Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ラジオ福島「通りゃんせ基金」に募金

2020年11月26日 17時05分01秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
 今日、東邦銀行へ行き、ラジオ福島の「通りゃんせ基金」に募金に行ってきた。
 これは、目の見えない方、体の不自由な方へ、音の出る信号機ほか、障碍者の方へ援助しているラジオ福島の活動だ。私もその意義に賛同し、少額ながら募金をした。
 いつもラジオを聞いていて、実は、今から数十年前にも近所の子供と私も小学生で、ラジオ福島郡山局に募金に行ったことがある。そこではアナウンサーの方が私達にマイクの前に出るように勧めたが、辞退してしまった。
 だって、余りに少額の募金で、ポケットから十円玉、五円玉と、数十何円位しか募金できなかったからだ。当然、ラジオで全県に放送された。しかし、アナウンサーの方は、私たちの名前と小学校名を語りながら(少し笑みながら)「けれども嬉しいじゃないですか。こんな小さな小学生が私たちのラジオを聞いて募金してくれるなんて、ありがとう」と語っていた。
 今回は汚名返上、何とかあの時の恥ずかしさを大人になって返した喜びで一杯です。

竹内まりや「駅」を聞く

2020年11月18日 12時17分30秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 昼のラジオから、竹内まりやの「駅」という曲が流れてきた。しばし、聴いていた。
 この「駅」の記事を以前の私の消えてしまった、今はもう無いブログに書いたのだが、それを合わせて又、書いてみたい。
 「駅」の描かれた舞台は、「渋谷」か「新宿」だとずっと思っていた。私鉄沿線が似合う大都会の駅、という設定では、これら二つが最適だと思ったからだ。
 案の定、山下達郎さんの日曜のFM番組、「サンデーソングブック」にて、山下さんが、あれは渋谷駅が舞台です、と仰っていた。
 福島でいえば、郡山駅の一駅となりの、「安積永盛駅」では絶対にない、寒村の寂れた駅は思い付く筈もない。それだけ都会的な歌だ。
 歌の内容は、以前、恋人同士だった二人が偶然ホームで出会う。しかし「彼」は気付いていない。
 「彼女」だった私は、一つとなりの車両に乗る。懐かしさの一歩手前で苦い思い出を振り返る。「私だけ愛していたことを」と歌い、恋愛としては成立しない、片恋の切なさを歌う。
 二年の時が、二人を変えてしまう。最後に、改札口で彼が群衆に紛れて見えなくなるのを彼女は見つめる。それぞれの帰りを待つ家族のいる、帰路に就く二人を夕闇が迫ってくる。
 何か、一本の映画を見ているような感動を奮い起こさせる。全体を故服部克久のストリングスが緊張感を与えている。
 現在はおそらく主婦の、非日常を見事に切り取った、良作だと思う。

池田大作というトラウマ

2020年11月11日 14時24分52秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価学会名誉会長、池田大作ほど、内と外で評価が180度、まるっきり違う人物も珍しい。
 外部の評価では、今太閤の如く傲慢に振る舞い、上意下達、巨大組織のトップとして君臨し、かなりの女好きで、宗教家には見えない程豚のように醜く太り過ぎ、その醜悪な言動が常に一般大衆の嫌悪の的であり、どうでもよく(日蓮正宗としては聞き捨てならぬ、決して捨て置いてはいけないのだが)成り上がりの最たる人物、と決して良くは思われない。
 しかし、内部では、「先生」と敬称を付けて大々的に呼ばれ、世界中から買い漁って来た勲章、メダル等を珍重し、全て代作の著作群、人間革命等を描くエセ小説家、自動演奏のピアノを弾いた振りをしたエセピアニスト、冗長な美辞麗句を並べ立てただけの詩を書くエセ詩人…。八面六臂の理想的な万能人として、ニセの姿、飾り立てられた美辞麗句を言うお調子者、池田田吾作。
 これら内部の意見は皆、巨大な妄想に操られた虚像である。いまだに池田を師匠と仰ぐ、人生の師とする一群が創価学会学会員信者共である。救えない、救われない、哀れ過ぎる池田教信者たち。
 公平な目で見れば、内部の人の見方は、池田という一個人を針小棒大に称賛し、ひいき目で見た、相当デフォルメされた、穿(うが)った見方である。本当は、欲にまみれた、どうしようもなくだらしない、人間としても最低なレベルの人間以下の存在が池田大作の正体である。根性も汚い、人間性は常に下劣、破廉恥の、こんな人間を奉っているのは、本当に頭のおかしい人間だけだ、と日蓮正宗にいる者ならば誰でもそう思う、思っている。
 池田大作の筆跡鑑定を行った人達がいて、そこで導き出されたのは、あの右上がりの異常な筆致は、精神異常者、変質者に間違いないと結論付けられたそうだ。
 内と外でこれだけ評価が違うのは、世界では北朝鮮がそうなのではないか。創価学会と北朝鮮は似すぎている。
 それだけおかしな人物を盛り立てている創価学会とは、まことにおかしな、不可思議な宗教だ。

日精上人の御命日、初めての総本山富士大石寺登山

2020年11月04日 20時13分43秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 明日は日蓮正宗過去帳によると、総本山第十七世日精上人の御命日だ。天和三年十一月五日にお亡くなりになった。
 日精上人と言えば、私は生まれて初めて日蓮正宗総本山富士大石寺に上った日を思い出す。
 何という坊に留まったのかは忘れてしまったが、そこで朝、六時ころ朝の勤行唱題を皆で執り行った。
 勤行終了後、そこの坊の御住職様が、この中で初めて総本山に来られた方はいませんか、と集まった全員に言った。
 私はおもむろに手を挙げ、大勢の中で、思えばその場で初めてお山に来たのは私一人であった。
 坊の御住職様は、そこに鎮座まします立派な黒地に金色の文字の板御本尊について静かに語った。
 そこの御本尊が日精上人猊下の御筆による御本尊である事が、信心し始めの私にも懇々と伝わって来た。
 実はその場にいたうちの無量山寿海寺のK前副講頭さんからその後で聞いたのは、Kさんが前の日にも一泊していたが、同じ質問を御住職様は為さったが、誰も手を挙げず、御住職様から御本尊の話は無かった。今朝、○○さん(私)が手を挙げたのかい?と改めて私に聞いて来て、日精上人の話を暫くしたのを思い出す。
 思えば、創価学会が、日精上人を誹謗し始めたのがいつだったかも思い出したくもないが、今まで一緒に持ち上げて語られ、尊敬されていた代々の御法主上人猊下様方が、いつの間にか創価側で勝手に不敬にも選別され、取捨選択され、選り分けられてしまった。それが悔しい。
 その板御本尊は、それはそれは素晴らしい筆致であり、創価の言うような、日精上人が釈迦像造立を認めた、という、嘘八百、事実無根の、日蓮正宗でもとっくの昔に破折し創価を非難批判し尽くした事実を、創価は今も教学(狂学)で教え、押し付け続けている。
 情けない限りである。創価は、過去の自身が築いた栄光栄華を自ら捨て去ってしまっている。自分の持ち味を自分で殺す。
 ここにも創価学会の怖ろしい頭破作七分が如実に垣間見られるのである。

アメリカ大統領選たけなわ

2020年11月04日 13時26分00秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 あのトランプ大統領だけは落ちてもらいたい。前から余り好きではなかった。前回の大統領選の時も、ヒラリークリントン候補に勝ってもらいたかった。勝てば初の女性大統領誕生だった。
 実際には全国民の投票数ではヒラリー候補が勝っていたが、重要拠点州で負けてしまった。
 しかし、バイデン候補も年齢的に高齢でそれが心配。今回の民主党の候補者でもっと人材が居たろうに、という悔いが残る。
 それでも強権強欲のトランプよりかはまし。日本も早く自公が下野して野党政権が樹立して欲しい。
 日本の野党と中国共産党との癒着云々を言う人がいるが、元々民主党政権時代に尖閣諸島を国有化して中国に睨まれた事実からして、民主党政権は立派に中国と対峙した。自民党の中の親中派の方がその弊害は大きい。今の自民に、中国と立ち向かう気概は皆無だ。
 自民と組む公明党などは、まるっきり中国の犬だ。こんな連中に日本の国政を任せては置けない。
 野党の日本共産党だって、昭和の頃も、ソ連や中国と対等に自己主張していた。野党の方が、大国には物を言える政党だ。
 何が嫌かって、自民の、国民の味方の振りをして、実態は全く国民を敵に回した、悪徳政治のツケを国民に押し付ける、その自公極悪政権のおぞましさ、に虫唾が走るのである。