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【音楽談話51】音楽に信仰は必要?日本人には本当の意味で音楽を理解するのはできないのか・・?音楽の力とは・・?

2024年07月08日 01時07分19秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
【音楽談話51】音楽に信仰は必要?日本人には本当の意味で音楽を理解するのはできないのか・・?音楽の力とは・・?
車田和寿氏の、「音楽と信仰論」です。私も、音楽と信仰は切り離して考えるべきだと思います。
熱心なキリスト教徒が、宗教曲オンリー、とは限らず、音楽は元々自由だと思うし、音楽に国境もない。音楽と信仰は共感性では関係なく、それらは密接でもない。音楽の力は、宗教にばかり頼るものじゃない。宗教の枠を超えたのが音楽である。

グレングールドの「バッハ:平均律クラヴィーア曲全集」を数日前に購入

2024年05月24日 12時31分49秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 グレングールドの「バッハ:平均律クラヴィーア曲全集」を、数日前、一週間位前に、アマゾンで購入した。
 これは、CDでであり、電子ダウンロード版だと、何と四千円も掛かる。それが、物が付いた、CDだと、千六百円程で買えてしまう。これでは、電子ダウンロードのお手軽さに慣れた者にとっては、買う気すら失せてしまう。
 だから、CDで買った方が得であり、私はCDにした。全然、ダウンロードのうまみなど一切ないのが、残念至極であった。
 この、グレングールドの平均律~は、聴いていて、非常にリラックスできるし、何度聞いても飽きない。ピアノの演奏は、緻密に仕上がっていて、聴く者を捉えて離さない。
 グレングールドの、最近のお気に入りでは、何と言っても同じくバッハの「ゴールドベルク変奏曲」だが、これの最新版は持っていて、なんと、1950年代版が、アマゾンのサイトで、今だけかもしれないが、250円で売っていたので、聴き比べたいのもあって、買った。これもお得であり、お手軽である。
 皆、個人のピアノ演奏である。しかし、そこには、オーケストラにも負けない、ピアノと言う楽器の王様の、王者のような風格、毅然とした、素晴らしい演奏だと個人的には思う。否、これは、この演奏は、もう立派な歴史に残る名演として、各種評論家、購入者の意見は一致をみている。私などが出る幕でもない。
 とにかく、表現力においても、作品の価値としても、凄いの一言である。上記の千六百数十円には、これはCDが四枚も付いてのこの値段である。だから安いと言えるのである。
 私の様な、音楽、特にピアノ初心者にとっては、非常に勉強になる、為になる、と言っても全然、過言ではない。
 その他、気分転換に、リラクゼーションの為に、と言った用い方も、このCDは出来得るものと信ずる。バッハは初心者を含めて、応用が効くのだ。
 とにかく、私の今回の買い物は、良き買い物であったと、胸を張って言える作品群である。

以上。よしなに。wainai

アンチ・反尾崎豊論、オザキの生き様と、その指向性、社会への害悪性と無責任さと…だが、音楽家としての資質・貢献度も非常に大きい

2024年02月17日 09時07分30秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 私は、尾崎豊、尾崎の、音楽電子ダウンロード版、CDのレンタルなどで、彼の楽曲を所有しているが、その音楽は、今にして思えば、余りに陳腐だと思う。
 「十五の夜」では、「覚えたてのタバコ」やら、「盗んだバイクで走りだす」等々、散々ぱら、不良の行為を賛美讃嘆して、もう、尾崎は自分の独特の世界観を作り上げている。それらは、「ザ・不良」の親玉、尾崎の一応の誕生であったのだろう。
 しかし、いつまでも、反逆者精神、不良を演ずる姿勢が支持されるはずもない。その後は、自身でも、それらが必ずマンネリ化、種が尽き果てる事は、彼の音楽人生でも、判っていた、判らされた偽らざる事実であろう。
 そうして、私は、あの日、栃木県の仮の宿、住まいで彼の訃報をテレビで知る事になるが、あの時の事は、鮮明に私の脳裏に残っている。
 それが、ある人々には、彼は自殺を試みたのだ、との説も出たが、私も或る意味、それが全くウソ、信ぴょう性が無かった話だとは言えない気がする。  
 古来から、芥川竜之介以来、本、物書きでも、おそらくは、芥川にしろ、太宰治にしろ、川端康成、三島由紀夫等々、文学者の自死は数多いが、私は、うちの母が、母と東京都立戸山高校の学生時代の女子学生の友達が語っていたのが、芥川は、絶対に、小説の種が尽きて、だから自殺したんだ、と言っていたんだよ、と母は私にはしょっちゅう言って聞かされたので、文学者など、なるものではない、との教育、一般常識のようなものを、私は子供の時から一貫して受けて育った。大学も、文学部などに入るなど、とんでもないと。
 とにかく、文学者には自死が多い。それが、うちの母が言う、文学者の「文学崩れ」の最たる、最も悲惨な結末、最期なのであろう。
 尾崎豊の場合は、文学者と言うよりも、音楽家、作曲のみならず、作詞もしているから、微妙な立ち位置だが、作詞家というのも、文学的な要素は多分に含んでいる。現代の文学者と言っても差し支えないだろう。
 うちに来ていたヘルパーさんで、尾崎豊の楽曲をPCで掛けていた時、つい話題に上ったのが、この人の一挙手一投足が、それはそれは、必死過ぎて、張り詰めた雰囲気のままそのヘルパーさんの思い出に残っていて、あれじゃあ、続かないよ。必死に生き過ぎて、張り詰めた糸がとうとう切れたのが、あの死だったのだろう、と言っていた。
 とにかく、尾崎は、学校は、現代では優秀なエスカレーター進学校、青山学院高等部三年生に在学中の、卒業が出来るのは当然の、春三月を待たずに、勿体なくも、退学を申し出て、ドロップアウトをしてしまった。
 これなども、私は、自身に不良としての箔をつける為の、今後の芸能界で生きて行く為の策略、野望野心、格好だけ付けた、偽装の不良、演技、ポーズにしか見えずに、これらの行為は、実際に高校を止む無く中退せざるを得なかった者達への、冒涜行為とも言える。
 それに、今ではそんな事はないし、そんな事をしたら当時も今も法的にも例え青少年でも訴えられるが、その頃流行った、「卒業」という楽曲では、「夜の校舎窓ガラス壊して回った」の歌詞に当時の中高生たちが非常に異常に興奮して反応し、同じように真似をして、学校の窓ガラスを割る行為が全国的に広まり、社会問題となった。
 それに対して尾崎は、この時、反省の弁を繰り返し、決してあの歌は、反社会性を訴えた歌ではないんだと弁明したが、私などは、それは詭弁に過ぎないと思える。
 とにかく、紙数も尽きて来たので、これ位にしたいが、尾崎の歌を聴いていると、その作為性、わざとらしさ、本人だけが何か大仰に盛り上がり、自己陶酔に至り、恍惚の絶頂にいる自分に又酔い痴れる、という悪循環で、その時限りの、芸能界に入るのも、自身の不良性をアピール、訴えたが、三十歳の中年期を目前にして、人生に恐れをなした、一、音楽作曲家、シンガーソングライターの悲劇としか私には思えない。
 彼の論理は、不良性では一貫して来たが、それと、自身が人生の中盤期、社会の中堅、管理を担う年頃を迎えるに当たり、整合性が取れなくなって来た。
 そこで、自死なのか、自死に見せかけた本当の事故死だったのか、或いは、やけのやんぱちで、確か酒も入っていたのか、もうどうにでもなれ、との心境なのか、とにかく突然死で彼は亡くなったのだった。
 もう今となっては、当時に戻れないので、どうともとっても差し支えないのだろうが、私は、彼の音楽を聞くたびに、尻の青い、文学青年も顔を真っ赤にせざるを得ない、どうしようもない、背徳者然とした、彼の残した楽曲群の、この世に残った遺産物を思う時、何とも悲しく時には怒りをも持ちたくなるような、彼の音楽の無責任さへのやり切れない感覚を懐くのだ。
 
 まあ、我々昭和・平成時代を生き抜いて来た、そして令和の今を生きる者にとっては、尾崎豊は、非常に懐かしい音楽楽曲、アイテムではあるんだけれども、この、今まで述べて来た事とは矛盾するが、あの、昭和時代、平成時代の日々は、尾崎を聞くにつけて、今の時代の如くの、タイムスリップして、私など思いを惑わせ得て、心が懐かしいあの日に帰ってゆけるのも、尾崎のこの世に於ける貢献の一つであろうとは今は思う。
 尾崎は永遠である。
以上。よしなに。wainai

安全地帯のベスト盤CDを購入

2024年02月13日 22時53分34秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 安全地帯のベスト盤CD、「I Love Youからはじめようー安全地帯BEST」を購入した。
 曲目は、

 1、ワインレッドの心
 2、恋の予感
 3、熱視線
 4、悲しみにさよなら
 5、蒼い瞳のエリス
 6、プルシアンブルーの肖像
 7、夏の終りのハーモニー
 8、Friend
 9、好きさ
 10、じれったい
 11、I Love Youからはじめよう
 12、微笑みに乾杯

 と言う、極めて王道路線の、ヒット曲、昭和~平成の時代の人ならば、誰もが聴いたであろう、名作群の数々の群像が織りなす、素晴らしくこの一枚のCDに彼らの力用の全てを詰め込んだ、贅沢な音楽楽曲構成となっている。
 この連作の、この曲順にしびれてしまう。ほとんどがヒット曲。名作群。無駄が一切ない感じ。安全地帯の初心者、初めて聴く人達へも勧められるCD盤。
 私はこういう傾向の、ファン思いのこのようなCDの作りが非常に好きだ。 
 買って損はしないベスト盤CDであろう。

 以上。よしなに。wainai

井上陽水・断絶、をダウンロードする

2024年02月01日 22時47分48秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 井上陽水の楽曲アルバム「断絶」をダウンロードした。
 一聴して、名作と判る作品群。この、昭和の頃のフォークソング全盛の頃を偲ばせる。
 昭和を思い出し、ほっとする。心が和む。
 そして、最後は、問題作、というか、学生運動への、陽水なりの回答、「傘がない」で締めくくられる。
 これら楽曲が発売されたのは、私が生まれた、1972年。まだきっと、学生運動は繰り返し、行われている最中であったろう。その間隙を縫って、陽水のこのメッセージ性帯びた曲が世間の暗闇暗雲を晴らすが如くの、世の中への皮相的でもあり最大限の皮肉にもなっている。
 恋人同士、恋人関係にある二人にとって、社会だとか、政治だとか、そんなものは本当はどうでもいい話。それを世に認めさせた陽水の狙いは、まずは成功する。
 しかし、こうした歌に影響された世代が多数を占めると、当時からこの時の特に団塊の世代たちは、「しらけ世代」と言われて、時代に背を向ける者たちで世の中が溢れ返り、却って、学生運動が盛んだった頃の方が、学生自身にとっても、自分の人生と向き合い、社会を変えようとの熱意に裏打ちされた、社会運動でもあったのだ。それを、その美しい団結の権利を奪われた若者達は、行き場をなくした。
 そうして、現代では、若者の選挙の投票率が非常に悪く下がり続けていて、社会に目を向ける若者は皆無と言っていい位、少なくなった。
 皆、自分の事で精一杯、との言をのたまう若者達。しかし、私は、ボブ・ディランじゃないが「時代は変る」という歌の如くに正に、この浮世はいつかは変革し、変わらなければ時代が終わりを告げる。それで済むならば、若者の怒りはどこへ向かうのか。内へと向かうのか。外か。私は予言者でもないから、これはあてにはならないが、実際には、皆、うすうす気づいていると思う。
 この時代を変えるのは、若者が、あの明治維新を成し遂げたのだから、当然、その遺伝子を受け継ぐ若輩者が、この世を良く、洗濯するが如くに、変えるのは今しかない事を。
 結局、どちらも正しい。自分の生活を守る。世の中を良くする。そのどちらかに偏り過ぎたから、おかしかったのだ。
 何でこんな話になったのか。陽水の「傘がない」からこんな話とはなった。陽水も、底意地悪くてこんな曲を作った訳でもあるまい。あの頃は、陽水も若さ溢れる若者の代表格であり、その時の世相に一石を投じてみたかったのだろう。
 しかし、そのどんでん返しが、又起きる。そういう風に、世の中は昔から決まっている。
 私は今の若者に期待している。ひょうたんから駒で、有り得ない事が起こる前触れというものを信じて待ちたい。この世も捨てたものではないと思わされる何かが、エポックメイキングが欲しい、今のこの現代も。
 まあ、このアルバムも、良い曲が一杯入っていて、私としては納得ずくの楽曲群であった。
 以上。よしなに。wainai

「陽水ライヴ・もどり道」井上陽水、を購入

2024年02月01日 08時49分13秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 アマゾンで、電子音楽ダウンロードの、「陽水ライヴ・もどり道」を購入した。
 井上陽水のこの楽曲群は、全く初めての購入だが、陽水は、ボソボソしゃべっていて、とても興味深い感じで、私に静かな声で真に迫って来る。
 このライヴ、コンサートが、新宿厚生年金会館で、1973年の4月14日に開かれたというから、私の生まれて、まだ赤ちゃんの、生後8~9か月といった所である。その頃から、陽水は、こうして芸能界にて、頑張っていたのだと思うと、胸が熱くなる。同時代を生きていたのだと。
 それにしても、彼のしゃべりは面白い。亡くなった父親の話やら、しかし、涙せずにはいられない、感動も併せ持つ。
 彼の若い頃の、全盛時代の、活気あふれた、素晴らしい音源、楽曲、歌であり、非常に楽しませて頂いている。
 井上陽水は、才能に恵まれたアーティストだ。しかし、元々は、父親の歯医者を継ぐために、何年も浪人を重ねて、やっと親元から離れて、ギター一本で独立して、好きな音楽の道の地平が開けた。陽水が歯医者になっていたならば、今日の井上陽水のあの有名な楽曲たちとのお目見えは、全くなかった。それが不思議な縁だとも言える。
 人生、禍福はあざなえる縄の如し、であり、どこでどう転んで、その人が失敗したと思ったとしても、そこから立ち上がれば、何のことはない、実は成功していたといった、人生の機微、不思議さがあるのが、又、この人生なのだ。
 こういった人を見ていると、こちらも襟を正したくなる程、その立派な人生に(途中、陽水は、麻薬使用事件等も起こすが)一応の合格点の人生だな、と思わせられて、私も陽水の生き方に憧れる。何といっても、その楽曲が素晴らしく、私はとりこになってしまう。
 とにかく、紙数も尽きて来た。何度言っても、陽水の偉大さは、これは否定しようがない。井上陽水は、その音楽は、不滅の名曲群に彩られた、素晴らしいシンガーソングライター、アーティストであると、私などが言わなくても、もう世間では、定着した合言葉・フレーズのようなものだ。
 この、ライヴ盤も、臨場感あふれた、素晴らしい、小空間で繰り広げられている、当時の新宿厚生年金会館にて行われた。私もその頃、関東の神奈川県出身であり、どこかで陽水とすれ違っていはしないのかな、との親近感も思いつつ、あれ程ビッグに上り詰めて行った陽水が、そんな訳ないよなあ、と思い直す。
 この頃は、青年・井上陽水、といった感覚で、まだ幼さの残る感じの、純朴青年、の陽水であった。その曲の合間のMC、しゃべりが、このアルバムの持ち味がとっても気さくで大変宜しい。私は井上陽水の別の真実味、人となりを見た思いがしたダウンロード楽曲であった。
以上。よしなに。wainai

aiko、のベストシングル盤をダウンロードする、私流のアップル社とアマゾン社の使い分け方

2024年01月26日 13時35分43秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 aiko、のベストシングル盤を、アップル社からダウンロードして購入した。
 アマゾンでは、若干安くして、CD単体でしか売っていない。そして、そのCDというのも、何だか、表紙を上手く切り分けて、本体のCDボックスに貼り付けないといけない、などの、幾分かの手間がかかるらしい、というレビューを見て、だったら、多少高くても、アップル社の方が良いと判断した。
 これだけ、おそらく、五十曲超で、三千円台後半なので、一曲当たりの値段は、一曲一曲買うよりも、段違いで格安であり、お値打ちの買い物をしたと思う。
 このaikoのCD、ダウンロード電子音楽版は、数年前から、ファンやaikoの初心者の間でも、破格の値段の、aiko入門盤であり、ファン垂涎のアイテムとして、愛されてきた代物であり、そのaiko含めレコード会社のサービス振りが話題となった。それを、私も新聞かネットだかの、音楽ニュースで既に知っていた。
 それは、コロナ前だったかは忘れたが、この、CDは、aikoのその当時からのシングルを全部集めた、4枚のディスクからなっている。素晴らしいコストパフォーマンスだ。
 私は、今述べた如く、今回はアップル社から購入した。アップル社での買い物は非常に久し振りだが、アップル社には音源があっても、アマゾン社には全くないものもある、という、これはこの両社、得手不得手があるのがよーく判った。
 昔ながらのCDを、新品中古問わず、を買うならばアマゾン社、多くの音源を抱えていて、電子音楽ミュージック・ダウンロード版を買うならばアップル社、といった棲み分けが可能で出来ているのだ。
 これは、私には、音楽好きとしても、非常に勉強になった、今日の買い物であった。
 通信環境に左右されるが、この場合、両社を天秤にかけて、どっちが安いか、安さだけじゃなくて、どっちのサービス、すぐに聞きたい時には、ダウンロード版に比重を置くとか、随分気を使って、買い物が出来得るのである。
 今までは、CDをわざわざ買って、それが中古品だった時、音飛びがしたり、新品のくせに、ケースが割れていたり、ひびが入っていたりと、これは酷い、という思いをして来た私だ。
 おまけにその同じくアマゾン社なんかでは、去年の十一月から十二月頃にかけて、通信障害、というのか、買ったもの、買った電子書籍に限らず、電子ダウンロード音楽が、全くダウンロード出来ない、という、アマゾン社の電子ダウンロードの品質の劣化を疑わせる事例が相次いだ。
 こうした問題のある会社には、それ相応の、代償というか、代価・対価を求めて然るべきだが、この時のアマゾン社の対応は、いつかは何とか、ダウンロード出来る時が来ますから、一辺倒であり、それは、去年のクリスマスの時位まで続いたのである。呆れてしまった。
 とにかく、今の通信環境だって、いつも決まった環境にあるとは限らないので、注意には注意を重ねて、念には念を入れて、対処を、これら世界企業には、心して、こちらも対応してゆく他はない。かなりの忍従を去年のアマゾン社には強いられた経験から、今回のアップル社には恩恵を私は受けているので、この今回の決断・決定には私自身、言う事も、不満も全くないのである。むしろ、この便利さを享受出来る、今日のような、風雪の日々の、冬の季節の、大変な時期には、大変助かる事態が、正に今なのである。
以上。よしなに。wainai

ハラミちゃん・ハラミ定食 DX~Streetpiano Collection~「おかわり!」をダウンロード・ハラミちゃん愛情論

2024年01月22日 11時23分33秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 ハラミちゃんの電子音楽、『ハラミちゃん・ハラミ定食 DX~Streetpiano Collection~「おかわり!」』をダウンロードした。
 前には、ハラミ定食2をダウンロードして、その同時期に、武道館のDVDも廉価で買い求めている。完全な、私はハラミちゃんファン、ハラミちゃんはファンの事を「お米さん」と呼ぶ。焼き肉のハラミを、ごはん、お米で包んでくれるのが、ファンである、と言うコンセプト、考えによる。
 私は、彼女は、幼少のころからの、ピアノ習得者であり、音楽大学まで出ている猛者(もさ)、強者(つわもの)であるので、目標にするのもおこがましく、身の程知らずである。しかし、憧れの人ではある。
 あの、豪快なピアノの弾きっぷりは、ハラミちゃんでしか有り得ない。
 今まで出会ってきたピアニストの中でも、あれだけの心の籠った、魂の叫びのような、この身に迫るピアノの鍵盤を自由自在に弾きまくった人は、ハラミちゃん以外にはあり得ない。これは人の好みもあろうが、ストリートピアノで鍛えられた大衆受けする作法、それ以前からの教育の素養、音楽大学を卒業した後の、音楽とは関係のない会社に就職して、頑張り過ぎの性格がわざわいして、一時期引きこもりの生活へと打ちひしがれたが、やがて、先ほども言った通りの、一歩外へ出てみよう、あの、駅や、都庁にある、駅ピアノ、街角ピアノを、自身の外への窓口、自身の真に音楽が好きだ、という表明、発表の場として捉え、何度もトライを重ねつつ、ようやく心、腹が決まり、ストリートピアノを決行する腹づもりを決意して、家の扉を開けて、家の外へと出てゆく。それがのちの、今日のハラミちゃんの大活躍の人生へとなだれ込む。
 素晴らしい、人生のあやなす、折々の、サクセスストーリーである。
 ハラミちゃんは言う。ピアノ界の、音楽大学を出て、クラシックにしろ何にしろ、そこで活躍が将来的に約束された人は、針の穴を通す程の少人数の人しか許されてはいない。自分にはそれが許されなかった。その道は、決して平坦ではない。現実は厳しかった。
 ハラミちゃんは、実際、音大では、その価値が認められずに、卒業後、一般企業に就職し、そこで挫折を味わう。しかし、人生の、運命・宿命・縁の不思議な導きにより、人生の成功を、ひょんな事から味わう事となる。それに、そこに、ファンとして彼女を一方から見つめ続ける私も含めて、気まぐれのような、時の運、今の時代の、面白さがある。
 この人、ハラミちゃんも、一般に広まる手助けとして、ストリートピアノ、駅ピアノ、街角ピアノ、これを利用多用活用しつつ、撮影して、動画として、「ユーチューブ」に発表して来た事が実を結んだ。彼女の動画視聴数が、その年の一位だか、確か、かなりの勢いで、その存在を知らしめた結果を与えたのが、ユーチューブであった。
 その場にいた人は、皆、幸せ感を味わい、ハラミちゃんもそれに応える。これは、「フラッシュモブ」、という、時として、街中、駅等で、楽団等、ピアニストにしても、楽器等で、突然演奏が始まり、人々の度肝を抜くような仕掛けが、その街角の周囲にあふれてその演奏力にビックリしつつも、それを楽しむ余裕が、そのフラッシュモブには、意外性を併せ持ち、一般市民を巻き込んだ、楽器演奏の魅力がそこにはある。
 これは、福島県の郡山市の郡山駅でも、以前、今も時折やっているのか分からないが、数年以上前の、地元新聞でも報道されて、市役所公認で、駅構内で、この「フラッシュモブ」が行われたと知った。 それは、当時、母がうちにいた頃、新聞を読んでいて、私はその記事を読み飛ばしていたが、母は記事をちゃんときちんと読み上げて、早速私もそんな風習活動現象がある事にその時初めて気づいて、母もその場に行きたかった旨、その粋な出来事を語っていたのを昨日のように思い出す。 おそらく、英語の「フラッシュモブ」という位だから、群集心理にサプライズを起こす、外国発の風習なのであろう。
 とにかく、ハラミちゃんの行く所、その場にピアノさえあれば、その場の御膳立ては整うのである。
 ストリートピアノ・ピアニスト出身、という肩書を引っ提げて、その確かなピアノの技術力と表現力で彼女、ハラミちゃんはのし上がって来た。 これからもハラミちゃんから目が離せない。 私は非常に刮目して、ただ、凄い時代が来たものだと、この人の勢いの行方に注目注視している。
 以上。 よしなに。 長文失礼。 wainai

「Golden Best 15th Anniversary ZARD」のCDを買う

2024年01月20日 00時39分25秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 ZARDのベスト盤CD「Golden Best 15th Anniversary 」を購入。中古で安く手に入った。
 平成時代を思い起こすのにはピッタリで、私が青春時代に聴いた曲ばかりで懐かしかった。
 坂井泉水さんの早逝には、当時ビックリしたし、惜しい、良い人ほど早く世を去るものなのか、と考えさせられた。
 当時は、その前だいぶ前かも知れないが、X Japan のHideさんだったかも、早くに亡くなり、そのヒデさんも、うちの母と同じ美容師免許を持つ、異色のミュージシャンとして、母も少しは身近に感じていたようだった。
 とにかく、ビリージョエルの曲にも、善人ほど早死にする、とかいうタイトルの楽曲、歌もあったと思う。世界の洋の東西を問わず、これはことわざのようなものなのだろう。
 末法では、悪人が栄える。末法の荒凡夫。そこに、正法時代を思わせるような、本已有善(本已に善有り)の、釈尊の説法を聴いて、後は仏性を開き表すのみの、脱益(だっちゃく)仏法に縁した人が、間違えて末法のこの世に来てしまったのではないのか、と言う人も、確実にこの世には居る。
 そんな宗教的な事はともかく、又、仏教の話となってしまうが、日蓮正宗で言う悪人とは、仏法、特に、法華経即ち御本尊様に縁していない人。善人とは、その反対に、現代では特に、日蓮正宗の大御本尊様に帰依している人、と分類される。御本尊の右肩におしたための「若悩乱者頭破七分(若し悩乱する者頭七分に破る)」、左肩には「有供養者福過十号(供養する者有らば福十号に過ぐ)」とされていて、この原理は全て、日蓮大聖人の仏法哲学において不変である。
 とにかく、仏法・仏教の話に脱線してしまったが、とにかく、善人というカテゴリー、論旨は以上であって、聖者は横死(怪死)せず(趣意)と日蓮大聖人様も仰っており、この、先ほどから申して居る、早死にの類は、その人の業や、宿命、不注意、時の運、余程の注意をしてもそうなってしまう事もあるが、大聖人様も、生きているのが華である、と言うような事を御書で述べられた箇所もあるので、一概に言えない。とにかく、用心には用心を重ねて、日々の日常生活に、仏道修行を取り入れて、自分に喝を時折入れて、頑張って胸を張って生きていこうではないか、御同輩の皆様!
 以上。よしなに。wainai

桑田氏の最近の歌、及び日本の現状について思う事

2024年01月08日 22時36分34秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
桑田氏の最近の歌、及び日本の現状について思う事
March 18, 2015, 5:25 am≫ Next: 朝日電器 ELPA ER-20T-N 短波ラジオ≪ Previous: radikoを聴いての感想
 先ほど聞いているNHKラジオ第一で、アナウンサーがサザンオールスターズの新曲で、NHKの今度の(ラジオの)テーマ曲をフルで初めて流しますというので聞いていた。しかし、冒頭で「過ちは繰り返しません」とか広島原爆のレリーフの文章を持って来たり、ワンサカ政治的な匂いのする歌詞で、桑田佳祐氏もガンの大病後、死生観が変わってしまったのか、余り応援したくない歌ばかりを作り、且つ、曲調もどこかで聞いたような音楽ばかりで、わたしは残念だ。
 そんな桑田氏ひきいるサザンのコンサートに、時の安倍首相が訪れたと聞いて、何をやってるんだろうと思ったが、サザンの歌、「ピースとハイライト」の中で裸の王様になぞらえられて、立腹するどころか、興味を示すだけでも度量の広さが安倍首相にはあるんだろうが。しかし、陛下から直々に頂いた勲章を、Gパンのポケットからおもむろに取り出し、コンサート会場で皆に見せた桑田氏の傲慢さは(後で謝罪したようだが)あんまりだと思う。
 桑田氏、ないし、サザンの方向性は、桑田氏の大病による長期休暇により、前後、変わってしまった。わたしも、病気の前の桑田氏の作品はかなりの確率でCDを買ったが、その後は全く買っていない。何かが違う、変わったとしか思えない。
 長い事活動をしているので、飽きられるというのもある。しかし、飽きたかもしれないが、何か歌に必ず現政権への反動的な皮肉な作風が増えて、嫌気が差したとわたしは言える。途中で民主党政権が出来上がり、桑田氏の中でそれへの賛美の意向が加わったのかは知る由も無いが。
 以前からも、桑田氏は金権政治への皮肉を綴った歌などもあった。しかし、現在は近隣の中韓にへつらう歌も加わった。余り感心しない。
 かと言って、大阪市長と争って暴言を吐いた、ヘイトスピーチの悪名高い、在特会などにも感心できない。しかし、ヘイトスピーチと言うが、フジテレビが大々的に悪徳韓国ドラマを放映して、平気の平左でいるのを、民衆がテレビ局を取り囲み、新たな権力と化したマスコミへの対抗策としてのデモ行進までもが弾圧されるのは逆差別、圧政だと思う。
 人種差別がいけないのはわかるが、実際に竹島は韓国に支配され、対馬は韓国に握られ、尖閣諸島は中国に狙われ、北方領土はロシアが占領している昨今、その背後にある敵対する民族への警戒を知ろしめすのに何故今のこの時に反対されるのかがわからない。わたしは意図的な、日本に勧告を行った国連の中にも中韓の差し金、スパイぐらいいると思うが…。
 侵略を行う、行おうとする周辺国、周辺民族が確実にいる、それに気を付けろと啓蒙を行う人がいる。するとそれに呼応するようにそれはいけない、差別だからと言われる(或いはマスコミがそう言わせる)。それっておかしくないか?!
 火のない所に煙は立たず。そう言われるにはそれなりの理由、訳がある。中国韓国の人々、それに追従する日本のマスコミには、今の日本国について、実際どう思い、どう動かし、どう影響を及ぼそうとしているのか、つまびらかに説明する責任がある。否、そんな説明よりも、ここ二、三年の彼らの行動で全てわかる。嫌という程、中韓、日本の売国マスコミによる、日本侵略の意図が透けて見えるのだ。

バックハウスのベートーヴェン・ピアノソナタ全集

2024年01月08日 22時27分26秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
バックハウスのベートーヴェン・ピアノソナタ全集
December 1, 2015, 2:48 am≫ Next: Panasonic RF-2400A FM・AM 2バンドラジオ≪ Previous: 傘を見ると…

 ウィルヘルム・バックハウスのピアノソナタ全集を買った。先月のビートルズの映像作品よりも高かったが、CDが八枚もあるのでお得な感じがする。
 ベートーヴェンの名盤で、聴いているとベートーヴェンの基本の音のようで、明快な感じがする。
 バックハウスの四大ピアノソナタを購入した時は、一緒に聴いていた母は、女の人が弾いているのかと言っていたが、れっきとした男性である。
 ベートーヴェンのピアノソナタ全集は、アシュケナージ、ケンプに続き、三人目のコレクションになる。どれが一番いいとかはもうはっきり言ってわからず、甲乙つけがたい。それぞれに個性的で、違いを確かめるのも面白い。バックハウスは、ドイツ正統の弾き方という風に感じ、古風だが、現代的でもあるような。
 冬の寒さの中、クラシックを聴くのが大好きだ。

最初から誰かのファン、を目指すのはおかしい

2024年01月08日 22時18分12秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
最初から誰かのファン、を目指すのはおかしい
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 わたしは、ファンになりたくてなったのではない。自然と、音楽家ならばその音楽を聴いているうちに、いつの間にかファンになっていた、というのが正解だ。
 しかし、最初から、ビートルズなら「ビートルズファン」という「ファン」というものにあこがれて、ファンを目指してファンになる、というのがイマイチ解せない。
 世の中には「福山雅治ファン」「山下達郎ファン」というものが確かに存在し、その「ファン」になる名誉を第一目的にして二番目に「何の曲を聴いたらいいですか」という奇妙でけったいな事を聞くファン初心者がいるらしい。まずはじめに「ファン」とはどういう風に振る舞えば良いかを聞いてきたり、ファン組織が強固なもの程、音楽を聴くよりもまず、「ファン」になることを夢見ている人がいる。
 わたしは、それでは本末転倒なのではないか、と思います。始めに「ファン」があって、作品鑑賞が二の次では、自分がどう見られているのかを必死になって追い求める、それも悪くはないんだけれども、何か自己陶酔気味かなと思いながら、若い人に多いのだろうが、そういう人は、本当に自分が何が本当に好きなのかがわかっていない。
 「ビートルズファンになるんなら、何からどの曲から聴き始めたら良いですか」という質問は、わたしは驚きを隠せない。まずファンになるのが第一義であり、どうも不純な動機のような気がしてならない。
 わたしが中学か高校だった頃、異常に、「若い頃に必ず誰かのファンにならなければ、青春とはいえない」と言って、必死になって自分のアイドルを追い求めていた友人がいた。その挙句の結果、「岡田有希子」というアイドルを見つけ、しばらくは本人も乗り気でその人のレコードは勿論、文房具の下敷きを買ったり、ポスターを買ったりして楽しんでいた。物凄く熱狂的になったその友人に友達が「岡田有希子が死んだらどうする」と言われて、その友人は「当然あとを追う」なんて言っていたが、まさかそのアイドルが本当に死んでしまった。でもその後もその友人は一切なかった事のようにレコード、下敷き、ポスター等を封印し、何事もなかったように学校を卒業し、新たな道へ踏み出した。当然、他の友達にも「あの時死ぬと言っていたのにうそばっかし」と時々つつかれてはいたが。
 兎に角、その人の影響で、当時のわたしも必ず何か誰かのファンにならなければ、と自然と感化を受けていて、わたしだったら誰のファンになるのがいいんだろうと、冒頭のわたしが否定した話の当事者であった事は、わたしも否めない。しかし、結局、誰のファンにもなれず、その友人もそのザマだったので、しばらくその事は放っておいた。
 ビートルズは、中学時代に初めて英語の授業で聴き、感心して聴いていたが、まだファンではなかった。本格的に聴き始めたのが高二の秋からで、次第に自然とファンになった。その頃クラシックにもはまり、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス等にも心惹かれ、クラシックファンになった。
 山下達郎、福山雅治は、ファンといえばファンかもしれぬが、熱狂的なファンではない。しかし、福山は、最近結婚してしまい、「福山ショック」とまで言われているが、福山もラジオではまるで生半可ないい加減な事をよく言っていたようだ。
 曰く、ニッポン放送の「魂のラジオ」で、ベートーヴェンは若くして自殺で亡くなった、と福山雅治はラジオで語っていたが、ベートーヴェンは肝硬変という病気で亡くなり、しかも当時としても五十代後半で、決して早死ではなかった。こんないい加減な事を言っていて、本当に福山は音楽家なのかと思った。
 リスナーが悩みを話し、その状況に合った曲を福山がリクエストして流す、というのもやっていて、ライバルに彼氏を奪われた女の子のリスナーに、杏里という歌手の「オリビアを聴きながら」を流していた福山。そこは同じ杏里ならば歌詞からいっても「悲しみがとまらない」だろうが、とツッコミを入れたくなった。
 相手の吹石という女優も、止まった写真画像だけ見て、みな世の男女は負けた、と思っているのかもしれないが、吹石の若い頃の歌を聴くと、そのコメディ路線まっしぐらなのが笑える。歌が、下手だし、とにかくおかしい。福山が結婚したからって、女子で自殺まで考えた人もいるらしいが、そんなに思う程の二人ではないって。
 とにかく、ファンになるんなら、今は世にいない、存命中ではない、歴史上の人物が最適かもしれない。評価が定まっていて安定しているし。戦国武将「徳川家康」や「三国志」他の人物・群像に焦点を当ててみるなんてのも渋いし、文学の世界も興味深い。以上、わたしの人の「ファン」に対する思いをそこはかとなく綴ってみました。

ビートルズの新譜が気になる

2024年01月08日 22時16分19秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
ビートルズの新譜が気になる
October 3, 2015, 8:45 am≫ Next: 昨今の反自民報道で民主党に再び騙されるのは愚の骨頂≪ Previous: ICF-9 SONY FM/AMラジオの巻、ソニーの事

 ビートルズの新譜『ビートルズ1』が今年の11月6日に全世界で発売される。
 今回は、2000年の時に初めて発売され、世界でも何千万枚 (3,200万枚)も売れ、日本でも320万枚が売れた。その後、その再リマスター盤が2011年に発売されたのが記憶に新しい。それに引き続いてのものが今回の事件だ。
 今回もいつものプロデューサー、ジョージマーティンではなく、息子のジャイルズマーティンのプロデュースのCDだけで終わるのならば、こんなに迷いもしなかった。今回のものは、それに、映像盤のDVD(ブルーレイ)がつくというのがミソで、ファンには垂涎ものなのだ。
 「ビートルズ 1+  デラックス エディション」というものが、値段が高いが特典映像が期間限定で今なら入手できる最後のチャンス、というのが悩みの始まりだった。

 
※全曲にジャイルズ・マーティンによる最新のステレオ・ミックスと、DVDとブルーレイには5.1ドルビー・デジタル/DTS HDサラウンド・オーディオ・ミックスがほどこされています。
1 「ビートルズ 1」 【初回限定スペシャル・プライス盤】(SHM-CD&DVD) ※27曲の音源+同27曲のミュージック・ビデオ /3,980円(税抜)
2 「ビートルズ 1」 【初回限定スペシャル・プライス盤】(SHM-CD&ブルーレイ) ※27曲の音源+同27曲のミュージック・ビデオ /4,980円(税抜)
3 「ビートルズ 1+ ~デラックス・エディション」 【完全生産限定盤】<SHM-CD&2DVD> ※上記1スペシャル・プライス盤+23曲のビデオが入ったボーナス・ディスク(DVD)+スペシャル・ブックレット付 /8,800円(税抜)
4 「ビートルズ 1+ ~デラックス・エディション」 【完全生産限定盤】<SHM-CD&2ブルーレイ> ※上記2のスペシャル・プライス盤+23曲のビデオが入ったボーナス・ディスク(ブルーレイ)+スペシャル・ブックレット付 /9,800円(税抜)
5 「ビートルズ 1」 DVD ※27曲のビデオ /3,900円(税抜)
6 「ビートルズ 1」 ブルーレイ ※27曲のビデオ /4.900円(税抜)
7 「ビートルズ 1」 SHM-CD ※27曲の音源 /2,600円(+税)

★国内盤のCDはSHM-CD仕様です。
★<SHM-CD+DVD>と<SHM-CD+ブルーレイ>は驚きの限定スペシャル・プライスです! (初回限定盤です)
★「SHM-CD+映像付商品」は4種(1234)とも限定盤です。特に「デラックス・エディション」に付く映像の“ボーナス・ディスク"は、「完全限定生産盤」ですのでお早めにご予約ください。
★『ザ・ビートルズ 1+ ~デラックス・エディション』は、「23トラックのビデオを収録したボーナス・ディスク」と「スペシャル・ブックレット付! 」 映像は合計50トラック/3時間40分を超える究極のです!
★映像にはのVIDEO EXTRASとして、ポールの音声コメンタリーが3曲、リンゴ・スター映像解説が4曲入ります。なお、デラックス・エディションのボーナス・ディスクにはポールの音声コメンタリーがさらにもう1曲入ります。
 
 これらの中で、完全生産限定盤が価格が高いが最も人気が高く、マニア・ファンも当然、そこに照準を合わせて、狙いを定めている。しかし、高い。もっと往年のオールドファンばかりが目立つビートルズファンも多いが、若年層にも、また後世の為にも、限定盤じゃなく、後々まで安価に継続して映像盤を生産して欲しかった。
 輸入盤はかなり安いが、リージョンの関係で、同じ米国盤のブルーレイじゃないと日本の規格には合わないから、中々今の所、ヨーロッパ盤ばかりが目立ち、日本では映像が見られない。
 わたしも、11月までまだ間があるので、ブルーレイかDVDかも含めて、予約期間に大いに悩み、考えたいと思う。その間にも余りに予約が殺到して、全て売り切れになる恐れもあるんだけれども。