信仰のさんぽ道2、朗読。そろばんのイロハ。算盤上で一から百まで~永遠に足してみると、珠算VS筆算、公式で考えてみる 信仰のさんぽ道2、日蓮正宗、 を朗読致しました。その後、そろばんをレクチャー。一から十まで最初から数えながら足してゆき、その後、数に従い、百、千と論を進める。実は頭のいいやり方で、数式があり、これに当てはめれば、なんでも答が出て来る。 実は今日は、短歌の会、歌会だったが、雪の為断念。習ってから初めての欠席。しかし、その後、昼間は春特有の水っぽい雪の為、すっかり溶けてしまった。残念な一日であった。 以上。よしなに。wainai
本日、本来ならば明日土曜日に届くものが、一日早く届いた。
実際は、一般のアマゾンの輸送物も、白河市には二日で届いている場合が多い。
その後、白河なり、郡山のベースで一日留め置かれて、三日がかりで我が家へ来る。
そんな早くうちに一日でも届きたいなら、「アマゾンプライム」に入ればいいのに、そういう向きもあろう。
私は余計な出費が嫌なのだ。そんなサブスクは、アマゾンkindleアンリミテッドだけで充分である。
最近、うちのお寺の信徒でも、その、プライムとやらから、早期に解約した方を私は知っている。余りメリットが感じられなかったという。
閑話休題。肝心の送られて来た、ワンタッチそろばん。六千円とは、微妙な値段らしく、中央三桁目一珠、五珠が滑りがわるいので、これは二十数年前に今は無き、やまのいカルチャーセンターで極めて安価で購入した、トモエそろばん販売の「スベリ粉」で、粉を振りかけて、滑りを良くした。
これ位の、製品への愛情は、算盤が普及していた昭和以降の世代には、当たり前の事だと思う。この商品スベリ粉は、今でも数百円でアマゾンで売っているので、思い当たる人は購入すると良い。
とにかく、今、私は、マイブームが、昔懐かしい、「そろばん」である。ノルマは、全くないと言って良い。これを使いこなして、頑張って勉強に勤しみたい。
以上。よしなに。wainai
今まで88鍵ピアノがそのコタツの位置に大きな地位で鎮座ましましていたのが、その座に、今度は、算盤とPCが再度、戻って来た。これで全ては良かったのだ。全てが丸く収まった。今までが、異常だったのだ。これで良しだ。
今日、懸案だった、私が欲しかった、ついぞ待ち望んでいた、そろばん「トモエワンタッチそろばん」を購入した。土曜日に届く。
本来ならば、木曜日の今日、届くはずだった。値段は同じだったので、良かったが。
或る方が、ピアノを一曲でも弾けるようになったら聞かせてよ、とか、おかしな事を言われたから、私は私のいつも定位置で置いて存在していた、コタツの上から、嫌な悪い思い出しか残らなかった、非情なプレッシャーだった、コンプレックスの根源だった、それら、ヤマハの88鍵のピアノを完全に奥の間に撤去、撤廃、撤収、除去し、退去を願い、一掃して、一切、目の前から取り除き、見えなくした。
その代わり、そろばんを、私は自身一人で、これからは復習がてら、再度、勉強勉学学習に勤しみ取り組もうと考えている。
あと腐れなく、私なりに既に結論付けた事である。
もう、あの恐怖の奴隷状態のようなピアノ習得に執着する必要が全くないのだ、と考えると、これは、私は全て解放されたんだ、という、非常に自由な感覚が私を支配し、囚われの身じゃないのだと、それが自身を今では支えてくれている。
私は粛々と、そろばんの学習復習勉強、それに、出来得ればそろばんの資格習得に、そろばんは、年に何回も資格試験を行っているので、もしも上達が望めるならば、自学自習独学で本格的に練習に取り組み、例えそこまでいかなくても、本格的に、自由に再学習・再勉強をしてゆけるだけでも、私にとっては御の字だ。
私は自由に歩を進めて、正に自由人として歩む。自由、万歳!
そろばんは、今の時代では、正にマイナーな学習法かも知れない。
しかし、私は実際上、うちの家計簿をつける時々等々の段階でも、実にそろばんのお世話になっている事が多い。これは、ここ何十年も、その習慣は変らない。
そろばんを笑う者は、そろばんに必ず泣く。
そろばんが、外国では今やもてはやされている。日本のみが、その真価に気付かず遅れて忘れ果て、退化し、衰退の一途を辿っている。
とにかく、私は、そろばんとの、又、懐かしく、思いを馳せて乗せて、再度の学習に取り組む。勿論、電子ピアノも、やれる時が来れば、何度か思い出したかのように、学習に取り組むかも知れぬが、今一番の目標は、何と言っても「算盤」である。
以上。よしなに。wainai
今日は通院日であった。その遠距離移動で、自転車で桑野ベニマルまで行き、その後、病院のシャトルバスで往復して来た。診察も受けた。
私は実は昨日の夜から、或る買い物をしたくて仕方なかった。それは、今まで習ったそろばんの復習がてら、「ワンタッチそろばん」、トモエそろばんの、ハードケース付きの六千円余りのが、もう、これが欲しくて堪らなかった。
そうして、昨日昼から、私は、最初は、四千円台の、両端が丸みを帯びた、やはり23桁のソフトケース付きのそろばんが最初目に留まった。しかし、うちには既に、それら、御破算で願います時、人差し指を使って珠を払うそろばんは、腐る程あると言って良かった。
けれども、我が家にも、ボタンを押せば、珠が払われる、「ワンタッチそろばん」が、一万五千円で当時、二十年以上前に、郡山市中町の、今はその店は無き、「やまのいカルチャーセンター」で売っていたのを、私は買い求めた。その後の、私は、それを使いこなすのが、高すぎる値段のせいか、余り飾って置くだけで、出番がない。
そこで、六千円前半で、トモエのワンタッチそろばんならば、使い勝手が非常に良い。壊す心配もなく、安心して使えそうだ。
その、四千円台の、角が丸みを持った、旧来のトモエのそろばんは、「グレートそろばん」というそうだが、そちらにも目が行ったが、これは、うちにある沢山のそろばんと性能上、そうは変らない。うちにあるスタンダードなそろばんと同等なのである。
そこで、それらに悩み、今日の深夜午前中まで起きていて、その時、近所のコンビニへ、幾らかお金を足してアマゾンカードを買い、その、「ワンタッチそろばん」を買い求めた。又アマゾンである。
その後、今日は病院の通院日でもあり、午前三時四時に寝たのでは、昼頃起き出してしまう事を見越して、もう、これは起きていようと、じっとコタツにあたたまりながら、早めに朝ごはんを済ませて、朝の勤行も爽やかに、颯爽と私は自転車で病院への道を急いだ。午前中の朝の事である。
そうして、先ほども言った、シャトルバスで、桑野ベニマルへと帰って来た。
その後、ツタヤみどり書房桑野店に寄り、店員さんに、「そろばんの本ありませんか?」と聞くと、「え?!」と最初は驚くも、淡々と、その道に詳しい店員さんに案内された。
そこには、かなりの数で、プラスチックの青や赤、透明な、いかにも毒々しいプラスチック製のそろばんと、それをおまけに添付した教材とが、幅を利かせて、御試し用のような形で、その売り場には十何セットもあった。
その時店員さんは、それしかない訳じゃないが、もう、一冊ずつしかないが、持って来るから、ここに居て下さい、と言い、その場で待っていると、上記の写真画像のそろばん本二冊と、もう一冊は、明らかに小学生の為の本であった。
私は勿論、子供用だろうが、大人用だろうが、どちらでも構わない、と店員さんには最初に言い渡していた。それで、その、小学生のドリル?どんな題名だったか忘れたが、その「小学生」の文字が大書きされた本を見てみると、三桁のアップした、同じようなページが続く、何ともワンパターンな気がして、余り興味が湧かなかった。
その後、この写真画像の、絵でわかるそろばん(堀野晃著)と、珠算能力検定・珠算検定試験問題集1級・準1級・2級・3級、この二冊が非常に気に入り、購入した。
こうしてみると、私は、そろばん本体は結局、おそらくは郡山市内では、こうしたアマゾン辺りではないと手には入りにくいと思う。しかし、郡山市内でも、こうして立派に、そろばんの本、書籍が手に入るのは、ひとえにツタヤみどり書房桑野店の品揃えの凄さ、立派さであろう。
その場で、本を開いて実地に見分して買える幸せ。これらの思いに今は個人的に勝手に私は非常に包まれている。郡山は本当に良い街だと思う。
帰りにはま寿司に寄り、「まぐろ丼」を購入した。いつもと同じく美味であった。
以上。よしなに。wainai
※編集後記、閑話休題、それはさておき。
私はこの欄にて、そろばんを六千円で買う、と訴えたものだが、その後、その件で話すと本日の病院の女医先生は本当に楽しみにしている風で、反対された訳じゃなかった。
しかし、この件を、たまたま、私のA福祉相談室・相談員の長、経営者の人にこの事を言うと、先月に、電子キーボード・ピアノを買ったばかりであり、それはない。それは無駄遣いだから止めよ、との言を承った。
そういえば、そうかも知れぬ。無駄遣いである、正に。これ以上の無駄遣いがあろうか。しかし、厳しい言葉である。否、私への親心、恩情なのかも知れぬ。
それに、考えてみれば、そのアマゾンのマーケットプレイスの担当業者も、私をじらすように、意地悪く、いつまで待てど暮らせども、幾ら待っても、いつ確かめても、長い事人を待たせて、発送には至らない。
これは足元を見られているな、と思い、この縁は無かった事にしようと、私は、今なら間に合うと、ネット上でキャンセルした。
そうしたら、すぐにキャンセルを受け付けてくれた。
今日から三日後の、木曜日到着と謳っていたって、ちっとも、私には荷物を送り届けようとの、そういった歓迎する態度でもその業者も、又、アマゾンも熱意が無かった事が明らかとなったので、ここであと腐れなく手を打てて、本当に良かったと思う。
今日買った本は、ムダになったかも知れない。しかし、いつでも、そろばんを練習をする時間を作って、その本から学んでもいいんだし(今はとてもピアノの事で頭が一杯で、余計な事は幾ら多趣味な私でも持て余してしまうが)、自分自身としては、一応、一旦、もう終わった事、ピリオドを打った事と捉えて一向に構わないというスタンスである。
正に「君子、豹変す」である。「朝令暮改」とは読者の皆様、どうか受け取らないで欲しい。(どちらも意味は近似していて同じなのだが、若干ニュアンスが違う)。
私は、今回の事を通じて、より一層、ピアノ熱に燃えて、独学で頑張ろうとも思っている。
今日の通院時にも、診察で、私の担当の女医先生にも、私が大人のピアノ教室をこれから習うのを辞めた事を伝えて言うと、独学でもちゃんと出来るよ、と仰って下さった先生。
その言葉を信じて、ちょっと昨日今日から横道に逸れそうになったが、これからは、今言ったように、「ピアノ道」に邁進しなければ、との大願成就を願う気持ちで一杯である。
その、私の福祉の相談員長さんも、私の邪魔をしようとして仰られた訳じゃないのは百も承知だ。私のお金使いが荒いのを、敢えて親心で御忠告下さっている。
その御気持ちを、私は私なりに大事にしなければならない。
有難く、その御言葉、御意に従い、服したい。
全く、物欲とは、コワい。仏法仏教の「百八煩悩」というそのものである。
あと、貪瞋痴(とんじんち)の三毒の、むさぼりの貪。
この世は魔、ばかりという事が如実に分かった、今日一日である。
要するに、昨日今日の事を私なりに整理・要約すると、
夜も眠れぬ程、そろばんの世界に夢中になる。→
その後、コンビニまで自転車走らせ、アマゾンカードを買う。→
そして、遂にアマゾンで算盤をポチッた。→
その後、私はぶっ通しで一日昼まで眠る事を恐れ、夜を明かす。→
その後、病院に通院。自転車とシャトルバス併用→
それから帰りに本屋に寄り、そろばん本を買う。→
そうやって無事我が家に帰り、その買い物の件、事を、私の事を唯一心配する相談員の長にTELした。→
結果、私の負けで、お金を勿体なく使うな、との指令→誰も背けない。→
色々考えた挙げ句、今なら間に合うと、アマゾンでキャンセル申請→
見事、キャンセルに成功→
お金は無事もどって来て、それら邪魔な物欲から発した欲望から解放される。→仏法上の罪からも解放、私って解脱者?!→
まだ、人生、信心駆け出しの私で、成仏の端緒にもついていない事を、この時の私には知る由もなかった。(結句・結果・結論)
その事を、御宝前の、御本尊様の前で、沈思黙考、読経・勤行唱題を心置きなく行い、懺悔して、又、明日へと希望を持って歩き出そう、との私の快い気持ち思いが今はその心の大勢を占める、に至る。
以上。再度、よしなに。長文失礼。wainai
※編集後記、追記
その後、今現在の私は、この、相談室の長の人の意見は採らず、私は、自分の想いを果たすべく、算盤を再度購入する事にした。当初の私の想いの方が優った形となった。
以上。よしなに。再度再度。長文失礼。wainai
百円ショップにて、スマホやタブレットに便利な「タッチペン」を、郡山市は島のダイソーにて購入して来た。
一杯種類があり、迷ったがほとんど全部、一種類ずつ買った。
この中で、一番下の写真画像の、このタッチペンが一番使えなかった。
なぜなら、先端がプラスチックの丸い形状で、実際に画面には有効には効かない。どうやって使うものやら、さっぱり分からない。
ふつうは先端がゴム製である。この一種類だけが、全くの謎製品だ。
以上。よしなに。wainai
私は、一杯算盤を持っている。今日は、それを紹介したい。
この上のそろばんは、栃木県黒磯市(当時。現那須塩原市)の、文房具屋で買い求めた、雲州算盤。メーカー名が「雲州堂」とあり、当時、三千円で売っていたのを、母が黒磯で買い求め、私が当時初めて入院生活を送っていた時に、わざわざ病院まで届けてくれた、想い出のそろばん。これは、エッジ、角が丸まっていて、持った時の感触が非常に気持ちが良い。
見て御覧下さい。左が、その雲州算盤。出雲の国。島根県産。右が、百円ショップのそろばん。エッジが丸く角が取れたように施されている。持ち味が大変良い。実際上、高級感では、この左の雲州そろばんの方が、高い感じがする。これが、1990年代当初、三千円なのだから、日本製だし、大したものだ。
こちらは、トモエ算盤が一番上。こちらのトモエそろばんは、兵庫県産、播州そろばんである。当時、今から二十年以上前に、これは4、5千円した。ケースは別売りで、これも、千円近くした。
日本の算盤の生産地は、西日本に集中していて、兵庫県と島根県が主な生産地である。これらで、主要そろばん、おそらく日本のそろばん生産量の、九割は賄っているのではないか、そう思う。
こちらは、私が郡山市の駅前・中町通りと駅前通り両方に変則的に繋がった不思議な建物であった場所に、以前あった、文房具店等々、「やまのいカルチャーセンター」にて、定価15,000円にて買い求めた、ワンタッチ式算盤。詰まりは、御破算が、ボタン一つで出来てしまう機構の、素晴らしいそろばん。
しかし、何か、使っていると、壊れてしまうのがコワくて、あんまり使わない。これを使う時は、そろばんの一級、二級試験でも受ける時位かなあ、とも思っている。何より、御破算のスピードは、静かに出来るし、そのスピードは、正に、一瞬である。
ちゃんと、御破算機能付きの、トモエのワンタッチそろばんには、ケースまで付いてきている。それだけ高級品なのだ。それに、私は、当時、毎日新聞にて、載せられていたマンガ、「アサッテ君」の、そろばんについての四コマ漫画を、後生大事に持って、そのケースに納めている。これが、ほのぼのとして、とても良い、東海林さだおさんの漫画なのである。大好きな四コマ漫画だ。
以前、母と栃木県のJR東日本の黒磯駅に行き、帰りも電車に乗ったが、その時、電車の改札口で、駅員さんが、今では珍しい、そろばんでおつりや運賃の計算をしていた。これには驚いた。今どき、電子計算機、電卓じゃなくて、「そろばん?」と。
しかし、駅員さんは、何の疑問もてらいもなく、淡々と、その「そろばん」で素早く計算を行っていた。御破算の時の横一直線に上の五珠を、「チャーッ。ザーッ。」という揃える時の音や、「パチパチ」とそろばんの珠を弾(はじ)く音が小気味良い。私は、ひと時、その場で感動に満たされ、包まれた。懐かしかった。私の、ソロバン人生、そろばんに賭けた日々が、戻ってきた気がした。駅員さんに、感謝したい気持ちだった。(その場で、駅員さんに、本当に感謝したら、不審な客と思われ、つまみ出されるのがオチではあるが…。)
しかし、正確性に於いては、このそろばんの右に出る者はいない。素晴らしい計算道具である。検算をやって、答えを確かめる事も出来る。一番、身近な私の計算機、そろばん。
何も、電子計算機、電卓だけが、時の華、時代の寵児では全く無いのである。こんな、原始的と思われようが、いざとなれば、電気も何にも無くなった時代、暁には、この、「そろばん」が再度、注目を浴び、脚光を浴びるだろう。エコな、環境にも優しい手動式計算機、計算器具だと。
そろばんは時代遅れ、だと思っているのは、ただの、日本国内だけである。この計算器具に、今、世界が注目しだしている。アメリカやヨーロッパでは、教育に取り入れている学校も増え出し、世界に、日本のそろばんが輸出されている。親日国のトンガ王国では、そろばん運動(?確か、そんな用語だったか?)と称して、国民一人一人が算盤を手にして、国を挙げて、そろばんを宣揚して、啓発活動を行い、トンガの王様共々、国民皆でそろばんに慣れ親しんでいる。
そろばんは、日本以外の国で再評価され、実際には、これからおそらく、日本がそろばんの聖地、中心地ではなくなり、外国勢が、素晴らしい、ソロバンの担い手、主力選手と成っていくのではないか。
何でもそうである。日本の国技であった、柔道が、外国勢に持っていかれて、今では、日本の選手が弱っちくて、負け込んで、大変に外国選手にやられている。日本のお家芸が、これも、半導体などが、中国・韓国・台湾に技術を日本がただで教えてやって、その反動が、今現在の、日本の発明した技術移転と成って、それら国々に脅かされる。「この国のかたち」(司馬遼太郎先生・エッセイ著書題名から拝借)は、いつでも、そうである。簡単に、よその国の「回し者」「スパイ」になり、その弊害を、国、国民全体が負う、という構造的欠陥精神、腐った精神。要するに、その「回し者」達は、わずかな小銭稼ぎに、簡単によその国に企業、国の機密情報を中韓北台露等々の国々に売り込む。この癖、習性は、何とかならぬものか?!そういった奴は、国賊、売国奴、非国民、として、何としてでも、その張本人達には、国・日本企業が被った損害、損失を補填する為に、時効無しで、遡ってでも、大変な罰金刑、懲役刑でも課する他は、全くない。
一円を笑う者は一円に泣く。そろばんを笑う者はそろばんに泣く。
これは、道理であり、真理・真実である。
正に、泣くのは、我々、日本人・日本国民である。
その、そろばん教育を途中中途で投げ出し、うっちゃらかして、台無しにした、極悪省庁「日本国文部科学省」、日本の寺子屋の伝統・制度、「読み・書き・そろばん」の大事な国是、国民の慣習を、戦前からのしきたり、伝統教育を軽んじた、現、文科省、日本の教職員組合の、左巻きの、極左、左翼の、極悪労働組合・団体・組織の「日教組」、まさに、これら両者が、日本のガン、極悪、巨魁、親玉、親分、悪党団体・省庁どものせいで、我々国民が泣くのである。本当の意味での、純粋な日本人なのか、そいつら自身は?
この始末、どう付けたら良いのか。皆、共産主義者の、シンパばかりであり、日本の共産化に拍車をかけた張本人であるではないのか?それと、戦後GHQの残滓どもの、アメリカ発の、共産主義者の息のかかった者共の巣窟。
アメリカが自由の国だと思ったら大間違い。実際は、アメリカ自身も、実態は、共産化している所も多々、見受けられる。アメリカは、決して、自由の御旗の、フリーダムの、デモクラシーが発達した国だとは、ゆめゆめ、想うなかれ!!
そのツケ、罪は、大罪であり、重いと言わざるを得ない。お前ら、後生を畏れよ!今現在の、悪の現証、厳罰、現罰を知り、怖れよ!
話しが又、脱線してしまった。しかし、大事な事なので、話したまでだ。
話を元に戻したい。
「そろばん」は、電池も電気も一切要らない、実にシンプルな、現代でも絶対に通用する、正に、現代こそ、その真価を発揮し得る、ツール、道具の一つ、手段の、手動の計算機である。電気のお金も掛からない。モノとしての「そろばん」は、文房具屋(今は実に、売っている店が少ない、少なくとも、郡山市内では、どこにも売ってなく、皆無だ。”後述の”、「百円ショップダイソー」位が関の山。価格がリーズナブルで、尚、良いんだが、桁数が少ないのが、難点だが、その安さ、耐久性、持ち運びには持ってこい。中国製だが、ABS樹脂であり、頑丈であり、木製よりも壊れにくく私の愛用品の一つ。カバンに忍ばせても、知れたもの。失くせば、又買い戻せば良い。)や、アマゾン等のネット通販にて、買い求めるか、百円ショップの、そろばんコーナー、それ位か。後は、今は、スマホのアプリで、ソロバンソフト・アプリが沢山出ているので、仮想化した、それを利用する。
しかし、実際上の、見た目での上での、そろばんは、それら、仮想上の、スマホのアプリなどでは、決して、現実の算盤に、適う筈もない。それはそうだろう。アプリなどは、電気仕掛けの、まやかしものであるからだ。
実際に、モノとしてのそろばんを使っていると、その経年経過、モノとして使い込んだ、味わいというものが、それらソロバン器具の表情が、モノの表にも裏にも表れて来て、尚更、愛着が湧いてくるから不思議だ。記憶を呼び覚まし、これを買ったのはいつだったか、とか、思い直し、これを、生涯、使い込んでゆこう、と、大事に慎重にモノを扱う気持ち、心持ちも次第に段々に徐々に高まり育ってゆく。
又、話を揺り戻すが、個人的な、極悪教育機関・団体・権化の、文科省・日教組に対して、一人一人でも、我ら自身が自発的にでも対抗、個人的な教育のし直しをする他は全くない。人の子の親であるならば、出来る限り、今も存続するのであれば、街のそろばん教室に通わせるなり、個人的に、これも、私も利用もした事も有るが、通信教育にて習う。今は、何社か、通信教育にて、教材付きで出ているのではないかと存する。それが今はなく、叶わないならば、今はアマゾンでも、街の本屋さんに注文でもいいが、良いそろばんの本が簡単に手に入る。正に、独学。これを、親子で勉学・勉強・学習を致す。子供の教育には、最高の教材になるに違いない。親子の共にの、学び合い、である。いずれもお金のかかる事共だが、お金には代えられない。
わたくしは、これだけは、これらの事共は、事実上、実際上、現実上、強調して置く事にする。
話すだけ、書くだけ書いて、後は野となれ山となれ、ほったらかしの心境であり、今は実に、気分が良い。この事共は、書いてよかったと実によーくと本当に思う。大好きで愛すべき「そろばん」をネタにして、ここまで話せ、書けたんだもの、及第点でしょう。うちの「そろばん」たちも、大喜びしていると思いますよ。
読者の反応は知らんけれども。読者の皆様、誠に、乱筆乱文、長文失礼致しました。私の戯言に付き合って頂き、畏れを感じ懐きつつ、感謝致します。以後も宜しくお願いします。
以上。よしなに。wainai
『ゼブラ 多機能ペン スラリシャーボ2000 黒 SB27-BK』
カスタマーレビュー
福島のあまっこ、wainai123753
5つ星のうち5.0 シャーボ大好き2017年6月16日に日本でレビュー済み色: ブラックパターン: 単品Amazonで購入前にも三千円位のシャーボを持っていたが、受験会場で落としたらしい。出て来ない。
あれから幾星霜、百円ショップ等のボールペン・シャープペンを使って来たが、
あの時の恨みを晴らすが如く、この商品を買った。
結果は大変に良い。三本、シャープ、赤ペン、黒ペン。リズミカルに動く動作、機構は
使い勝手が良く本当に高級感がある。
二十数年前、あれ程高かったシャーボが、こんなに廉価に買えるなんてというショック、
それ程安くもないが、あの時は二本の、シャープ、黒ペンで今以上の値段。
私のシャーボは、使用環境が過酷なせいか、少し塗装が剥げているが、それでもずっしり
重いそのフォルムは、高級感に溢れている。色は黒系を選んだが、もっと淡くても良かった。
先日、あるご年配の女性にこのペンを貸して、大変書き味が滑らかで宜しいとお褒め頂いた。
値段を聞かれ、こちらで買った額を言うと、はぁーと唸った。それ位は当然するのね、というので
昔は、今でもカタログラインナップにはあるだろうが、三千、五千、七千円以上はしていて、
当時からも合格お祝い等で買い求めたものだとこちらは言った。またその方はため息つかれ、
文房具も凝り出すと大変、と言う事だった。
しかし、受験生、ビジネス用、主婦の筆記用と、このペンは手段や場所、場面を選ばず、
活躍の場は多い。赤、黒、シャープと、くるくる回り、替え芯を利用すれば、
実に経済的で、長い目で見ればお得だ。毎日使うのなら尚更で、嗜好品の類だが、
毎日ストレスに悩む現代人にとって、この筆記具、シャーボは良き相棒となる事
請け合いだろう。何か一つ、こだわりを持って生きている人には、目に留めてみても
悪くはない。学生、ビジネスマンへの贈り物にも最適だろう。
あれから幾星霜、百円ショップ等のボールペン・シャープペンを使って来たが、
あの時の恨みを晴らすが如く、この商品を買った。
結果は大変に良い。三本、シャープ、赤ペン、黒ペン。リズミカルに動く動作、機構は
使い勝手が良く本当に高級感がある。
二十数年前、あれ程高かったシャーボが、こんなに廉価に買えるなんてというショック、
それ程安くもないが、あの時は二本の、シャープ、黒ペンで今以上の値段。
私のシャーボは、使用環境が過酷なせいか、少し塗装が剥げているが、それでもずっしり
重いそのフォルムは、高級感に溢れている。色は黒系を選んだが、もっと淡くても良かった。
先日、あるご年配の女性にこのペンを貸して、大変書き味が滑らかで宜しいとお褒め頂いた。
値段を聞かれ、こちらで買った額を言うと、はぁーと唸った。それ位は当然するのね、というので
昔は、今でもカタログラインナップにはあるだろうが、三千、五千、七千円以上はしていて、
当時からも合格お祝い等で買い求めたものだとこちらは言った。またその方はため息つかれ、
文房具も凝り出すと大変、と言う事だった。
しかし、受験生、ビジネス用、主婦の筆記用と、このペンは手段や場所、場面を選ばず、
活躍の場は多い。赤、黒、シャープと、くるくる回り、替え芯を利用すれば、
実に経済的で、長い目で見ればお得だ。毎日使うのなら尚更で、嗜好品の類だが、
毎日ストレスに悩む現代人にとって、この筆記具、シャーボは良き相棒となる事
請け合いだろう。何か一つ、こだわりを持って生きている人には、目に留めてみても
悪くはない。学生、ビジネスマンへの贈り物にも最適だろう。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
以上。よしなに。wainai
今日は、比較的近所の、百円ショップダイソーへ行き、お買い物をして来ました。
ごちゃごちゃと一杯並んでますが、これで、二千円は下らないです。
それだけ、買い物して来ました。来年のカレンダー、又メモ帳、手紙の為の便箋、甘栗、ふりかけ、ペン類、ポシェット類、現金を置くトレー(これは小物入れにする)、各種、クリアブック、クリアファイル、算盤、名刺入れ、葉書入れ、写真入れ、等々、様々に買いました。(また無駄遣い、買い過ぎちゃったよ。でも、絶対に必要な品物も、私には、在るんです。)。
今現在の、ダイソーのABSプラスティック樹脂・算盤。桁数が、13桁となり、以前のもの、11桁よりも二桁、増えていた為、思わず食指が伸びて、買ってしまった。これは買いだ、と。
しかし、考えて見れば、これは、今の13桁は、220円と、当時の百何円よりも二倍も高額であり、それも二桁だけ、桁数を増やしただけ、という、憤まんやるかたない、痛い感じの算盤である。
しかも、13桁じゃあ、場所、大きさもそれなりにとり、携帯性には全く向かない。無いよりはマシ、といった風格・風情だ。
この、買ったばかりの、13桁、ダイソー算盤は、断然、家での計算に主に使う事にした。それが一番良い。
昔の、百円時代の、11桁時代の、多分、当時残っているタグを見ても、百何円で売っていた代物の方が、より小さいので、外出先での使い勝手は至極、最上ではある。
しかし、桁数が多い13桁も、それなりの魅力はある。だから、私は買った。桁数が多ければ多い程、万単位、十万単位の計算には、非常に有利ではある。
今どき、算盤が、百円や二百円で買える事自体が、何より、奇跡に近いのだ。
元々、中国製ではあるが…。
これは、うちでの家計簿、簡単な計算に使うのには打って付けだと思うので、私は、これら百円ショップ購入のこれら、二台二挺二面の算盤を使い分けをして、内と外で、算盤を使い分けてゆきたい。
以上。よしなに。wainai
私は、算盤の、一応三級だ。
しかし、私の学生時代、こんなのは序の口で、もっとすごい人たち、二級、一級、初段、二段、三段、…十段。流石に十段ともなると、福島県内でも数人いるかいないか、全国でも非常に、時にはニュースになる程、確率的には非常に少ない絶対強者、兵(つわもの)だ。
けれども、私が、福島県の進学校、福島県立安積高校に入学した時に、一人一人聞いた訳では無かったが、むしろ、その学校入学者には、そろばん学習者は、関係が無い程、極めて、全くそろばんは、安積の入学には関係が無かったように今は思える。
大体、私が知っている、そろばんが初段だか一級だったかの人は、安積はおろか、地域の偏差値第二番手クラスの、郡高(ぐんこう)、郡山高校に受かり、そちらが家から最も近かったのが、併願で、十万円も当時、仮の合格だったため、日高に支払った為、その人は、わざわざ家から遠い日大東北高校に入学する羽目になった。そろばんが出来ても、この位である。
その他、皆、段位は極めて少ないが、一級、二級取得者を、丹念に調べ、私なりに思い出してみても、そんなに、当時の進学校、安高、安女に入学したものは、極めて少ない気がしている。これは驚きだ。
ただ、当時は、女子生徒の時代の話だが、郡商、郡山商業高校事務科、という科の所属する女子生徒は、安積女子高よりも偏差値が極めて高く、偏差値が七十以上ないと入れなかった。
ここに入れば、東京都内、それがダメでも県内の有名大手銀行、市役所、有名実力大手会社、航空会社他、幾多数多の求人が殺到する程の人材群が、陸続とこの、郡商事務科からは生み出された。
しかし、今は残念ながら、このエリートコースは、何故か郡山商業高からは除外され、名実ともに消え去り無くなっている。
この郡商事務科には、おそらく、そろばん有段者、たちが数多く居たのでは、とこれも推測の域を出ないが。
とにかく、有名進学校にソロバン有段者が居ない。何がそうさせ、そういう結果に結びついているのかは、全く判らないが、普通に、三級とか、そこまで行かなくても、六級、七級、八級、九級、十級、等々でやめた人が進学校に事実上、受かってる事実。
そもそも、そろばん塾などに通わずに、受験進学塾一本でやって来た人。その他、独学自学自習が非常にうまい、家での勉強、予習復習に長けた人。
もっと凄いのは、元々天才肌で、学校の授業だけで、一を聞いて十を知る、で十分対応でき、授業中のノートの書き込み写し等々だけで、授業を聞くのみで十分であり、それで安高等難関有名高校に受かった人など、様々だ。
そろばんがたとえ何級、何段と出来たからって、それが、普通科進学校、難関高校に合格が約束されるパスポートとは、今の時代ならば余計にならず、私は、算盤は、頭の体操、頭の柔軟体操、頭の勉強、等々として軽く見ている。
私は、今までは、三級しか、「しか」取れなくて、と言う思いに気分が塞いだ。
しかし、今では、そろばんも、やり過ぎの弊害があるのではないかと思う。
聴いた話では、そろばん十段の数の単位、数の桁数が、私の知っていたそろばん三級の三倍の桁数、数値を使う、という話を聞いて、それは阿保のやる事だ、そこまで行ったら、もう狂人の域、世界かも、という、通常の、常人とは違う世界なんだと思い知った。
そんなに算盤に血道を上げなくたって、普通に通常に、日常生活は普通に送れる。それが普通だ。
計算が人より出来たからって、今はコンピュータが人に取って置き代わっているのが現実、実情だ。だから現代では、算盤は廃れて来てしまっている。
誰も算盤になど、見向きもしない、されない時代となった。少し寂しいが。
実は、そろばんで計算が電卓等にも負けずに、一番早いのが、足し算と引き算である。これらは、そろばんの盤面に、直接、珠で数を置いてゆくだけで、計算が可能だからだ。
しかし、電卓、パソコン等では、数の上に、プラスキー、マイナスキー、イコールキーを押さねばならず、これが二度手間であり、そろばんが、理論上も、実際上も、加減算では一番早い。
そろばんで、最も簡単に出来る計算が、加減法、足し算引き算だ。これがそろばんの最も大なる強味。家計簿でも、日常的に使う。
しかし、乗除、掛け算割り算は、やはり、電卓、コンピューターが一歩先をゆく。そろばんでは、九九を使って、それを足し算引き算の応用を使い、掛け算割り算をする。これでは、いつ計算が終わるのか。間違いも当然多くなりやすい。
この場合、電卓、パソコンが、乗除はかなり早く正確にできる。それぞれ、持ち味、強味、担当の分担分野が、算盤と電卓では違いがあり、持ち回りがそれぞれ異なる。
閑話休題。
私の不得意なのは、何故か、ズバリ暗算であり、これが昔から不得意である。
算盤一丁一台あれば加減乗除、或る程度出来、何でもできるが、目の前にソロバンが無いと、何故か非常に不安になる。
私の頭の中には、算盤が入っていない、それへの想像力が全くない。
算盤と言うモノを確かに目の前に持っていないと、不安で不安でしょうがなく、確信が持てない。
私は、常に、形から入るタイプのようである。
だから、いつもカバンに、ミニサイズの算盤を常に忍ばせ、持ち歩いている。
※(この稿は、私の勝手な想念に基づくものであり、例外もあり得ます。)
私の算盤論、これにてお開き。
以上。よしなに。wainai.
私が、常に愛用し、カバンに忍ばせ、金融機関等でも使い、大好きな事務用品、電気代の掛からない(当たり前だが)、計算器具、そろばんを紹介する。
これは、百円ショップダイソーにて、当時、今から五年?以上前か?おそらく、108円位で買い求めた商品、算盤11桁、である。
(当時ついて来た商品タグを、私は後生大事に未だに段ボールに詰めて、保存している貧乏性。私は、何でも取って置く癖がある。それが算盤左の赤いタグ。値段は書いていない。)
今の、110円の百円ショップの算盤の方が、もっと良いのかも知れない。が、私はこれで事足り、これを非常に多用している。
カバンに入れたままでも、非常の丈夫なプラスチック製で、頑丈だ。
これが、木でできた、木製の、非常に高価な算盤だと、ひび割れ、欠け、漆というか、黒の塗料が剥げたり、枠にガタが来たり、桁が折れてしまったり、あんまり、木製の算盤は高価すぎるので、私は家で主に使っている。
うちにある木製算盤は、四千円のトモエそろばん23桁。三千円の雲州堂の雲州コンパクトそろばん17桁。値段は不明で、私が算盤教室時代に使っていたトモエそろばん27桁。これが一番うちでは高いそろばんのトモエそろばんで23桁ワンタッチ御破算ボタン機能付き1万5千円。五百円位の、プラ製、トモエかどこか製の、これも11桁。
母の持っている算盤も、どこかうちにある。
うちには、算盤が沢山あるが、その中で、今は、先程も言った、百円ショップの算盤が一番しっくりくる。これは、壊れても、失くしても、又、百円出せば買えるんだ、という安心感に裏打ちされている。
しかも、使い勝手は抜群である。珠も木製よりも幾分、大きい。
私は、今日も、金融機関にも、スーパーコンビニでも、お店、店舗にても、お寺でもどこでも、この算盤と言う、電気代のかからない計算機を自由に持ち運び、持ち込み、毎日を計算して過ごしている。その、うちで使っている家計簿等で、財布等との、計算違いが全く無く、算盤での残高等の計算がピタリと符合、合った時の快感たるや、やってみた者じゃなきゃ、全く判らないだろう!!!
以上。よしなに。wainai.
私が居た病院の入院患者の中に、九十歳を越えるおばあちゃんがいた。
彼女は、耳が少し遠いみたいだが、意思疎通はバッチリであり、私ともまあ、仲も良かった。
私は彼女の介護、と言っても、彼女の車いすを引っ張って、自室や、テレビルームの食堂まで、案内する役目を、私が主に、手伝った。
そのおばあちゃんだけじゃなく、他の、私よりも、可哀想に思える人、私に手を差し伸べて助けを求めて来る人たちに、私は、出来る限り、応援し続け、車いすを尚も助力し押し続けた。
他の職員さん、看護師や医師は、それはそれは物凄く忙しくて、そんな、個人的な患者などには構ってられない、という全く不遜な態度である。
私は、どこの病院もおんなじなのか、判らぬが、他にも、おじいちゃん、おばあちゃんの手となり足となり、私と同じように、私の場合は、仏教仏法の「慈悲行」から発した行いであったが、中には、「菩薩行」のようなものを発揮する、それも、自身も八十前半で、これら慈悲行を行っている人々もいた。
私は、病院に、今でもカバンには忍ばせてはあるのだが、100円ショップで購入した「そろばん(算盤)」を持ち込んでいた。
これで、私は、電子計算機など持ち合わせなかったから、全ての計算作業をこれ一台、これ一丁でこなした。誠に頼りがいがある算盤である。
これを試しに、この九十歳を越えたおばあちゃんに使わせてみた。果たして使えるかな、と思いきや、おばあちゃんは、昔にソロバンを習っていた感覚を取り戻したのか、すらすらとその場で計算をし始めた。
その場にいた、看護師や、看護学生、一般の患者たちもにわかに驚きだした。九十歳の、超ご高齢の、多分、認知症も少しは入っている(と思われる)、高齢者の女性である。その彼女が、昔の感覚を頼りに、たどたどしいが、まるで、少女の時の、算盤を習っていた時の如くの、顔つきを私や周りの人々に見せて、計算に打ち込んでいる。
高齢の彼女は「私は、昔は、もっと計算が上手で、こんな、簡単な数字も、今は出来なくなったけど、昔はよかったなあ」
とか何とか言って、とても満足そうに、そろばんの盤面に向かっていた。
それが、在りし日の、高齢の彼女の、少女時代の、そろばん塾に通っていた姿が、私の目には、確かに見え、今現在の彼女を、私は見詰め返していた。
私は、そんな感情に浸り、感じ想い、その場にただ、佇んでいるだけだった。
以上。よしなに。wainai.
(話の続き)(数学の学問のお話、母の教え、算数、高校数学、論説問題、証明問題、論文問題等々、数学の極意、極説、数学の学問上の価値、尊さ、尊厳、数学の全て、算盤そろばん珠算の話)
うちの頭のいいお母さんも、良く、「数学は、答えが一つ、答えは一つしかないんだよ。それが数学の良い所。簡単で分かりやすくって、お母さんは、アンタは知らないけれど、私は大好きだわ」と良く、母なりに息子に語り聞かせていた。
母は、学生時代、最も得意な教科が、数学や化学と言った、私とはまるっきり違う、理系の科目の好きな、少女、生徒時代を過ごしたようだった。
高校数学の論文、長い回答の、長い自分なりの論説を、数式、定理、公式等をフルに使い、最後に「よって」と、あの結論を数学の時間に、回答出来て、それが見事、全部当たっていて、論説論文回答の数学数式の説明、数学文章の、最後の結論も見事当たった時のあの快感ったら、これ以上のものはない。
私は元々高校時代から文系志望だったが、その、あの、数学は余り得意じゃなかったと自覚はしているが、高校で習ったあの、数学の時間は、高校時代の後半は苦手意識があり、ただその時間を逃げてはいた。
私は事実、そろばん三級であり、元々算数、簡単な計算は大の得意なのである。
それが、高校の、高等数学で引っ掛かり、落ちこぼれたが、数一・数二、高校一、二年の、数学1、基礎解析、代数幾何、辺りまでは、何とか高校時代、高二位までは、皆についていってはいたのだ。
(日蓮正宗の、教えの真実は、一つ、教義)
あのただ有難いと思い日々念じ、この為に、日々、日蓮正宗で朝な夕なのお勤め、勤行唱題行を行っているんだ、いるのかと、思って今を生きている。
結局、日蓮正宗も、正しい教えは一つ、一つしかこの世に存在しない、と宣言し、自他に訴えて、教えを日本はおろか、数は少ないが、世界中に訴え、教えを地味にだが、じわじわと人々に訴え続けて、伝統が八百年の歴史を優に超え誇る。
うちの頭のいいお母さんも、良く、「数学は、答えが一つ、答えは一つしかないんだよ。それが数学の良い所。簡単で分かりやすくって、お母さんは、アンタは知らないけれど、私は大好きだわ」と良く、母なりに息子に語り聞かせていた。
母は、学生時代、最も得意な教科が、数学や化学と言った、私とはまるっきり違う、理系の科目の好きな、少女、生徒時代を過ごしたようだった。
高校数学の論文、長い回答の、長い自分なりの論説を、数式、定理、公式等をフルに使い、最後に「よって」と、あの結論を数学の時間に、回答出来て、それが見事、全部当たっていて、論説論文回答の数学数式の説明、数学文章の、最後の結論も見事当たった時のあの快感ったら、これ以上のものはない。
私は元々高校時代から文系志望だったが、その、あの、数学は余り得意じゃなかったと自覚はしているが、高校で習ったあの、数学の時間は、高校時代の後半は苦手意識があり、ただその時間を逃げてはいた。
私は事実、そろばん三級であり、元々算数、簡単な計算は大の得意なのである。
それが、高校の、高等数学で引っ掛かり、落ちこぼれたが、数一・数二、高校一、二年の、数学1、基礎解析、代数幾何、辺りまでは、何とか高校時代、高二位までは、皆についていってはいたのだ。
(日蓮正宗の、教えの真実は、一つ、教義)
あのただ有難いと思い日々念じ、この為に、日々、日蓮正宗で朝な夕なのお勤め、勤行唱題行を行っているんだ、いるのかと、思って今を生きている。
結局、日蓮正宗も、正しい教えは一つ、一つしかこの世に存在しない、と宣言し、自他に訴えて、教えを日本はおろか、数は少ないが、世界中に訴え、教えを地味にだが、じわじわと人々に訴え続けて、伝統が八百年の歴史を優に超え誇る。
『(ここで、少しかなり脱線してしまいます。閑話休題。
ここでも、宗教論、理数論、音楽との融和性・協調性・調和性、この稿でも、この三者三様の、類似性・近似性を語り合い、論じ致します。
この論文説の皆様への、お断わり、ご注意事項、読んでいくポイント・ヒント集。
ここで、これにて、算盤論、珠算論、算数論、数学論、高等数学、理系科目の数の世界観、数の精神論の話から少し逸れ離れます。
これからのお話は、宗教論、日蓮正宗の主に江戸時代の、法難、特に金沢法難のお話を取り上げ、その対処、根本解決は明治時代まで待つが、その難に負けない人々の心意気を取り上げる。
その他、それ以外にも全国各地、各人が、法難等に遭う、迫害の影の面のお話。
しかし、江戸幕府要人の、徳川家、各大名、城主の夫人方、武家武将武人からの御帰依、御寄進、御寄贈等も我が日蓮正宗御宗門は幕府側から庇護も勿論、受け入れる、日の光の当たる日向(ひなた)の面のお話。
それから、歴代上人方の、富士大石寺寺域の境内の御整備のお話も取り上げる。
しかし、それら、日蓮正宗のお話が続いた後は、又もや、
数学論、珠算論、理系科目の話へと論説、論調が打ち続いていゆくのでご安心を!
理系の、数の世界観を読者の方々にはじっくり堪能していただけます。今暫く、我慢下さり、理系好きの方には、方にも、これから暫くは尚、宗教論議にお付き合い願います。
結論を急ぐ方は、最後の結論だけをお読みになり、読み飛ばして下さっても、別段構いません。宗教論一生懸命書いた私は非常に悲しみに暮れるかも知れませんが。しかし、私は、自身、勿論結構であり、一向に差し支え御座いません。
その宗教論の後の付けたし文章。後書き論文。それ程、数学論、と言った、大それた事は書いては御座いませんが、自分の理系科目、数学、珠算等への思い、数の世界への希望・希求、自身の小中高校時、その後の半生の理系科目の取り組みの実態、経験、体験等々の数の世界への憧れを縷々綴って居ります。
これら論文、文章は、最初と最後が理系・数学・珠算への論。その間が日蓮正宗の宗教論。
丁度、ロールケーキの様な、サンドウィッチの様な、理系話で前後はさみ、宗教論が間に挟まれサンドした形の論文説です。
結局、何が言いたいかと申しますと、この大仏法大仏教の、釈尊の教えの法華経(妙法蓮華経)の時代からの御教え、日蓮正宗の、大聖人様・大御本尊様の宣揚した、血道を上げた現実主義の努力精進の御教え。
それらと、折伏弘教教化の手段、考え方の一端と、理系科目、珠算、算数、数学、高等数学、等々の、結論結果が、それらの「答えは一つ」の合言葉と共に、見事な合致・一致を、見ていると思う。
仏法と数学が、理論的にも、論理学的にも合理的、道理で考えても私には同じに思えて来る。
それも、数学数式の、珠算算盤の盤面の、あの整った数の世界の機能美、様式美、格式美のようなものと比して、カッチリキッカリ、理論的に、道理でも、仏法仏教の因果、因縁果報論、特に、五重の相対、三重の秘伝と、この御教え、日蓮正宗は完璧すぎるが、この両者は、余りに似過ぎて、似て非なるものだ。
世界の邪教共、キリスト教・イスラム教共とも、互角に戦ってもまともに法論で勝利が確定出来る自負と自信と確信を強く抱く。
それは国内でも勿論言え、創価が幾ら新興宗教最大多数国内教団でも、必ず年数を掛けて、それら民衆の誤解、誤謬を解いていく破権門理、法華折伏、折伏正意の努力は、正宗信徒は続けてゆく。そして一番大事なのが、慈悲の折伏、慈悲の法門、これである。
話は音楽に代わるが、私は、クラシック音楽が今もかつても好きだった。クラシックのピアノ協奏曲で、会場のグランドピアノと金管管弦楽団のオーケストラとが、一瞬のうちにその場で一致調和して、あのコンサートホールの天蓋にこだまするが如くの、予定調和、アンサンブル、和音ハーモニーに満ち満ちた瞬間に、コンサート会場にて立ち会った事が私は数度、ある。(於:福島県の中央の街、文化通り安高通りの、郡山市民文化センター、にて)
それら楽曲を自宅パソコンの音楽ソフトにて時々聞くが、あれと同じだ。
ピアノと、オーケストラが、ピアノが王者覇者獅子の如く振る舞い、オーケストラもそれに倣う。どっちも互角で、引けを取らない。最後まで、その音楽におけるスリル感、スケールの壮大さを味わい、終幕フィナーレ大団円へと、指揮者指揮の下、ピアノ協奏曲がなだれ込む。
曲は、ベートーヴェンでもブラームスでも、モーツアルトでも、リストだろうが、シベリウス、グリーグ、ロシアのチャイコフスキー、ラフマニノフ、何でもいいが、とにかく、私は、多趣味かも知れず、音楽も大好きだ。
この、音楽の、ピアノ協奏曲での、ピアノと、交響楽団の、丁々発止と互いを高め合い、尊ぶ。この世界も、何か、宗教の、世界に冠たる日蓮正宗と理数系の話にも通ずる気がする。
結局、宗教も、音楽も、数学も、言語自体も、それら自体が全て「記号」に過ぎず、
皆、記号論理学、現代論理学、数理論理学、数学的論理学の学問体系に、全て収れんしてゆくのではないのか、と私は最近、学問的には、思っている。
要は、何でも、頂上は同じ。全ては一つの道、世界に通じていると言う事だ。
私自身の筆、キーが想いに任せて自由に赴きます。読者の方、良ければ自由に読んでください。
では、開始いたします。)
以下、論文説、引用文、宗教論、理系論、フィナーレの終幕、この文章、論文の結論へと、続いてゆきます。長文失礼。是非お楽しみください。』
(江戸時代、宗教御法度時代から、近世明治大正の御代へ)
その間に、大聖人様の御教えを、日本乃至、世界中に、「世界広宣流布」し、出来なかったのは、私達、正宗信徒の実に悩ましい、心の遺恨の残る、痛ましさの残る大事実である。
これとて、今の、当時の日本の、鎖国同然の村社会、檀徒社会、檀徒制度、江戸時代の、キリシタン禁制による、寺請制度、葬式仏教化した、日本の、正宗以外の既成仏教教団に、ある種の大打撃、革命を、日蓮正宗は今も現在も投げかける。
明治の、或る程度の明治憲法で制限付きだが、信教の自由が開花した明治維新の御代に、日蓮正宗は、江戸時代にも個人的、武士層、平民庶民層での、法難や信教の自由がある程度、江戸時代はご法度だった時代にもかかわらず、その時代に尚、時代の先駆となる、折伏行にも時代に先んじていた。
日蓮正宗(その時代は、日蓮宗富士派、もしくは興門派、を名乗っていた。正式に現在名になったのは、大正時代の、御法主日正上人の時代、御代)を時代の制約に縛られながらも、実直に実行、折伏教化、法華折伏、破権門理の教えを、今の時代と露も変わらずに、現代と同じく、実践為された方々が確かに、居た。
(江戸時代、日蓮正宗中興の祖、日寛上人の御事)
そして第二十六世、御法主日寛上人が御当座された江戸中期、日蓮正宗宗門にとり、かのお方、この方は、「日蓮正宗中興の祖」と呼ばれ、正宗信徒に随分慣れ親しまれ、そのお言葉は、今なお、信徒の僧俗問わずに、読まれ、教えが、大聖人様に次いで時の御法主では並び称されるほど、宗内では高く評価差され、現在も用いられている。
(以下、「江戸時代江戸幕府における日蓮正宗御宗門の、折伏弘教と、法難の数々の歴史」、「『日蓮正宗入門』(大日蓮出版)からの引用、開始。私なりの、趣意、自己流文章もないまぜではある。見出し語尾等も改変を了としたい。以下、スタート。)
(江戸時代大法の大弘通と大法難の数々。既に、この時代から封建社会での憎たらしい江戸幕府と立派に対峙していた日蓮正宗御宗門各僧俗法華講衆たちの面々)
この時代、日蓮正宗としても、江戸幕府のやりたいように勝手にやらせ、手をこまねいていた訳では決してない。
江戸幕府は、宗教政策の一環として寺院法度を定め、布教を制限し、寺請制度を設けて改宗を禁止。けれども、そんな中にも大聖人様の破邪顕正の精神を受け継ぐ僧俗の折伏弘教により、日本各地に大石寺信仰への改宗者が相次いだ。この為、幕府要人、為政者、他宗の僧俗に睨まれ、大石寺門徒への迫害が加えられ、各地で法難が起こった。
(金沢法難)
加賀・能登・越中の参加国を領有した金沢藩では、第五代藩主・前田綱紀の勧めにより、江戸屋敷の家臣たちが、江戸常在寺にて、日精上人の御説法を聴聞した事により、家臣の中に大石寺の信徒が誕生し、ますます増えて行った。
その後、大石寺に帰依する者は領内にも弘まってゆき、享保三年(一七一八)頃には福原式治(次郎左衛門)を始め、純真な信仰を貫く信徒が相次ぎ、続々と現れました。
しかし、同八年(一七二三)に藩主が第六代吉徳になると、藩は幕府の厳しい宗教政策統制に従って、領内に末寺が無い、大石寺信仰は寺請制度に抵触するとして、布教が取り締まられました。
そして、享保十一年(一七二六)四月に加賀の法華宗慈雲寺の僧・了妙が富士門流に改宗した事により、慈雲寺が寺社奉行に訴えた為、大石寺信仰は禁止され、内得信仰さえも差し止められた。この頃、藩内の大石寺信徒は数千人に達していたと言われている。
(日詳上人猊下様他、歴代上人猊下様方の苦悩)
翌十二年(一七二七)三月、第二十八世日詳上人様は金沢藩江戸屋敷に対し、領内の寺院建立と大石寺信仰の解禁を願い出たが、悉く却下。その後、歴代上人方が、藩主の交代のたびに、末寺建立願を提出したがいずれも、藩規により受託されず。
(大難に続く、大難、それにびくともせず、僧俗一丸となり、見事、明治の御代の春が訪れる)
しかし、このような中でも、日蓮正宗の信仰の弘教は続けられ、十数の講中が生まれる程になった。
これに対し、藩では、元文五年(一七四〇)、明和七年(一七七〇)と、数度にわたり、大石寺信仰禁止令を出し、これに背いた理由で大勢の人々が入牢・閉戸などの刑に処された。
その中で、天明六年(一七八六)四月に大石寺信徒の足軽小頭の竹内八衛門が牢死した。
これらの迫害は、明治時代を迎えるまでの約百五十年間の長期にわたったが、金沢信徒たちは、「抜け参り」を行うなど、根強い信仰を続けた。この法華講中より、第三十七世日琫上人、第四十七世日珠上人が出られています。
そして、第五十二世日霑上人により、金沢の地に妙喜寺が御建立され、ここに金沢信徒の悲願が成就した。
(金沢、抜け参り、とは?)
金沢法華講衆の強盛な求道心を示す逸話として、二つの「抜け参り」が伝わる。
一つは、前田藩主が参勤交代の途中、東海道吉原(富士市)付近で宿泊した時、金沢信徒の青年武士たちは、夜中、宿を抜け出し、約十八キロもある大石寺まで駆け走り、歓喜の唱題を行って宿に戻ったと言われる。
二つは、道中手形を出してもらえない金沢の信徒たちは、大石寺に参詣したい一心で領内から抜け出し、互いに励まし合いながら、山谷を踏み越え、十数日を掛けて大石寺への参詣を果たしたという。
(もっとある、日蓮正宗が受けた法難、数々のそれに負けぬ折伏弘教の闘い)
その他にも、代表的なもので、「讃岐法難」「仙台法難」「洞ノ口法難」「伊那法難」「尾張法難」「八戸法難」等々の代表的な法難がある。
その他、武蔵野国荏原・蛇窪(品川区豊町)の「蛇窪法難」、駿河国富士・猫沢(静岡県芝川町)の「猫沢法難」等々、大難が起こった。
数多くの大難法難が起こるも、大石寺信仰を護り続けた人々の不屈の精神は、末代信徒の亀鏡として、今日に伝えられている。
(江戸幕府と宗教政策上、対立するも、江戸幕府の要人夫人方の御帰依、全国地方大名直臣城主等々から御寄進も受けて、御宗門も庇護を受けた歴史)
阿波徳島の城主・蜂須賀至鎮の夫人で、徳川家康のひ孫の敬台院は、日精上人に帰依し、寛永九年(一六三二)に本山御影堂を再建寄進した。
また、第二十五世日宥上人の御代に、同上人に深い縁があった天英院殿(徳川第六代将軍家宣の夫人)が帰依し、正徳四年(一七一四)に、千五百両御寄進により、常泉寺の本堂が建立されている。
これに先立つ、正徳二年(一七一二)には、天英院の御尽力により、幕府から黄金千二百粒、富士山の巨木七十本の御寄進を受け、これに日永・日宥両上人の九百両と合わせて、五年後の享保二年(一七一七)八月に、大石寺三門が御建立為された。
享保三年(一七一八)に御登座された日寛上人は、梵鐘の改鋳・青蓮鉢の御造立をされ、第二十七世日養上人の御代の享保八年(一七二三)には客殿が御再建され、更に翌九年(一七二四)再登座された日寛上人猊下様によって石之坊が御創建され、同十一年(一七二六)には常唱堂が御建立為された。
それに、日寛上人の五重塔の建立発願基金として、日寛上人自身、五十両、永代基金として二百両を遺された。大石寺の興隆と維持に重々の配慮を為され、その後、五代にわたる御歴代上人の丹誠と、伊勢(三重県)亀山城主・板倉勝澄の一千両の御寄進、江戸・金沢等の御信徒たちの御供養による総額四千二百余両の大工事を以て、二十三年後の寛延二年(一七四九)、第三十一世日因上人猊下の御代に、富士大石寺の五重塔は完成いたしました。
(以上、日蓮正宗の御本、『日蓮正宗入門、改訂版』(発行所:株式会社大日蓮出版)
(平成14年1月1日初版発行、平成23年10月12日改訂版第2刷発行、発行:宗旨建立七百五十年慶祝記念局、委員長、藤本日潤。
編纂:宗旨建立七百五十年慶祝記念出版委員会
改訂:日蓮正宗宗務院
の御本・御出版物より引用す。書写、見出し冒頭文句語尾語句等、一部ブログ筆者変更改変加筆訂正有り)
(日蓮正宗と、そろばん、算数、数学との、その考え方の上での、類似性、近似点)
それらすべての御教え、日蓮正宗の教えと、私が、そろばんを習い三級を取り、それを生かし、算数を習い、中学・高校と、今度は数学を習った。
その、数学の、すべての、論理の組み立て方、答えは一つ、の数式や証明問題、論文形式の、数学のすべての自身の理論理屈主義主張、途中経過の、自身の論説説得を試みそれらを経た上での、最終「結論」に至る、数学の、自身の心の内の思考、論理の積み上げ方、最後の結論結果に滑り込む、その全てが、何か、日蓮正宗の論理的で道理に叶い、筋道が通った、立派な教えに幾分も違わず、私はそこに、何か、同種同類の、同じ仲間、考え方を持った、皆、一緒である気がする。
私の拙い、高校時代後半は、数学は大変落伍者であり、まったくもってして、数学に対し、自信のない生徒となり果てたが、その当時、高2までは、私は、実は国公立大学進学志望希望者で、無我夢中で、数学とは格闘はして取り組んでいた。
その後、私立文系に移り、私立文系は受験科目が国公立の数学を含む五教科じゃなく全くなく、国社英の三教科が中心であり、数学は、不要となり、不得意となった。やらず嫌いの食い嫌いとは、正に私の為にある言葉である。
以上、延々、縷々と、私の自身の考えとして、算数論、算盤論、珠算論、数学論、日蓮正宗と数学の近似、類似性、について、私見を多く述べた。
それらすべての御教え、日蓮正宗の教えと、私が、そろばんを習い三級を取り、それを生かし、算数を習い、中学・高校と、今度は数学を習った。
その、数学の、すべての、論理の組み立て方、答えは一つ、の数式や証明問題、論文形式の、数学のすべての自身の理論理屈主義主張、途中経過の、自身の論説説得を試みそれらを経た上での、最終「結論」に至る、数学の、自身の心の内の思考、論理の積み上げ方、最後の結論結果に滑り込む、その全てが、何か、日蓮正宗の論理的で道理に叶い、筋道が通った、立派な教えに幾分も違わず、私はそこに、何か、同種同類の、同じ仲間、考え方を持った、皆、一緒である気がする。
私の拙い、高校時代後半は、数学は大変落伍者であり、まったくもってして、数学に対し、自信のない生徒となり果てたが、その当時、高2までは、私は、実は国公立大学進学志望希望者で、無我夢中で、数学とは格闘はして取り組んでいた。
その後、私立文系に移り、私立文系は受験科目が国公立の数学を含む五教科じゃなく全くなく、国社英の三教科が中心であり、数学は、不要となり、不得意となった。やらず嫌いの食い嫌いとは、正に私の為にある言葉である。
以上、延々、縷々と、私の自身の考えとして、算数論、算盤論、珠算論、数学論、日蓮正宗と数学の近似、類似性、について、私見を多く述べた。
(あとがき、これからのこの連載の意気込み、連載予定のお知らせ見通し、皆様への挨拶、謝辞、反省懺悔等々最後に改めて挨拶結語)
今日も文章を本当に長時間私の満足するまで書いた。
まだ、この連載文の結論にはまだ遠く、時間が掛かりそうです。
それにしても、自分でも長すぎ、冗長で、余りにしつこく、くどい。もっとあっさりできぬか、これは駄文である気がする。いくつもの小話にした方が結果が良かった。沢山、てんこ盛り、盛り込みすぎ!
これは小話、短編に区切って、小さく幾つもまとめた方が良かっただろう。この文字数、今の編集ページでとうの九千二百余文字を、とうに越えてしまっている(一体、誰がこれ読むのかって話、人迷惑だろ)。
今度こそはスタイルを変え、小さく文章をまとめてみます。この稿は、私の書いたノートの原稿から一段一歩離れ、独自の、アドリブ、自由演奏、自分の我見に満ちた文章群なので、余りに長すぎ、読者の皆様は、読まないでも、飛ばしてしまっても私としても一向に構わず結構です。ただ、記録として、取っては置きます。
本来の本稿趣旨の、私のクレジットカード解約編の続き、成り行き、顛末、結果結論、終結収束編のお話と、I田医師との最終対決論・対決篇、悲しき一人での独り芝居の一人セリフのI田との孤独な闘い、格闘編への、結論終幕フィナーレに向けて、書く事を頑張ります。
それ以後は、主に日蓮正宗の宗教話、他宗、異宗教共との破折折伏の濃い宗教論、現在の私の考え、この世の成り立ちへの考察、好きな自民党の事、この国の未来、この国の抱える諸問題、今の時代の世相、北朝鮮が責めた来た場合の、我が国の国防防衛自衛の第一義の在り方、この国のかたち(司馬遼太郎先生の御本、先生ばり、みたいですが) について、是らも是非書きたいと思っています。
以後の私は、ノートを引っ張りフル活用で、頑張って書いてゆきます。今までの様な横道にそれた脱線、駄弁は今度は決して私自身、許しません。
多弁に過ぎました。
本当に長文失礼。失礼仕ります。以後、御無礼お見知り置きを。以下、恐々謹言。以上、よしなに。wainai