Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

数日続く「滝のような雨」500ミリ超の大雨の恐れ,gooニュースから

2019-06-29 21:23:50 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学

 連日続く、大雨。今年は令和に改まり、穏やかに過ぎ行くかと思ったが、何か平成時代を思わせるような、人も気候も、世界情勢も、不穏な動き。時代は繰り返すのか。
 宗祖日蓮大聖人は、天変地異、天候も、人の心が反映すると捉える。人の心が鏡となって、空模様となる、と。
 
如説修行抄 (御書六七〇頁)

法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。

 今、この不穏な気候は、詰まる所、邪義邪宗邪教邪説の振り撒くこの世において、世界はキリスト・イスラム教、日本国は創価学会等の暗躍、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)にあると見た。これら諸悪の根源が、この世を惑わす張本人なのだ。
 この世に、一筋の光、光明の一宗がある。富士大石寺を総本山とする、大聖人様の正統なる流れ、日蓮正宗だ。世界唯一の、日蓮大聖人様の書き顕わされた大御本尊様は、ここにしかない貴重なものだ。この大御本尊様を、七百数十年、傷も付けず、チリも払い清めて御法主上人猊下、御僧侶方が厳護して来た。
 何と素晴らしい事か。この宝の山に還れば、大御本尊を前にした時、何か故郷、故人となった祖父母に再会したような、懐かしい気分で心が満たされ、新たにされる。
 私は今まで五回、総本山富士大石寺にお参りしているが、いつも帰路に就く時は、決まって笑顔と満ち足りた満足感と、感動・感謝の念と、五体を漲(みなぎ)るエナジー、元気をもらって帰って来る。この感覚は、どこから来るのか、勿論大御本尊様からだが、不思議な感覚だ。
 話がかなり脱線したが、この宗教、日蓮正宗が全世界に広宣流布せん事を祈るのみだ。

創価学会の守りたかったものとは…

2019-06-29 19:15:05 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価が日蓮正宗と路線対立して宗門から離れていく。最も創価が根本にして守りたかったものとは何か?
 それはズバリ、池田大作、その人であり、その教えである。池田を守る為、池田も常々、「私を守れ、私を守れ」と弱弱しく呟き、叫んでいたように、学会員達は池田を護持し、宣揚した。
 池田教。創価は、日蓮正宗と何が違うかと問われれば、池田大作を頂点とする、池田を宣揚する組織だ。だから、世の人々は、「池田教」と称して蔑む。蔑視されているのを、創価学会員のみが知らない。
 公明党が池田親衛隊として国会、地方議会で暗躍し放題であり、政教一致の現憲法違反は明らかだ。正に池田とは、巨悪、巨大なる俗物、悪辣なキムチ野郎だ。
 しかし、彼の死後、全国に散らばる十数人以上の池田「私生児」、隠し子、親戚等が、その額数百億円、とも下らない巨額の遺産を巡り、その一億円でもいいからと、悪夢の遺産相続の問題が必ず噴き上がると各方面で言われている。その時は、遺産争奪戦で、池田家VS私生児の家の血みどろの戦いが展開され、マスコミを賑わす事だろう。
 その時に創価学会は、そのゴシップ、スキャンダル事件に持ちこたえられるか。かなり世間を席巻し、死んだ当初は、偉大な宗教指導者としてマスコミに登場するかもしれないが、晩節を汚す、自身の好色漢が招いた色情魔、色事師としての池田大作の一面が世間に披露、暴露されるや、創価の旗は、世間の風に簡単に倒れてしまうだろう。
 戸田会長が亡くなった時とは違った展開が待つ池田Xデー。
 これも、池田自身の不徳と致す所業のせいと見定めて、私達市井(しせい)の者達は静観するしかあるまい。池田大作も、かなりダークで暗黒面が強調された、俗物らしい彼にふさわしい最期なのかも知れない。死んでから名を上げる人物と、名を下げる人物。池田は明らかに後者だろう。

日蓮正宗には大義がある、創価は?

2019-06-20 16:13:22 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 日蓮正宗は、八百年の歴史を有し、大御本尊まします富士大石寺を総本山と仰ぎ、唯授一人血脈付法の法灯連綿たる御法主上人猊下の下、僧俗一致して教えを説く唯一の宗派である。
 大御本尊に分身散体の法則により、全国、全ての御本尊へと功徳が流れ通う。この点、創価は異流義なので今は創価に功徳は流れず、おまけにニセ本尊では、罰の現証に苦しむばかり。
 創価は世界何か国に布教したと豪語するが、これとて、すでに日達上人の時代から、狂った創価の昭和五十二年路線の時に、「日蓮正宗でないものが世界に広まっても、なんにもならない(趣意)」と日達猊下は仰り、創価の横暴に苦心、腐心なされた。
 創価はエンジンの無い車か飛行機であり、いつ事故を起こしてもおかしくない欠陥品だ。
 トップの指導者が狂うと、末端まで狂ってしまう。今は惰性でやみくもに動いているが、いつ暴走し、破壊的な作動をするかは誰にも分からない。
 仏法僧の三宝の僧侶を抜きにした、三宝破壊の大義の無い、欠陥教義の創価には、広宣流布など未来永劫、できないのだ。

素晴らしい日本・江戸文化、江戸の音楽、長唄の真髄が今、一枚のCDとして我らの手の内に

2019-06-15 14:39:20 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集


私のアマゾンレビューから。
福島のあまっこ
5つ星のうち5.0素晴らしい日本・江戸文化、江戸の音楽、長唄の真髄が今、一枚のCDとして我らの手の内に            2017年4月18日形式: CDAmazonで購入 

 此の、コロムビア 邦楽 名曲セレクション20 長唄 は、江戸の昔の日本における伝統音楽、長唄、を現代の至宝、芳村伊十郎氏の唄により、素晴らしい作品として仕上げられている。日本音楽の古典を、今日の我々日本人ですら、中々耳にする事はないかも知れぬが、今はこじんまりとはして来ているが、おそらく江戸東京を始め、全国各地で今だにそれら作品に触れ、日々練習研究研鑽に勤しんでいる方々は、多数居られると思う。歌い継ぐ担い手はそれ程は多くはないが、歌舞伎座等では今日も満員御礼の賑わいがあるのだろう。
 まず、一曲目、元禄花見踊(げんろくはなみおどり)の素晴らしく立派な演奏により鼻を明かされ、まず最初でノックアウトされ、次第に判らない人でもその長唄の世界に次第に引き込まれてゆく。二曲目の勧進帳(かんじんちょう)では日本人の誰もがお芝居、映画、時代劇、大河ドラマ等で一回は見たであろう義経記、山伏に扮した源義経とその弟子弁慶の関所抜けのエピソードに端を発する有名な場面を耳にしつつ、三曲目、秋色種(あきのいろくさ)は拍子木で始まり、十二分弱とこのCDでは一番収録時間が短いが、秋くさの、吾妻の野辺のしのぶ草、合、しのぶ昔や古(いにしえ)ぶりに住み着く里は夏おひく、という出だしがとても様になっていて、私は珠玉の一遍、一曲だと、その壮麗さに感服致す次第である。三味線が聴きどころ。時代劇の劇中音楽として使われても何ら遜色はない。
 最後の四曲目、京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)、は最後のフィナーレを飾るにはベストな配置であり、とてもゴージャス、豪華であり、これも初めは拍子木、笛、太鼓、鳴り物等で始まり、次は鼓で受け、どんどん核心へと分け入っていく、遠くでの人の声がこだまし、迫力を増してゆく。三味線の軽々とした小気味良い響きに感嘆する。芳村伊十郎先生の主旋律の唄声に松島氏、藤田氏の合わせて三氏の声が合して増し、深淵で厳かであり、心はもう江戸時代。三味線の早弾きは、ロックンロールのエレキギターやフォークギターのそれと余り違わず、むしろ江戸の頃にも、現代欧米のみならず、現代日本のロック・ポップス・ニューミュージックにも比類、否、遥かにそれらを凌駕する。それ程素晴らしく、格好がいい。
 これらの曲を聴いていると、曲が終曲に近づくにつれて、余韻に浸り、もう終わってくれるな、と惜しむが如くにその立派で素晴らしい演奏音楽に聴き惚れ、また最初のトラックに戻り最初から聴いている次第で、実際リピートで何度も聞き返す程。素晴らしい美しい伝統音楽がこの扶桑国秋津洲日本国には厳然として残っているのだ、と、先人たちの遺してくれた作品群を聴くにつれて、この美しの国、日本国に日本人として生まれて大変良かったと思いを新たにする次第。以上            
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香港を抑圧する中国政府、いつも被害者は民衆

2019-06-15 13:30:13 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・国防憲法論、太田西ノ内病院医師の件含む
 香港では中国へのデモを市民が起こしている。ちょうど三十年前には中国北京で天安門事件が起こった。この事実を隠し、無かった事にしようとする中国政府。無慈悲もいい所だ。
 独裁共産党一党支配がそうさせるのか。ここまで来ると共産党の思想、マルクスレーニン主義も怖いが、本当の本来の理想のマルクス主義にのっとらないからそうなるのかも、と少し日本共産党におもねってみたくもなる。
 共産主義とは、皆が幸せになれる考え方だったのではないか。それが今の中国を見ているとまるっきり違う。皆が幸せじゃない。かなり弾圧、抑圧されている。それが今の中国の共産主義じゃないのか。
 ソ連も東ヨーロッパも、皆、民衆弾圧の歴史だ。日本共産党が理想とする共産社会は、そうじゃないと言う。どっちが本当なのか。
 やはり、昔、朝日新聞の川柳にあった「共産パラリで政治良し」。共産党は、むしろ少数でこそ力を発揮する。政治の大勢を占めると、ろくな事は無い。
 日本で共産党が政権に就くのは、まだ先なのかも知れない。

歴史にもしも、は無いが

2019-06-10 12:31:52 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 昨日の寿海寺で行われた御講のあとの学習会は、とても有意義な時間だった。
 釈尊は、五時八教と言って、当時のインド民衆、聞く者の機根に合わせて、教えを変えた。質問者がいて、どうしてお釈迦様は、最初から最高の法の法華経を説かず、種々の経を説いたのか?それが現在の邪宗のはびこる元となったのではないか、と聞いた。
 講師のBさんが、御書をひも解き、法華経の前の段階には足場が必要だった。しかし、法華経が説かれれば、足場は不要となるので撤去する、という意味の大聖人の御文を引いた。
 御住職様は、いきなり幼い子供に大学の教えは説けない。小学校・中学校・高校・大学、と段階が必要で、法華経だけじゃなく、むしろ法華経があればこそ、他のお経も具足して必要となり、完全となる、と仰った。
 歴史にIf、もしもは通用しない。当時の釈尊の振る舞いがそうであったのなら、それを曲解した人師論師が悪い。
 本来なら、仏教は一つの教え、一宗に束ねられねばいけない。八万宝蔵の経々があるからといって、勝手に自分の宗派を立てたから、今日の仏教界の混乱がある。
 中国では天台大師が仏教を法華経で統一し、日本でもその生まれ変わりと言われる伝教大師が国内の仏教各派と論争して勝利し、やはり法華経を基とする日本天台宗を確立した。しかし、その後の弟子、慈覚大師等の密教(真言宗)混合の結果、天台宗は法華経を貶め、日本の宗教界、乃至、国の政治も乱れに乱れ、法華経を軽く見て、本来の法華経の行者が現れたのは、末法に入り、日蓮大聖人の活躍する鎌倉時代を待つ事となる。
 そんな事を思わせた、昨日の学習会であった。