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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

今は「ネアカ」「ネクラ」を定義づけたタモリがただ憎いだけ!後半、宗教論、法論の話へ

2024-04-21 19:31:30 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 「タモリ」は私から言わせると、だいぶ偏っている。常人じゃない。それは世間もそうと認めているのかも知れないが…。
 私は以前、今はだいぶページも変っているかもしれないが、ヘルパーさんが我が家へ来ていた時に、一生懸命に、ウィキペディアで、「タモリ」の項目を読み上げていた。
 それには、当時から、芸能人タモリが、私がやり始まった、X旧ツイッターで、だいぶ幅を利かして、目立っていた所から、その生い立ちを追ってみたくなったのだ。
 それで、高齢者のヘルパーさんには読んで聞かせていた。その日のヘルパーさんの我が家に残る日誌には、サービス受給中、ずっとタモリの事を調べていた、とあった。
 その中で、私が非常に疑問を懐いたのが、タモリこそが、あの、昭和の終り頃から平成のバブル景気の頃の若者から年老いた者までの悪しき風習、権化のような価値基準となっていた、「ネアカ」「ネクラ」の言葉の生みの親、言い始め、祖先のような人種だったという一点だった。
 私はあの男は、ただの一司会者位にしか思わなかったが、そうした過去をこの時知ったのだった。
 それ以来、彼を見る目が変わった。良い方ではない。悪い方へと、だ。
 私はその当時から、どちらかというと、言わば、変わり者の類であり、「暗い」「ネクラ」と当時から言われていた、と自分では思う。
 その後、母も応援する、福島県立安積高校(安高)の演劇部を志望して、脇役のシリアスな、悲劇を演じてみたかった。しかし、当時の安高はシリアスどころか、コメディ路線をひた走っており、私はこれを断念した。
 そこでも、私は、学校・学生時代から、余りに個性的過ぎたのであろう。時代に抗うことなど一切出来ずに、世間、特に同級生からは「ネクラ」「暗い」の烙印を押されたと思っている、個人的に。
 その因って来る、原因を作った張本人が、この、タレント「タモリ」であったことを知り、この男のいい加減さ、憎たらしいと本気で思った。
 今の個性尊重の世の中ならば、そんな、暗い明るいの二元論の世界では教育、学校はないであろう。私は生きる道がかつての当時の私の世代よりかは今の方が幾分住みやすい世界であったろうと思う。私が暗いと思われるとも思わず、今の時代の私ならば、気分を良く考えられたであろう。
 逆に、個性派として、名を成して、名を遂げていたかも知れない。(これはあくまでも私の憶測、妄想の類)。
 私が劇的に変わったのは、中高生の頃だ。特に高校時代は、苦しい時代だった。御蔭で病院のお世話ともなり、留年・転校の憂き目にもあった。
 とにかく、今は、タモリが憎い。この男はそれだけでなく、「卓球」というスポーツ競技にも難癖をつけて、これも「暗いスポーツ」と一刀両断で斬り捨てた。
 私は、あの男、タモリが、芸能界で偉そうな顔をして、一流の人間ぶって、物事にこだわり、詳しそうな振りをしている所をよく見ているが、この男は、世を扇動、先導して、世の中を迷わす、今でいう、「インフルエンサー」のような、世の先駆けなんだろうが、私が思う、良い世の中へとは、この男の人生を顧みても、ちっとも、貢献などはしてはいない。
 こんな男など、芸能界、社会、世の中の、客寄せパンダの如き人間・人種であり、ただの騒ぎ屋だ。いるだけで害悪人間だ。
 私は断固許しはしない、この、タモリという男を。こいつを面白がって珍重して御先棒を担ぐ者共も同様に、私は決して許しはしない。人間として、絶対に許せない。芸能界を追放されて欲しい位。先頃の松本人志の如くに。
 このブログは、差別を助長する類には、断固戦ってゆく方針だ。
 しかし、宗教論争は違う。全く、事の理解、論の進め方が、一般の人の理解の範疇を超えるのかも知れないが、我々は単に、ケンカをやっているのではない。そこを履き違えないで欲しい。正当なる、言論の自由にも合致し合意を得た、論争の作法なのである。
 その、我ら日蓮正宗信徒に於ける、「折伏」に関して、疑問があれば、時間の許す限り、それに関する問答、法論も、私はありだと、このブログ記事の一コーナー、コメント欄に於いて、大募集中である。
 どんな、法論でも、大歓迎である。皆様の限りない疑問にも、お答え出来たならば、これは幸いであると認め得る。幸甚に堪えないとは、この事である。
 一切、どんな宗教宗派との法論であっても、情にほだされる以外、否、情にも何に於いても負ける気など全くしない。

 以上。よしなに。長文失礼。wainai

反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」完結編を読む(4)。ハモニカ君が代

2024-02-17 14:45:52 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」完結編を読む(4)。ハモニカ君が代 反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む。四回目完結編最終回。キリスト教に対する、当時の儒学者の新井白石の面目躍如の邪教破折。これも一種の折伏となっている。儒教は仏法仏教が広まる前の露払い、御先棒担ぎだという(趣意)、御本仏宗祖日蓮大聖人様の御金言も誠にその通りである。ハーモニカ君が代。以上。よしなに。wainai

反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む(3)、ハモニカ童謡

2024-02-17 13:22:35 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む(3)、ハモニカ童謡 反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む。三回目。複音ハーモニカAm調で童謡ひなまつりを吹き吸いした。以上。よしなに。wainai 

反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む(2)。ハモニカ

2024-02-17 12:16:48 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む(2)。ハモニカ 反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む。二回目。複音ハーモニカで童謡、国歌君が代等を吹き吸いした。以上。よしなに。wainai 

反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む(1)。音楽ハーモニカ君が代

2024-02-16 21:46:00 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
反キリスト教批判書物・新井白石「西洋紀聞」を読む(1)。音楽ハーモニカ君が代 新井白石「西洋紀聞」を現代語訳でお読みしている。この著は、江戸時代、キリシタン禁令を侵して日本に入国した外国人カトリック宣教師シドッチを江戸幕府が捕えて、その尋問に白石が臨んだものである。ここで次第に、キリスト教の矛盾点が見え出すのが、中後半部位からか。大盛り上がりはこれからである。江戸時代に既に日本ではキリスト教学はその幼稚な教えに於いて負けていたのである。以上。よしなに。wainai 

世界宗教には向いていなかったユダヤ地方宗教発の表紙を代えただけの無様な外道『キリスト教』について

2024-02-03 12:36:01 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 日蓮正宗、宗祖日蓮大聖人様の御金言集『御書』(平成新編日蓮大聖人御書・大石寺)日蓮正宗信徒の各家庭の御本尊様に次ぐ、御宝物(ごほうもつ)の書籍。
 こちらも、法華経(「新編・妙法蓮華経幷開結・大石寺」)。お経と言えば、これ。
 次も、日蓮正宗の歴代猊下様の御言葉集、勿論大聖人様、釈尊の法華経のダイジェスト(抜粋)、等々の文書の書籍。(「日蓮正宗聖典」)これら書籍が、日蓮正宗の三証の内の、文証・理証・現証の体現化をしつつ、文証では確実に、文献上の証拠としての、一番の一般大衆への訴求力、第一歩にも二歩、三歩ともなっている。

 対するこちらは、キリスト教徒の正典、聖書(バイブル)。私のは電子書籍版。口語訳聖書・日本聖書協会編。この書は、邪師による邪義を構えた邪教の産物の書物なので、悪書として扱い、これに毒されぬよう、破折を加えながら読む事と致している。
 我が菩提寺の日蓮正宗無量山寿海寺の御住職様も、一切、一向に、破折をしながら、折伏する気概で読むならば、敵を知らないでは戦えないので、別段、この邪教の書籍、本類を読んで構わない、とのお立場、ご指導も受けた上での私の今日の、折伏活動への一環、一助としての、これら間違った教えを知る上での破折の読書である。

 日蓮正宗が本拠とする、宗祖日蓮大聖人様の、「御書」。それに、「妙法蓮華経(法華経)」。これらは、世界万民に最初から説かれた、一切衆生、人種差別など一切ない、真実の世界宗教に足り得る、世界に向けて書かれた、三証の内の、「文証」に基づいても、当然、この御教えは、「世界宗教」への道を開き説いた、人種差別などは一切ない経典の種類に数えられる。
 大聖人様の、御書なども、「立正安国論」などを取ってみても、一往は、日本人、日本国民、当時の北条幕府の、為政者に説き伏せた御書ではあるが、再往は、全世界の人々へ向けたメッセージと捉えて構わない。大聖人様もその御覚悟で執筆に臨まれている。
 それがしかし、キリスト教はと言えば、その文証となる、「聖書(新約聖書)」によれば、それらがガラッと変わる。その証として、聖書から引用させて頂く。
 マルコによる福音書・第七章二五節からの引用だ。
 『そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って子犬に投げてやるのは、よろしくない」。すると、女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる子犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。』(口語訳聖書:日本聖書協会)
 つまり、ここでも登場した「聖書」によると、イエスは当初は、自身が属する「ユダヤ民族・ユダヤ人」にのみ特化して、ユダヤ人にしか、教えを説いてはいなかった事になる。初めから、想定していたのは、世界の数多ある民族集団の中の、ユダヤ人、イスラエル人のみであったのだ。
 私は高校生だか、社会に出てからか、この場面を読んでいて、ある種の違和感を感じた。イエスキリストは、当初は、当初から、この教えを、世界には発表、世界に向けては全然教えを説いてはおらずに、イスラエルの、細々とした伝道にしか、初めから興味はなかった事に。
 イエス自身のイメージダウンもいいとこだ。
 イエスはただの、ユダヤ教の改革者になろうとして、十二人の弟子たちを連れた、弱小教団、イスラエル地方のローカル教団に過ぎなかった訳だ。それを、世界宗教に改組、飛躍させる魔術を使ったのが、この新約聖書の使徒行伝や各種手紙に後半に出て来る、「使徒パウロ」であった。
 このパウロも胡散臭い。一度もイエスになど、会った事も見た事もない。一介の自称ユダヤ教徒が、元はと言えば、キリスト教会を迫害する側だったのが、幻で(この時点で、神懸かり宗教の面目躍如だ。元々の一神教のユダヤ・キリスト教自身・自体が、神懸かり宗教の最たるものだ)キリストの幻想の姿を夢で見て、自身がキリスト教への改宗をして、改心した、というのである。
 それからのパウロは、新約聖書の後半部のほとんどの書籍、文書を担い、世界宗教への飛躍を期して、船に乗り或る時は徒歩で、地中海の、ギリシア、ローマ帝国内にこの教えの布教・伝道の旅へと向かい、おそらく、その成功を目指す途上で、殉教したのか、定かではないが、これが、ローマ帝国内では、初めは地下活動の如くの隠遁生活の、実際ローマの地下のカタコンベ、地下墓地にて、彼らは定期的に住み込み、祈りを隠れるように捧げていた。
 その後の帝国内での大弾圧を乗り越えて、信者数は爆発的に増え、遂に、西暦392年ローマ帝国の国教となる。
 これに果たした国教化前の初期信者のパウロら弟子の活躍は目を見張るものがあるが、詰まりは、前述の通り、イエスは世界宗教などは全く目指してはいなかった事が、聖書を通してみても明らかであり、パウロが全ての教えの発展へのレールを事前に敷いたおかげで、今日のキリスト教がある。「パウロ教」がキリスト教の神髄だ、との説、パウロがいなかったら、キリスト教などとっくに過去の産物だったと言える。
 とにかく、聖書の、新約聖書の後期後半部のパウロ著述部分は、世界宗教然とした風の、如何にもそれらしい体を為すが、それ以前の、四福音書、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ、等を読めば、イエスの教えと=「イエス教」、後に説く、パウロの教えとが=「パウロ教」、如何に、かなりのこう言っては何だが、自語相違・自己矛盾・乖離(かいり)を見せている事共を、ドグマに毒されない、まっさらな純真な心、特に他宗教の人、仏教徒をはじめ、諸般を見通す賢い読者ならば気付かざるを得ないだろう。
 キリスト教の常識は、他宗教信徒達の極めて非常識である事共に、キリスト信者のみが気が付かないようだ。
 この宗教、キリスト教は、ベツレヘム、ナザレ、ガリラヤ生まれ育ちの、イスラエルの一寒村出身者の、ガリラヤ訛りで語る田舎者の、イエスによる、一地方出身者による、イスラエル・ユダヤ教の一改革者であったのは疑いようはなく、今日、キリストと称えられ得るような、十字架上の刑死を、全人類の罪の贖い(あがない)の為の、イエスの「神の子」としての代償を払ったとする、即ち、それらは、神の子が、父なる神の命ずるままに、人類に罪の許しの象徴としたとする、それらの神学、教学は、全て、当時の、イエスとは実際に会った事もない、イエス未体験者による、巧妙な作り話、聖書作家達も、壮大な、これらのパラダイム、規範を提示したに過ぎぬ。
 元はと言えば、本来から、イエスは、ローマ帝国の法を破り、首都エルサレム内の神殿内にて、商売を商う人々の屋台等を暴虐の限りに打ち壊して、その後、反乱罪、帝国の反乱を目指し企てた罪で、死刑が執行された、本来ならば、犬死であった所を、後世のキリスト教信者達が、勝手に集団幻覚幻想にでも捉われ神懸かりにでも遭ったのか、それを、「死んだ後に三日で蘇り」、「処女マリヤからの生誕」話や、「奇跡」などと言う、多くのこれら「聖書」の記述は、ハッキリ言って、質(たち)の悪い、悪宣伝、自分の教えを最上のものに思わせる、余りに陳腐な、絵空事、「フェイク」、「ウソ」の類である。
 これを見抜けないようでは、三歳四歳の子供ならいざ知らず、大の大人が、いまだに、イエスの「奇跡」などに頼り切り、それらを信仰の本拠根拠、素晴らしい教えの証拠だとでも思い信じているようだったら、それは問題であり、間違っている。
 その人は根本から、間違っている。人間的にも、私はその人を、人生上、人格的に、尊敬する事等、決して出来はしない。初めから無理があり過ぎる。
 ちっとも、キリスト教もそうだが、この場合、フェイク、ウソ情報で騙されている、同じく日蓮正宗から見れば異流義の、創価・顕正会等も、信用がならず、信頼など決して出来はしない。
 これは差別でも何でもなく、宗教の教えの正邪に基づく、日蓮正宗の正しい御教えを知ったからには、それら邪教に破折、折伏せずには、この身が同じく、謗法与同罪に与(くみ)してしまうのである。これを正宗信徒は一番に怖れる。
 実際上、他人の謗法行為を見過ごせば、邪教に協調協同したという、謗法与同した私達自身の堕地獄行と成り果てて私自身が無間地獄に堕ちねばならずに、知らぬ振りとは、誠に非常にコワい事なのだ。
 だから、無責任に放って置いて、他人に、邪宗教の本尊、守り、置物、ペンダント、最近で言えば、邪宗邪教の神社仏閣等の御朱印集め、等々にしろ何にしろ、それらを謗法払いさせねば、そうして、最終的には、否、始まりの最初っから、私共の信ずる信仰信心に導いてあげなければ、私たちの義務、義理人情、仏様の使いとしての、心の想いを果たした事等には決してならない。

 閑話休題。それはさておき。話しを元に戻して、昔からこうした「奇跡譚」偉人が為した、珍しい、それらキセキの類は、枚挙にいとまがなく、仏教では、釈尊の仏典にもそれら、奇跡の話はあるにはあるが、それを、真っ当に信じていたら、原理主義者となり得る。
 キリスト教では、余りに奇跡等で、病気治しやら、問題解決の為に、それら「奇跡」が都合よく宗教に利用され過ぎている。「奇跡」に頼り過ぎの宗教=キリスト教。それしか信ずるものがない、実態は無力な「神の沈黙」した宗教、キリスト教。
 私が或るキリスト信者に聞いた言葉では「キリスト教は奇跡があるから、最高の宗教なのだ」と訴えた者を知っているが、これは宗教の無知、恥も外聞も臆面もない、ずぶの宗教素人の幼稚な人の述べる言葉、言説である。
 とにかく、私はキリスト教と関わって来て、十年近い日々を過ごしていて、キリスト教の魂胆、悪辣(あくらつ)さが手に取るように解るし、それらを日蓮正宗の大仏法哲学によって、見事に粉砕、破折する術(すべ)をとっくに宗内で勉強して研鑽をして身に着けていて、向かう所敵なしである。
 それらキリスト教に「神の沈黙」故、現証・御利益も全くなく、「什一献金」で、夢遊病者の如く、多くの塗炭の苦しみをキリスト教徒は味わい毎週日曜日に金にうるさい汚いキリスト教会にて、収奪剥奪されている事等も私は良く理解している。
 今後は、これら邪教・キリスト教徒を、カトリック・プロテスタント・東方正教会(日本ハリストス正教会・ロシア正教等々)を救いに救い切って、私の全人生のライフワークとして頑張って破折、折伏をしてゆきたいと思う。
 それは、同じ外道宗教の、日本の固有古来からの邪宗教・神社神道にも言えて、同じ神様宗教・外道宗教として、これらも同じく破折、折伏を加えて行って、私の全生涯をそれら邪教の撲滅にこの身を捧げ尽くす事をここに誓う。
 日蓮正宗ほどの、御本仏宗祖日蓮大聖人様の築き上げられた本物の、血脈相承、法水写瓶、法灯連綿の、寸分違わない、大仏法大仏教哲学に基づく、大宗教、高等宗教、大日本において八百年の歴史を誇る伝統宗教、どこの邪宗教諸々共々へも、何度、法論に際しても決して負けない、必ず勝てる正統派宗教は、この末法の御代、時代に、この宗教、日蓮正宗以外に、どこにも存しない事をここに訴えて、キーを叩き終えようとする次第であります。
 以上。よしなに。長文失礼。wainai

私のユーチューブ上で或るキリスト教徒のコメンターに受けた仕打ち、に御返し仕返しして、返礼代わり、手打ちとした。只じゃあ、起き上がらないぞよ

2023-09-29 19:49:33 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
私の意見。以下、wainai等が、私のペンネーム。ハンドルネーム。話の続きから、始まりです。
@wainai12375
• 14 分前
 こちらにとっては、このサイトは、私の所有物のサイトであり、私が気に食わなければ、勝手に貴方、キリスト教の恨み言など、排除、排斥、削除出来得る権能が、この私は、ここでの、YouTube上での権利が、私にはあるのだよ。
 詰まり、貴方は、極めて弱い立場に在る、と言う事だ。
 それでは何故、私がこのコメント欄を閉じたり、削除に動かないか?それは、満天下に、おたくの如きキリスト教徒の、他宗教徒への蔑視、その差別観、二重人格性、偽善者性、悪魔性が、もっとも貴方が相応しく、ありふれた事だが、もっとも万民の前に開陳するに相応しい、例えともなるコメントと感じたからである。
 詰まりは、私は、日蓮正宗信徒の立場で、貴方の行い、所業、仕業、言葉使い、振る舞いを、敢えて泳がせておいて、これがキリストの信者の所業だと、その恥を万民に問うているのである。
 そうであるからして、自分がさも、得意然として、何かキリスト教徒を代表して、この場に於いてモノ申している、などという、自分が何か、救い主、ヒーロー然とした、「妄想」「邪念・邪推」を懐くことなく、このコメント欄から、一刻も早く、立ち去り、逃げ去る事を勧める。
 要するに、今現在の事象の成り行きとしては、人としての恥さらしを、キリスト教の恥さらしを、貴方が、皆を代表して、執り行っている、と言う事だ。
 ユーチューブの仕組みが判らずに、大言壮語している積りが、私の鶴の一声で、そなたの意見、汚らしい異見など、あっという間に、微塵も存在など許されない程の、削除等々がこちらからは簡単に出来てしまう。
 こちら側、ユーチューブ運営側と、そなた、ただの、お客さんとの、これが、圧倒的な差、それが現実の問題だ。
 無駄な抵抗は止めて、早く正真の信仰、寸心を改めて、日蓮正宗の軍門に降る事だな。
 もう一度言う。どちらがこのサイト欄でどちらが有利で優先順位ではどっちが優っているのか。
 貴方は、只泳がされている、一人の、お客さん。こちらは、そなたの言い分など、微塵も気にすることなく、一人ばかりに付き合ってもいられないが。
 侮辱、脅迫、恐喝、強要、ストーカー、付きまとい等々、刑法ストーカー規制法に触れてもおかしくなく、正に、野犬の遠吠えの如く、只のそなたの恥さらしが、その貴方の物言いの全てである事共を思い知れ、と言い切って、これでキーを叩き終わる事にする。
 あー、恥ずかし。キリストなどと言う、こういう人間人種には、なりたくないものだ。 以上。よしなに。wainai返信返信 0 件1



@isaokuge9403
• 3 か月前
なら,君達の木でできた,大御本尊が絶対であると証明できるんですね返信返信 1 件



@wainai12375
• 1 日前
大御本尊様は絶対ですね。ハッキリ言えます。キリスト教は、何が絶対なのですか?十字架?単に、使徒パウロが築いた、パウロ教でしょう。違いますか?イエスの言説と、後のパウロの教説と、矛盾が、聖書を読んでいると、今でも感じますよ。今のキリスト教は、本当の意味で、「パウロ教」だと思います。返信1



@isaokuge9403
• 1 日前
日蓮正宗系のボロボロの分裂の無限闘争は本当に笑いものアハハ返信返信 2 件



@wainai12375
• 2 時間前(編集済み)
 これが、キリスト教徒の、戯言、二重人格、偽善者の為せる業だわ。
 聖なるものを、ここまでけなせる、この、才能?人間の悪業・罪障ともいうべき、汚らしい人品に、反吐が出る程。
 私は、十年間、キリスト教をやってきた人生の歴史があるから、あんたらの魂胆、精神の生き方、行方、身の処し方、すぐに、ムキになり、パニックを起こす。
 それらは、邪教・キリストの盲信の結果、実証、現証ですよ。いい加減に、自身の悪魔性、悪の権化が自分なんだと、その好戦的な態度を、改める努力をしたまえ。
 二重人格者・偽善者の成れの果ての、哀れな人間・人種よ。返信

@wainai12375
• 1 時間前
 貴方は、自分が、このサイトで私がキリスト批判に動いているのを見て、貴方の自分自身が、何かキリスト教徒の代表者、代弁をしているとでも、錯覚しているのではないのか?
 本当の本来のキリスト者ならば、襟を正して、キチンと、こんな汚い言葉使いなどせずに、もっと、もっともらしい事を言い、反論している事だろう。
 本当のキリスト者なら、それ位、自身を反省して、自分の語る一言一言に、気を遣う筈だ。
 貴方にはそれがない。反省する心掛け、心構えも一切ない。それだけ、おたく、あんたは、言葉は汚らしいし、その人品の下卑た下品さが、非常に鼻に付く。
 日蓮大聖人が言った、厠(かわや・トイレ)に入り慣れてしまい、ずうっといる内に、その臭いが判らなくなってしまった愚人の故事と、全くおんなじである。
 貴方の、その、道理に反する、下劣な品性が、全てを物語る。
 とにかく、もう、貴方とは、私は話す事は止めにする。一切、付き合わない。これ以上やっても、水掛け論でしかなく、貴方は、必ずや、悔し紛れに、いや増して、その、教えの矛盾を突かれても悟りもせずに、脅しの論理で人に物を説くのを常とするのだろう。
 それが本当本来の、キリスト者なのか。キリスト教の恥、キリストの法を下げているのが現在のあんた。
 勝手にやって居ろ、としか言えない。 以上。よしなに。wainai返信1


@isaokuge9403
• 1 日前
私に本尊とやらを、渡したまえ,便所で焼いた便所に捨てます返信返信 0 件

@isaokuge9403
• 1 日前
木は木でしか無く,紙は紙でしかない,物質でないと満足できない君達は,あまりにも愚かですよね返信返信 0 件



※編集後記、wainaiによるこの記事への感想等、改めて、注意、文章を改めた点。

一部、段落の入れ直し、等を行い、文章の見栄えに配慮した以外、書き加え、削除等は行なわなかった。

ともかく、創価ともまた一風違い、キリスト教とは、狂いに狂った集団、教団だと改めて分かった次第。やはり、ここにも、サンクチュアリ、聖域など、微塵もなく、その、下劣な本性を、キリスト者の誰も彼もが、少なからず、多少なりとも、持ち合わせ、持っているものなのであろう。いわく、「二重人格」「偽善者」「好戦的」等々…。
以下、その端緒となった、私自作の映像の、ユーチューブのURL。

 
以上。よしなに。wainai

日蓮正宗再帰依・顛末話

2023-04-09 10:51:16 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 私は昨日はどうかしていて、ほとんどけんか腰であり、問答無用で、まずは講頭・副講頭をなじり、それに端を発して、今度は情けなくも、日蓮正宗を辞めて、どこへ行くかと思ったら何と、キリスト教(笑い)。あれ程、十年間も腐る程、飽きる程やり過ぎて、飽きが来て棄てたおもちゃにすがる子供のように、私の昨日の姿は正に、幼稚化していた。
 そうして、それらお寺の要職についている方々を(ぶっとばす)といったり、もう、日蓮正宗には見切りをつけて、キリスト教へ行く、等とぶち上げてしまう。
 これには、お寺で、栃木から来ている、普段から懇意にしているKさんなど、真っ向から否定に掛かり、心配為され、最後の決め台詞「絶対最後後悔するよ!」と言われ、それでも暫く、私と押し問答の末、私から無理やり引きちぎるように電話を切った。全くもって、無慈悲の極みである。
 それからというもの、私は、タブレットに入った、「聖書」の電子書籍版等を見るが、何だか、「日蓮大聖人御書」よりも読むのに何だか難儀を感じてしまい、それだけ、詰まらない書物だと言う事がここで如実に判明して、性懲りもなく、今度は、行こうとしたキリスト教会の動画サイトを見つけて、見てはみるが、何とも面白味も全く無く、ほとんど興味もわかない始末。しまいには訳の分からん吐き気と眠い眠気に襲われて、しばし横になり、そんな動画も見てはいられず、しばらく時間を忘れて眠りこけてしまった。それだけ、詰まらなかったのだろう。
 退屈で、眠りから覚めると、Facebookで大言壮語をしてみる。けれども何か心ここに在らずで、虚しくなるばかり。キリストを擁護した所で無理になっている、一旦、そんな邪宗教を、好きになれる訳がない土台無理。
 そうして、Facebookに、「時代は変わる」、という、ボブディランの歌のタイトルを自分で偶然どういう訳か書き、そのアルバムの中に、神を批判した歌詞の曲を見つける、たまさか偶然に。それを読んでいて、何か胸が熱くなった。
 その歌のタイトルは「神が味方」という歌で、ノーベル文学賞受賞のボブディランが、極めて苦しみに似た、世界の戦争の歴史を振り返り、その場に神がいればどうなるか、実際には神がいて欲しいと言う願望のまま、強烈な神不在、その場、現場現地では、神不在で、数々の幾多の惨たらしい戦争戦禍が繰り広げられていく、という基本路線の歌、詩である。
 こんな時に、自分が帰依した宗教、日蓮正宗を捨て去ろうとしていた時に、偶然自分が、「時代は変わる」と何気なくFacebook上で口にした言葉が、その偶然タイトル曲の収録曲の「神が味方」は、最大限の、神への皮相皮肉に満ちた楽曲であった。これは、私は良きめぐり逢いだと思って、とっくに、朝、アマゾンで、購入を決めている。現金払いで、コンビニ払いで、この、ボブ・ディラン作・「時代は変わる」を買わせて頂いた。レヴューを見ると、とてもストイックで、極めて重厚な、音はギター一本でシンプルだが、極めて名盤の誉れが高いと評判のディランの初期の名作良作CDらしい。買って得した。
 おまけに、ノーベル文学賞受賞者のCDと来れば、何をかいわんや、である。ビートルズですら、そこまでは行かなかったから。凄いの一言。
 話が脱線した。詰まりは、話を戻すと、キリスト教程の、時間の無駄遣いはない。うちの親戚で、九十を超す親戚がいるが、やはりキリストをやっていて、聞いた所によると、今盛んに「死にたい死にたい」と言って周囲に心配をかけていると言う。そういう人に限って、中々死なない、という人もいるし、人生いろいろだ。この「死にたい病」は、キリスト教特有の病であり、キリスト教は、理想郷、天国思想を別の、この世の外に持つ為に、そうしたおかしな、二元論、天国と地獄、はたまたこの地上世界という、宙ぶらりんな世界観に支配された宗教であり、仏教的見地から見ると極めて不完全な、真理にも基づかない、ウソだらけの世界観で一貫する教えとなる。
 本も見ないで、これだけの知識を披露、卑見し、開陳できる私が、昨日は何、寝ぼけた、不埒で、愚昧で愚妄に満ちた言説を述べていたのであろうかと、きっと、汚らしい、キリスト漬けだった高校時代(安積高校時代)に自身、舞い戻った錯覚にでも陥ったのではないかと自身を疑る。
 いずれにせよ、私は今後も、決して、絶対に、邪教のキリスト、創価、顕正、他、邪宗邪教に染まることなく、一つ正しい御教えの、宗祖日蓮大聖人様の御教え、日蓮正宗を決して過たずに、この宗教を立派に一途に一本気に、信仰し信心し続けていく所存である。それこそ、愚直に、まさしく、「純情一直線」、にである。
 何と、本日、自宅謹慎を決め込もうと思っていたら、お寺に電話をすると、御住職様からラブコールで、「今日の御講、是非とも来なよ、○○君(私)!!!」との熱烈な呼びかけが先程あり、喜んで参上、参詣いたす所存で御座います。その時には、必ずや、粗相のないように、元々仏教的価値観の「非暴力不服従」を貫き、一貫して紳士的かつ、慈悲あふれる平和主義的平穏な一仏教徒として振舞うのが筋ではないのか、筋目、日蓮正宗信徒の在り方としての、お約束、第一義はそこだ!と、絶対の確信を抱くもので御座います。
 
 以上。よしなに。wainai

死んでもタダじゃ起きないぞ!ボブ・ディランの詞から、神への皮肉皮相、この世の戦争の歴史から学ぶ、神などこの世にいない事共を!!!

2023-04-09 01:20:48 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
ここに意味深な、2016年にノーベル文学賞をもらった、ボブディランの、神についての歌がある。元々は、1960年代に書かれたものだが。
この詞は、壮大な、「神」への皮肉ではないのか。戦争を止める事も出来ぬ、無力な神。戦争の悲劇を避けるのに、どれだけ神が役立ったのか、歴史上に於いても、生活上に於いても。ちっとも役になど、立ってはいない。むしろ、害悪となってるだけである。
それを、この、ディランの作詞により、学べただけでも、御の字だ。

「神が味方」

Bob Dylan--With God On Our Side
ボブ・ディラン--神が味方
僕の名前なんかどうでもいい
僕の年齢なんかもっと無意味
僕の出身地は
中西部と呼ばれてる
僕はそこで教育を受けて育った
従うべき法があり
僕が住んでる国は
神が味方してくれてる
歴史の書物に書いてある
丁寧に記述されている
騎兵隊が突撃し
インディアンが滅んだ
騎兵隊が突撃し
インディアンが死んだ
国はまだ未熟で
神が味方してくれた
米西戦争に勝利し
南北戦争も鎮圧
僕は暗記させられた
英雄達の名前を
銃を把持し
神を味方につけて
第一次世界大戦が終息
戦いの理由を
全く理解できぬまま
だけど受け入れることを覚えた
誇りをもって受け入れることを
死者の数は数えられないから
神が味方してくれているときは
第二次世界大戦が終焉したとき
僕らはドイツ人を許した
そして朋友になった
彼等が600万人を殺戮したにもかかわらず
焼いたんだよ、オーブンで
今はドイツ人も
神を味方につけている
僕はロシア人を憎むことを覚えた
生涯ずっと
もしまた戦争が起ったら
闘うべき相手は彼等だ
彼等を憎み、恐れること
逃げて隠れること
全てを勇敢に受け入れる
神が味方だから
だけど僕らは今
化学兵器を保有してるんだ
もし発射したら
発射の連鎖を強いられる
ボタン一押しで
世界中のどこでも爆弾が落ちる
問答無用さ
神が味方についていれば
多くの暗闇の時間
僕は思慮を重ねた
イエス・キリストは接吻ひとつで裏切られた
だけど、貴方のために僕は考えてあげられない
貴方が決めなくちゃならない
イスカリオテのユダには
神が味方についていたのかどうか
僕は発とうとしているけど
疲れ果てている
僕の混乱は
誰にも形容し難いんだ
言葉が僕の頭を満たして
床に溢れるほどだ
もし神が僕らの味方なら
次の戦争を止めてくれるだろうに


私は元居た宗教、キリスト教に帰る。←二度と戻らない!!

2023-04-08 18:29:14 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
いま、それら、講頭・副講頭との関係性に於いて、日蓮正宗脱会、改宗を考えて居ります。次なる宗教は、キリスト教。日本イエス・キリスト教団郡山共同教会へ、明日、行って来ます。もう、日蓮系の、カルマの縛り、過去世の因縁話には、ウンザリ来ました。誰が引き留めても、引き留められもしないだろうが、もうやだ、ガッカリ、陰気な宗教だった。創価よりも金も掛かった。私には、無理な宗教だった。キリストは言う。「異邦人のように、くどくどと祈るな!」と。ハッキリ言って、日蓮の祈りは、くどくどし過ぎている。題目に一時間。勤行三十分。こんな訳わからん、くどくてしつこい宗教は、此の宗派、日蓮しかない。
もうとにかく、私はもうやりたくはない。キリスト教で一番だと思う。それが今の自分の精神の安楽だと思う。早くいの一番に解放されたい。

教会の権威、失墜ー独身の神父による性犯罪…キリスト教犯罪

2023-04-05 09:56:53 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
教会の権威、失墜ー独身の神父による性犯罪
2020年09月25日 | 日記 
古いニュースだが、問題あるので、以下、ニュースを引用する。 
「教会で性的虐待」司祭を提訴=仙台の女性、40年前に被害―地裁 
2020/09/24 20:57 
 カトリック仙台司教区(仙台市)の司祭から約40年前に性的虐待を受けたとして、仙台市の女性が24日、司祭と同司教区などを相手取り、5100万円の損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。原告側弁護士によると、カトリック教会での性被害を訴える訴訟は国内で初めてという。 
 
引用、終わり。 
 
 カトリック司祭による性的被害は、海外では非常に多く、問題視されている。日本でもこの他多く起こっているのだろうが、奥ゆかしい日本国の事、皆、黙って闇に葬られているのかも知れない。 
 独身を義務付けられた司祭神父は、社会的に弱者の婦人女子(時には男児も)を狙い、性的虐待を犯す。 
 カトリックって、厳しい戒律の割には、こういう矛盾した事件も起こす。キリスト教の二重人格、偽善者の性質がここでもクローズアップされてくる。 
 日本の仏教のように、妻帯を認めないからこんな事になる。構造的な問題だと思う。 
 


今朝六時半の、我がお寺での、朝の勤行唱題行。「偶像崇拝」一神教の主張についての私見。否、道理からの破折折伏。

2023-03-05 09:29:29 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 以下の長文文章、誠に無礼千万、失礼仕ります。

 今朝は、いつも私は朝は早いが、早くに朝食を終えて、時計を見ると、朝六時になるかどうか、という頃合いであった。
 これはチャンス、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺の、朝六時半の、勤行会に間に合うな、と一人合点して、昨日から、私は、この信心を、この六年間に及ぶ、自身が日蓮正宗に入信、帰伏、帰依してからの、自身の間違っていた事や、至らなかった事共を、これからの信心に於いて、悔い改めして、激変、改革、革命を起こすべく、自身のかつての宗教、創価、キリスト、神道等々の、謗法の害悪、悪弊、罪障を全部殲滅して、打ち滅ぼし、罪を滅せんと思い立った。それが、昨日から、今日に至るまでの、自身の偽らざる、気持ちである。
 そして、悠然と、自宅から、愛用のブリヂストンの、婦人用自転車・ママチャリにまたがり、いざ鎌倉、目指すは、我が菩提寺、寿海寺であった。
 そうして、お寺に乗り込み、今日は、御住職様お一人だけであったが、私も朝一番に馳せ参じて、朝の五座の勤行唱題行に励み、この一瞬に全てをぶち込み、私の全生命を賭けて、ひたすらに行に打ち込んだ。この気合は、正に鬼気迫るものであった。私の全生涯を賭けた、必死決死の覚悟の生死を賭けた朝の勤行会であった。
 ようやく、行が終わり、私は、奥の間お仏壇での、これからもう一度、座・場を代えて勤行を為さり、移動為されようとする御住職様へ、今の率直な気持ちを伝えた。
 それは、その時、内心、思っていた事であり、急にふと、自身の心中にくすぶり、この私の人生、半生の中での、疑問点、今では毛嫌いして居る、キリスト教・イスラム教についての、疑義、難点、矛盾点の、御住職様への、自身の自然の発露、であった。

 私は、今まさに、奥の間に向かおうとする、御住職様を、一瞬間だけ呼び止めて、非常に失礼だとは思いつつ、今しか、本日、御住職様と対話、会話、私の疑問点を聞き出し、訴える機会は、今日をおいて全くない、との念慮から、私は、キリスト・イスラム両大宗教の矛盾点を、その場で言い始めた。
 私、曰く、キリスト教・イスラム教とも、両者ともに、現在も、「偶像崇拝禁止」を固く信ずる、一神教である。
 しかし、その実態と言えば、キリスト教会の、東方正教会などは「イコン」と呼ばれる、キリストを模した、絵画、絵を重んじ、それを対象物として、祈っている。他、マリヤ・キリストの聖母子像の絵も拝む。可笑しい。これは、立派な偶像崇拝だ。
 ローマ・カトリック教会なども、十字架に磔(はりつけ)になった、キリスト像(ほとんど、邪宗の既成葬式仏教の仏像を拝むのと同じ感覚である)を拝んだり、聖母マリヤ、聖人像まで、その彫刻された物体を拝む。これは、自身の聖書で禁じられた、偶像崇拝ではないのか?

 そもそもの話、プロテスタント教会でも、簡素な、十字架のみを、教会堂の屋根や、内部の礼拝堂の正面に掲げて居り、信者は、その対象物に向かって、邪教の祈りを捧げる。あの、十字架そのもの、あれこそが、いわゆる「偶像」「偶像崇拝」に当たるのではないのか、どうなんだ、世界のキリスト教会、指導者の全ての成員、信者共よ!

 これらが、キリスト教への、私の疑義、疑問点。しかし、詰まりは、そもそも、神の子キリスト、こうやって一度は人間の肉体を持った、キリスト自身を三位一体の神とした時点で、肉をまとい、肉をもった、人間をかたどった、人間、人を、拝む時点で、それは立派な、人、人物を拝む宗教は、「偶像崇拝」ではないのか?そうと断言し、結論付けられる。これで、キリスト教の、一神教、偶像崇拝ではないと自身の言い訳は、全くもって通用しない事になる。これをまずは、うちのお寺の御住職様に早朝、訴えた。

 それから、イスラム教にも言いたい事共があったので、その場で申し上げた。イスラム教は厳格な宗教であり、絶対に、これも、「偶像崇拝」を認めはしない。頑なさでは、キリスト以上である。
 しかし、皆、イスラム信徒、ムスリムは、毎日、一日に確か五度、五回、アラビアのメッカに向かって、平伏して礼拝を捧げる。
 そのメッカの祈りの対象物、建築が、「カーバ神殿」であり、立派に壁面など装飾されて、御殿が建っている。
 しかし、受け取りようによっては、その、建築物に向かって拝んでいるから、「偶像崇拝」には当たらない、と彼らは皆主張するが、建築物は、立派な「モノ」である。モノ以外の、何者でもない。形を現に持った、形ある「モノ」を彼らは、実際にも拝んでいる。
 これを、我々は何にも、モノなんかは拝んでいない、心の中に最終預言者「マホメット」が定め教えた、「神・アラー」を思い浮かべ、拝んでいるんだとの、ウソの八百、何百万代言を言い募られても、これは、ハッキリ言って、イスラム教の弱み、自己矛盾点ではないのか?
 私は、彼らが、そんな、「偶像崇拝絶体禁止」と言った所で、この、ウソばっかり、ウソっぱちを言い、つくな、このオンツァ(福島方言)めが、と罵るのみである。
 だって、自己矛盾の最たる、教えの根幹が、こんなに曲がり狂っている宗教が、良くも今までこの時代現代まで生き延びて来て、その矛盾点を誰にも指摘されず、追及の手が為されなかったものだなと、皮肉の意味で、つくづく、感心する。

 そもそも、一神教にせよ何にせよ、最終結論としては、私ども人類、人の目の前の、この御身の前に、「神を立てた」時点で、全ての矛盾点が噴き出す、端緒、基と成ってるんだという、根本原理が、この人たち、一神教創始の、ユダヤ教も含めて、キリスト、イスラム両大宗教(現時のみに於いて)には、矛盾の根本には在るんだという、この事実を鑑み、貴方方には是非、知って頂きたい。
 自分らでは、真実の神、真の神だと認識し、それを元に無用な戦争、戦乱状態を、これら一神教共は、この何千年の間の世界史の中で、繰り広げたが、全てはこの、自分という一個の人間の目の前に「神がいる、おわす」との妄念、妄想、幻覚に満ち満ちた、「神様信仰」の限界性が、ここにある。神を立てた瞬間から、一切の矛盾が噴出した。この最初に、こんな思想を初めて考え出した地球最初の人物は、その罪の重さで、堕地獄行の所業で、今頃は、地獄の業火を浴びている真っ最中であろう。
 これは、この我が日本国の邪教「神社神道」にも立派に譬えて言えて、皆、一神教もすべて、仏教の内道宗教に対する「外道宗教」の限界性、矛盾性の属する問題点を抱えた宗教共に過ぎないのである。
 要するに、これら邪教の淫祀邪教の類が、今日の世界中を、邪師による邪義、邪法、邪道、邪説、邪淫に貪り耽り飛び付き、遊び戯れる、愚かしい、時には、自身の正当性を訴える為に怒りに燃え、愚かにもなり得る宗教、これらが、今日の世界の宗教界を席巻している姿にしか過ぎない。
 これらは、内道仏教の高度な御教えにも尚の事、尚更劣り、それらは、今申した、仏教上の大罪、貪瞋痴の三毒、貪り、いかり、おろか、の三つの大罪業を詰む、堕地獄行そのものである。これら宗教からは、早くに即刻、退去、退出、脱会、断絶、破棄、早期に諦めて、詰まりは、明らかに究めて、辞めるべきである。

 「偶像崇拝禁止」という面では、そんな教えは、日蓮正宗では何のこだわりも無く、一切禁止もしては居らぬが、しかし、日蓮正宗では、仏像は一切拝まず、「南無妙法蓮華経」の、御題目の御文字を、ただ一心になってお祈りする。対象物は、板であったり、紙幅ではあるのだが、一切は、そこに書かれた御文字を拝むのであり、正に我らこそ、それら、一神教で説く所の、「偶像崇拝禁止」の教説にもかなう宗教宗派なのではないのか。勿論、そんな拘りは、一切、日蓮正宗では最初から説かないが。
 勿論、日蓮正宗も、イスラム教に負けぬほど、頑なで、厳格である。ハリガネ宗の別名が、我が宗である。
 
 というような事共を朝のお寺での、朝勤行の後に、これ以下に、極、簡素、簡単明瞭に御住職様へ、自身が考える所を短めにこの文章よりも、あっさりとして簡潔に述べると、御住職様は、「だから、それら、キリスト・イスラムなんてのは、最初っから間違っている。誰が考えたって、おかしいものはおかしいんだから、○○君も、良ーく判ったんだから、これから折伏してもいいし、とにかく、最初から間違った教えなんだからそれらの教えは。囚われる必要も、全く無く、我ら日蓮正宗は、もっと大きな気持ち、構えで、臨んだらいい。」と仰られた。

 御住職様を呼び止めて、そんなに長い時では無かったが、一応、奥の間に向かおうとする御住職様の貴重な御時間を私などの為に、勿体なくも、私はひとくさり、自論をぶち上げ、申し上げた結果、五分や十分、御住職様を呼び止め待たせてしまったのは事実なので、その場で自身の非礼を丁重に詫びつつ、改めて御住職様には自身が受けた感謝の意と、帰り際の御挨拶を交わして、その場を後にして、お寺の玄関を出て、駐車場に止めてある、自身のお気に入りの、わざわざお寺の近所の、個人自転車バイク店、林サイクルで購入した、大事な高価なブリヂストンの内転式三段式ギア自転車にまたがり、又もや、今度は我が家へと一気に一直線に帰路に向かう、私なのであった。

 今日は、今日も、良い一日と成りそうな予感に包まれている。今日という日を寿ぎたい。実にいい気分、いい一日だ。

 以上。よしなに。wainai

「エホバの証人(ものみの塔)」に対して弁護団結成・私の日蓮正宗への心伏随従の決意・決起

2023-02-27 08:12:43 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
以下、長文失礼。

「エホバの証人」めぐり弁護団結成 「抑圧されている信者救いたい」
2/27(月) 5:00配信
1052コメント1052件
自身の経験を語る現役信者の男性=2023年2月下旬、東京都内、田中紳顕撮影
 親による信仰の強制や、信仰を背景とする虐待など「宗教2世」の問題が注目される中、キリスト教系新宗教「エホバの証人」(エホバ)でも同様の問題があるとして、新たに弁護団が立ち上がった。 【写真】「誰も出てきませんように」母との布教活動で訪ねた同級生宅  弁護団の名称は「エホバの証人問題支援弁護団」。弁護士や医師、弁理士ら15人で1月15日に発足した。うち6人がエホバの元2世信者で、これまでにSNSなどを通じて、相談などに応じてきた。  これまで寄せられた相談は約100件。幼少期にムチでたたかれて信仰を強制された▽手術中などの輸血を禁止された▽布教活動のため大学進学を反対された、といった内容だという。  弁護団事務局のメンバーで、自らもエホバの2世信者だった田中広太郎弁護士によると、エホバでは脱会した人に対して、家族内でも連絡を取ることを禁じる指導をされるといい「脱会したくても家族関係を途絶えさせたくなくて、表面上だけ信者を続けざるをえず、苦しむ人も多い」という。  弁護団では今後、同様の被害を訴える信者らの相談に応じ、相談事例から教団内での実情を取りまとめる予定だ。相談内容が悪質で信者らから依頼を受けた際には、法的措置も検討するという。「教団内の実態を明らかにしつつ、抑圧されている信者や元信者らを一人でも救いたい」としている。28日に記者会見を開く予定。  エホバの証人日本支部は、2世信者らから声が上がっていることについて「組織に不満を持つ元関係者のコメントのみに基づいて、ゆがんだ報告や誤った結論が出されている。そうした意見は事実に反している」としている。(田中紳顕)      ◇ 〈エホバの証人〉キリスト教系新宗教で、正式名称は「ものみの塔聖書冊子協会」。教団ホームページによると、1870年代、米国の聖書研究者らを中心に発足した。日本支部は神奈川県海老名市にあり、国内の信者数は2022年現在で約21万人いるという。
朝日新聞社
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  • (以上、ヤフーニュースによる引用を終わる)


  • ※編集後記、(ブログ主、ブログ作者、ブログ記者、「私」による論考、論駁、論証。)
  • これだけおかしな事をやっている邪宗教共が、今の時代は問題視され、次々にこの世の批判の俎上に乗り、やり玉に挙げられる時代となった。
  • その意味では、あの去年、安倍元首相を狙撃した、山上容疑者の功績も、合わせて考えなければいけない。統一教会信奉者・自公与党政権首相という権力側に君臨し、自由民主党総裁、総理としての糞安倍の横暴に苦しんだ山上容疑者も、被害者の一人。(クソアベ政治を許さない!、おごれるアベ氏並びに、その一派、アベ政治を金輪際、断罪す!)。これら、邪宗教・統一教会、邪政治団体・自由民主党、並びに、我らが日蓮正宗に盾突き、御宗門に対して破仏法・妨害活動を盛んに行っている最中の、邪教・創価学会が支持母体、平成二年十一月十六日、無用な「謗法スピーチ」を意図的に行い、御宗門に盾突いた、名誉会長池田大作氏(今現在は、おそらく存命してはいないか、虫の息だろう、ベッドの上でのたうち回っているのか、白骨化しているのか、どちらか一方に決まっている、その時は、白骨化した池田をみすみす役所に届けなかった場合、日本の法律法令違反で、創価が罰せられる、生きていれば今年で池田は90何歳。老いさらばえた池田大作。「池田のXデーは近し!」)、現在は第六代会長原田稔氏率いる、邪教創価学会、等々の、跳梁跋扈、その支配下にある邪政治団体・公明党。これらは、巨魁、池田が作り、日本を総体革命にて、日本を支配下に置こうとした、謀略団体。巨悪の団体。虚構の、ウソつきデマ、デマゴーグ団体。巨大プロパガンダ集団。日本の圧力団体。公明創価の邪団体。
  • その他、第六十六世日達上人猊下様の時代に破門に付された、我が儘放題、放埓の限りを尽くした浅井甚兵衛、昭衛親子の、妙信講こと、冨士大石寺顕正会。その後の、その他、創価に対する、日達上人猊下の怒りを買ったが、その後、同猊下様が御遷化なさり、その後、第六十七世日顕上人が登壇し、日顕猊下の御代と成り、それに対する反発を為して、破門となった正信会。等々。
  • これらは皆、セクト・カルト教団の異流義である。ハッキリ言って、日蓮正宗以外の、その他の、日本及び世界中の、日蓮正宗以外の諸宗教共、キリストだろうがイスラムだろうが、ジャイナ教、ヒンズー教、他、どんな大宗教として君臨しようが、それらは皆、邪師による、邪義を立てた、邪道、邪法、邪智、邪教、邪宗、邪見、邪淫に耽った、邪な、悪の道に誘い込む、悪党一派、決して救われない邪宗教の教団である。数が問題ではないのである。真理は、多数より、我ら少数者の方に分がある。これが全く分からないのが、現今の創価である。その創価も、今は少子高齢化で、かなり信者を毎年、減らしに減らし続ける。そして、皆が大挙して日蓮正宗に来たるを以て、「信徒泥棒」の汚名を下す。しょうがないではないか。創価が腐った外道である以上、帰るは唯、御宗門の一宗である。
  • ただ、日蓮正宗一宗こそが、現在も過去も、将来をも、日本一国並びに、世界中を救い得るに足る、大仏法大仏教哲学を頭に頂く、素晴らしい大宗教、高等宗教の最たる、世界に冠たる、一大仏教教団、宗団、宗派の、日本が世界に指し示し、誇るべき、宗教教団、それこそが、『日蓮正宗』の全てである。
  • 『日蓮正宗』こそが、未来も現在も過去も、日本も世界も、宇宙の成り立ちをも理ことわりをも説明がちゃんと付き、説明が初めからちゃんと成り立ち、立派な宗教宗派である事は論を待たない。
  • 此の宗派を信じない者は、ハッキリ言って、バカ者、である(戸田城聖創価学会第二代会長談)。日蓮正宗こそは、日本国、世界を救う大宗教、一大仏教教団であり、太陽が、月が二つとないように、父上父君が一人しか家族家庭に居ないように(自分を生んでくれた母上母君がこの世に一人しかいないように)国の主、天皇陛下が、二人もいない、尚の事、総理大臣が一人しかいないように、この世に、真実の教えは、一つしか有り得ない。当たり前の話だ。当たり前田のクラッカーだ(私も古い人間ですねえ。これが判る人は、昭和の、相当古い人である。)。その一仏乗の、唯一最高の成仏の御教えは、法華経、妙法蓮華経にしか有り得ず、それを解き明かしたのが、この東方の小国、大島国の、日本国に御出現遊ばされた、『末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様』お一人しか有り得ず、その御真筆の、大聖人様御自身、この世に最後に残された、唯一の、正統を名乗るに相応しい、御自らの御魂魄を遺されたのが、鎌倉時代・弘安二年十月十二日御建立の、一閻浮提総与の、『三大秘法の本門戒壇の大御本尊様』であらせられる。それを、開山上人・第二祖日興上人以下、日目、日道以下、代々の猊下様に血脈相承され、一器から一器に聖水漏れ余すことなく移してゆくが如くに、法水写瓶、法灯連綿たる、唯授一人の、御法主上人猊下様を戴く、我ら誉れ高き日蓮正宗の極意極理極説。これを、この事実を、この全てを、汝らは信じるか?いざ、その、今までの謗法の教えを捨てて、この立派な信心を見事まるごと確信、獲得して、信じるか?否か。応とし、良しとするならば、今日からは立派な、正宗信徒の一人と成れる資格はある。
  • けれども、これには、実際に、正宗寺院(お寺)にて、「御授誡」「勧誡」等の儀式を経なければならない。この儀式を済ませないならば「一人信心」となってしまう。それ程に、戒を受けると言う事は、大事中の大事なのである。鎌倉時代、大聖人様御自身御命名の、「法華講」に入講しなければいけない。日蓮正宗法華講に入って、これで初めて、大聖人門下となった証し、証明となる。
  • そうなれば、しめたものである。あとは、講中の、諸先輩方、御同輩、御後輩の皆皆様に付き従い、その人間関係の中で、大いに揉まれて、幸せへの直道を、驀進し、突き進むのである。この道以外に、幸せになる方法など、世界広しと云えども、どこにもない。全くない。
  • それには、どうしても、朝夕の、勤行唱題、詰まりは、法華経読誦、御題目の唱題、そして、自行化他に亘る、他への折伏行、これさえやっていれば、魔に囚われ、魔の奴隷になる事など有り得ない。
  • 魔は仏様に勝てない、とは、第六十八世日如御法主上人猊下様が繰り返し、御述べに成られて居られる事柄、案件、実際上の、証拠である。そもそも魔は、仏様の前では無力だ。仏様と魔との果てしもない、限り無い争闘の中で、魔は負ける運命にある。最後は、セオリー通り、仏様が必ず勝つ。そういう風に、この世は成り立ち出来上がっている。この世は、正に、仏様と共同で今現在も、我らの様な、一般大衆、五濁悪世の世の中での、末法の荒凡夫達をも住まう、穢土の土地、国土である。
  • これを、仏国土建設に、代えてしまおうと言い、実際、実践するのが、我ら、日蓮正宗信徒僧俗一同の、願い、眼目、目論見であり、現在、実際に行動に皆、移している。皆、東奔西走して、それはその運動は、日本のみではなく、世界中にも及んでいる。
  • その一端が、利他行の、破権門理の、自行化他に亘る、折伏行に他ならない。
  • 如何に邪宗教が、それに少しでも触れた者共が、怖ろしい所業に苛まれ苦しむか。それが判らずに、毒の皿を飲み干している者共が、実に実際にこの世には多い。
  • それを、現御法主日如上人猊下様は、「邪宗邪教の、塗炭の苦しみに喘ぐ民衆、一般大衆を救い切る」と言い、仰られ、慈悲の御言葉を以ってして、ご教導遊ばされて居られる真っ最中であらせられるが、誰も、誰一人として、聞く耳を持つ者など、いないではないか。
  • しかし、覚った者は、我が宗内では、年々数を増して、増え続けている。
  • コロナ禍で、総本山富士大石寺へは、御参詣が叶わなかったが、令和三年の、御本仏宗祖日蓮大聖人御生誕八百年・法華講員八十万人体勢構築、は見事成った。今は宗外では忘れ去られているが、この、コロナ禍の渦中で出来なかったお祝い行事が、おそらく今年は、コロナ禍明けの中、盛大に行われる手筈になっている。今年から、総本山富士大石寺は、又、大賑わいの寺域となり、その威光は、尚、増すであろう。
  • 今現在の我が宗、日蓮正宗の隆盛を極めた、飛ぶ鳥を落とす勢いの、一大仏教教団としての、日本一国広宣流布、世界広宣流布への、法華講員僧俗一同の並々ならぬ情熱たるや、物凄いものがある。これをバカにしている、創価、顕正、正信等の、そいつらの方が、本当のバカ共の、正にそいつらの汚い、汚辱の心根の、実際上、真にやつらの心胆を寒からしめる為、動執生疑を起こさせるべく、その端緒となるべく、私も、自行化他行、破権門理の折伏行に、今こそ邁進し、「舎利弗にあらねども、立ちて踊りぬべし」(大悪大善御書、新編御書七九六頁)との、大聖人様の弟子として恥じぬ行いを為して致して、冥の照覧に預かり、この世の大道を大股歩きで闊歩して、正にこの世の人生の大舞台に於いて、立って踊り出ださんばかりに、雄々しく私は人生の大道を闊歩して歩いてゆきたい。

 以上。よしなに。wainai

【キリスト教、イエスキリスト、の実際・実態の現実の模様】<物語風>

2023-02-26 09:52:04 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教

【キリスト教、イエスキリスト、の実際・実態の現実の模様】{牢獄イエスの独り言}

結局、キリストでは、人は救えない、救われない、ただのこの世の地上の疫病神だったのだ。
このイエスキリスト氏、この世から旅立って、亡霊と成って、反省して、この世に一端、戻ってみると、
当初とは、自身が考えた宗教?とは異質の教団ばかりが、カトリックも東方正教会も、プロテスタントも、人間達共が、皆が皆、勝手にこしらえ作り挙げたものとして彼の目には映った。

宗教群の、余りの隆盛に、自身戸惑い、驚いてしまっている。
百禍繚乱、邪教が、淫祀邪教が、いつの間にか、
この世に溢れて居るのを見て、驚き嘆いて言った。
「何だ、この有様は。私はただ、大見得切って、女とも、あの頃は若かったから、娘たちとも大っぴらに付き合いたくって、宗教指導者をやっていたし、
実際、危ない恋の火遊びもしていた。あの頃はモテたからなあ。
私も、実際上、女泣かせだったんだよ、私は、色男でねえ。

大酒も飲みたくって、弟子に酒を買いにも行かせたっけなあ。

私は何にも、死ぬにあたっては、言う事も無かったが、
自業自得だと思ったねえ。
あの、反省点は、エルサレムの神殿で、
商人たちの物売りの、
鳩売りだとか、動物を売って居たり、とか、
料理を作って売っている、その他、
何でもモノを売って生計を立てていた人々に、
私は、何も知らない門外漢なのに、
そこで商売している方々を、何だかんだと言って、言い立てて
追い出しを図ってしまった。
あの後、官憲に目を付けられ、時の王、ローマ帝国側に裁かれ、
私は十字架と言われる、あの刑具によって、
磔(はりつけ)にされた。

でも、皆、いま世界中の、私を信じる、と称する人々は、
皆、私が全人類の罪を贖って、贖罪して、
罪を償い、罪がこの世から消えた、なーんて言ってるよねえ。
私、イエスは、ちゃんちゃら可笑しいんですよ。
今だに、罪はこの世に厳然とあるではないですか?
私は、一切、罪など償う力など、無かったんですよ。
私は、非力な存在です。それ以上でも以下でもない。
あれは、私の、ローマに対する、反逆罪で、治安を乱した罪で、
私は、十字架刑となった。それは苦しかったよ。
腕やら足、胴体にまで、鉄の釘をぶっ刺されて、ねえ。

でも、これも、インドからも当時、仏典、仏教的な教えは、
あの、イスラエル、エルサレムの土地にも、
この外道の教えの場所にも、実際は、教えが伝え広まっていたのも、
事実なんだ。インドからも、イスラエルは比較的近距離でねえ。
私はその仏教経典の中の、例えの部分を、良いと思う所を、
私の指導の教えに取り入れて、
あのーそのー、かすめ取って…、否、もう云うのは止めよう。

とにかく、今日の世界の、キリスト?私が?
何をバカなことをいってるんですか!
私は一介の、あの当時の、一人の、ユダヤ教徒でしたよ。
ユダヤ人でもあり、まあ、体よく言えば、
ユダヤ教改革派、その一分にしか、過ぎなかった訳ですよ。

それを、弟子共は、何を勘違いしたのか?
勝手な事ばかりしおって、世界宗教化しちゃった。

私が救いたかったのは、
純粋な、ユダヤ人だけが私の対象だったの!

私は、あの世からこの世を見ていて、
ただ、笑っていましたよ。
私の、ユダヤ改革派教団が、ユダヤを抜け出して、
世界宗教に成っちゃった。

あの、私と会った事もない、一度も無い、全くない、
幻覚で、幻を見て会ったと称する、「パウロ」。
彼、コヤツが、痴れ者、物事、ここまで私の死後を、
私を奉っているようで、寧ろ、過大評価で、
私を貶めた。この罪は大きいぞよ。

私だって、平和を、祖国ユダヤの平和を望んだが、
あの男のせいで、戦火が世界中に、拡がって行った。
私の名の故に。私は知りませんよ、
勝手に神にまで、神の子まで持ち上げて、
奉った張本人が、あのパウロ。あいつが一番、悪い男だ。

それと、皆、聖書に、奇跡だ何だと、嘘っぱち
そういった、作為を、その当時の、聖書作家たちは、
やっちゃった。今では誰も、それを覆せない。

私は、ものも言えずに、それらを見詰めているだけ。
だって、私は、神でも、神の子でも、何でも
なかったもの。それ以上ではないんですよ。私は。
それ以下の、ユダヤ国民の、一般人にしか、過ぎない訳ですよ。

それを、私の名を冠して、「主イエス・キリスト」とか言っちゃって。
皆、どうかしてますぜ。

母マリヤも、今はもう、どこにもいないけれど、
別に、聖母でも何でも無かったですよ。
普通のおふくろだ。それが不倫して、私が生まれただけでしたよ。
皆の、皆が皆、幻想、幻覚の類なんですよ。

結局、私、イエスの教え、と称するものが、当時、
ヨーロッパを中心に広まり、拡汎してゆくんだが、
皆、妄想の類ばかりなんですよ!
何一つ、真実、事実でないものを、
額面通りに受け取った人々が、教えと称して広めて、
その結果が、
欧米の十字軍、魔女狩り、宗教裁判、宗教戦争、となってしまい、
私こと、イエスは、本当に、困り果てて居りましたよ。
  
ですから、今広まっている、教えの大多数は、
ハッキリ言って、私の意図した教えではありません。

今広まっている教えは、
私の場合、今のは、当時の教えの十分の一を、何十倍にも押し広げて、
脚色した、劇的に、太らせ誇大妄想の類の教えに仕立て上げた、
その原因が、私の全然弟子でもなかった、あの空想家「パウロ」でした。

あ奴は、私と会いもしないのに、一人妄想力を燃やして、
私の教えと称して、かなり当初とは違う指導に、私の言った事も、
解釈を大分変えて、変化変色を加えて、まるっきり別の教えにしちゃった。

それが、その時代の欧州の、世の王、世の貴族、世の民衆に受け入れられて、
私は心外でしたよ。私の、ただ単に、ユダヤの教えを改革する当初の目的とは、
全く違った教えに変えちゃった。詐欺ですよ、サギ。
詐欺以外の何物でもない。

これが、今、世界最大の宗教、と言われる、私の名前を冠した、宗教宗派の実態ですよ。イエス教なんだか、パウロ教なんだか、全く訳が判らん。私は、全く、満足はしてはおりませんぞよ。誰が、こんな世界にしてしまったのか?皆、勝手な振る舞いをして増長を重ねた、我が弟子達。それを指導したのは、この私。私も、思わせぶりで、悪かったんだのう。けれども、今の、その当時の弟子達のやって来た事は、ありゃ、やり過ぎだ。

死人に口なしとは、まさにこの事だ。

私の名の為に、戦争が起こったりして、命をなくした方々には、謝っても許されないが、一応謝りたい。すまん。

結局、父なる神も子なるキリストも、聖霊とかも含めて、を、三位一体とか言うのも、皆人間達が想像力で産み出した誇大妄想の産物に過ぎない。
これを強調して、この私こと、イエスの、反省の弁を、申し上げた。本当に、お騒がせして、済まなかった。私を信ずる、という一部の者共の、身勝手な行為行動を、違うんだよ、私は、勝手に人間共に祭り上げられただけの、むしろ被害者だと、この世の中の、神父牧師共を、私の手で責めるしかないですねえ。

それと、私は決して、主などではないと。救世主じゃないよ私は。それは私は全く違う。私には、この世を救う力などどこにもない。だから、非力・無力な私だ、というのだ。

私、こと、イエスは、無実だあー。この地獄の檻から、今すぐ早くに、出してくれよう!ねえってばあ!!お願いだからさー!正像正法時代のお釈迦様、濁悪悪世混濁の世の中、末法の御本仏日蓮大聖人様、大御本尊様!という、この世の誰もが認める権威、真実に、わたくしイエスは、それらを認め、平(ひれ)伏す事を誓い奉ります!一刻も早い、天のご加護と、仏のご加護、諸天善神のご加護、即ち、仏天のご加護、全ての民衆に、今までの、私並びに我が弟子共の、無礼不躾なる諸行為を、皆を代表して、諸の民、諸々の大陸、海の世界を惑わせてしまった、無為の殺戮、無為の諸文化文明を打ち壊しめた、このわたくしめの、深い深い罪業を、今、ここに、謝罪させて頂きます。全ては嘘、虚構、フィクションの産物であったと、ここに認め、皆の前で、謝ります。御免なさい。実に失礼をしました。
ですから、この私を、地獄、この場合、無間地獄に堕ちてからというもの、もう、二千年間に及びまする。ここから、早くに、私を、出して頂けないでしょうか?
もう、我が弟子、そんな、この世のありとあらゆる私の名による犯罪など、もうどうだって良い。私は確かに、あの二千年前の、ユダヤ、イスラエルの、首都エルサレムにて、あの不当な当時の裁判にて、十字架刑となった。その恨みを晴らさんが為に、あの弟子たちがやった事は、立派じゃないか、ええっ。その後は、私は自分の教団が、四分五裂するも、今じゃあ、一大世界宗教だ。やったじゃん。どうだ。俺スゴい!俺、最高!これだから、宗教稼業は辞められない。凄いうまい、美味しい商売!
けれども、私自身は、今は地獄の業火の牢獄の中。これを打開するには、どうしたらよいのでしょうか?仏様よ。お教えください。
何!?、その方、今までの、私の弟子達の罪は大きく、重い。その罪業の罪許されるまでは、ほぼ一生、この地球誕生以来、四十六億年、そのまた、この星の寿命の、あと五十億年は、最低でも、この地獄に貴方はいなければならない、だと!
そんな無慈悲な。そんなけったいなことってあるのか!私は神だぞよ!神の子キリストだ!目覚めよ、人類!そんな呼ばれ方をする自分が、何にも権力一つモテずに、今ではこの地獄の牢獄住まいなんて、皆が知ったら、どういう騒ぎになる事か。
こうなったら、どんどん、この地獄から愛をこめて、テレパシーでも超能力でも何でも使って、「魔の通力」で。それを聖霊様と呼んでも良いが、聖霊を使っていると称して、私の賛同者、私のシンパ、キリスト信者をこれからもせっせせっせと産み出してやって見せてやる。今に見てみい、あ、あー、又、血の海、八熱地獄タイムじゃあ、もう、やってられないわ~、!!!!!!!うああーっつ!もう、辞めて―、辞めたい、この人生!」
(地獄の底に沈む、この世の巷では、救世主・キリストと呼ばれし者、イエス自身の醜い姿をここに見よ。)
終。完。The End. Fin.フィナーレ。大団円。終幕。結句。結末。結び言葉。結詞。お開き。


(この文章の作者、著者、ブログ記者、ブログ主、私ことwainai123753、ここに書き記し表す。全てはイマジネーション、インスパイアされた、作・考案文章群。
2023年令和五年二月二十七日月曜日午後十二時半、最終脱稿、決定文書、結実文章。書き終わる。この後は、ゆっくり、遅い朝食、である。)



終わり。以上。よしなに。wainai




 
以上。よしなに。wainai



  • #旧約新約聖書全一巻完読
  • #カトリック郡山虎丸教会
  • #母の直観力・キリスト教会って非常に気持ち悪い
  • #働かざる者食うべからず
  • #暗い性格と決めつけ言われる
  • #日本バプテスト連盟
  • #献金集めが汚く派手なキリスト教各派
  • #お賽銭じゃねえんだぞ!
  • #日本イエスキリスト教団
  • #日本FEBC
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※この記事は、私のブログオリジナル記事、「私のキリスト教遍歴 ※長文失礼」により、抜き出し転載されたものです。その他、今回、多く、アレンジ、創作も含め、多数に及ぶ。いちいち、それらを比較論証するのも面倒である。面倒くさがりの、私である。私なりに書ききった書き下ろしたと、気の済むまで書いたと思っている。今は、悟りに似た、個人的には、法華経、妙法蓮華経の「禅」「禅定」の心境である。要するに、心が平安である、と言う事だ。

以下、URL
以上。よしなに。wainai



私の拙い文章に、ここまでお付き合い頂き、誠に有難う御座いました。読んで下さり頂いて、私は大変に嬉しいです。作者冥利に尽きます。全てを書き尽くせて、私は非常なる満足、満腹感で一杯です。

御報恩謝徳の御為に。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
wainaiより。以上よしなに。とこしえに。あまねく。すべてへ。

Let's More Chanting !

ここまで読んで下さり、まことに有難く存じます。長文失礼します。

基督教聖書を朗読。深夜の読書。滔々と、淡々と読み進めています。

2023-02-21 03:47:56 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
基督教聖書を朗読。深夜の読書。滔々と、淡々と読み進めています。
聖書も、世界文学、歴史書、としては、認めますが、これを宗教として、崇拝し、「祈る」という行為は、私には認められず、そういう「行動」、実際に拝んで信じる、という行為には、遠く、拒絶します。でも、私は、無神論者ではなく、多神教側の、仏法者としても、「諸天善神」に向かって祈り、願う者の一人として、どうしても、キリスト教は認められません。神は一人ではなく、数々の、諸天に、神々がましまします。空想話が、「キリスト教」の本質。

 以上。よしなに。wainai

by camera of Canon G9X Mark2