Kaettekita 私が思う あの事この事Return(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

新編 法華講員の基礎知識、を読了

2019年03月25日 | 日記

 「法華講員育成叢書 一、新編 法華講員の基礎知識」小川只道御尊師監修、を本日、読了した。
 毎日の御本尊様への御給仕、作法、ご祈念等々が隈なく書かれた御著作。勤行の仕来り、御宝前の本来のあり方、数珠・経本について、勤行の正しいやり方、邪宗への対し方、邪宗への寄付や法事、葬式等への接し方、謗法の害毒の怖さ、総本山へ参る際の注意点、功徳の凄さ、御供養の大事、他、色んな事が書かれている。
 日蓮正宗とは何ぞや、との疑問に答えてくれる事、請け合い。発行所、暁鐘編集室。頒価三五〇円。
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美味しいお菓子、寒天根こんぶ

2019年03月20日 | グルメ

日高産根こんぶ・黒糖使用「寒天根こんぶ」。富士大石寺でこれの類似商品を買い、ファンになり、似たようなのがないものかと探していたら見つかった。近所のスーパーに売っていた。
若干、昆布の味が濃い気がするが、オブラートに包まれ、上品なお味。金城製菓という愛知県豊橋市のメーカーのゼリー。三百円と消費税。大石寺では消費税が掛からず三百円で買えたので大石寺の売店の方が得だ。こういう素朴な味が私は大好きだ。
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日蓮正宗異流義教団の源流、根源

2019年03月18日 | 日記
 うちに来ているヘルパーさんと、時々宗教の話をする。創価学会や顕正会の話になると、その方は、またもう一度一緒になれないの、と聞かれる。
 一度日蓮正宗から離れ、破門となると、なかなか難しい、と私はいつも答える。その方は、別の宗派の人なので、こんな暢気な会話となるが、江戸時代にも、異流義というものが存在した。
 「三鳥派(さんちょうは)」と「堅樹派(けんじゅは)」と言われる異流義だ。
 三鳥派は、江戸時代初期の寛永年間に、三鳥日秀が始めた。その日秀が没後、一潮日浮(いっちょうにっぷ)は、自己を日蓮大聖人に匹敵、それを超える存在として、自身を無辺行菩薩の再誕と名乗った。本尊まがいのものを書いて授与し、多額の金銭を貪った。
 邪義として、「妙法」の二字を唱え、特殊な呼吸法やら神秘的な利益を売り物にして、江戸後期に一時的に隆盛になったが、江戸幕府に目を付けられ、中心者は死罪などの禁制に遭い、江戸末期に壊滅した。
 堅樹派は、江戸時代後期、堅樹日好が起こした。日好は、「大石寺は大聖人の正統だが、折伏しないから法水が濁っている」として「我こそは大聖人、日興上人の流れをつぐ正統だ」とのたまい、さらに「御本尊は折伏を行ずる者の胸中にある」などと邪義を立て、強引に布教した。
 しかし、これまた幕府に取り締まられ、日好は投獄、三宅島、利島へ流され、在島三十八年後、罪人のまま死去した。
 その後、日報が受け継ぎ大石寺批判を続けたため、時の御法主から数々の書を著されて破折を受けた。しかし反抗し続け、最期は悪相を現じて非業の最期を遂げた。
 この悪相の臨終最期を見た弟子たちが疑問を抱き、正宗に帰依し、その信奉者たちも強力な折伏を受けて、次第に大石寺に帰依し、百数十年後の明治中頃にその流れは止まった。
 創価学会、正信会、顕正会などが昭和平成の現代の異流義だが、それ以前にもその原型の様な反逆者たちが現れては消えて行った。歴史は繰り返す。いずれも邪悪な己義を構え、慢心し、魔に魅入られ打ち負かされた情けない一部の人が内部に現れ、起こしていった。
 江戸時代の異流義、三鳥派の我は大聖人に匹敵、超克した存在だ、と言うのは、現在の創価学会の池田を崇める会員たちにも当てはまる。現創価お得意の「胸中の肉団におわす御本尊」は、堅樹派のそれと似ている。
 創価学会第二代会長戸田城聖先生は、死ぬ最期の言葉は「みんな仲良く」だった。戸田先生らしい。しかし後の三代池田は、それを守らず、その遺言も「追撃の手を緩めるな」と改ざんした。自分のその時の都合で大事な師匠の遺言まで変えてしまう池田。師敵対だ。
 私はニセ本尊をもらった時、座談会の幹部は、千里を走る馬の尻についたハエの譬えを話し、この教団、創価に付いて行けば、教団が大きいから、その恩恵を馬についたハエのように受けられる、と聞かされた。けれども皆で盲目的に集団で間違えて赤信号を渡っているような感じだった。
 魔とは、人の心のスキに付け入り易く、何と怖ろしい事だろう。日蓮系教団ほど分裂分派を重ねた宗派はない。遠くは日蓮大聖人以後の唯授一人の後継者、日興上人に嫉妬した日蓮宗身延派ほかの五老僧の時代にまでさかのぼる。人間の業の深さを感ずる次第だ。
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キリスト番組、その感想

2019年03月04日 | 日記
 日曜朝のラジオ福島でのキリスト教番組を聞いた。
 そこで話者は、原因と結果と、時間・空間・物質との三点を以って、神を論じていた。
 まずもって、話のつじつまの合わないと思ったのは、キリスト教の神のみは、何物にも作られない、原因が無い、と論ぜられた点。
 そこでそのキリスト放送伝道者は、天地を作ったのが神ならば、その神は何によって生じ、作られたのか、という当然の疑問を話し、その神のみは原因もなく、元々存在した、と平然と答えた。
 時空、物質を創造した神のみがそれを可能にするような事を仰る。キリスト教の聖書から言えば、そういう手前味噌の話なんだろうが、仏教の因果論、仏法の道理から見ていくと、それはおかしい、となる。
 道理から言っても、原因があるから結果がある。それに神のみが従えぬという論理は破綻している。神のみは例外、など因果の理法、道理から言ってもあり得ない。
 仏法の基本すら弁えぬ外道のキリスト教。宇宙の成り立ちを因果論で説明できるのは、科学と仏法だけだ。元々仏法とは、科学的な考え方であり、科学も仏教も、因果、原因と結果を重視する点で矛盾せず、それだけ仏教が科学に基づいた教えなのだ。
 キリスト教の様な、人の前に神を立て、七日間で天地万物を作った、しかも今から六千年前に、などと説くイカサマ宗教に誑かされ、騙される人が増えないことを祈るのみだ。
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創価に蝕まれる私達-森鴎外の孫の医師の在宅医療のテレビを見て

2019年02月25日 | 日記
 日蓮正宗からその教義の全てを持ち出し、張りぼて教学の創価学会。創価学会独立の陰に日蓮正宗あり。日蓮正宗がなければ創価も無かった。
 創価学会に以前所属していても、今は日蓮正宗へと改宗した人は多い。日蓮正宗と別れたばかりの時は、顕正会もそうだったが、結構日蓮正宗色を残していたが、今の創価はあの頃とは似るべくもない、全くの異教、邪教と化した。
 昭和の御宗門との僧俗一致の穏やかな時期を知っている創価の人は、今は少ないのか、戦後生まれ、平成生まれ、近年の謗法化路線の時代の人ばかりなのかも知れない。私にニセ本尊を持たせて折伏した気になっていた同じホテル勤務の先輩も、日顕上人猊下の御本尊をやめてニセ本尊にした平成時代に学会員になった人だった。
 私は今は正宗だが、祖母、母、子の私と、三世代の日蓮正宗創価学会員であったのであり、日蓮正宗とは全く関係ないとうそぶく今の創価学会には、ずっと疑問の種だった。本当の御教えとは、そんな二年や三年で改まる程、簡単なものじゃないはずだ。
 そこに私は創価の軽薄さ、みじめさを感ぜずには居られなかった。
 創価学会員の皆さん。自分の信じる信仰に疑問を感じませんか。今の集団に群れてただ慣れ親しんでいるばかりじゃ、いけませんぜ。もっと御自分の人生全般を、大事に真剣に考えてみませんか?

 昨日、NHK総合テレビで夜九時に放映された特別番組「大往生」を見た。森鴎外の孫で現在医師の小堀さんという八十過ぎの先生が埼玉県で病院の在宅医療をしていて、各家を回る。
 その時、盲目の娘と、その老父の家庭を訪問する。
 その家の仏壇が一瞬映り、そこに扇形の文字の書かれた小さな置物を私は見た。
 紛れもなく、「○○勝利の年」等と書かれ、赤、黄、青の三色旗がほんとに小さく書かれた創価学会からもらったと思われる置物だった。あれは毎年もらえて、私のうちにもあったからすぐ判った。しきみのようなものも見えた。
 私は他にも気付いた方がいるのではないかと思い、5チャンネルの実況板をネットで見たが、誰も気づいていないようだった。
 その掲示板では、盲目の女性とその老いた父との生活に対する心配や応援が書かれていた。
 その女性の声が声優のように清らかで耳に優しく聞こえるとかも書かれていた。
 結局、その盲目の女性は、鍋うどん等を自分で作れるようになり、老父に振る舞い、父の最期にも立ち会う。正に大往生であった。
 この女性がその後どうなったのかはその番組では触れていないので判らない。老父は、盲目の娘が可哀想で、娘を家で見守っていたが、自分が娘に介護される身となった。この親子の生き様は、涙を誘った。
 この一家が、本当に創価学会の人かは判らないが、この老父と五十を過ぎた娘さんの年齢からして、日蓮正宗時代の人かも知れぬ。この人達も、何も判らず創価に居続けたのかも知れぬ。
 チカゾウさんと広美さんというこの親子を見ていて、その育ちの良さに感心し安堵しながら、大往生にも安心しながら、ここにも創価の被害者がいた、との思いを私は禁じ得なかった。
 創価学会という宗教は、何も知らず判らない多くの人々を嘘で平気で騙し、どこへ連れて行こうとしているのか。まるで、ハーメルンの笛吹きと言う、子供の集団失跡事件を彷彿とさせるような、現代悲劇だと思う。
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罪作りなキリスト教番組

2019年02月22日 | 日記
 夜、私は小さなラジオで小一時間、ラジオ番組を聞いてから寝る。
 そこで聞く番組は、ニュースからバラエティー、他、多種にわたる。
 時々、キリスト教番組をやっていると、聞いてしまう時がある。

 私のお寺の同信の信徒の方は、そういう他教、この場合キリスト教などの邪教の番組を聞く場合、批判精神で、反論、対論のつもりで聞くならありだが、洗脳され、同化、信じてしまう位ならば聞くな、というスタンスだ。それを持論に、私にも批判して聞いてる?と良く聞かれる。
 しかし、夜の眠い時間帯のラジオ番組は、得てして睡眠薬替わり、子守歌替わり、白河夜船で、とても批判ばかりやっていられない。こういう時は、キリスト教などの宗教番組は、本当に聞かないに限る。
 しかし、他の番組が詰まらないと聞いてしまう時がある。この間など、その番組で賛美歌が流れ、その歌が朝まで私の脳裏を占めていた。完全な洗脳だ。
 あぶない。これがキリスト教宣教洗脳の手なのだ。この歌や人の気を誘う気さくな話などで騙される人の何と多い事か。私も気を付けないと謗法与同となり、自身の信仰も踏みにじりかねない。
 あの手この手で人を邪教の世界へ誘う。宗教批判の原理、日蓮大聖人の五重の相対で外道のキリスト教は完璧に論破されている。キリスト教は、天国思想などで、浄土教の念仏宗にも相似通う所がある。日蓮正宗には、文証・理証・現証の上からもキリスト教は完膚なきまでに破られる。あのカトリックなどでの十字架上のキリスト像、古今の美術絵画作家達の描いたはりつけのキリスト像は、まさしく貧乏神、疫病神そのものの気持ち悪さ、趣味の悪さ、得体の知れなさだが、この東土、極東の果ての日本の小島にまで来て布教に励むキリスト教、その熱心さには感心し、敬意も払うが、少し迷惑な感じも受ける。
 つくづくメディアリテラシー、批評・批判精神が、宗教番組には必要だと痛感した次第だ。
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手接ぎの師、末寺を持たなかった創価の過ち

2019年02月22日 | 日記
 知る人ぞ知る、創価学会には、手接ぎの師、直接関わる末寺を持たなかった。これが、後の大謗法化路線の基となった。
 あの第二代戸田城聖先生ですら、あなたの所属寺院は、と聞かれれば、富士大石寺、と答えると言い、本当の戸田牧口会長の手接ぎの師のいた確か、東京常泉寺とは名乗られなかった。以来、創価は、末寺、手接ぎの師を持たない邪教として、今日に至る。
 顕正会ですら、所属寺院は浅井会長親子の偏見と奇行と我がままで二転三転してコロコロ変わり、最終的には時の御法主上人の計らいで墨田区妙縁寺になったようだが、この顕正会も、何度も末寺を代えるのは、日蓮正宗としては異例異常な状態だった。(創価、顕正会共に、後に宗門から破門処分。)
 しかし、顕正会ですら末寺・手接ぎの師を持っていたのは特筆に値する。その後の教義は顕正会の方が創価よりも日蓮正宗色が強く、創価は完全に池田教となってしまった。
 創価は今では大御本尊も見限り、独自に本尊も執行部が選定できるとする。完全な邪義を構える邪教だ。
 本来ならば、創価学会が東京都知事に宗教法人格取得を願い出た時の日蓮正宗宗門と交わした約束、三大義務の一つ、「信徒は日蓮正宗末寺に必ず所属させる事」の一項を、会長も、団体としての学会も守らねばならなかったはずだ。創価はこの点、姑息であった。後の反逆独立路線を、この時から芽として残していたのだ。
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キリスト教も人が作った宗教でしょう

2019年02月11日 | 日記
 よく、キリスト教の人達は、私達の宗教は神が作った宗教、教え。その他の宗教は人が作った宗教、と単純に二つに分け隔てる。それが彼らの言い分だ。
 しかし、よく考えれば判る事だが、彼らのキリスト教だって、人が作った宗教でしょう?違いますか。
 聖書は神の霊感で書かれた?それは神懸かりになった異常精神の人が紙とペンで書き綴った、人造宗教、キリスト教の誕生でしょう。
 聖書は神の言葉なんかじゃない。聖書は人の言葉だ。人が書いた物を、人を神に祭り上げた物だ。
 キリスト教も、決して神が直接作り上げた教えじゃない。人が作ったのだ。
 イエスもただの人間。実際は、死海文書等では、イエスの様な教団が他にもその地に幾つもあり、その当時何人もイエスのような指導者がいたと。それらの宗教家の言説の数々を束ねて一つの書物に仕立てたのが、新約聖書であると。
 そういう嘘、この場合、神が作った宗教だ、などと騙すから、道理に合わず、世界史、欧米の歴史では宗教戦争、魔女狩り、十字軍、宗教裁判、等々の狂った実態に溢れる世の中にキリスト教は向かわしめたのだ。
 所詮、キリスト教も人が作った宗教。人の手垢にまみれた邪教。この世の中の宗教で、人が宗教を作らずして、誰が作るのか。そう言った詭弁、ペテン、詐欺に騙しを加え、キリスト教は人心を乱し、狂乱の教えで今日も世界中で人々をあざむく。その罪は深く重く大きい。キリスト教徒よ、その大罪を思い知れ!
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立憲民主党と日本共産党の連合政府を夢見る~自公一凶を禁ぜんには

2019年02月11日 | 日記
(-以下引用)
首相の民主政権「悪夢」発言、枝野氏反論「自殺者が…」
2019/02/11 18:00

立憲民主党の枝野幸男代表
(朝日新聞)
 ■立憲民主党・枝野幸男代表(発言録)
 安倍さんは6年も7年も前のことを取り上げて(民主党政権を)「悪夢のようだ」とおっしゃったそうだが、あのとき利権を手放してしまった彼らにとっては悪夢のような時期だったかもしれない。しかし、あの時代は自殺者の数が減るなどよくなった部分も多々ある。
 現実にいま、足元で起きていることは何か。一部の限られた人たちだけは、アベノミクスと称するものの恩恵を受けているが、多くの普通の暮らしをしている国民にとってはどんどん暮らしが厳しくなり、老後や子育てなどの不安が大きくなっている。悪い夢ではなくて、現実が悪くなっているのがいまの現状だ。
 (衆院)解散を打っていただけるなら、しっかりと受けて立つ決意だ。いつあちらが我慢しきれなくなって解散を打って出ても、我々が大きく躍進して、日本の政治の流れを大きく変えられるようにやっていきたい。(党地方幹部を交えた会合でのあいさつで)
(引用終わり)

 安倍首相は静かなる独裁者だ。自民党自体が独裁政党だ。それにコバンザメのような、二股膏薬のような、下駄に雪の池田大作私党のイエスマン公明党が加わり、この国の政治を駄目にし、劣化、疲弊させている。これ以上、この自公二党に任せ続けていいのか。良い訳がない。
 枝野さんも、はっきりと、我々立憲民主党が次の政権を担います、位の事をぶち上げた方が良い。枝野さんの性格がクリーンで優しすぎるのだろうが、時には大言壮語も必要で、勇猛果敢に時の与党に立ち向かわなければ。
 まだ実績がないから、は言い訳にはならない。立憲民主党の前身の民主党で政権政党を担った経験・実績があるではないか。
 その時には、詰まらぬ党利党略、村八分の排除の論理を無くして、是非とも日本共産党ともタッグを組み、共に手を携え、野党連合政府を築き上げて欲しい。一人でも多くの士を集め加え、野党大連合の一大潮流へと仕向けていって欲しい。これが、今年一番の夢だ。
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迷う折伏。あの人を破折して、果たして…

2019年02月09日 | 日記
 うちに週三回の内、一回来てもらっているヘルパーさんが、実はキリスト教徒だと判った。
 私は、相手の宗教宗派を知る為に、自分の知恵で、「あなたは今年、初詣に行きましたか?」と聞くことにしている。
 それで相手の反応を見る。初詣に行けば、神社仏閣を含む信徒だと判る。行かなければ、同じ日蓮正宗か創価か顕正会か、キリスト教かが判る。
 そこから詳しく相手の宗旨を知る事が出来る。
 しかし、この日の方は、神社は行かない、私はクリスチャンですから、と言った。
 私は面白い事になりそうだ、と思った。なぜなら、キリスト教には私自身深くかかわり、かなり私も聖書等に詳しく親しんだからだ。
 その方の行っている教会を聞くと、何と私も通った教会だった。
 その方はその教会に一年通い、洗礼を受けたと言う。
 しかし、その後、統一教会に騙され、印鑑、壺などを買ってしまったが統一教会には入らず、又今いる教会に戻ったと言う。
 その方の辿って来た半生を聞くと、今ある神のみもとに安心して憩う姿が垣間見られ、幸せそうなヘルパーさんの横顔を見ていると、なんだかこちらも日蓮正宗を宣揚し、相手の邪義を破折しなければならない所を、大目を見て許してしまい、ただ、キリスト教の神の話をこちらも黙って聞いていた。
 キリスト教の教えは欠けた所が多く、半端で、未熟な不完全で完璧ではない宗教である。それは判るが、その人の辿った人生の一部分を聞くと、なにか憐れむような、可哀想な気がして、とても破折する気にはなれなかった。
 その宗教の術中にハマった感もあるが、キリスト教の得体の知れなさと言うか、情けを誘う気分が、これだけ全世界に教えが広まった由縁なんだろう。
 その方は、私も神社の初詣は日蓮正宗では禁じているので、行かなかったですよ、と言っても、別に日蓮正宗そのものにも関心なく、ただの日蓮宗の一派、葬式仏教、偶像崇拝、としか思わなかったと思われ、興味も示さなかった。
 この日は私の完敗である。このままでは捨て置けず、語る時は一文一句なりとも語らせたもうべし、であり、日蓮正宗の事をもっと知って頂きたいと思う。
 しかし、キリスト教も手ごわい宗教だ。キリスト教から創価学会に信仰を代えた人もいると聞いたから、キリスト教を辞め別の宗教に変わる人がいても何もおかしくはない。ただ、個人的に、その人の精神生活や実生活に影響を与える宗教を、変えてしまっていいものか、と私は相手を憐れみ、その宗教を許してしまっている。
 これは私の心の弱さ。優しいようで、邪は邪と認めず、折伏は慈悲の行為、がまだ判っていないのでしょう。
 つくづく、スマートな、相手に嫌われない、こちらに火の粉が掛からない折伏などないと、思い知りました。
 本当の折伏は、針の山を登るように苦しい、と法華講の先輩が言っていたけれど、ほんとに、折伏は難しい、でも尊い貴重な命と命のふれあいなんだと思い知りました。反省。
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今日の広布唱題会・奉仕会、聞くは仏法の初めなり

2019年02月03日 | 日記
 今日、福島県郡山市の日蓮正宗無量山寿海寺にて行われた広布唱題会・奉仕会に参加してきた。
 中でも、広布唱題会の締めくくりには、御住職様から、「猊下御言葉」と題し、日如御法主上人猊下様の新年の御指南を皆で拝した。
 「されば、大聖人様は『法華初信成仏抄』に、(中略)まさに、「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり」と仰せのように、娑婆世界の衆生は耳根(にこん)得道と申しまして、御本仏宗祖日蓮大聖人様の仏法を聞くことによって成仏得道することができるのでありますから、一人でも多くの人に大聖人様の仏法を説き聞かせることが大事なのであります。」
 と猊下様は仰っている。
 思えば一昨年、私はお寺で唱題の時、勝手に導師の御住職様や皆に合わせず大声でお題目の唱題を乱しに乱してしまった時、御住職様から直接お叱りを受けた。その時に、御住職様は、私が勝手気ままに唱えたりするのは、導師の声をちゃんと聴いていないから、仏法は聞く事から始まる、と仏教の何たるかを順々に説かれた。
 私はその時は内心、なーに、私が悪いの?何で?と聞く耳を持たず、不貞腐れたかショックで数日間、お寺をお休みしてしまった。
 しかし、その説話は、後になる程、打てば響く如く自分の心にジーンとじわじわ効いて来て、同信の方々の我が家への来訪で、私が「池田大作」、つまり増上慢に陥っている事が露わとなり、反省して又お寺にせっせと通いだしたのが二年前の事。
 本当に、仏法は聞くことに尽きる。それを慢心していた私は、自分が自分がの、何も自分に人に教えてやるものなど持ち合わせていないのに、慢心を起こし、増上慢にとらわれていた。
 自分が無駄に話すよりも人の話、目上の方のお話に、突然反論などを突っ込まずに、まずは聞く。聞く耳を持つ自分でありたいと思った。
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キリスト教一神教外道の間違った点

2019年02月02日 | 日記
 キリスト教の神は、因果の理法を弁えない神。
 物事には、原因と結果の歴然とした道理が存在する。
 キリストの神は、原因もなく、およそ六千年前にこの世を作ったとする。
 それではその神はそれ以前はどこにいたのか。何故、その神なる資格を得たのか。どこでどうしていた神かもわからず、得体のしれない神である。道理に反する。
 道理が通らぬ事ばかりのキリスト教。聖書には、処女懐胎、十字架で死刑後三日で復活、その後イエスは天へ上がり、又再臨、最後の審判時は全ての死者が墓穴から出て来て審判を受ける、等々、荒唐無稽の著述が続く。余りにも狂っている。
 キリスト教では原因が説かれず、ただ、神はいたと、その後はイエスのやりたい放題の陳腐な教え。
 もっとも、イエス以前の旧約聖書時代、ユダヤ教時代の教えは、裁きの神による怒りの形相の怖い神でイエスの新約聖書でその性質が赦す神へと変質。
 しかし、イエスの時の新約聖書を読んでも、神の恐怖の支配の感覚はそのまま受け継がれ、私は只、恐怖した。
 キリスト教では、私の心の平安は得られなかった。
 今、全世界でキリスト教、イスラム教等の一神教が幅を利かすが、人の前に神を立てる宗教は皆、神を立てた時点で、嘘と詐欺と論理の破綻を招く。これらは自己矛盾に満ちた欺瞞の教えであることは言うまでもない。
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創価の変わり身の早さ

2019年02月02日 | 日記
 今まで日蓮正宗と手を携え、協調路線を取っていた頃は、創価学会は日蓮正宗を最大限に持ち上げていた。
 ところが、自身が破門されるや、前言を撤回して、日蓮正宗を非難してきた邪宗邪義邪教の論説をそのまま用いて、同じ立場で非難する。その変わり身の早さたる事、音速ジェット機もビックリだ。
 血脈相承の否定、大御本尊の否定、御法主上人猊下への誹謗、ニセ本尊の販売など、数限りなく創価は謗法路線を極めてきた。まるで、創価の人幹部主導により全員で、集団堕地獄へのカウントダウンまっしぐらに進んでいるかのようだ。
 この謗法罪障は極めて重い。創価学会が、邪教の最たる、最悪最凶の極悪謗法団体といわれる由縁だ。
 これだけ教義をクルクルと替え、この平成になり三十余年の間に変節を繰り返した教団も珍しい。
 思えば私もこの創価に何も分からずに今まで居続けたのだと思うと、今現在の創価以下の邪教による罪障に苦しむ私にとり、この事は他人事とは言えない。
 これからもこの創価と言う宗教に騙され続ける人がいるのかと思うと、身の戦慄を感じる。
 私の場合は、聖教新聞は取っていなかったから、ネットを通じて創価による、大御本尊の否定を知り、次第に創価脱会、日蓮正宗帰依へと意思を固めて行った。
 創価も馬鹿だと思うのは、そのままの教義、路線で行けばそのまま会員も動揺せず脱会させずに済む処を、自分自身で全てを破壊して、教えを壊してきている、その稚拙さを、原田会長以下が全く存知ない事。
 私にとり、大御本尊は、私の信仰の生命線であり、一度も富士大石寺へ行ったことが無くとも、戸田先生の著作などを通して、ずっと憧れ恋慕の対象だった。日蓮正宗の御教えの一端に触れると、伝統宗教の重厚長大、かなり固い基盤の上に立った御教えであることが判る。創価の付け焼刃の教えとは正反対の御教えなのが判った。
 あの、生まれて初めて静岡県富士宮市の富士大石寺に降り立ち、奉安堂での弘安二年十月十二日の三大秘法の戒壇の大御本尊様に生きている間に拝謁出来て、男泣きに泣いて感動しきり、心を打ち震えさせた日を私は忘れない。正に、創価学会以下、正信会、顕正会他、世の邪宗邪教の出る幕の無い、真実最高の宗教が日蓮正宗なのだ、ということを心から実感した忘れられない一日となったのである。
 私の老いた母をも後日、総本山へお連れ出来たのが、私の唯一の親孝行であった。
 日蓮大聖人様のお言葉 『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。』 (『持妙法華問答抄』御書300頁)
 日蓮正宗の信仰をひたぶるに続けて強盛に信じて行けば、尚且つ自他共に勧めて幸せを分けていく人々に、今生人界の思い出となり、自身の功徳・利益になっていくことは御金言から見ても間違いない。
 創価には謗法罪障が横たわるだけで、何も御利益などなく、こちらの日蓮正宗に真実の仏法の流れがあるのが、創価の人達には何故分からないのかが私には分からない。創価など、外道宗教の只の腐れ縁だ。
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「大悪をこれば大善きたる」の大悪大善御書への訪問者が…

2019年01月30日 | 日記
 ここの所、「大悪をこれば大善きたる」の大悪大善御書への訪問者がひっきりなしに我がブログへ来ていたのだが、この大半が創価学会員だったらしい。今年一月の大白蓮華の御書講義が、この御書だったらしい。
 この記事は、特に日蓮正宗を標榜して書いた記事ではなかったが、それが私は片手落ちで残念だ。
 一般論を述べただけに過ぎず、何ら学会員への折伏にはなっていない。
 しかし、この記事から他の日蓮正宗関連の記事へもその何割かは来ているだろうから、まあ良しとしよう。
 それにしても、創価学会員にそれだけ学習熱があるなら、他の、「木絵二像の事」や、卒塔婆の大事を書いた御書、三宝のことなどをよーく自分の目で御書の他のページにも目を配って欲しい。
 そして、知ろうと知るまいと創価はそれだけで堕地獄であり、御書を最も根本として奉り、御書の字義通りに振舞っているのが日蓮正宗なのだということを新たに認識して欲しい。
 御書を極めたければ、日蓮正宗の法門を叩き、創価学会を一日も早く退会して、一緒に法華講員として末寺の御住職様と御講の日ほか、学びの時を持とうではないか。
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老健施設にて

2019年01月16日 | 日記
 昨日も今日も、母のいる老健施設へ行って来た。
 母は、一時食が細くなり、心配の種だったが、何とか持ちこたえ、やっと回復してきた。ひと安心している。
 母の席のそばに、Kさんというお年をかなり召された女性がいる。
 この女性が、面白い事に、誰をつかまえても、「先生、先生」と呼んで話をする。
 いつだったかは、私に向かっても「先生」というので困ってしまった。
 母も「先生だって」といい、職員の方も、「Kさんはみんなに先生っていうから困っちゃうわー」と言ってその場が和んだ。
 思えば、仏教で不軽菩薩という方は、あなたには仏性がある、と言って合掌礼拝崇敬して万人の前で一人一人を敬って拝んだ。のちにこれが仇となり、迫害され、命を奪われてしまった。
 このKさんも、まあ、この場合の「先生」は、自身の保身の為の処世術かも知れないが、しかし、「人生、皆、師なり」を地で行き実践する、本人はそこまで思っていないかもしれないが、誉めてもよい事だろう。
 お年寄りのいるホームは、死が迫っている世代なので、切羽詰まっているかと思いきや、さにあらず。何とも穏やかで温かい、人のぬくもりが感じられる、微笑ましい世界が広がっていた。
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