Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

昔うちに来た日蓮正宗機関紙

2020年01月24日 17時19分27秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私のうちには、私ども家族が創価時代、お寺からも日蓮正宗の機関紙が確か創価学会員の日蓮正宗信徒の権利抹消の頃位まで来ていた。確か「慧妙」と「大白法」だった。無料だった。
 それら機関紙は、私は非常に興味を持って読んでいた。日蓮正宗の言う事と、創価の言い分がこうも違うのか、と半ば驚いていた。
 どっちが本当なのだろうか、当時の私は判断しかねた。しかし、今も思い出すのは、ニセ本尊の販売を非難した記事や、或る今は日蓮正宗法華講に所属の女子の手記である。
 その女性は、創価時代、理由のないイジメに遭い、悩んでいた。その時はまだ日蓮正宗とも協調した時代であった。
 ある日、その女性は、所属の日蓮正宗のある末寺に駆け込み、御住職様に助けを求めた。御住職様も、その創価によるタチの悪いイジメ話に同情し、創価を抜け出し、うちのお寺の所属、日蓮正宗法華講に入るよう勧める。女子も同意し、法華講に入った。
 法華講ではイジメも全くなく、女子は幸せに暮らした。
 その数年後、池田大作が寝返り、日蓮正宗と創価が紛争状態に。女子は、それ見たことか、私がイジメを受けたのは、創価の異常体質のせいだったんだ、と改めて判った。
 この話を読んで、私はその女子は儲けもの、創価の被害者、日蓮正宗の正しさがほんのりとだが、伝わって来た。
 確かに創価内には、人の足の引っ張り合い、元々が人間が出来ていないというか、中には麗しい創価の庭、のように言う人もいるが、うちなんかも創価内の詰まらぬ人間関係で摩擦がおき、悩みを抱えた事も多かった。何か人を見下す態度が常に創価にはある。
 この新聞を読んで、私たち家族が創価を脱会し日蓮正宗法華講に改宗するのには、その後二十年を数える事になる。
 今は脱会出来て本当に良かった、命拾いしたとホッと胸をなで下ろしています。

昨夜のキリスト放送の感想

2020年01月24日 16時16分22秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 昨日の夜、眠いながらも、韓国から電波を送信しているFEBCというキリスト教の放送を聞いた。
 途中、ある質問コーナーのような番組があり、次第に興味を覚えた。
 一リスナーが、質問をした。曰く、聖書には神による殺戮場面が多い。そのリスナーは、かなり聖書に通達し、旧約時代はほとんどが神による人類殺戮、偶像の金の子牛を作った者共の絶滅、ノアの箱舟の時の殺戮、モーセの十戒の時の、海を二つに分けて逃げるユダヤ人を追って来るエジプト軍の全滅、他、本当に多数の殺戮を列挙して語り、それらをどう思うか、認めるのか、と豊富な知識を持ちながら、何か思い詰めた、その答えの次第によってはキリスト棄教もこの人は考えているんじゃないか、といったような質問だった。
 その回答を聞くが、番組進行役のキリスト指導者は、何か煮え切らない。考え考え、どうしてこんな疑問を抱いたのかをまず問い質し、私も判りません、と半ば答えを投げ出し、困っている風。
 そして、新約時代、イエスも人々に虐殺された事をもって、神の子も殺されたんだから、おあいこ、とばかり、お茶を濁し、番組は終わってしまった。
 聖書に事実としてそう書いてあるので、凶暴な神の暴力性を認識せざるを得ない。そして、話者たるキリスト教関係者は言葉に詰まり、ただため息で飽和して時間の経過を待つという情けなさだった。
 色々と理由をつけても、キリスト教の根幹の神の残酷性は認めざるを得ない。
 私はキリスト教の限界、極言すればその退廃した究極の存在価値の軽さ、終わった宗教観を感じざるを得ない。
 神の殺戮を是とする教えでは、人もその猿真似をして結句、世界は戦争が絶えない訳だ。
 結局、キリストの十字架に頼り、復活、昇天という、おとぎ話の妄説に付き合わされる。もうこんな堂々巡りは、止めて欲しいと切に願う。

日顕上人猊下御指南「創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す」を読了

2020年01月20日 21時22分50秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 御法主日顕上人猊下御指南「創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す」を今日、読み切った。
 日顕上人が、正に嘘つき団体の創価に対して、懇切丁寧に創価の邪義を破折している。
 創価は御書や歴代上人の御文を切り文(自前の都合のよい所で文章を切り取り、文意を曲げる事)で自説に我田引水し、手前勝手な論にすり替えてしまう。何が何でも日蓮正宗に勝つんだ、とばかりに、嘘で自分を塗りたくる。言葉が通用しない。
 日顕上人は真面目に破折を加えてゆくが、この創価共の半可通ぶり、無知蒙昧、愚痴に満ちた、恥知らずで嘘つき体質の体たらくに慄然として、相手にするのも汚らわしい、その小人、愚人、痴人共を相手に、骨を折ってこんこんと正義を説き遊ばされる。
 その姿こそ、正に仏法のプロとしての気構えである。誰だって、狂人相手に正論を説いても無駄だと知っているが、日顕上人は向かう所敵なし、実に丁寧に御指南遊ばす。まるで、それは祈りであり、いつかは(たとえ物分かり悪い創価であろうとも)判ってくれよ、という日顕上人なりの御慈悲、御慈愛、御諭しなのである。
 創価のような邪義・邪教が生まれる日本。元々この国にこんな邪説を並べる者が出てくる素地のようなものがあったのだ。池田大作を日蓮大聖人に比肩し称賛する輩は、冗談であれ、虚構の世界を構築する創価のみであり、彼らの悪しき振る舞いは、断罪されねばならぬ。
 三宝破壊の魔教、創価学会。その闇は、深く果てしない。
 

今日も聞いた、創価の「日蓮」呼びつけ

2020年01月11日 12時52分43秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今日の朝のラジオ福島の番組で「名字の言」が流れていたが、その中で又もや日蓮大聖人を「日蓮は」と呼びつけにしていた。
 名字の言は、創価学会の機関紙聖教新聞の一面コラムだが、ラジオでも土曜日に流れる。創価内での日蓮大聖人の扱いは年々、どんどん軽くなってゆく。
 たかが人名の呼び方を、と思うなかれ。大聖人様を仏様の地位に預けておくのを怠り、池田大作を「池田大作先生」と今太閤の如くに崇拝する。その顕著な表れが、それら人名に対する敬称の創価による取り扱い方に出てくる。
 元々創価は、大聖人様よりも池田に信を置き、根本的に崇拝してきた。本当は大聖人様が憎くてたまらず、早く本格的な池田教にしつらえたくてたまらないのだろう。
 このまま池田教に成り代わり、日蓮大聖人の看板を降ろす日が来たら、どんなに愚かな学会員でも早晩、気付くはずなのだが。
 日蓮大聖人の弟子にあるまじき行為、日蓮大聖人様も聞いてあきれているだろう。
 この時点で、日蓮正宗、創価学会、どちらが大聖人様を敬っているか。勿論日蓮正宗であり、篤く三宝を敬い、常々平身低頭、大聖人様にお仕えしてきた。
 昭和の頃の創価学会はまだ、日蓮正宗の信仰を保っていたが、今の創価は全く話にならず、駄目になってしまった。完全な新興宗教に創価は成り下がった。
 皆さん、日蓮大聖人の仏法を学びたければ、大聖人に直系の、法灯連綿、法水写瓶、唯受一人血脈相承の、八百年の伝統を誇る日蓮正宗のみ教えを信じましょう。


新年のご祝詞

2020年01月03日 18時01分52秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
 あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
 一月一日は元旦勤行に行って参りました。郡山市の日蓮正宗末寺、無量山寿海寺です。新年を迎えるにあたり、引き締まった感を受けました。太鼓も鳴っていました。
 今年が良い年となるよう、祈ります。