お寺で買った御本、「創価学会の『ニセ本尊』を破す」という書籍を今日、手に入れ、今日、すぐさま読了した。
薄っぺたい本。すぐに読めた。学会のニセ本尊の誤りを、ケースバイケースで書き、反論し、学会及び学会員に反問している。日蓮正宗からいかに遠く離れ、邪教化路線を突っ走る事になったのかが良く分かる。
まだ、日顕上人猊下の御本尊が創価内に残った段階では、信心があれば功徳がある、と開き直り、何の不思議もなく、口では日顕上人を呪いながら、目では日顕上人猊下の御本尊様を拝み、祈りを捧げていた矛盾した時期が創価学会にはあった。
そのすべての矛盾を解決したと(創価学会では思ったのだろうが)一件落着の事件が、「ニセ本尊」の販売開始であり、日蓮正宗の代々の御法主上人の日寛上人の御本尊を勝手にコピー、改竄、荘厳し、販売を始めてしまった。これが、禁断の、魔の籠った、禁じ手の、代々の創価会長たちが否定してきた道を創価は辿ってしまった。
日蓮正宗の御書や聖典、日寛上人の御書文段等を用いて創価の誤りを糾し、破折を加えている。こういう本をもっと学会員さん達には読んでもらいたいものだね。
池田も昭和の頃の昔は、ちゃんと日蓮正宗の教義・本義を守り、ちゃんとしていたのに、自分が宗門から破門されるや否や、言う事が百八十度、変わるは変わるは(笑い)。これも矛盾している。宗門が変わったのではなく、創価が邪教化路線に邁進した結果だ。
もう、ここまで来ると、付ける薬はない。創価の厚顔無恥ぶりがシャクに障る。創価は将来は、必ず四分五裂に分裂するか、権力闘争で弱体化して会員が減るか、まあ、今が落ち目の正念場であり、SGI会長の池田不在の中、不気味な沈黙が続く。池田が目途(もくと)とした、新・人間革命が最終回の三十巻を迎える頃には、池田のその後の容体の真実が判るのかも知れない。