創価学会の建物の施設は、お寺、寺院ではない。明らかな新興宗教の施設「文化会館」「平和会館」と称する、それらの頭に、「池田」なるものと地名を付けた、邪教集団とハッキリ判る邪義邪説邪道邪法の、いわくつきの、穢れた汚らわしい施設である。
それに対して、日蓮正宗は、総本山大石寺、各末寺等も、立派な建築様式を誇る、お寺、寺院だ。今年の春四月に、我がお寺、寿海寺に指導会の折に来て下さった、合原(あいはら)御尊師も、そのお寺の建築様式に憧れ魅入られ、建て物に感心して入信なさる方々も、少なからず居ると仰っていた。さもありなん。本当だろう。
やはり、新興宗教の、創価学会だとか、オウム真理教などは、オウム教は、第何サティアンとか、新興宗教だけあって、名は体を表す、おかしな名称の、おかしな建て物しか建てられない。
今も思い出すのは、福島文化会館の周辺、その会館自体の、寒々とした周りを蹴落とし、周囲と溶け込まずにいきなり建物が現れた時の場違いの気色・気持ちの悪さ。やはり邪教だ、と言わしめる物が如実に物語っている。
やっぱり邪教なんだね、昭和に出来た新興宗教「創価学会」なんだね、と、そのおかしな雰囲気の建物群を見て、自分らでは「現代の寺院」とか何とか言ったって、誰もあれを「寺」とは見ていない。
一から十まで、創価はおかしい、怪しい、胡散臭さプンプンだ。
下の写真は、日蓮正宗総本山富士大石寺の御影堂の写真画像。創価の会館の画像はないが、創価のHP(ホームページ)等で創価の異質な建物群と比べて見て欲しい。どちらが伝統宗教・伝統仏教で、どちらが新興宗教教団かがハッキリすると思う。
総本山富士大石寺、御影堂。この他、大石寺には重要な文化財、建築群が数多く遺されている。
創価は、ここでも、創価自身の限界をさらけ出している。日蓮正宗から分派して独立しても大丈夫、いずれ手を切る時が来るだろう、との北条文書でも明らかなように、日蓮正宗からは大分教義等を吸収して、「魂の独立記念日」と彼らはのたまい、独立を賛美しているが、ちょっと早きに失した、頭(ず)の高い、教説泥棒の、法盗人の居丈高の創価、池田田吾作。
創価、その闇計り知れない程深く、その邪義邪説邪道邪法邪教の教えを世界中に振りまき、害毒を垂れ流す悪の権化の象徴。
恥知らずの恥晒しの創価よ、お前達は、恥と言うものを知りなさい。