私は、郡山市立大槻中学校を優秀な成績で卒業後、地元最難関進学校、福島県立安積高校に入学し、二年次留年を繰り返し、その後、栃木県の黒磯市に引っ越し、同県西那須野町に居を移し、栃木県立宇都宮高校に転校、無事、卒業した。
その頃から、不景気となり、バブル景気は卒業後にはとっくに弾けていた。
その後、一年浪人、幾多、数多くの仮の仕事を何か所も勤め、やがて、法政大学法学部法律学科へと入学を果たす。
しかし、我が家の資金も続かず、本人の努力も及ばず、一年次で中退する。
その後、又もや、仕事探しを、ハローワーク(旧職安)で探しつつ、この時ですら、今よりも過酷な超氷河期世代時代に突入していた。
しかし、私は、果敢に挑んでいた。自身が就職できない理由を、世の中のせいにはしたくは全くなかったからだ。
或る、工業系の中小企業を受けた時の話だ。試験官と私と一対一で話し合っていた。
その時、あなたのような学歴と人財が、あのバブル景気の時にうちに面接に来てくれたら、即、採用して、今頃は、立派に幹部となっていただろうにと。
それは、本当に惜しい、との言説で悲しむようにその試験官は語った。
しかし、とその試験官は又、口を開き、あくまで、バブルの時代ならば、の話であって、今の時代は、こんな人は採用の対象でもない。
下手に進学校出た人よりも、実地に工業高校を出た人の方が採用を考える。という、私はあんまりだ、との言説を聞き、一気にこちらも白けた。
私は、普通科の進学校を幾ら優秀な成績で卒業したって、採用の場の寄りけりで、こうした、福島県の郡山市の様な、中小企業の多い街などには、元々向いてはいないのかも知れないと、一人で実感せざるを得なかった。
かといって、大企業など、大学卒の草刈り場であり、私の様な中退者など、絶対に相手にはされなかった。
遅れた一般高卒として、どこでも、募集している所は応募した。却って、大企業を除く、中小・弱小(ブラック)企業ばかりを洗いざらいに。
皆、前歴が要る。例えば、以前にその職業をどこかで習得済み、要経験者募集、などの募集要項、職業募集、求人が多かった。
皆、どこも、決して、企業で育成してやろう、などという気は全く無かったようだった。経験、即戦力がどこの会社でも求められた。教える気も全くない。
経験者優遇、新規学校卒者優遇。私は社会から一歩も二歩も出遅れてしまった。
だから、私の学歴・職歴コンプレックスは、人一倍酷く濃厚に強かった。特に、私よりも低レベルの偏差値の者が大出世したり、私より高学歴者が大出世でもこれは、私の心の中の問題だが、極めて許せなかった。
しかし、今は、日蓮正宗の御教えで、学歴は信心とは全く関係ない。差別の中の平等、平等の中の差別、他、正宗独特特有の教義を御住職様、日蓮正宗の御本、同じ信心をしている先輩後輩に見習っている内に、そんな問題、自分はもうどうでもよくなって来た。悟りが開けた感覚。
話を戻すが、今までの暗い鬱屈した自分は、これなら、昭和の頃の、中学卒業後、就職列車で、一からその職場の指導者から教えてもらえれば尚、良かったと思った。
本当に、職業高校を出て、手に職を付けた方が百倍ましであった。
だから私は今まで、一度たりとも、大学中退、有名進学校入学卒業で、何一つ得などした事は一切ない。ただ、頭良かったんだね。この一言のみだ。
「愚人に褒められたるは第一の恥なり」(御書、大聖人様の御金言)
こうなると、完全に私など未経験者はお手上げであった。どこも、一応は職歴にもならないだろうが、一週間、一か月、半年間、長くて三年、といった、職歴が余りに少なすぎた。
だから、最終的に行き着いた場所が、私の場合は、障碍者作業所、いまはA型だB型だ、と言い方、区分がやかましいが、私が行ったのは、結局、今でいえば両方であり、一番長続きしたのが、B型の方だろう。
主にその頃以降は、三障碍が区分が全くない代わりに、それ以前は明確に障碍によって職場が区分されてた。
当然勿論、私の居場所は、精神に特化した事業所だった。今のように、三つの障碍で合わさってガチャガチャうるさくは決してなかった。
中には、精神に混じって、知的が紛れ込む場合があり、何か精神の人より狂暴だったり、泥棒もいたりした(これは全て事実)。
21世紀過ぎた頃から、今のような区分けになった。
A型作業所とは、労働の最低賃金を保証してくれて、しかし、労働面では厳しく、普通の一般労働者として扱われる。
一切、御目こぼしなどない。私はこれは、ホテル勤務で経験した。期間も一定数、年数が限られ、定員も決まっていた。大体、二年縛りが多い。
B型作業所とは、もらう給料に当たるお金は工賃と称され、本当に、作業所に通って、色々の場合、一時間、十円なり、百円行けば、良心的、良い方ではなかろうか。
勿論、何時に帰っても自由であり、一週間に数日、下手すれば一日だけ勤務、とか、自由な裁量だが、それに応じて、皆勤賞にはこの手当、技術手当、努力賞を設けている所もあったりする。
しかし、どこも低賃金に悩み、その事業所自体も、税金で賄い運営しているケースが多く、その多くが資金難、人材難から、やりがいのなさから、廃業に追い込まれている。
三障害、これは知的、身体、精神、三つが寄り合い所帯の如くに、これら作業所で日々働いているのだが、大抵、精神の人は、このB型の低賃金さに参って打ちのめされてしまい、辞めて行ってしまう人(私含めて)が多い(らしい)。
私の場合は、今まで最終的に、五年間くらいいた所は、一時間、十何円だが知らないが、結局、一か月に貰える賃金が、時間割は年齢的な事も考慮して、月火と二日通おうが、月火水、と三日、いずれも午前中のみだったが、いずれにしても、百三十何円(一か月間でこの金額。一般社員の時給にも満たない。これが福祉の世界、実態なのである。)。
多くて、一か月に、三百何円、五百円行けば、大喜びの世界だった。
無論、そんな大金など、もらえようはずもなかった。
これを、腐りもしないで、五年間続けた私自身を褒めてあげたい。
言い換えれば、言い訳でも何でもなく、私の場合、その頃、作業所勤務時代に、週三回も料理調理掃除でヘルパーを頼んでいたのが大きい。
それだと、ヘルパーさんが来る午前中、午後中は全部時間待機、サービス受給中となり、働けなかった。
これが災いして、作業所には時間を掛けて働きたくとも打ち込めないジレンマがあった。
母のいた時代から、母直属のヘルパーが毎日我が家に来ていて、それが当たり前と思っていた私もバカだった。
私は、何度も、相談室の相談員には、料理が習いたいから教えて欲しいと頼み込んでも、どのヘルパーも無視を決め込んだ。
私に料理のやり方作法を覚えられると、私が営業妨害となり、自分等の仕事が無くなるのをそれは賢く誰もが知悉していたのであろう。
誰一人、私の意向、希望に沿わなかった事一つとって見ても全てを物語る。
要するに、私は邪魔者。余計な口出しをするな、という、ヘルパー側からの無言の圧力。
ここでも私は愚かだった。
何よりも、私が後ろの方から、どうしても料理の仕方を学びたくて、真面目にじっと観察し研究していたら、何と後で福祉相談室等に、私がずっと背後から見詰めていたとセクハラまがいで密告したヘルパーさえいた。
要するに、役得なんですよ。ヘルパーという身分は。
何でも守られていて、それでいて無責任。うちでは夏は涼しく、冬は暖かい所で一緒に過ごせて、自分勝手な話題、世間の噂話等々を私に投げ掛け、質問口調で私から答を只で持ち帰られる。
いつだったかのヘルパーのサービス受給中には、ヘルパーは、wainai(私)さんのうちに来ると、何でもwainaiさんは詳しく知ってて教えて答えてくれるから、このうちに来るのが楽しみだわ、とな。
バカ言っちゃいけない。
この我が家は、私と、何よりも母と父が築いた城のような存在の家であり、あんたらの出る幕じゃあないんだよ。
だから私は、あのように、人のうちの噂を平気で余所でしゃべり、秘密もろくに守れないヘルパー共を、「スズメのようにあちこちでチュンチュン噂話を喧伝し騒ぐ輩」と一刀両断に呼び捨てにするのみ。
いずれにしろ、金はかなり掛かる、料理も習わしてはくれない、仕事の時間は奪われる、と悪の権化の三点セットの悪辣さが、私の今までのヘルパー事業者を雇っていた誤りであった。
閑話休題。それはさておき。
十年間続いた施設、一~二年続いた昔の施設の方が、今から考えると、あの、二十年前三十年前なのに、今まで最近までいた施設よりも取り分が多かった、という矛盾点にぶつかる。
たしかに、責任は、失敗しても何も問われない。その場で御付きの職員さんが見ていて、実地に教えてくれる。仕事は単純作業。誰でも出来る類。意外とコツの要る仕事があったりして、それと数時間格闘して、出来上がった時の達成感といったらない。しかし、前述の、障碍者を見下すかのような、極安過ぎた工賃。
職員さんも、その工賃を一か月最後に貰う時、これで、帰りにコンビニで、〇〇さんが大好きな、シュークリームが買えますよ、などと煽って見せる。
しかし、実際の所、そのお金を使うのがバカらしくて、コンビニの募金箱が見当たれば、即、工賃、丸ごと、投入したりしていた。私より余計に苦しんでいる人々の為にと。
私の人生って、一体何だったんだろうと、この時、工賃支払日ほど、悔やみ苛まれる日は人生上無かった。古今東西の人生論を色々読んでも、答は一切どこにも無かった。
私にとって、割を食った人生だった。親、特に母御にはこちらから自然と申し訳なかったと、身を小さくして、頭を下げてしまう程の、身勝手な、親不孝を重ねた自分自身が、非常に不甲斐が無く、申し訳がない、としか、今の私には言えない。
もう私も五十二歳。もう、人生の競争の時期でもあるまい。皆、壮年老年に入り差し掛かり、六十、六十五、七十、と、人生の折り返しの五十を超えた私達には、最後の人生の総仕上げをしている身分の人が多いであろう。
そんな、成功者共と、自分をなぞらえた所で、何の埒も明かない。そんな、隣の芝生は青く見える。横を見るよりも、いっその事、高見から、高所から、仏界、仏様の目から、この世を俯瞰して見渡してみる。他の人と見比べるから、いっそ自分が惨めとなるのだ。
自分だけの人生。自分だけの生き方。他人と比べる、そんな惨めったらしい、自己中心主義、利己主義に囚われた人生を送るよりも、もっと豪快に、豪放磊落に、小さな事など一切気負わずに、大局観を持って、この世の中を非常に楽しんで生きて行こうと思う。
私だけの人生を、私がこの世を選んで生まれて来た、証にしようと思う。
他人の目ばかり気にした人生だけは避けたい。そんな詰まらぬ人生ならば私は欲しない。
自分なりの、「王道」をゆく、人生でありたいと望む。
それが、法華経、妙法蓮華経に説く、「衆生所遊楽」詰まり、一切衆生は、この世に遊びに来たのだ、との釈尊のお経典の御言葉に身を任せるのも、一つのお手本となろう。
楽観的に。ポジティブに。しなやかな柔軟性をも身に付けて。
私には、御本仏宗祖日蓮大聖人様の御建立遊ばされた、一大仏教仏法哲学をいただいた、真の仏法を護持し守り抜いてから、もう、その大法の拠り所とする、日蓮正宗の信心を始めてから、もう、今年で七年間、来年で八年となる。
その信心があって、そんなメソメソとした、泣き言を言っていたのでは、この身心が廃る。腐る。大事な心をそんなに雑に扱ってはダメである。
我々は、仏様の子供なのであるから。仏様の使いであるのだから。
それは、世の中には、成功者という者が、それこそゾロゾロと沢山、いるであろう。私が知る世界知らない世界のどこででも。
それにいちいち、目くじらを立てたり、うらやましがっていたり、嫉妬に狂っていたのでは、この身が卑しいし、この心が痛ましく、情けなく、何より時間が勿体ない。精神衛生上も、非常に良くない。
その悪の結実結果が、日蓮正宗に対する、憎っくき邪教創価学会の、第六十七世御隠尊日顕上人猊下様に対する、言われなき、嫉妬に狂った、呪い、怨嫉、瞋(いか)り、腐った感情の類の表出である。
学会は、狂った団体だから、あの団体に、個人個人以外は、団体としての創価には、もう、付ける薬が全くないのですよ。
その個人も、集団化したら、何をしでかすか判らない、世界、恐怖。この団体とは、余り関わりにはならない方が誠に宜しい。
話が大きく脱線してしまった。私は、学歴、職歴、経歴、資格等が、非常に足りないと感ずる。
しかし、だからと言って、あの、安倍元首相狙撃殺害犯の山上容疑者が、自分自身と同じような境遇、進学校出身、超就職氷河期などを経験した体験からも、彼には、非常に同情的になろうとする危険性を感ずるのだが、しかし、私は、彼には同情は決して一切しない。する積りも、一切全くないのである。
(余談、小話だが、あの、彼、山上容疑者には、学歴は奈良県一、二位の進学校卒。資格も、ヘルパーだか、フォークリフト、大型車免許だか、宅地建物取引主任者の資格など、数多持っていたようである。そんな人でも就職困難者、非正規雇用、フリーターで、あの惨劇に打って出たというから驚きだ。)。
それは、言論には言論で対抗する、という、言論の自由の論理を、押し破って、政治の世界に「暴力」を彼が持ち込んでしまった、「ルール違反」の彼の気持ち暴力性には、全く賛同が出来ない、行かないからである。
間違ったものは、間違っていると、この国では、いつから言えなくなってしまったのか。私には判らない。
それだから、報道の自由度の国別ランキングで、毎度のように、日本は国力を堕とし続けて、今では70位前後というが。
「言いたい事も言えないこんな世の中じゃポイズン」と反町隆史が歌っていた頃よりも、見事にこの国は劣化悪化が進んでいるのに。
誰も見て見ぬ振り。政治家だろうが、役人だろうが。学校も。医療も、福祉も。学生達も。先生も。働くサラリーマンも。家事を守る主婦さえも。誰一人、この異常な社会、世の中に異議・異論を唱えて、立派な国にしようとする人さえ全くいないのか。悲しい事だ。人として国民として恥ずべき事だ。
彼の母親の献金額の問題も論議されるが、ここでは、お金も問題にはしない。お金が幾らあったって、地獄の様な生活を送る者は、この世には沢山いるのだから。
しかし、この国は、暴力で訴えないと、事の本質が解決には決して向かわないのが、この日本という国の、本質、根幹となってしまったのであろうか。
それでは余りに悲し過ぎる。考えてみれば、明治大正昭和と、否、江戸時代以前から、まだその頃は言論自由化など一切されてはおらずに、言論の自由など、昭和戦後以降の話になるが、それ以前は酷く制限統制された今とは全く通用しない歴史があるのだ。
とにかく、現憲法、日本国憲法下に於いて、やっと、言論の自由が認められたのに、何かテロリズムに毒されたテロリストのテロ行為というのが、何か哀しみにしかならない。
それに、その弾丸の対象となったのが、自民党の最右翼、最右派の、ドンのような、貴公子ともいえた、祖父親子三代にわたる、政治家稼業の、手慣れたサラブレッド、その祖父の淵源から、宗教に関連した糸口があり、代々、それら宗教との密接な関連。ここまでは皆、腐る程、聞いているのでこれ以上、言わない。
このブログでは、私は音声映像では、散々パラ流して話して来たいきさつがあるので耳にタコだが、この安倍首相は、何と、あの、去年、十一月十五日に亡くなった創価学会池田名誉会長と、自身の首相就任の日だかの当日に、真っ先に学会本部の池田の所に駆け付けて、ツーショット・二人で何時間も語り合ったという。(一国の首相ともあろう人が。情けない。安倍さんは人が良すぎる。幾ら日本最大の宗教団体とは言え。その集票マシーンが欲しかったとは言え。まんまとその新興宗教・邪教・創価学会に騙され利用され骨の髄までシャブり尽くされたって寸法だ)。
そして、池田は、安倍氏の事を、非常に将来が頼もしい人だ、とまで語っていたようだ。昵懇(じっこん)の仲、ともいえる。
そんな二人も、時が違うが、もうこの世にはいない。どこを探してもいない。まるで、悪夢が去ったが如くの、腫れ物魔物達がこの世から一掃された如くに、そして完全に誰もいなくなった。
これを見ていたって判ろうものだ。絶対に悪は滅びるのだ。この世に完全な善も有り得ないが、完全な悪というものも有り得ず、それは滅びる。必ずに。完全に。悪などは、後をも痕跡を何一つ残さずに。綺麗サッパリと。絶対に消え去る運命なのだ、悪とは。
それは、魔は仏様には完全に絶対に勝てない。魔は仏様と闘うと負ける運命にある。とのお言葉を仰られた、日蓮正宗第六十八世日如御法主上人猊下様の言とも通じ合う。
私はこの至上最上の言葉を信ずる。必ずや、仏敵であろうと、魔物であろうと、仏様の軍勢には敵う者など一切ないのである。仏様の方が最後は勝つ事、仕組みに世の中は、そうなっているのである。
紙数が尽きて来たようである。多言は無用。駄弁多弁に過ぎたようであるので、ここら辺であと腐れなく退散と致したい。
以上。よしなに。wainai、長文、非常に、誠に失礼しました。