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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

物忘れ・ど忘れ川柳

2023年01月28日 18時55分20秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
「隣りの部屋 何しに来たんだふと思う」

「買い物でうちにあるもの又買った」

「本を読み 人物名に 迷いけり」

私は去年八月二十五日で、当年とって、五十。今年五十一です。
年齢が、百の、半分まで達してしまいました。
いやあ、生きるって、苦しくも、面白い。実に興味深い感じ。

今は、その、人生の醍醐味を、味わっている最中です。

以上。よしなに。wainai

「君が代」ハーモニカ演奏、歌。六分間余。YouTube動画。

2023年01月25日 07時44分49秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・カリンバ・ハーモニカ・ギター・電子ピアノキーボード
「君が代」ハーモニカ演奏、歌。六分間。YouTube動画。

今度のユーチューブは、私の、ハーモニカ演奏による、「君が代」演奏です。今度は、前回、ブルースハープ・十穴ハーモニカ・テンホールズハーモニカで失敗して、痛い目に遭ったので、今回は、日本国発明、日本国の産出のハーモニカ、「複音ハーモニカ」で、演奏した次第です。練習無しの、ぶっつけ本番です。その心意気を、見て?聞いてください。後は、例により、私による君が代の歌唱です。今上天皇陛下様、上皇様に対して、日本国民として、深く、敬慕と、臣下としての忠義忠心忠信の気持ちで、演奏し、歌って居ります。

以上。よしなに。wainai

Sound by SONY ICD-LX31

『スマホ・スマートフォン』にまつわる、楽しい、語らい。私のコメント欄による。長文失礼!その2悲しみと希望に満ちた気持ち

2023年01月22日 20時11分28秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々

.私もですねえ、…2 (wainai123753)2023-01-22 11:40:42
 私達の車は、サーっと、渋滞を通り抜け、颯爽として、車の運転は続く。私が乗ろうとしている新幹線は「あおば」だから、これを逃すと、あと一時間以上待つことになる。これは運賃が幾らであり、これに乗れば、お母さんがいる、那須塩原まで、何とかゆける、那須塩原警察署は、駅前近くに、丁度ある、といい、それすらも、その警官は、手元のスマホを軽快に用い動かし利用しつつ、私に常々、情報を提供して見せた。我々はその時、ちょうど、郡山駅前に到着した。
 その前にも、帰りは、サイフ、予算の関係で、貧しい我が家の事でもあり、鈍行、普通列車で帰る事になる、というと、それも、そこでも、警察官は夜の時刻表をスマホで丹念に調べ上げ、早ければ、夜九時、十時には、郡山駅に帰れる、とこれも、先述のスマホでの情報を颯爽と私に告げる。
 私がスマホというものに何となく憧れを懐き、偉い凄いモノが現代にはあるんだと、覚知、思い致した、これが、最初の遭遇であった。
 それから、その警察官一人はそのまま駐車場の車に残り、もう一名が、私と共に、有難い事に、郡山駅構内の、「みどりの窓口」までわざわざ一緒に来て下さり、一緒に座ってくれた。
 そして、私が切符を買い、私は食事も摂らずに、その警察官と改札口で別れ、私は最大限の最敬礼のお辞儀・お礼をその警官に申し開き、言い、礼儀を尽くして、私は大事な母への元へと、新幹線に颯爽と乗り込み、母を無事迎え、郡山へと帰って来た。
 それから数日過ぎ、当の私の姿は、当時、御前南、針生の方にあった、au大槻店にて在り、携帯を物色していたのだった。その時、私は当時から、「スマートフォン」「スマホ」が主流なのは、当時の売り場面積から言って、至極、当然であり、分かっていた。今の時代は、皆、スマホなんだなあ、という個人的な感覚・感慨があった。
 スマホを横目でにらみつつ、私は、その小さな一角にあった、昔懐かしい、ガラケーのコーナーを見かけた。何か、旧友に会ったような、懐かしさに包まれた。これだったら、母にも使えるかも、と思い、思わず店員さんを呼び止め、あのー、これが欲しいんですけれども、と言った。
 それが、この間まで(このガラケー携帯は、2023.R5/1/20PM5:00を境に、私による、スマホ契約・使用利用の為にThe End、終了。)使っていた、私の携帯の馴れ初めの謂いである。この携帯ガラケーは、結局、母は使わなかった。
 以前、二十年前までは、母は、私が私の携帯を渡すと自由自在に使い充電も自分でしていたが、この時には、もう使いこなせる余裕、自由度が失われていた。
 目も悪いんだろう。電話が鳴っても、どう操作、どこのボタンをいじって良いのか分からず、戸惑っているのを見た私は、母がいる場所が分かれば良いとさえ思いつつ、御守り代わりに、母のカバンに携帯を入れて置いて、失くさないでね、大事な携帯電話なんだよ、と言って渡した事も有る。
 また、出かけていて、母が心配になり、実際に、私がうちのいえ電で母が持っている携帯電話にかけ直しても、母は全く出ない。それからすぐに、うちに母が帰って来た。買い物している時に、いきなりベルが鳴ってビックリした、と。使い方は相変わらず、分からないと。
 だから、今度からは主に、私が使用利用する事にした。その方が、この携帯にも、携帯孝行と言うのも変だが、携帯も喜ぶだろう。携帯にも命が籠る。これは、「山川草木悉皆仏性」の仏教を習いたての、日蓮正宗の御教えにも合致しているとさえ思い及んだ。
 これは、この携帯は、その後、私達親子、それからその後は、私自身の、福祉関係の電話、お寺の関係者との電話がその大半を占めるようになる。
 それ以来、六年にわたり、使い戦って来た、フル活躍活動の、愛用のガラケー携帯であった。このガラケーも、使用世代が4Gであり、今の主流は、5Gであり、この間のauショップにても、依然とガラケー携帯が発売されていたが、その日も私の対応に当たった店員さんは、私がこれはこのガラケーはいつまで続くのか、これが終了、終わったら、私は携帯を諦め、辞めなくてはならないのか、と聞くと、店員さんは、今もまだ正確なアナウンス、発表、公表がなく、まだ私共も判らない状態、発表はこれからになる。まだ、お客様の携帯が壊れない限りに於いて、使えるんじゃないですかねえ、という。
 段々と心がしぼみ、不安になってゆく私…。これは、店側の術中に完全にハマってるんだろうと思ったが、店側では一切、この時も、スマホの宣伝、売らんかな精神を積極的に大々的に打ち出す訳でもなく、冷やかし程度で来た私には、むしろ、風来坊、ウィンドーショッピング程度の客の扱い。どうせただの冷やかし、買いもしないんだろう、この客は、と。これもにべもなく、冷たい扱い。無慈悲にも感じた。
 何か、私の中で、依然、俄然、バカにされているような、勝他の念が起こり、私だって、携帯、この場合、「スマホ」「スマートフォン」位、持てるは、持ってやるは、という、妙な自覚、自信、プライド、勝利感が自身起こり酔い痴れ、急に沸々と、バカにされた(実際その店では、私に対して、一切そんな素振りは無かったのだが)との逆上の念慮、想い、とにかく、親の仇を取るような積りで、店員さんに、スマホについて自身が納得が行くまで、ねんごろに質問攻めをして、一つ一つ、一から十まで、微に入り細に入り、丁寧に聞いて訊ねていった。
 そして、大体のアウトライン、返答を聞き、頂きもらい、実際に出来れば、明日、買いに来るかもしれない、とにかく、一日、今日、夜、ここでもらったパンフレットと首っ引きで、良ーく勉強させてもらった上で、又来店させてもらう、と捨て台詞を吐いて、言って、私は所を辞した。
 それ以来、本当に、その次の日の昼時に、その店の来店の時間予約を夕方五時に取り決め、私は三時の訪問看護を終えて、一路、au大槻ショップ目指して、いざ、鎌倉、本当に粛々としてスマホを買って帰って来てしまった。勝鬨(かちどき)の声を上げたい気分。
 正に、親の仇(かたき)を取った勝ち誇った積り・気分で今も居るのである。寧ろ、勝って儲けているのは、店側であり、買ったのがお金を使ったのが損なのか得なのかの、私。
 正に、私にとっての、生涯学習、一生勉強、人生大学・社会大学、の一環なんだな、との念慮・想いが非常に強く、さめざめとした感興が起こり、深い感慨を懐(いだ)く、今日この頃なのである。

 たかが人生、されど人生。たかが携帯、されど携帯。たかがスマホ、されど、スマホ、である。

以上。よしなに。wainai
※尚、なおともさん、この私の長文コメント、余りに超大作なので、これを、私のブログ本編本文に利活用させて頂く事を、ここにお断わりさせて頂きます。
誠に、失敬、失礼致します。
なおともさんへ。

『スマホ・スマートフォン』にまつわる、楽しい、語らい。私のコメント欄による。長文失礼!その1

2023年01月22日 11時41分30秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々

3 コメント
コメント日が  古い順  |   新しい順Unknown (naotomo3451)2023-01-21 20:31:33
スマホデビューおめでとうございます!
wainai様なら、スマホ教室必要ないと思いますよ。操作しながら全て掌握出来ると思います。


私もですねえ… (wainai123753)2023-01-22 11:21:38

 お早うございます。否、こんにちは。なおともさん。誠に、コメントお返事、お褒めの言葉(と私は受け取りますが…)誠に有難う御座います!

 スマホとは全然関係ないですが、私も実は、この本文ブログ記事でも少し取り上げた、PC、パソコンは、全く前の段階で、実際に機械の知識もない状態で、はじまったんですね。あれは1998年~2000年の頃でしたね。
それで、最初は、見様見真似、というか、パソコンに詳しい誰も友達も全く居なくて、一人独学・奮戦していた訳です。
 しかし、あの、インターネットの、自由な世界、広大な世界観には、私自身,打ちのめされましたねえ。凄い時代になったものだ、という、世界観、時代感。
 けれども、今よりかは、料金が高かった。情報量が、従量制という、丁度、電話をずっと掛けているのとおんなじタイプのしか当時から無かった。それが当時の主流、まだブロードバンド何て、夢のまた夢でした。
 だから、必ず、使用後、最初と最後は、電話通信接続を切って。断絶して、やらないと、大変な事に…。今まで、朝から晩までその時の従量制のパソコンインターネットを使用して来た請求書の最高額が、何と、五、六万円、何て言う月もありました。
 これにはうちの母もビックリ。そして当時のPCは、今の様な、動画なんて流暢な、気の利いたのなんかない。皆、静止画。動かない、ただのHP、ホームページ漁り、画像は見ることは出来ましたが、それも、見るのに、画像画面が表示されるのに非常に時間が掛かる、という状態。
 私のPCは、Windows98 SE(second edition)という、ウィンドウズのパソコンでした。デスクトップパソコンであり、テレビモニターも、大変に大きく、場所を特別に占領していました。
 当時、iMacという、五色の、可愛らしい、マックのパソコンがあり、あれには非常に憧れましたねえ。デザイン画なのと言っても良い。素晴らしい佇まいのパソコンでした。
 それから、私は、当時、2001年から栃木のホテルで働きだし、PCのプロバイダーは解約しました。その時、全てを母に託して、私は栃木に旅立ったものですから、母が、インターネット上の解約をすれば簡単なのに、郵送やらなんやら、非常に苦労した、と母から後で聞き、申し訳なかったと思いました。
 それから、二、三年でホテルも辞め、今度は、うちでビデオに撮った、当時の「冬のソナタ」に熱中しました。
 ホテル時代に、二つ折りの携帯電話、その前にも、携帯は、一本棒のような携帯を使っていましたが、その時の創価学会の栃木の知り合いから、公明党とかの宣伝、選挙投票の依頼などの、ろくな電話しか来ないので、その携帯は解約しました。それから、2017年年末の11月に、又同じ、au by KDDI、の二つ折り携帯電話、ガラケーにするために新規で改めて契約するまで、かなりの年数を携帯電話無しで過ごしました。家の電話、いえ電で事足りました。
とにかく、2003年頃の話に戻り、私は、家では自由にいました。そして、いつか、又、PC、パソコンが欲しい、という熱に浮かされ、母の車で言った店が、栃木県系列のコジマ郡山店、でした。
 そこで、私は、WindowsXP、東芝のダイナブックと言う、当時容量が80GBしかない、それでも、充分、働いてくれて、五、六年位、否、八年、十年?うちに居ましたねえ。そのパソコンは、その時代になると、ブロードバンドと言って、今までのナローバンドと違い、かなりの高速な通信網であり、当時から光回線もあったが、まだADSL回線という、極安回線も絶賛使用可能中であり、私もADSLに加入しました。それが安い。当時は、従前の、従量制などはとっくに撤廃され、今と同じ、定額制、定額使用料となったいた。
 それを知らずに、最初私は、ちゃんと接続を切って、一日を終わる事を日課としていた。容易には、昔の習慣は変わらない。
しかし、何か月経っても、使用料は一定であり、自分が自分でバカなのが判り、今は凄い時代なのだ、と実感致した。
 その間、勿論、PC、パソコン教室、雇用促進事業団、郡山高専、つまりは郡山職業訓練校などのパソコン短期講座を受けた時期もあったが、皆、それらは、ワードやエクセル等々の、文書や表計算のソフトを教える内容の講座であって、私が求めた、ネットリテラシー、インターネットの使い方等々には、当時は程遠かった。だから、私のネットの使用法、使い方は、自分義、自分流の流儀に則っているので、今の子供達、小中高大のちゃんと教育を受けて来た人からすれば、多少、非常識な、見当違いな、不躾な所も多々あるであろう。
 しかし、誰だって、多少、最初は初心者なのだ。そこに、指導者が介在するかしないか、の違いだけ。それは大きいだろうが、その一番最初の指導者はじゃあ、誰から習ったの、と言えば、まずは、やはり、1995年のインターネット元年だった、Windows95辺りの、独学、自分流の学習者が、自分なりの流儀、自分だけで始まった、事に端緒が始まっているのだと思う。元々詳しい人など居た訳じゃない。皆、独学から始まった。
 それは、学問全般にも言える。江戸時代、蘭学(オランダの学問)等々の医学や語学は、ちゃんと先生も居たろうが、最初に学んだ人は、何人か固まって学び合った人たちも居たろうが、皆、体系立って学んだ訳じゃなく、独学が基本だろう。
 それは、日本に仏教が伝来した日本史で習った時代にすら言える。当時の新羅などの、中国から朝鮮半島へ渡って来た仏教は、等々船に乗って、仏典、仏教の御経、仏像などと共に、この本土、日本国に到来する。
 その時、自然発生的に日本に於いても、僧侶団、僧伽(さんが、そうぎゃ)が出来上がる。しかし、当時も、基本は朝鮮半島からの帰化人らによる、教えを乞う事もしたであろうが、基本は自分から学ぶ、独学で有ったろうと思う。
それがお寺になり、奈良に京都に、寺社が整備されてゆき、それは、私は高校の修学旅行で観て学習して来た。
 とにかく、誰しも、手取り足取り、個人教授で教えて頂くのは理想であるが、それはあくまで理想の範疇を出ない。それは、私などには、いくらスマホ教室が無料だとしても、贅沢な、何か店側としても、確かに、無理をし、過剰なサービスの様な気がしてならない。
 やはり、本当に分からない所があればそういった、個人教授の、スマホ教室なども必要性もあろうが、今の私は、全部、今までの、PCの知識、経験、体験等々をフル活用して、充分立派に、使用、使いこなしているのであるからして、全く、教室の必要性はないのである。よっぽど困った時に、店側に聴きに行けば良いだけである。そんな事も、今の所、一切ない事が事実である。
 元々、私は、PC、パソコンを買った当初も、パソコンメーカーにTel.電話をコールセンターに掛けた事など、壊れたとか以外は、全くないと言って良い。そんなに、メーカー側とのやり取りは、今まで全くない。買ったら買いっ放しである。
 ホントはそれでも、サービス利用の面から、ダメであり、何故、あの、1998年の頃の、あの時期に、素直にPCメーカーに使い方を聴かなかったのかという疑問もある。これは、今後も、問題視してゆきたい。
 それにしても、最初の方の話題に戻るが、私のガラケーに依存、ずっとガラケー携帯を愛用、使用を、ここ何年間も利用して来た。これには訳がある。
 母がキーポイントである。話は長くなるが、話したい。
 2017年平成29年、その、このガラケーをauで契約して来た当初は、契約するその前に、母は、うちを勝手に出て行ってしまった事があり、その身勝手さ故に、地域包括支援センター、警察のお世話に当時からなって居て、私は、母が勝手に、当時、栃木の黒磯の我が家が所有する土地に、視察に電車に乗って訪れた。これが、母が徘徊、痴ほうが疑われた母の事だから、皆非常に心配した。最初、朝五時、六時ごろ、母は何にも云わずに、何食わぬ顔でパーッと家を出た。私は、昼になっても、特に朝も、母と、母の為の食事を折角用意した食事も無駄になる。そして、肝心の母は昼になっても夕方になっても帰って来ない。
 いよいよ、その夕方になってから、私もきな臭くなって、母が心配になって来た。そして、母の為に、あんしんセンター(旧称、地域包括支援センター)のお世話になって居る、OW田さんに電話で一報を入れる。その前にも、昼には地元の交番にその事を相談に行くと、今は、本署、郡山警察署まで行かないといけない、遠くて難儀だけれども、と言われて、私は昼前に郡山警察署まで八面六臂の活躍、母の写真画像を持って行った方が良い、その朝来ていた服装の特徴等々を、よく言った方が良い、というので、イチかバチか、写真を警察署に持って行った。
 そして、OW田さんもうちに結集した。しかし、OW田さんは、wainaiさんのお母さんも、今までいろんな事あったよね、本当に、としんみりと、何か、母がもうこの世にいないような素振りで話すのには、私は大いに不満であった。母は必ず、この世に存命だ必ずに、と内心、思った。
 そのうち、警察の方が、一般車にて、我が家にこちらも結集した。今、お母さんが、発見された。黒磯市内に於いて、母を確保した。それで今、那須塩原警察署にて、母があなた、息子さんの引き取りを待っている状態だ、という。
そして、OW田さんとその場で別れ、私は警察の方々二人と三人で、その警察の一般車に乗せて頂き、郡山駅前まで一直線で向かった。母の居る、那須塩原市へは、何としても、必ずや迎えに行かねばならぬ。
 そして、車中では、私は母の愚痴を言っていた。母が、すぐに、目を離すと、どこか行ってしまうのは、私が子供時代から同じで全く変わらず、私はその為に、迷子になった事さえある、私がどこかに行くんじゃない、母が勝手にもどこかに身を隠すように、消えてしまうのだ。それには私は当時から泣かされどうしだった。とにかく、母の身勝手な、興味本位に基づく、自由奔放さには、呆れる位、迷惑をこちら側、一人息子の私は被った人生、半生だった、との泣き言を、その警察の方々に私は一人訴え、語り言った。
 すると、一人の警察官が、言った。今は、その徘徊高齢者が、居なくなったら、その場所が分かる機械がある。それは、私も良くは分からないが、ある事はある。
 それと、もう一つの手は、その高齢者に、「携帯電話」を持たせると有効だ。携帯には、GPSという、位置情報が即時で分かるシステムがある。これで、その老人がどこにいるのかの、おおよその場所・位置が分かる、という。
 そして、その老人に、こちらから、電話を掛ける方法もあり、お話の疎通がお互い、出来る事にもなる。正に、一挙両得、である。だから、高齢者にとって、それは一つの安心なんじゃないでしょうか、とその警官は提案した。
 私は、でも、それって、本人が、その携帯をどこかに忘れて来たり、なくしちゃえば、そもそも、終わりなんでしょう。お母さんは、良くモノをなくすし。それに、その値段、携帯の月々の支払いも大変でしょうし、と言った。
 警察官は、まあ、失くしたら失くしたで、諦めるしかないですね、と言い、値段、支払もピンキリで、今の、流行りのスマホでは、高いのもあるが、今は大分安くなってきている。契約、月々の支払いもピンキリ。何なら、今までの、ガラケーってあるでしょ、あれなら、まだ売ってるとは思うんですが。まあ、一つの方法ですね。
 私達の車は、サーっと、渋滞を通り抜け、颯爽として、車の運転は続く。
そして、警察官は、スマート、華麗にも、その前述の、携帯電話「スマホ」を自由に持ち出し、いかにも軽やかといった風に、私に、今は夕刻であり、冬の寒い中、お母さんにも体に毒だから、これは一刻を争う。これは、「東北新幹線」で、郡山駅から、那須塩原駅まで、乗って行った方が絶対良いと敢然と勧めた。
 その時刻表、運賃まで、今の携帯、スマホでは、瞬時のうちに手に取るように調べ、検索し、何でもその場で分かってしまう。私は何か、現代の生きた、まだ見ぬ「魔法」を見て聞いている感覚だった。
 すると、先程の警察官、これから、何時何分の新幹線の列車がある、新幹線「あおば」だか..

私もいよいよ、スマホデビュー。

2023年01月21日 14時16分56秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々
 私も、何の拍子でそうなったかは分からないが、いよいよ、スマホ、スマートフォンデビューする時が来た!
 この間の、郡山市中央公会堂での「認知症サポーター講座」に出席し、その後、パン屋さん、ガトーナカヤに寄り、その後、実際には、au大槻ショップにも立ち寄っていたのである。
 そこで、最初の、その日までは、私は絶対に、お店でも、ソニーのエクスペリアが良い、と言い、思い、次の日まで引き継いでいたが、その日、訪問看護婦さんが来る前に、その日の夕方五時に私はauショップに行く事を既に店に予約していた。
 そして、看護婦さんが帰った後、一人、前の日にもらったパンフレットを見ていると、どうみても、ソニーよりも、GoogleのPixelの方が、性能が良さそうなのである。
 翻訳機能が付いていたり、話者の言葉が判り、音声対応で、話しただけで文章も書ける、カメラが性能が良い、等々。
 そこで思い切って、店に行って店員さんに聞いてみると、確かにこちら、グーグルの方が、性能ではソニーを上回ります、という。
 そして、何より、ソニーよか、安いと来ている。グーグルピクセルは今、一番人気の方なのだと言う。
 私のは、型落ち機種で特別安かったが、新製品と数か月も何か月も違わないと言う。私のは、Google Pixel 6a、という機種だ。色は、ウグイス色、うす緑色であり、この色が、この画像写真で、皆さん分かるだろうか。白では無いですよ。これに、手帳式のケースも買った。
 これらを買いに、夕方五時前に行き、やっと店員さんの説明、購入を済ませたのが、夜七時近かった。凄い時間の使い方だと思った。
 しかし、とても有意義な時間であり、au by KDDIは、地域人気サービス第一番店を目指して居り、実際顧客満足度でも一位らしい。私は、二時間居たって、何の苦にもならずに、むしろ、サービスも良く、非常に店内も快適であって、大変に勉強になった。
 その日から、夜の食事、夕べの勤行とつつがなく粛々と済ませ、いよいよやっと携帯スマホの設定の作業に追われた。その日から今日の朝まで、ずっと夢中になり、取り組んだ。徹夜である。
 私ながら、バカだなあ、とも思うが、これだけ集中力があれば、別の事にもっと取り組め、という話。
 しかし、今日の朝中には全て、設定が終わってしまった。私は、二十数年前から、私なりに、PC、パソコンに一人、がっぷり四つになって取り組んでいた。それら、機械類にはやたらと詳しく、また、うるさい、と来ている。
 まあ、スマホ教室、というのがあるらしいが、当分、私には要らないなあ、と思って居る。行ってもいいとも思うが、無料だしねえ、うらやましい。
 ただ、時間が勿体ない。その分、勉強なり、自分で出来そうだし。しかし、こういう事は、まず体験してみない事には、全く分からない事も多い。やはり行こう。
 
 以上。よしなに。wainai

昨日、安高そばにある、「ガトーナカヤ」のパン屋さんへ寄る、学生生徒時代の諸々話、現学生・生徒達へのエール

2023年01月20日 08時12分25秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
郡山市中央公会堂側から、郡山市中央図書館を望む。
郡山市中央公会堂の雄姿。歴史のある建物。

 昨日は、認知症サポーター講座が郡山市中央公会堂(立派な建物、おそらく、明治時代の建造物)であり、その帰り、郡山市中央図書館に立ち寄り、しばし、音楽CD類を借りる為物色。「決定版 卒業ソングベスト」というのと、「ザ・ピーナッツ オリジナルソングス」というCDを借りた。
 ザ・ピーナッツは、以前にも借りた事があるんだが、それには「モスラ」が入って居なかった。その作曲者は、何と、福島県が生んだ偉大な作曲家「古関裕而」氏が作曲したとあっては、借りねばなるまい、と意気込んだ。
 卒業ソングには、皆、合唱団が歌う曲ばかりだが、その中で、聴きたかったのが、「旅立ちの日に」という、今はやりというか、定番卒業ソングが入って居たからだ。この曲が何故、今、そんなに、若い人たちの間で、流行り、定番化したのか、その意味、目的、傾向性を是非見出し、伺いたい。昭和世代には、全くの未知の世界である。
 その世界観、歌詞には、こうある。

『旅立ちの日に』
白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限り無く青い空に 心ふるわせ
自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
このひろい大空に夢をたくして

懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあのとき
こころかよったうれしさに 抱き合った日よ
みんなすぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて希望の風にのり
このひろい大空に夢をたくして

今、別れのとき
飛び立とう未来信じて
弾む若い力信じて
このひろい
このひろい大空に

今、別れのとき
飛び立とう未来信じて
弾む若い力信じて
このひろい
このひろい大空に

 素晴らしいじゃない。今の若い人達の抱く気持ち、一端が、この曲に表されている気がした。今風の曲ではあるが、ちゃんと、過去への回想、未来への希望、展望が語られ、卒業には正にピッタリであり、これを歌って今の生徒達は、学校を巣立ってゆくのだな、と一人合点をしていた。
 素晴らしいとしか言えなかった。私はその日、ちょうど、「認知症サポーター講座」を受けて、やり場の無い、虚しい、やり切れない悲しい思いを残し、その時、致し、正に涙に暮れそうだった。しかし、この曲を夜中に聴いて、気分が改まった。晴れやかに爽やかに、素晴らしい世界観に、打ちのめされそうだった。
 今の学生、生徒達が、非常にうらやましい、私も生徒に戻りたい、との感を呈した、正に一日であった。
 今の、現代を生き抜く、全ての生徒・学生達に、御卒業おめでとうございます。これからの人生、より良き人生を送り生きて行って下さい。私は、非常な劣等生であった過去であり、何にも、成し遂げたとは言えない人生、半生ではあったけれども、君達には、決して後悔せぬ、卒業後、全き素晴らしき良き人生を送っていってください、とエールを送りたい。

 帰りに、安高、福島県立安積高等学校の側にある、昔からやっている、私も学生時代良く学校帰りに利用した、パン屋さん、「ガトーナカヤ」に寄った。
 そこで、六つほど、パンを買った。画像は、一つは、ピザパンを買ったのだが、お腹がすき過ぎて、既に食べてしまって今や、遅し。しかし、他の五つのパンは残っていたので、写真機、デジカメで「パチリ」。何とか間に合った。
 以下、その画像。

 そこで、店員さんとの、軽い立ち話もした。実は私もそこの前のあの学校出、出身なんですよ、というと、へー、とかハーとか言い、そうなんですか、と驚いて見せる。そして、私も良く学校帰りにこの店「ガトーナカヤ」には立ち寄らせてもらったものですよ、と感慨深げに私は語った。店員さんは一言、そうですか、有難う御座います、と言った。私がこの店に来たのも、何十年ぶり、下手したら、生徒時代以来だ、と言った。店員さんに、この店の隣にある、あの自転車屋さん、あのうちは、私も自転車がパンクした時に、大変お世話になり、今も続けていて、凄い偉いですね。と訊いた。
 すると、あれは、代が代わり、今は息子さんがやっている。息子さんはパンク修理位しか出来ない。昔の先代のおじいちゃんは、何でも一手に引き受けていて、何でも出来た技術者だった、という。
 そのおじいちゃんも、去年だか何年だかに亡くなってしまい、今はその息子さんが継いでいるが、前述のとおり、パンク修理だけは出来るんだと。
 私が三十年前の学生時代だから、その時、修理してもらったのは、きっと、その、おじいちゃんだな、多分、というと、そのガトーナカヤの店員さんも、そうでしょうね、と答えた。
 全ての時代はあの頃とは確実に変化、変わってしまったな、と私は妙に納得、思い致した。
 何分夜なので、もう、名残惜しいが、そのまま、挨拶を交わし、店員さんも有難う御座いました、との売り子の定型の挨拶を私に返し、私はそのまま、まっすぐとうちに自転車にて、あの日の安高の生徒時代と同じように、同じ通学路の帰り道を急いだ。
 その、安高の校門の前を通ると、その時、生徒たちが、もう、五時、を過ぎると言うのに、学校の周りを、集団になって、何人も、安高生達が部活動でランニング、走り込みをしていた。弓道場も、電気が夜暗い中、灯りが煌々と点いていた。
 私は生徒時代を思わず思い出し、安高生皆に、心の中で「がんばれ!」と言った。
 私も、安積高校第一学年の、硬式テニス部の時代、庭球場は私の出身の町の大槻町に安高のテニス場が今でもあり、そこで、夜六時、七時位まで、やはり走ったり、先輩の球を拾ったり、一生懸命に私はスポーツに打ち込んでいた。
 そして、私は元々運動が苦手ではあったのだが、実地の部活動のスポーツは地道に続けていたし、学業の、学科の「保健体育」教科・科目は、常に、バッチリ、百点に近い好成績を上げていた。
 そして、その、第一学年での、私の体育の学業評定、いわゆる「通信簿」では、人生で初めて「5」をいただく。この時は、私は私の人生の勝利感、苦手意識が払しょくされた感が非常に強い。自分の性格、惰弱・怠惰感からの脱却、人生出来ない事など無い、これは私の現在でも、非常な未だにプライド、誇りである。福島県立安積高等学校、万歳!

 ※注:私が上記文中にて、「中央公会堂」は、明治時代の建造物、建立じゃないかと言いましたが、調べた結果、以下の通り。
 『郡山市中央公会堂』=『市制施行のシンボル、そして文化活動の拠点として1924(大正13)年に建てられ、演奏会や演劇、講演会に展示会と、幅広く市民活動の舞台として親しまれてきた。 その役割は建設以来、変わらない。』
 実際は、大正時代に立てられた建造物であり、その当時の市の財政の豊かさが偲ばれます。当時の人達、郡山市の方々が、どんな気持ちで、どんな意志の下に、どんな気概を持ち、どんな将来への希望・展望を持って、この建物を建てたのか、その様式美、素晴らしい建築美、建物自身に籠る構想力に、しばし、その場で圧倒される程の素晴らしき建造物。
 郡山市民と成って以来、カッコよい、と子供の頃からの憧れの建物でした。震災後、確か、一人で、その中で行われた写真展覧会には、これも無料で生まれて初めて中へ入り、参加したのですが、その時以来、約十年ぶり位でしょうか。非常に興奮しました。
 私は非常な建物・建造物・建築物フェチ、でもあります。だから、日蓮正宗富士大石寺の建物群には、目を見張るものがあり、とても大好きな建造物だらけの総本山なのであります。総本山富士大石寺、万歳!
 さすがは伝統仏教が為せる業である、と一人、合点し、納得尽くの日々です。

 ※尚、この記事にて、私のブログが記念すべき、「700回目の記事」のブログ記事として達成、無事、成りました事を、ここに御報告、記させて頂きます。(しかし、この記事の前の記事を、このブログに相応しくないとして、削除を致した記事数点ありましたので、この記事の段階では、現在七百回には到達はして居りません。筆者記す。)
 わずか、と言っても、六年、でしょうか。その間に、これだけ記事を書いて来たんだなあ、と個人的感慨に耽って居ります。
 前にも述べました通り、以前には「日々雑感、わたしが思う あの事この事」という既設ブログがありました。2009年から、このブログが始まる年、2017年まで、続いたのであります。実に、八年間でしょうか。このブログを新たに立ち上げ始まるまでには数か月のブランクがありました。

 それもその原因は、創価のバカ共が、私のブログのタチの悪い書き込みをしてゆき、荒らし、いわゆる、炎上、という奴です。
 奴らは、私が、余程、「日蓮正宗」信徒になったのが、気に食わなかったのでしょう。それはそうだ、私は、私程、以前のブログに於いて、自身、邪教池田創価学会を宣揚し、邪師・池田センセーと仰ぎ憧れ、ぶち上げていた、そんな、私自身が、邪教創価信者の哀れな情けない成れの果て、罪業深き、「バカ者」「バカ共」の邪教信者であった。

 それを打ち換えて、それに対抗して、今までの悪弊とキッパリおさらば、改変改革して、出来上がりぶち上げた渾身のブログが、現在の「Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)」である。これにて、私は、旧弊の邪宗邪教の、邪師による、邪説邪道邪法邪行邪淫と戦いに戦っている現在。今は、全く自由にやらせて頂いている。正に、この世を謳歌、憎まれっ子世に憚(はばか)る、である。

 閑話休題。それはさておき、それはそうとして、置いておいて、今後も、千回、二千回、三千回…と、自身の生命、健康と寿命、自身の元気さ、興味関心の赴く所、どこへでも取材にゆく覚悟と、熱心さ、まあ、余り、アウトドア派では全く無くインドア派の私個人ではあるのですが、続けられる限りに於いて、家の中ででも、しこしこと、文章を綴るのは難儀では御座いませぬので、寧ろ幼少の頃から大得意でありまして、これをライフワークとして、自身のこれは修行、仏道修行の一環として、成り立たせ、行って参りたい、こう申すまでで御座います。本当に、誠に有難う御座います。
 日頃から、私などの、拙著、愚著ブログにお付き合い頂き、誠に有難う御座います。これからも、お引き立ての程、何卒よろしくお願い致します。

 尚、ここに載せた写真画像は、私の、ガラケー、ガラパゴス携帯で撮った写真であり、古さ、画質の悪さを感じさせつつ、いい味をこれが又、出しているんですよ。
 結局、季節、気候、青空、景色にも恵まれ、建造物等、良いロケーションだったのと、私が、イトーヨーカ堂の写真教室に伊達に数か月間通ってた訳じゃない、事実が物語る、なーんちゃって、という、お話でした。
 以上。よしなに。wainai

「認知症サポーター講座」へ行く(5)

2023年01月19日 22時10分43秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

先程の郡山市立医療介護病院の方が今話題の「ユマニチュード」という介護法を説明する。
まずは六分程のビデオを見る。外国の(たしかフランスの方か?)考案した、介護方法らしい。
「ユマニチュード」
一、目を見ることーやさしく
二、お話をする時ー驚かせない
三、触れる時はーやさしく

それとは別に、
ケース1、視野の関係で、物忘れと誤解。その高齢者は、娘さんとお孫さんは認識していた、しかし、視野が狭く、お孫さんが見えて居なかった。
→視野の位置、お孫さんが見えるように居てもらい、調整。

ケース2、90歳の男性。30年前に亡くなった母。「母はいつ帰って来るの?」本当の事を言うと、涙を流し、悲しがる。
娘さんは、どう対応したら良いのか?
→本人に、母は戻って来るよ、というと、娘さんが、ウソを言うと、どうか、という反応。
ウソにも良いウソと悪いウソがある。これは良いウソ。ウソも方便。
お年寄り、特に認知症の方は皆、短期記憶が弱い。だから、決して、
本当の事を言わなくて良い事の方が多い。
本人はそれ以来、いたって落ち着いた。
ご本人自体が、今いる年代より前に戻っている。

こういった、高齢者を扱う時、
何十回、何度も同じことを聞いてくる。→深呼吸をして、自分を冷静に反省。不平不満をなくし、落ち着く。

相手への接し方。心の部分が大切。偏桃体に働きかける。

自分が一番、愛情を持っている人、物、ペットなどに自然と接し、大事にしようという真心。
「ありがとう」を言う。「ありがとう」の心。「あいしているよ」との安定した、落ち着きの言葉がけ。プラスの言葉感情。いい形で伝える。

結論=『認知症患者は、相手の表情や感情を読み取る力は失いません。』
『認知症は個性です。』

温かい目で見守る、サポーターの役目。サポーターは、認知症の、応援団。その御役目。

「優しい街、郡山」
「認知症の方にやさしい街は、子ども、大人にも、皆に優しい。」

とってもヘビーな話題、重い感じの話ではありましたが、何か、畠山さんと言う体験者のお話や、郡山市立医療介護病院の方の最後の話の方に、何か救いというか、ハッピーエンドとまでは行きませんが、胸のつかえが落ちるような気持ちになりました。

私が頂いた、認知症サポーター講座の終了・受講を表す「オレンジリング」。これは、本当に、受けて良かった、この講座を学ぶ価値は大いにあった、大収穫だ、と思います。私の今ホームに居る母の為にも、今後共に、役立つと思います。
本日は今日、この有意義な会合を開いてくださった皆様、この今回の会合の予約を事前に取り合って下さった地域包括センター(あんしんセンター)のOW田さん、御集りの皆様、誠に有難う御座いました。こんな滅多にない機会に恵まれて、非常に感謝感激感涙の次第であります。

以上。よしなに。wainai

「認知症サポーター講座」へ行く(4)

2023年01月19日 21時58分58秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
畠山さんの話は続く。
介護のコツ。極力ストレスを溜めない。ネガティブにならない。ポジティブになる。
老い先短いので、コワいものがない。一度死にかかったから。
何でもいいから、何か、目標を持つ。
唾液が出ると、病気になりにくい。
運動をやらせると非常に良い。しかし、一杯運動を、というとやらない。
イライラした時は、その場を離れる(自分が)。


ここで、再度、市立介護病院の方が出て来る。
脳の偏桃体は、好悪の、嫌だ、好きが出やすくなる所。
犬、サルよりも、断然、人間の方が、脳が大きく、大脳(非常に発達)、前頭葉(極めて大きい)。




「認知症サポーター講座」へ行く(3)

2023年01月19日 21時38分13秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
ここで、体験者の、畠山さんと言う、認知症の妻を愛する会の方が登場。
九十歳近い妻を介護。2017年頃から、妻の様子がおかしくなる。今出て来たような問題が起こって来た。
そして、何度か入院する。家に戻った方が良いのではと言われて、戻って来た。そこで、家庭訪問看護婦さんが点滴を打っても、病院とは違い、点滴の針が金属じゃなく、何とプラスチックだった。
これじゃあ、通る訳がないと思って居たら、何と、看護婦さんは七回を刺してやっと打ち込んだ。しかし、妻は、認知症の為、気付かない。
私の方が痛そうだった、と言う体験者の方。そして、彼はある妙案を思いつく。
出来るだけ食べ物を飲み下しやすくするようにして、小さく切る。そして、それを口に入れさせ、何時間かけてもいいから、噛ませてあげた。ハムでも何でも小さく。その最初の一日は、イチゴ一つと、バナナひとかけらからだった。
すると、不思議と、本人は、元気を取り戻し、元気に次第になって行ったと言うから不思議だ。
次第に量も増え出し、今度は、下から出てくるものに困るようになる。これには、おむつを日に何度も代え、ベッドにビニール等を敷いて対処。嬉しい悲鳴だろう。
そして、もう、点滴も要らなくなり、無事回復。自宅を歩けるまでになる。そして、今度は、デイケアだ、デイケアに何としても妻を連れて行くんだと言い、しかし、転んで手の骨を折ってしまう。足の付け根も危なかった。
しかし、妻は負けない。妻の好物は、肉だった。お年寄りになると、肉を食べなくなるなんて嘘。肉が好きな人がお年寄りには実に多い。年を取ると野菜よりも肉が好き。そのお陰で、妻は、骨が奇跡的に折れてなく、肉のお陰で骨折が助かった。


「認知症サポーター講座」へ行く(2)

2023年01月19日 21時24分17秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
認知症の特徴。
何度も同じ事を聞く。大切なものを失くす。いつどこにいるのか分からない。火の消し忘れ。今何時か分からない。スケジュールが分からない。置き忘れ、紛失が頻発。計算が出来ない。食べた事を忘れる。約束したこと自体を忘れる。数分前の記憶が残らない。
ここで、司会者の郡山市医療介護病院の方が、皆さんは、今日昼、食べた物が判りますか、と聞くと、皆一応に、分かる、と手を挙げる。(ここまでずっと、この郡山市医療介護病院の方のお話)
じゃあ、一週間前の今日と同じ時間に、食べた物が分かる人はいますか、と聞くと、余りいないようだ。
脳。海馬。情報。記憶。必要ないものはどんどん忘れる。認知症は短期記憶が忘れてゆく。


「認知症サポーター講座」へ行く(1)

2023年01月19日 20時58分52秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
今日、14時に、郡山市の中央公会堂で行われた「認知症サポーター講座」へ行きました。
2025年には、65歳以上の認知症の方が、5人に1人。700万人に上るそうです。
認知症の9割近くが女性。戦後30年以上経ってから、平均寿命が延びた。認知症は身近な病気。
若い人もなりうる。若年性認知症。
郡山市の高齢者、27.1%(市内)。湖南地区だと、53.4%(2023年現在)。
三大認知症の一つが、アルツハイマー型認知症。脳の萎縮。アミロイドβ(ベータ)の増加。症状は緩やかに進行する。アルツハイマーは、認知症患者の中で、全体の一番多い68%。

認知症には特効薬がない。急激に治す薬、手術はない。→エーザイ、新薬見送り。去年から今年。今年1月16日、申請中。相次ぐ開発中止。


私自身のOKsureさん(OKsyuさん・Kさん)の書道への情熱ブログへの寄稿、コメントを寄せた文章群の事共について。

2023年01月17日 14時05分15秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
『応月書作品集 (oklife.site)』のサイト、ブログHP、ホームページのURL。
-商品・レビュー, 教育・学習・学校
-calligraphy work, 書, 書作品, 隷書

  1. wainai123753
    2023年1月2日 12:21 AM
    これはまた、大作群、凄い作品ばかりですね。私のような悪筆、書く文字が非常に汚い人間に取りましても、これ程の芸術作品には、相当の思い入れがあるんだろうな、と一瞬で見抜き、判りました。
    私も文字が上手になりたいとは思いますが、これ程の情熱は、私は書道に対しては、持っては居りません。
    今まで、比較的に続いたものは、半年間程度の、郡山市ヨークカルチャーセンターでの「ハーモニカ教室」位でしょうか。
    自分は、飽きっぽいのですが、凝り性、という、不思議な気分、気性の持ち主です。凝り出すと、時間を忘れて熱中して取り組み、朝まで行っていた、という熱心さと、その熱気が一瞬で醒めてしまうと、その熱意はどこへやら、もう、忘れるのも早く、もう、心は別の所に赴いています。
    これは、自分の気分屋的精神が為せる業であり、その他、金銭的な物が原因だったり、人間関係で挫折したり、他、習い事には、自身や周りの人への恨みもあるんです。
    しかし、自分を恨むんならまだしも、他者へとその怒り、恨みを向けるのも、今では筋違いかな、とも思い始めて居ります。
    「天網恢恢疎にして漏らさず」ということわざもある通り、それら、私に対して、酷い仕打ちをした人々のその後を、追ってみた事があって、そこで知った事は、皆、何らかの、その人たち自身に、天罰・仏罰・神罰・法罰・妙罰、のような、何のせいだかは全くこちらも判り兼ねるのですが、その方々、私をイジメ抜いた方々が、その後、不慮の死を遂げて居たり、行方不明になって居たり、それは、私が、五年前の、日蓮正宗無量山寿海寺にて、今を時めく「妙観講」さんとの、「共同折伏」の時の、私の学生・生徒時代の住所録を基にした、電話掛け合戦の時の、その、それら同級生に電話を掛けた時の、その親御さんだか息子娘さんだか、その兄弟姉妹だかの、その方、故人の、死を告げる、沈痛な報せ、一報を聞かされた時の、こちら側の、この罰が覿面だったとの、悲痛な感覚。
    こちらには、以前から、恨みが残り、こいつめ、死ね!位な気分で今までずーっとこちらは暮らしてきた訳です。それがむしろ、張り合いになって居たような所もあったのです。
    それが、一瞬にして、その恨みが切れ、厄落としの如くに、綺麗さっぱり、その恨みともお別れせねばならない。その相手が、死んでしまい、もう、この世にはその身も心も魂も、全てが残って等は居ないのですから。
    その呆気なさ、素知らぬ顔で、運命は、宿命・宿業は、その人の、生命にまで手を付けて、全人生を狂わせ、その後を滅茶苦茶にして、終わりを迎えさせる。
    どうしてこういう結果になったのかは、私も判らない。
    ただ、この信心、日蓮正宗の信心を始めてからというもの、こうした、こういった、私が恨んで止まなかった人々の訃報、悲しい報せ、夜逃げ、倒産等々を知り、聞き及ぶにつけ、自分が今、生きている事の方が、尚、奇跡なのだ、有り得ない、有難い事なのだ。
    私は今、今年八月で、五十歳丁度、ジャストである。この人生は、色々あったが、この反省、無駄な物、事など、何にも無かった、と胸を張って言える。ただ、邪教、創価学会や、キリスト教、神社神道等にまみれ、今現在、それら邪宗教による、害毒、謗法罪障消滅に勤しみ、時に、その法罰の現証、過去世・現世での罪障に、現在も苦しむことがあり、これが出るだけでも、儲けもの、全然でない人も居て、出ない人は、来世で何十倍も苦しむことになる、とは講中の方々から言われますが、やはり現実問題、現罰、現証は、コワいです。良い現証ならば、大歓迎ですけどもね。
    とにかく、私は、自身が神にでも成り代わったのか、と思う程、この前、だいぶ前の、その、妙観講さんとの共同折伏戦に於いて、経験済みな訳です。でも、これで自身を、思い上がって、何か自分が天界の、神の一分だ、などとは考えたりはしません。自分は神ではなく、ただの、人界の、人間に過ぎません。それだけは弁えて居ります。
    それだって、お腹がすけば、餓鬼界、畜生界、修羅界、時には怒って地獄界など、自分の心、精神は、全くもって自分自身で信用が成らない、ダメ人間であるとさえ、自己を蔑み、卑下する感情は、自身の学校時代からの、劣等感を育ててしまった時代感覚、その、私の、時代も丁度、就職氷河期であり、ろくな就職先もないまま世の中に放り出された者たち特有の、劣等意識があります。それ以外にも、学生時代の、勉学不足の、劣等生時代の、それら劣等意識に彩られて、自身の、人よりも劣っているんだ、と強く意識した、迷い、苦悩がありました。
    その時には、私は、キリスト教を志向していましたが、その教えは、全く私を救い出しはしませんでした。却って、精神を病むきっかけを作ったようなものでした。
    その後、藁をもすがるように、創価学会を知り、自身の心の糧として、数十年を過ごしましたが、何か心が晴れずに、鬱屈したままであった。それに、指導者の、あの池田とかいう人が、どうも胡散臭く思えて来て、しょうもなかった。世間一般の池田評と、自教団内部の、創価学会向けの新聞・雑誌等では、百八十度、全く評価が逆転していた。
    段々、おかしい、きな臭い匂いがする、と自身気付いて来た。私は二千年、1990年代終わりから、PC、パソコンを使用しだしてからというもの、その、開放的な情報、一種独特の、インターネット上の情報に接している機会が、非常に多かった。
    それら、有益な情報には、時には、検索エンジンの検索窓に、「創価学会」と、その当時、よく検索を掛けてみた。
    すると、もう、その世界には、創価の否定的な言説、言辞、言葉の海が躍っていた。
    その後、自分は、「ユーチューブ」という動画サイトを見つけ出し、知ってからは、そのサイトに入り浸った。
    そして、「創価」と調べると、そこには、当時から、今から十年以上前から、そこのサイトで大活躍されていた、「樋田昌志さん」「黒川和雄さん」たちの、実に大っぴらな、「創価学会批判」が大展開されていた。
    これを見ると、さすがに、創価の弱弱しい教学を身に着けていた当時の私などは、賛同はしないまでも、言ってる事の理が叶った、言い分としては、これ以上の、立派な言い分、日蓮正宗が本当は正しいんだろうな、本当はね、大っぴらには言えないけれど、という、「創価敗北感」「創価は日蓮正宗に実際上は、負けている」それを認めたくないから、創価側では、それら、反学会のキャンペーンの論陣を張った、ネットサイト、著作、雑誌類は絶対読むな、と言われ続けた理由が、薄っすらと判ったような気がした。分かっていても、踏ん切りがつかない。それで、正直に、創価を辞めて、正宗側に付いた方が、得策であり、正しいのは判っていても、旧来のしがらみ、家にある、今まで買い求めた創価の忌まわしい書籍群、うちに時々訪ねて来る学会員達の、そのはかなげな、ちっとも幸せそうじゃないのに、無理しているようなよそよそしい、余りに不幸っぽい態度。何か白々しくなってきた。
    そして、私は、今から五年前の、平成二十九年2017年2月8日、日蓮正宗無量山寿海寺に、正に、夜討ち朝駆け、駆け込み寺の如くに、お寺の門を堂々とスタスタと入ってゆき、手にはニセ本尊を握りしめ、このニセ本尊を、絶対に許しはしない、私の全生涯を賭けても、この、私の半生をズタズタ、ズタボロに仕切った、このニセには、金輪際のお別れだ、との念慮を抱き、そのニセ本尊を、お寺に入り、講中の皆が朝参りで、私を物珍し気に見つめる中を、私は尚も、御住職様に、自身の不幸の謂れを語っていた。相当な覚悟で、このお寺に乗り込んで来た。私にはそれだけの、被害者意識、不幸の根源が、自身の生きて来た半生、自身の顔や体、心に刻み付けられていた。
    その全てを聞き届け、全てを察した御住職様は、私に、「それら全ては、ニセ本尊の害毒です」と言い放った。そして、その、私が御住職様に叩き付けたそのニセ本尊を手際よく受け取り、私の目の前から、その忌まわしい謗法物は取り払われた。その時の安心感と言ったら無かった。
    その後、私の勧誡式、私の母を連れて来ての勧誡と、事は全て了として進み、何と、入仏式まで御住職様、それら朝参りに来ておられた、今では法華講中の仲間と慕う方々にうちにまで来て頂いて、無事に、第六十八世御法主日如上人猊下様の御認めの御本尊様まで御下附頂き、私は、その御本尊様が御安置後、皆様が帰って行かれた仏間にて、その日、一、二、三時間は、御題目をずっと唱えていたであろうか。母が、近所迷惑になるよ、と注意されるほど、私は夢中になって、この正真の御本尊様へと、歓喜の唱題を上げ続けた。非常に嬉しく、何か無性に有難かったのである。実に、素晴らしい、正しい、伝統宗教とはどういうものなのか、その真髄、正義の利剣は、真の法華経を知った者こそが、使うべきである、と大聖人様は仰るが、その真の法華経の行者に、今、自分は成ったんだな、との、感慨、感激に満たされた。
    これらが、私のおおよその、自身の、入信体験である。これ以上に、話すと長い事共も沢山ある。ここで述べた事は、おおよその概略である。
    ただ、これだけは言える。間違える宗教を信ずるのは怖い事だ。しかし、正しい、正真の、御本尊を根本とした宗教、この場合は、「日蓮正宗」を信ずるのは、現代では、極めて難しいけれども、難しいんだが、ちっとも難しくはない。道理から言えば、こんなに立派な宗教は、世界中、どこを探しても、日本の、静岡県の、「総本山富士大石寺」、そこの奉安堂に御安置されている、「三大秘法の戒壇の大御本尊」様、これ以外に、拝むものは、有り得ない。これ以外に、宗教の選択肢は、有り得ない。
    これが、私の言いたかった事の、全て、要旨は全ては、そこに帰着し、結論付けられる。全ては「大御本尊様」に根差した、「南無妙法蓮華経」の七字五字の「御題目」以外に、有り得ないと、私は断言し、後世にも、語り継いでゆく決意、自信、自負で、一杯、不服などは、微塵も在り得ずに、ただ、大御本尊様の御威光に服し、拝するのみである。
    以上。よしなに。wainai
    返信

    • oksyu
      2023年1月3日 12:15 PM
      長文のコメント書き込みありがとうございます。
      この感動的な体験談が誰かの心を動かせるといいですね。
      ところで、私の拙い作品ですが、どれかお宅の壁に掲示してみませんか?
      返信

      • wainai123753
        2023年1月3日 9:01 PM
        あいにくなんですが、とても立派で、うちに飾ったならば、うちがこれら、日蓮正宗にゆかりのあるお言葉、それ以外にも、中国の故事に則ったお言葉、それらに荘厳されて、少しでも我が家が立派になる事でしょう。
        それは判っているんですが、我が家は、広いんだか狭いんだか、モノにまみれ、モノだらけ、モノが充満して居り、これを片付けた方が良いのは判る。それで、去年から、積極的に、「断捨離」に励んでいた。
        しかし、断捨離によって、又、多くの、非常に有益で、読むに値する、読むべき本との遭遇を果たしてしまった。今、我が家を、それら本が、所狭しと、占拠中である。
        これを捨てるのは、忍びない。そして、私は、かなり多くの、要らないと思うものをも、捨ててしまった。そこにこそ、本当は、「宝」と呼べるモノたちがあり、何も言えないそれら「モノ」をも、自分は捨ててしまったのではないか、と非常に怖れる。
        この経緯に際して、私の非常に敬愛している作家の一人、「五木寛之」氏が「捨てない生きかた」という本の中で、「断捨離」に反対しないまでも、余り、捨てる事に否定的な氏の意見に、私は賛同する以外に無かった。
        この作家は、浄土真宗を信奉していて、私は、その、「親鸞」の思想が大嫌いであり、この作家の、それが出て来る場面では、余りいい気もせずに、目をも背けたくなりそうになりながらも、必死で、この作家の本、著作には目を通し続けている。それだけの、私を注目させる、何かが、この作家には有ると信ずる。そして、文体が優しく、非常に読みやすい。
        私も、自分で文章など編んで、綴ったりするのが非常に好きだが、彼、五木先生程の、文章、分かりやすくて、簡潔であり、しかも、読みやすく、誰が見ても、その方に生で、非常に親身になって、優しく、親切に語っている、その姿勢、その文体が非常の私は大好きであり、あのような文章スタイルは、小生、愚かな私などには、これっぽっちも近寄り難い程の、圧倒的な文章力、その構成力で、私などは、赤子の手をひねる程の呆気なさで、降参させられてしまう。
        それ程、彼が中退した、「早稲田大学第一文学部露文科」とは、凄い、素晴らしい、何故か、早稲田は、中退した者ほど、出世コースを歩んだり、有名人になる人が輩出する学校、大学なんですが、彼も、御多聞に漏れず、その方向です。彼がそれの先駆けだったんじゃないでしょうか。
        とにかく、五木寛之先生は、今年でもう、とっくに、九十の年を越えていらっしゃるのではないでしょうか。それでも、現役で「青春の門」の著作、本は、昭和の頃から現在に至るまで、何巻もずーっと書き続けられている。
        その事実に、ただ、驚愕・驚嘆し、モノを書く人の鑑、見本だな、と、彼は、邪宗邪教出身なのですが、それなりに、そんな偏見全く一切なしに、その文章・文体・生き様・姿勢に、彼への感動を私個人なりに深く思い、味わい、親しみ、憧れ、慕い続けて居ります。五木寛之先生は、私の生きる希望であり、自身の拠って来たる郷愁、想い出でもあります。素晴らしい人だと思います。
        話しが元へと戻りますが、今の私のうちでは、モノを置く場所、飾る場所は無きに等しく、それら、立派な書などをたとえ飾った、一時的にせよ、それによる、それらの、モノ同士の、地震が来るか、何が来るか、判った試しではない、我が家、ここ、郡山市の、そんな所、処狭しの、充分な空間、飾る一間など、一切ないのであります。我が家は、今まで申したように、モノで充満し、今にも膨張しそうです。
        本も、買わなくても、一杯うちにあるのに、又、買ってきてしまいます。これは治りません。今日も、お寺、菩提寺の、日蓮正宗無量山寿海寺に行って来て、日蓮正宗の御本を、五千円近くの値段を払い、買い求めてしまいました。かなりの冊数です。これは、今現在の、私のブログにて、発表・公表・宣伝済みです。
        こういった訳でありまして、せっかくの御申出、勿体なくも存じますが、一声、お断わり願い、辞退をさせて頂きたく、それらが立派な書である事共は、重々判って居る積りですが、それならばそれなりに、又、丁重に非常に大事に扱わねばならず、私の家などよりも、同じ正宗信徒の家の方々の中にも、もっと最適な、もっと立派にそれらを飾って下さる方々は、沢山居られるものと思い、信じる所ですので、勿体ない話ですが、お断りさせて頂きます。
        お気持ちだけでも、このページ、このブログ記事を見るだけでも、充分な目の保養となって居りますので、その点だけをお目に留めて、余りガッカリなさらずに、他のそれらを御所持したいと思われる方々をお探し下さい。悪しからず。長文失礼。
        以上。よしなに。wainai
        返信

        • oksyu
          2023年1月4日 11:14 AM
          重ねての長文コメントありがとうございます。
          掛け軸として巻かれたままの我が作品が
          貴家の飾られることを夢見たのですが
          残念です。
          返信

講頭さん、あいさつ

2023年01月17日 01時48分30秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
令和五年も始まりました。
マスコミ等をみると、混とんとして見えて
日本は、周りのロシア等の心配、
経済は、岸田首相が異次元の改革、を訴えているが、
極めて困難な、悪い世相。

我々は、大聖人様の妙法を唱える。
私は唱題行に徹する。
百万遍の唱題の達成を期している。

皆さん、お寺での、五時間唱題をやっていきましょう。
すこしでもお寺の勉強会で勉強してゆきましょう。
登山も、今年から始まります。混とんとした世相の中、
今年は、唱題を根本に、
皆様、頑張って参りましょう。

南無妙法蓮華経