前にいるかのように、そこは意表を突かれる形で、私の目の前に迫って来た。
 とにかく、私の無駄遣いは、これは福祉の方には、知られる所となり、私としても、恥じ入るばかりである。
 この為に、善処をして、生活改善に取り組みたいと考え、望んでいる。
 その他、この日、以前、私が迷惑をかけた、それぞれ、相談室、訪看さん、二名の方に、私からの謝罪状、詫び状も、私から事前に用意して、その場で渡させてもらった。
 とにかく、恥をかく事の多い私であり、同じ失敗は二度と繰り返さない。
 その事は、事の後先には、必ず気付く、気付かなくても、時間が経てば、必ず気付き、自らの行いに非常なる自省反省を加える。
 一日二省三省の、私でありたいと、それら、不義理不知恩をこちら側からしてしまった方々には、非常に申し訳ないと、ここで改めて、謝罪を申し上げたい。
 何だか今日は、謝ってばかりの日和であった。

 ※編集後記・追記
 相談室の長の方と帰り際に、ピアノは習えない立場でしょうね、と私が言うと、勿論、と返され、そんな幾らかかるか、判らない位の、相場なんだと仰る。 
 その方は、親類家族に、音大卒がいる関係で、何でも音楽の事は御存知なのだ。
 その長の方は、PCのエクセルも、今はただにしているけれど、そんなこと言うならば、有料にしちゃうよと言われて、私はあわてて、あれだけ、実際にマンツーマンで、手取り足取り、教えてもらうと、簡単にエクセルが習得できるのだから、ピアノだって、そうならば簡単に…、と言うと。
 その方は、ピアノは、その技術を一つ一つ、積み上げてゆくのが、お金でそれらを買ってでも、習得してゆくのがピアノの世界である。PCの比じゃないと言う。簡単ではない道が、ピアノだと。練習量が、努力が必要であり、それを上回る程、お金が掛かる。ピアノの方が何よりも難しい。それを私などは、貧者のピアノ演奏家として、敢えて難行苦行の道を行っているんだなあと思う。
 それを、だから、私が一人で、独学で習わないでやってゆくのも、一つの流儀なんじゃない?!とキッパリと言われて、まだこの、いばらの道は続くのか、との、遥か彼方にある、一人前に演奏ができる自分が、余計に遠くなったようで、しかしその、長の方は、やるからには、立派に正々堂々と真っ当にやってみろ、との、叱咤激励を受けたようで、私なりに今日のこの方々との会合と言うか、話しには、自己反省と教訓を先頭にして、興味と関心を引き、非常に勉強と収穫になったと実感した一日であったと思う事、大であった。

 以上。よしなに。wainai、長文失礼。