Kaettekita 私が思う あの事この事Return(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

昨日、寿海寺、御報恩御講にて

2018年11月12日 | 日記
 昨日、無量山寿海寺にて行われた御報恩御講に行って来た。
 Bさんに会い、話していた。Bさんは私の同級生の女子の父親で、とても若く見える方である。その時Bさんは、以前うちの家まで折伏に同行の男性と二人で来たと言う。十年位前だと言う。
 その時、うちの母が対応して、「何と言ったと思う?」とBさん。私「さあ、分かりません」。Bさん「その時、君のお母さんは、『結構です』と言われたっけなあ」と話し、私もそうでしたか、すみませんでした、と言う他はなかった。
 けれども、それだけあっけなく断っても、十数年後にはこうして同じお寺で、同じ信仰を貫いているのだから、不思議なものだ。だから、私は「強い信念、岩をも通すで、折伏を諦めちゃいけないって事ですよ」と言うと、一同、「そうだ」と同意の声が上がった。
 今、創価学会、顕正会等の異流義、その他邪宗邪教の類に悩まされ、或いはそのぬるま湯にも気付かず、塗炭の苦しみ、貴重な時間とお金と労力を無駄にしている人々が、この同じ時間、場所は違えど、沢山の数に上る。この人たちを救わないで、何が折伏育成だ、と思う。一生は長いようで短い。私たち日蓮正宗の信徒は、身を粉にして折伏行に邁進しなければ、大聖人様に恥ずかしくて御目通りも叶わない。一秒一分一時間、一寸でもその場から逃げたら、楽な方へ楽な方へ向かえば、堕地獄は目に見えている。折伏しないで、何が正宗信徒と言えるのか、と言う問題だ。
 昨日は新入信徒が三人も新たに生まれた。家族皆、長い事創価や顕正会にいて、その非を知り、晴れて勧誡式を受けられた。確実に日蓮正宗は隆昌の勢いを増し、創価等は減少、目減りする没落宗教と化していく。この潮流は誰にも止められない。これを上げ潮として、この流れに乗って、日蓮正宗という大船に乗り、確かな羅針盤を手に大海原を航海してゆき、晴れて目的の理想郷へと向かい、日々生きてゆきたい。
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キリスト教は人種差別主義的宗教

2018年11月12日 | 日記
 ある日、キリスト教の布教番組を聴いていると、その喋り手が、ピーターフランクルという人について話していた。
 彼はユダヤ人で、ヨーロッパもアメリカも、ユダヤ差別が凄かったと。唯一、日本のみが、ユダヤ人差別がなく、彼は好んでこの日本国に居を構え、東大の講師などをしているという。
 そして、何故かその喋り手は、キリスト教の手前味噌の宣伝に入っていった。
 私は思う。元々キリスト教がユダヤ差別を助長してきたのじゃないかって。
 キリスト教の聖書、特に新約聖書には口を極めてユダヤ人を差別したページがわんさかある。
 これは、親のユダヤ教を否定しないと、キリスト教の根幹の教義・教説がそもそも成り立たず、絶対不可分の関係で、特に元ユダヤ教徒と言われたパウロの説く教えが差別を助長している。
 キリスト教は、ほぼパウロ教と言われる程、パウロの教説がその大半を占める。これは否定できない。
 キリスト教では、聖書の表現において、差別用語の徹底した排除に努めてきた歴史がある。「らい病」という表現を「重い皮膚病の人」、「目しい、耳しい」と視覚聴覚障碍者を、「目の不自由な人、耳の不自由な人」と表現を改めた。しかし、人種差別、ユダヤ差別は、その教えの根幹に関わる為、変更が出来ない。
 皆、聖書を読む人たちは、イエスが十字架に架けられる場面を読む度に「主キリストは、ユダヤ人に殺された」と大なり小なり思い、ユダヤ教徒たちが頑なにキリスト教に改宗しないのも、憎しみを持って聖書を読む度ごとにユダヤ差別を増長させていく。
 このユダヤ差別は、キリスト教の成立時から、宿命のようなものであり、人種差別主義から逃れる事は出来ない。
 日本は大乗仏教の流布する国であり、そんなキリスト教思想が入り込む余地がなかった。だからユダヤ人たちにとっては別天地であり、戦時中、杉浦千畝が「日本版シンドラーのリスト」と謳われた、一外交官が恩情でナチスドイツの手から大量のユダヤ人達を一手に助けて国外逃亡に成功させたのも、偏に日本が大乗仏教国だったと言う一点にある。
 それを、朝のキリスト教番組は一切触れず、そのピーターフランクルの日本での活躍と、自身のキリスト教の都合のいい宣伝に費やすのみだったのは、誠に片手落ち、憎悪と差別の根源がキリスト教にあるのを糊塗する、茶番劇であったと言っていい。
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オウム真理教麻原教祖死刑を振り返る

2018年11月03日 | 日記
 麻原彰晃こと、松本智津夫が死刑に処せられて、数か月経つ。松本サリン事件、地下鉄サリン事件、弁護士一家殺害事件等々、数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教の教祖として頂点に立ち、犯行を指図し指揮した巨悪の根源。
 私は、麻原が死刑として処刑されるならば、信者の間で神格化が必ず起こり、キリスト教のように、死後、復活の麻原を見たとか、夢によるお告げを受けた、とかの風聞、伝説化が起こる心配をしていたが、今の所、アレフ、ひかりの輪、等の旧オウムグループに神格化といった動きはまだない。
 東京拘置所をオウムの聖地、メッカにして、遺骨を仏舎利の如く、神聖視し、新たなオウム教団の出発の日とする、とかを想定したが、それも考えすぎだったのかも知れぬ。
 兎も角、私の周りでも、麻原が死刑になった事で、一応の収束、ほっとした、という意見が多く、海外のような死刑制度反対の意見は少ない。
 根本が間違えば、全てが腐り果て、一念の狂いによりその教えが殺人教義まで辿り着くと言う証左だろう。
 未だにオウムの残党、アレフ、ひかりの輪、山田たちのグループ、等の古い教義にしがみ付き、残っている人がいる。まだ洗脳が解けていないのだろう。
 私の中学生時代、地元郡山の今はなき東北書店には、空中浮遊の写真が表紙の麻原の新刊本がうず高く書店の一角を占め、私もその麻原教祖の本を横目で睨み、当時ラジオ小僧だった私は、三宅裕司のヤングパラダイスというラジオ番組のコーナーから出た、やくざの恐怖体験を描いた「恐怖のヤッちゃん」という本をその時買った。麻原の本を通過して買わないで本当に良かった、と今では心から思う。
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来年十月、消費増税、10%へ、迫りくる経済苦への足音

2018年11月03日 | 日記
 今から憂鬱なのは、来年の10月に消費税率が10%へ引き上げられると言う事。庶民にはかなりのダメージだ。
 公明が、軽減税率を持ち出したり、首相近辺が、商品券か給付金で対応、等言ってるが、焼け石に水だ。
 軽減税率も分かりづらく、店で食べると税が高く、店から持ち出すと安い、等、あいまいな点も多い。
 景気は確実に悪くなるだろう。消費税率の増税分が、子供の教育費の無料化だけに使われるというのも納得がいかない点だ。子供にタダのエサをばら撒き食い散らかし、狂気の沙汰を、民主党政権時代の「子供手当て」を彷彿とさせる、自民の悪乗りが透けて見える。
 安倍は、憲法改悪までを視野に入れて画策している。誰も今、この時この日本で、恵まれた日本国憲法を代えたいと思う人はいないしいても少ない。憲法を代えて喜ぶ人は、カチカチの右翼か自衛隊の駐屯所に勤める限られた人のみだろう。
 大多数の国民は憲法改正など望んではいない。安倍首相のゴリ押し、一人ロマンの漂泊者となり、夢見る能天気な世間知らずのお坊ちゃんの夢想の域を出ない。悪いが安倍さん、あなたにつき合ってる暇はない。
 消費増税で、我々の老後が保証されるならまだしも、数も少ない子供の無償化の為とか、悪い冗談のよう。経済破綻、経済無視の、経済オンチの安倍首相。まだ石破さんの方が良かったかも。安倍首相の、あの陰気な疲れた顔を見るたびに、日本の今置かれた危機、危(あや)うさを思い、噛み締めている。
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御本「日蓮正宗の行事」を読了

2018年10月27日 | 日記
 本日、日蓮正宗布教叢書1「日蓮正宗の行事―やさしい解説―」を読み終わった。
 日蓮正宗の年中行事が事細かにコンパクトにまとめてあり、一年間の、正月から年の終わりまでの行事、後の二編は丑寅勤行と塔婆供養の大切さが説かれた小編が続く。
 この丑寅勤行は、私も参加したが、感動に満ちていた。日如御法主上人猊下様の読経から始まり、その引き題目の長い事長い事。二分以上唱えていた。
 この日同行した同心の方によると、引き題目で一番長かったのは日達猊下、三分間を優に超えていたとか。日顕上人猊下様は意外と短く、一分少々、と猊下様によって個人差があり、その方は丑寅勤行でいつも腕時計で時間を計っているのだとか。
 塔婆供養も大事だとこの本には説かれていて、亡くなった方々は供養を切に待ち望んでいると言う。この甚深の教えは一言で言えるものではなく、誠に深く古く神妙な言い伝えがあり、大聖人様も御書の各処で塔婆供養の大事を語っている。
 お寺で経験する年中行事は、全て総本山大石寺の仕来りに則って執り行われている。正に七百年を優に超す伝統宗教、日蓮正宗ならではの行事が詰まった御本であった。
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一時代を築いた、創価学会、という季節

2018年10月23日 | 日記
 同信の方と話した。創価学会だった時代は、今ほどお寺の行事も多くなく、お財布の出番も少なかった。池田会長の時代は、総本山へも服装がそれ程言われず、自由な時期もあったと。
 別の同心の方は、池田会長も、最初から間違っていた訳じゃなく、初めは日蓮正宗の外護に熱心で、途中からああなって間違ってしまった、と。
 少し前の僧俗指導会では、遠くから来た御僧侶の方が、もう創価学会時代の事は、綺麗さっぱり、洗い流して、忘れましょう、と仰っていた。
 考えてみると、魔性の嵐が、創価学会、池田会長の脳裏に吹き荒び、狂わせた。そう考えると、魔の一念程、コワイ物はない。
 私共一般信徒だって、一念の歪み、一念の狂いが全くないか、日ごろから気にかけ点検した方が良いのかも知れぬ。一宗教の長が、あーなってしまう程、依法不依人、法に依って人に依らず、を守らない為に、いとも簡単に狂ってしまうのだから。
 ユーチューブで、池田会長が司会を務め勝利した日蓮宗身延派との法論を聞き、何一つあやまたず、池田氏の日蓮正宗の信徒として振る舞い、日蓮正宗の教えを通す姿を聞き見て、今の創価学会では、残念ながら、大御本尊を否定した今ではこの時のような勝利は望めない。
 教学上、今の創価は身延に勝てないと思いつつ、創価の変質化、変貌、暴走していった過程は、悪の道へまっしぐらと落ちていく創価の悲劇の序章として、池田氏Xデーのその日には、後世まで語り継がれるのかとも思う。日蓮正宗一信徒としても、誠に残念だ。
 今となっては、指導会の御僧侶の言うように、創価時代は、もう忘れないといけない。あの頃は良かった、等と思う方が、魔にやられた姿なのだ。
 ただ、トラウマ、心の傷の如く、創価の古傷が痛む気がする。いけないいけない、創価の事は忘れましょう。悪い夢を見て、うなされていたのだと、忘れましょう。
 この秋は、人を悲しく切なく、ただやるせなくさせてしまう。私は、あの夏の宿題を、ちゃんとその時までに片付けたであろうか。やり残しの宿題を片付ける時の物憂げな気持ちを今、なーんか感じる。
 今現在を生き切る、燃焼して生き切る、只今臨終、常在戦場、「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」(日蓮大聖人)との御金言を胸に焼き付け、今日をひたむきに生きてゆきたい。以上
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星総合病院、キラリ☆オレンジカフェへ

2018年10月23日 | 日記
キラリ☆オレンジカフェへ参加してきました。



紅葉も深まってきました。

郡山駅。

ビッグアイとグリーンのどこでもドア。

のっぽビル。

星病院。

青空市場が開かれている。

キラリ、の会場。

コーヒー、お茶、お菓子を二百円にて楽しみました。

窓から外を見る。

朝方は青空ものぞいていましたが、昼過ぎから曇りがちになり、夕方は雨がぽつぽつ降って来ました。
今日はリハビリテーション科の長の方、心理士の女性の方、私共一般の男女三人で一つのテーブルを囲み、楽しく話しました。皆さん話し上手で、あっ晴れ、と感心しました。私は自分で、聞き上手にもなりたいと思っていますが、中々、相づちが下手なのかなあ、とも思いました。リハビリ長の方は、休みに山口県の方まで車で一日掛かりで回り、出雲大社を見てきたとの事。私は、写真で富士山を撮ったと言うと、その男性の方が、どうして富士山の方までいったの、と聞くので、私も負けずに、富士大石寺と言う、南無妙法蓮華経の大御本尊様を拝んで来たんです、と言うと、へえー、と皆さん不思議な顔をしていました。

楽しい一日が終わり、帰りの寄った場所でコーヒーを又頂き、今日の夜が眠れるか心配ですが、いつもの事ですから、ゆっくりうちで骨休めして、今はゆったりとコタツにあたっています。
別の席でY田R三さんと会い、握手して、今日は一緒に話せなかったけど、又会おうと話し、会場を後にしました。
秋は何か物悲しく、冬の冷たさがひしひしと近づくのを肌で感じ、あの暑い夏は何だったのだろうと、寂しくもあります。冬は、郡山に来て以来、余り好きじゃなく、苦手です。冬を楽しむには、何が必要なのでしょうか。暖かいお風呂、ふかした焼き芋、コタツでみかんを食べながら読む読書、後は何でしょうかねえ。
私は、季節を自分なりに楽しみたいと思いました。
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今の世は濁世なり~今日の御講にて

2018年10月14日 | 日記
『聖愚問答抄』
 「今の世は濁世なり。人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修業も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(中略)今の世をみるに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし。』
 
 本日、郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺の御講に行って来た。本日の御講の参照御書の御金言である。
 ここで、「この時は読誦・書写の修業も」とあるが、御住職様のお話だと、日蓮宗身延派は、無理やり法華経二十八品全部を長々と長い時間読み上げていると言う。
 日蓮正宗では、大聖人様が、御書で法華経方便品と寿量品とお題目に限る、との仰せをひたぶるに守り、代々受け継がれてきた。それは、真の血脈相承、法水写瓶、唯授一人の法灯連綿たる、日蓮正宗第二祖、阿闍梨日興上人様以下、代々の猊下様お一人のみに御相伝あそばされた日蓮大聖人様の御教えを現代にも受け継ぐ我ら日蓮正宗法華講の信心の中にのみ、伝わっている。伝家の宝刀、正統性、正々嫡々の仏さまの子、使いが我ら、日蓮正宗の信徒なのだ。
 この「聖愚問答抄」の話の筋は、法華経を弘通する聖人と、道理に暗い愚人が、七段にわたる問答形式で構成され、儒教・律・真言・禅・念仏などの信仰を遍歴しつつ、聖人と巡り合い、様々な質問を繰り返しながら、聖人に破折・教化され、ついに妙法に帰依する姿を描いている。
 五濁悪世の時のこの世の濁りを劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁と表し、中でも見濁の中の見取見とは、劣っているものを勝れていると見誤る。この場合、創価学会は、自らを創価学会仏と名乗り、池田本仏を唱える。未来の経典には、創価学会仏と書かれるだろうと、どこの与太者の与太話なんだろうと笑止千万極まりない。
 新興宗教教団に成り下がった池田創価学会。これからどんな珍奇で出鱈目な自身に都合の良い教えが出て来ても、誰も何も不思議じゃない。あたふたと焦り、行くところまでゆくつもりなのだろう。御勝手に、とこちらも静観を構えるのみ。
 邪教創価を生み出してしまった日蓮正宗には責任はないのか、と問われれば、破門に付した経緯から、もうとっくに縁は切れた。ただ、正宗は親の立場から、出来損ないのバカ放蕩息子の創価学会各個人会員には善導の救いの手は差し伸べて遣わしている。それ以上、どうこういう筋合いなどはない。
 日蓮教団の歴史は分派の歴史。情けないが、これだけ多種多様な人々がいるのに、自分はその任にはないのに、正統性がないのに、自分こそが正しいと我見を張った者達の分派活動に端を発する歴史。キリスト教も似ているが、元をたどればカトリックが正統なので、今はカトリック教が、教えは厳しいが最大派閥だ。
 日本の日蓮教団でも、三大秘法の本門戒壇の大御本尊を掲げて、大聖人様直系の、歴代の御法主上人猊下様を旗頭に先頭に立つ、日蓮正宗こそがこの日本国の中でも、本来ならば横綱級、チャンピオンにならなければいけない。
 「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」(「開目抄下」日蓮大聖人御書五七二頁)
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オレンジカフェ☆キラリへ

2018年10月09日 | 日記
本日もキラリ☆オレンジカフェへ行って来ました。

郡山駅。

ビッグアイ。

高架下。

星総合病院。

キラリの会場。

まずはアイスコーヒーを。

結構熱いお茶を頂く。完飲み、とでも言いましょうか。

イオンタウンにて。

ある男性の方に無理を言ってY田R三さんが講演会に出たというのでY田さんから著書を頂いた。有難く読ませて頂きます。
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「青春の門」「竜馬がゆく」第一巻を読了

2018年10月06日 | 日記
 今年の四月位から、少しずつ読み進めた、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」第一巻、五木寛之著「青春の門」第一部 筑豊篇、を先週、読み終えた。両方とも分厚い本だ。
 司馬遼太郎のは、少しずつ竜馬の成長が窺え、これからが楽しみ。青春の門は、この年でこの本はないか、遅いか、とも思うが、若い頃読み込んでいなかったので、仕方がない。今が青春とばかりに読み進めている。
 私の読書の仕方は、何冊かを、一度に少しずつ、少しずつ同時並行で読み進めていくやり方。しかし、一話完結みたいでもあり、どちらがどっち、混ぜこぜに、何の本だか判らなくなる事も無い。学校で、五教科を各時間、カリキュラムに従って少しずつ進めてゆくやり方とおんなじだ。
 日蓮大聖人の御書も、これもまた少しずつ読んでいて、只今六百ページを突破中。大聖人の著作は、多くの活字でページを目一杯うずめていて、凄い情報量だ。しかも今とは違う古文体。でも同じ日本語なので、かなり言い回しが調子よく、昔の言葉は格好がいい。独特の言葉の世界を味わっている。
 私の秋は、読書の秋です。

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台風・北海道地震に際して

2018年09月16日 | 日記
 今回の台風、北海道での地震について、お見舞い申し上げます。
 異常気象が立て続きに起こり、大地震等、この地上に起こる災難。悔やんでも悔やみきれません。
 これ以上、日本の人々が苦しみ悲しみを大きくしないよう、願ってやみません。
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キラリ☆オレンジカフェ、星総合病院編

2018年09月11日 | 日記
本日は、星総合病院で開かれた、「キラリ☆オレンジカフェ」に参加致しました。



市役所前、開成山公園を通り過ぎる。


淡々と景色は過ぎてゆく。

ブックオフ駅前店はなくなってしまった、東邦銀行と公園への横断歩道。

ここは確か、今年辺りから4号線とは言わなくなった。駅前通りとの交差する四つ角。

ビューホテル横。

でんと構える郡山駅西口。

ビッグアイは今日も変わらずにそびえ立つ。

ビッグアイの脇をゆき、のっぽビルが見える。

韓国の国花、ムクゲの花。

季節外れのひまわりの花。

いつものトンネル遊歩道。ここを抜ければ、星総合までもうすぐ。

星総合病院の看板。

早速オレンジカフェの会場となる建物前には、小さな看板セットがありました。

ガンのお話の座学を看護婦さんから聞いたのち、カフェの時間が始まりました。

まずはアイスコーヒーを頂く。

次はあったかい緑茶。200円で、この日はお飲み物と、どら焼き、お菓子が振舞われた。
この日は、86歳になられるY田R三さんが乗りに乗ってテーブル席でほとんど独演会(笑い)。老人パワーに圧倒されて、私なども、只黙って聞いて感心して、はーとかうーとか唸るのみ。凄い生命力を見せつけられた。次回、どこかで彼にあったら、老人パワーに負けずにこちらも喋り倒してやろうと誓った(笑い)。兎に角凄い元気なY田さんだった。今度は私も負けないぞ!

散会し、外に出ると、マルシェ的な青空市場は終わっていた。私も会話の後、元気をもらって勢い込んで自転車のペダルにも力が入る。

星病院を後にする。

駅前を通過。

ここは以前、丸井百貨店があった所。今は銀行と、ホテル等の雑居ビルへ。

いつものように、イオンタウンまで足を延ばし、昼食を食べ、元気もりもり、家路へと向かいました。
楽しいたのしい一日でした。今日はコーヒーをオレンジカフェ以外でも飲み過ぎてしまったので、少し興奮気味で、夜なのにちっとも眠くないです。今夜は眠れるかしら?皆様、おやすみなさい!
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創価も顕正会も、本門戒壇の大御本尊を拝せない時点で…

2018年09月10日 | 日記
 創価学会がどんなに人数が多くても、顕正会がどれ程真面目であっても、正信会がどんなに我を張って正統性を訴えても、日蓮正宗でない限り、つまり、三大秘法の本門戒壇の大御本尊を拝せない時点で、邪教であるのは確定している。
 悔しかったら、日蓮正宗に帰伏して、勧誡を受けて大御本尊様を拝しなさい、としか言いようがない。
 大御本尊様の無い宗教、と言う時点で、お里が知れる邪教である。これは動かし様のない事実だ。日蓮大聖人様の直系、正統門家でない証拠だ。それを知らなさすぎる愚かな人が多い。
 これからが本当の広宣流布の時代の訪れの端緒となる。大聖人様・猊下様の御期待に沿う為にも、御遺命・御命題の達成に余念なく取り組みたい。
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戸田先生の言葉は常にわかりやすい

2018年09月08日 | 日記
 日蓮正宗の信徒の間でも信奉者の多い、戸田城聖先生。創価学会第二代会長として、幾多の苦難の道を歩まれた。
 戸田先生のことばに、「罰は当たるものではなく、出てくるもの」がある。世の人々は「罰が当たった」と言っているケースが多いが、そんな罰の使われ方で、罰の思想そのものに嫌悪感を抱く人もいる。
 元々、「罰」とは、正しい事を守らず、身から出た錆と同じで、交通ルールを守らない人は、それに応じて事故に遭ったり、警察に捕まったりと、ルール違反をした人に必ず適応される。法律を守らないと当然、罰せられるように、それを戸田先生は「罰は出るもの」と言っていて、何とわかりやすく言いまとめたんだろうと思う。
 本当に戸田先生は、言葉、日本語の使い方がとても上手で解りやすい。どこかの名誉会長のように、回りくどく、こせこせして、癖のある下品な言葉使いはしない。
 戸田先生の偉大さが、これだけでも判るというものだ。
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創価イコールずるい、顕正会は真面目?日蓮正宗内から見たイメージ

2018年09月07日 | 日記
 ユーチューブで、樋田昌志さんの顕正会との対論を拝見していた。双方、淡々と進んでいき、最後になり、樋田さんが、ある意味、創価はこすいが顕正会の皆さんは礼儀正しく、立派で真面目な方が多い、と語っていて、最後は双方笑いに包まれ、散会となった。
 樋田さんの仰る、創価はこすい、つまりわるがしこい、ずるいが、顕正会の方々は真面目、というイメージは、私も創価出身で残念だが、認めざるを得ない。
 創価学会は、日蓮正宗の大御本尊を否定し、公式に受持の対象としない、と宣言した。それ以前にも、池田大作名誉会長が「大御本尊?あんなのはただの物だ。」等の謗法スピーチを数々ぶち上げ、物議を醸した。
 対する顕正会は、浅井昭衛会長の信者集めの当たらぬ予言のスピーチは考えものだが、遥拝勤行と言って、顕正会の会員たちは今もって、静岡県は富士大石寺に向かって、大石寺の方角を向いて必ず勤行をしている。彼らの大御本尊への恋慕の気持ちは、痛い程良く分かる。彼らも考え方を代えて、日蓮正宗に帰伏すれば、必ずや大御本尊を直に拝謁出来、しかも一座のでなく、五座三座の勤行スタイルで、本物の祈り、勤行が出来るのだが。
 これだけ、異流義と言えども、創価学会と顕正会では、本尊観が180度違う訳だから、その差が、真面目さ不真面目さ、一生懸命かいい加減か、創価はずるく、わるがしこく、こすい、となる訳だ。
 私は日蓮正宗における、創価学会出身者として創価がずるいと言われて、我が事ながら、自分自身、恥ずかしいと思う。確かに、創価学会の人は、中には、ゴロツキのような口汚く罵るような輩が多かったり、貧相で、不真面目な感じの人が多かったり、余りいいイメージはない。私もその中にいたのかと思うと、恥じ入るばかりだ。
 もっと、私も創価じゃなく、顕正会出身だったらと、考えるだけでも仕方ないが、もう少し、言葉を選んで語り、物を考え、もっと慎重な、軽はずみじゃない、少しはましだったんじゃないかとも思う。顕正会が100%正しいとは言わないし思わないが。
 私のお寺で顕正会の話題が出ると、顕正会を馬鹿にする人もいるが、あれだけ一生懸命、一途に大御本尊様に憧れ恋慕する姿を垣間見て、むしろ半分尊敬の念をもって見ている人もいる。顕正会の人で、今、日蓮正宗に入れば、その真面目さ故に、役職等で重んじられるかも知れない。
 大御本尊への姿勢如何によって、顕正会と創価学会はこれだけ差がついてしまった。創価は信心で、地獄界まで地に落ちてしまった。どうやら創価は、賞味期限切れ、終わった宗教なのかも知れない。それで創価の人達は、安心が果たして得られ、納得して、いいと自身、言い切れるのだろうか?私は疑問に思う。私は、そんな創価のような宗教は嫌だし、もうごめんだ。
 ハッキリ言って創価学会は、名前だけの、中身の無いギョウザだと思う。
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