Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

「検証!創価学会の実態」という御本を読了

2019年11月27日 21時16分57秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 暁鐘編集室発行、「検証!創価学会の実態」を本日、読み終わった。
 創価学会とは、何と間違った団体かと、思いを新たにした。
 数々の創価の謗法。頒価350円+税。

 我が寿海寺の御住職様も、朝の唱題会後の学習会で説法なされた。この本はその時は用いてはいなかったが(今は別の御本を採用)、池田大作も、最初は謗法なんてとんでもないと思っていたはずが、一つ罪を犯し、二つ三つと増えていき、最後は御法主上人猊下に難癖をつけ、歯向かうようにまで堕落する。そこまでは行かないだろうとの慢心が、そうなって行った。
 この本にも、池田学会の間違ったいきさつが書かれていて、当初はこんなものが、と思われるものが、最後はとんでもない事に発展していく様がわかる。
 例えば、「御本尊」を「幸福製造機」と例えたのは戸田会長だが、戸田先生はわかりやすく譬えを使って苦心して考え出したという感じだったが、この時点ではまだよかった。しかし、御本尊を機械、イコール物とする発想が、後の創価の御本尊軽視、模刻板本尊、破門後はニセ本尊へと悪乗りしてゆく経過をたどった。
 創価学会の場合は、常にのちの悪乗りという己義を構える大謗法路線となってしまう。救いようがない。
 池田大作も三代会長就任当時はまだ謙虚だった。それが自身を池田本仏に祀り上げていく内に次第にマヒして、自分を勲章や表彰、名誉称号・学位で飾り立てるようになる。池田も最初は勲章も名誉もいらない、と言ったはずなのに。
 創価学会とは、間違いの歴史、大謗法への転落の歴史だ。創価学会がいつまで続くかは知らないが、現代に生きる我らを含め多くの人々は、今の創価をよーく監視、観察し、後世の為に悪の教団が存在した事実をはっきり伝えねばならぬ。

第三回支部総登山、富士大石寺

2019年11月24日 22時05分15秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
那須高原サービスエリア。
羽生パーキングエリア。
談合坂サービスエリア。
奉安堂に富士は雲に隠れ。
凄い人出でした。
今日は特別に日顕上人のお墓を目指す。

奇跡的に姿を現した富士山。
今日は本当に人でごった返した大石寺でした。
これだけ人が集まるんだから、如何に創価学会が
嘘つき体質だったかが判ります。
総本山に来れば巨額のお金を納入しなくちゃならないなんて、
とんでもない言い草でした。
奉安堂の御開扉では、大御本尊様を前にして、
三年前の初めての時のように感極まり、大泣きしてしまいました。
お祈りもたっぷりしました。
日顕上人のお墓では線香を焚き、ご冥福を祈りました。
とても感動した総登山でした。

戸田城聖全集を読書中

2019年11月21日 16時00分30秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 戸田城聖著、戸田城聖全集(第二巻質問会編、第三巻論文・講演編、第六巻講義編2)を今、読んでいる。
 戸田先生はとても日蓮正宗に尽くし切った人で、創価学会の人間ではあるが、当時は日蓮正宗創価学会といって、両者とも協調していた。
 第二巻、質問会編は当時の学会員達が、貧病争で悩み、創価学会とは病人や貧乏人の集まりと揶揄された時代、その解決への糸口が戸田先生によりとても分かり易く平易に書かれている。質問会編は古書店業界でも貴重で高値で取引されていて、私は安い時にゲットした。
 第三巻は論文、講演が当時の熱気のまま、著わされている。戸田先生の生命論ほか、御書全集の前文等も載っている。
 第六巻は講義で、御書を抜粋して戸田先生が解説を加えている。
 思えば、創価の歴史は、日蓮正宗と共にあった。しかし、三代池田なる人物により、壊滅に帰した。池田大作よ、歴代会長達が泣いているぞ、と叱ってやる人が学会内には誰もいない。情けなくて、涙も出やしない。
 思えば、昭和の頃の、戸田先生の時代までは、本当に学会、宗門とも、佳き日であったと思う。


創価の大謗法団体としての経緯

2019年11月07日 19時18分24秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 日蓮正宗から袂を分かれた創価は、まずはニセ本尊の販売、同志(友人)葬の開始、五座三座の観念文の改変、そして究極が三大秘法の大御本尊の否定へと連なる。創価の短くない歴史の中で、池田会長以下、現原田会長に至る迄、この団体が大謗法集団に変化、劣化、集団堕地獄体制へと変貌した。
 私が教わったのは、昔はお経を読むとき、リン(鈴)を方便品に入る前に七回、寿量品の前に三回、その後の引き題目の後に五回と習ったのが、創価が言うには、そういうやかましい時代もありましたが、新時代は自由で、何回鳴らしても結構です、となる。
 御本尊を見つめ拝する時、昔は妙の字を一心に見つめなさい、と習ったのが、どこを見ても結構です、となる。
 経本の観念文から、諸天善神への祈りが無くなった。第三祖日目上人もいなくなる。大御本尊の文もなくなる。代わりに池田大作三代会長が観念文歴代会長祈念に加わる。
 観念文がどんどん陳腐になってゆく。鈴や御本尊のどこを見るかも、自由になったようで、肝心の正しい本当の勤行が出来なくなり、無法地帯となった。
 文化会館に行っても、勤行はない事が多く、題目三唱だけ、選挙の勝利の万歳三唱のみ。だから誰も数珠経本を持って来ない。
 これだけの事が、平成になり、三十年の間に起こった。創価は変わる事が進化発展だと思っているのだろうが、退化、衰亡の一途を辿る創価のありのままの姿だ。
 私は創価学会問題が起こった時、創価の正しさを疑わなかった。宗門とどっちが正しいかは、時折うちに届く日蓮正宗の新聞を見て、少し迷った。意見が創価と宗門、180度、まるっきり違うからだ。しかし、その新聞を見ても、次の瞬間は創価脳に成り代わり、創価として内と外を分ける、二重人格のような私であった。
 日蓮正宗のお寺に父の納骨料を支払いに行くと、今よりも当時は閑散としていたが、お寺の佇まいは何か懐かしい、故郷の様な感じを受けた。しかし、創価から、正宗の資金源になるから、卒塔婆は立てるな、とお達しがあった。けれども母は、当時、父の御供養の為に塔婆供養をしていたとお寺の御住職様から後で聞いた。母は忘れているけれども。
 何でも新時代、新思考、創価ルネサンス、魂の独立、等々、腐った教義を並べ、ふざけるな!と言いたい。
 創価は、何と罪作りな謗法団体に成り下がったのだろうか。この一凶を禁ぜんには、との思いを深くする初冬の夜だ。

福島県議会選挙、共産党の躍進に期待

2019年11月03日 19時28分10秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 今日は早速、地元のふれあいセンターで福島県議会選挙に行って来た。
 私は期待を込めて、日本共産党の神山えつこさんに一票を投じた。郡山市で共産党系は、この神山さんしかいなかった。
 共産党は福祉の党。公明党よりも期待できる。アメリカでも若者の間で社会主義が支持を集めていると聞く。
 共産党の躍進に期待したい。

創価の愚か者には付ける薬がない

2019年11月02日 20時55分42秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 インターネットの掲示板等を私は目にした事がある。そこでは、宗教について論じる人もいて、創価学会なる掲示板も当然のようにある。
 覗いてみると、名無しや、ハンドルネームと称する名前で投稿する者もいる。
 創価の論士は、今や創価学会に教学など皆無に等しいのに、大口を叩いて創価の言い分を語る。それに対して反対する者があっても、意に介さず、論理の飛躍あり、居丈高に、その痛く突かれた所には答えない、無視し、或いは話を替えて又語り続ける。
 創価の人間の冗長で意固地な雰囲気をそこでは嫌という程味合わされる。論理的に破綻していようが、そこでは誰にも問われなかったかの如く、前言を翻し、前言を引っ提げ、皆、ボロボロだ。
 日蓮正宗の妙観講さんが、一切掲示板に近づかず、書き込まないようにしているのも頷ける。この掲示板というのは、匿名で誰も彼もが投稿でき、匿名なるが故に無法地帯そのものであり、エロサイトなどが広告主になっていたりする。
 無責任極まりなく、ここでの真面目な議論は成立しそうにない。掲示板は常に非難の応酬合戦だ。
 創価の論士たちは、今日もデタラメでかつて論破され、法論でも負けた内容の論調を蒸し返しては掲示板に書き込む事を諦めない。その情熱たるや、布教に賭けた創価論士の諦めの悪さこの上ないのである。創価学会はまともに論争、法論すれば負ける、それを避けるがためにあの手この手で、掲示板なるものに取り憑かれている。日蓮正宗が全ての創価の論旨を破折、批判して来た経緯を、少しは創価の方々は読んで耳を傾けて欲しい。
 インターネットの掲示板、誠に時間のムダ、と言わざるを得ない。
 

母の優しさ、親の恩

2019年11月02日 20時02分13秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 母のいる施設に私は向かう。母が見える。どんなに遠くても母だとわかる。母もこちらを向く。母はいつも笑顔だ。
 母は手で手招きし、ここに座りなさいと促す。私もいつものように席のそばに腰を下ろす。母は終始、笑顔だ。
 一言、二言、話すうちに、給仕さんがコーヒーなりお茶なり、母の為に飲み物を持って来る。私の分はない。
 すると、母はいつも、私に「これを飲みなさい」と言って、母のその日のうちで大事な水分を私に差し出し、飲むように促す。私も悪いと思い、「今日、うちでコーヒーを何杯も飲んで来たからいいよ。母さん飲みなよ」と言って母へと仕向ける。母は無言でそれを飲み干す。
 思えば、母はうちにいた頃、私には私の為に食べ物も飲み物も、自分も食べたいだろうに、よく取って置いてくれた。私がお腹が空いていないかを、母はいつも心配していた。
 私も、買って来たお菓子などは、母にならい、極力二人で半分こにして食べた。母も喜んでいた。
 私達親子は、今日までの日々をここまで生きて来たけれど、食べ物に不自由した事など一度もなかった。思えばあの母が、私にひもじい思いをさせたくない一心で、私に分け与えてくれたお蔭だ。
 私は、母の優しさのお蔭で今日の日も生きている。お母さんにありがとうを言いたい。